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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第3章
18/31

18 踊れないふたり

「え……?」


 私は瞬間、自分の目を、耳を疑った。

 けれども、どれだけ数えても王子は手を引っ込めたりはしないし、今しがた聞いた言葉を撤回しようともしない。

 ただ静かに、私の返事を待っている。


 ――どうして?


 一生触れることすら叶わないかもしれないと思った手が、すぐ目の前にある。おかしい。王子は女性に触れられるのも苦手であったはずだ。

 確か、前にも同じような状況があった。あれは私と王子が初めて会った舞踏会でのこと。あの時は、医師に言われて苦手を克服しようとしていたのだと言っていた。

 あれから時は流れたけれど、私の知らぬ間に彼は克服していたのだろうか。


「殿下……」


 確かにあの時震えていた手が、今日は震えていない。けれど、それほど簡単なものか。私の知らぬ間に治ってしまうようなものなら、王子が思い悩むこともなかったはず。

 だから、彼はまた無理をしているのだ――あくまで不自然のない、私のパートナーを演じるために。私はそう結論付けた。

 ならば、私の答えは決まっている。


「申し訳ございません。実は私、踊れないのです」

「踊れない……とは?」

「白状いたしますと、殿下と初めて会った時、あれは久方ぶりの夜会でした。昔ダンスの手解きを受けた時、わがままを言ってレッスンを放り出してしまったから、大人になってもまともに踊れないままで……そのような場には、ずっと顔を出さないようにしていたのです。そんな私ですので、殿下には恥をかかせてしまうことになるかと……」


 よくもまあ、すらすらと言葉が出る、と我ながら感心した。張り付けたような申し訳なさそうな笑みを浮かべることも忘れない私の言葉は、もちろん嘘だ。

 いや、正確に言えば、本当のこともまじってはいる。わがままを言ってレッスンを放り出したことがあるのは事実だが、そのままで終わらせるほど両親は甘やかしてはくれなかった。だから上手いとはいえないまでも、王子に恥をかかせない程度には踊れるはずだ――たぶん。

 けれども、私は殿下と踊るわけにはいかない。踊るということは、互いの身体をある程度密着させるということなのだから。


「そんなことは、気にしなくても良い。私がリードしよう、大丈夫だ」


 踊れないと言って断れば、王子はすぐにあきらめてくれると思っていたので、私は困った。


「え……いや、でも」

「私は君と踊りたい。この手をとってはくれないだろうか」


 王子の手をとることをためらう私に、彼ははっきりと告げる。


 ――私と踊りたい、って。


 王子は一体どうしてしまったのか。女である私と踊りたいなんて、いや、この場合は友人としてなのだろうか?

 しかも、急に心臓の鼓動が大きくなる。こちらを見つめてくるのは見慣れたはずの王子なのに、 見れば見るほど胸を締め付ける……


 ――どうしよう? 私はどうしたのだろうか? 一体どうしたらいいんだろうか?


「――モニカ」


 王子が催促するように私の名を呼ぶ。

 だけど、だめだ。こんなのはおかしい。

 私たちはずっと友達で。それは「手」すら触れる必要のない関係のはずだ。


 その手に触れたいなどと、思ってはいけない。

 共に踊りたいなどと、思ってはいけない。

 まして王子に、邪な思いなど抱いてはいけない。

 そうでなければ、だって――


「いけません。私は……殿下とは、踊れないのです……」

「それは私と踊るのは嫌だ、ということか?」


 王子の言葉がどこか刺々しくなる。


「……そうではありません」


 私は込み上げるものをこらえながら、そう言うのが精一杯だった。


「では、どういうつもりだ?」


 怒らせたかったわけではない。傷つけたかったわけではない。そんな気持ちは、到底伝えられそうになかった。


「……答えられないのか?」


 私はうつむいたまま、それに答えることができない。

 そしてしばらくの沈黙の後、王子は「もういい」と言って、私から離れてどこかへ消えてしまった。


 ――嫌われてしまった、だろうか。


 王子がいなくなって、こらえていたものが一気に溢れ出す。悲しくて、苦しくて、頭がおかしくなりそうだった。

 けれども――そうしてようやく、私は自分の気持ちを認めることができた。


 ――私は王子のことが、こんなにも好きだったんだ。




 ほどなくして、私は広間を抜け出しバルコニーへ出る。さすがに泣きはらした顔であそこにいるのは辛かったので、人のいない冬のバルコニーは都合がよかった。

 せっかくなので、一人感傷にふけってみたりする。ここなら、どれだけ泣いても、誰も見咎めたりはしないだろう。一人で泣き叫びたくなるくらい、私は打ちひしがれていた。


 ――だって、知らなかったのだ。恋することが、こんなにも辛いなんて。




 一人のバルコニーは、夜風がちょうど良い具合に頭を冷やしてくれて、気持ちを落ち着けるには良い場所だった。

 とはいえ、外である以上かなり寒い。雪はしばらく降っていなかったが、春が来るのはまだ先のようだ。

 いつまでもここに隠れていたい気分だったが、ここで夜明かしすればおそらく風邪をひいてしまうだろう。いい加減に切り上げて、広間に戻らなければ……そうは思うのだが、腰が重い。

 行かなければ――いや、行きたくない。心の中でそんなばかばかしい問答を繰り返しながら、「パーティーなど早く終わってしまえ!」と小声で悪態をついた、その時。


「モニカ・ブライトマンさま……でいらっしゃいますか?」


 いかにもおしとやかな声と共に、不意にバルコニーの扉が開かれる。そして、これまたおしとやかに顔をのぞかせたその人物に、私は腰を抜かしそうになった。


「は……はいっ。そ、そうですが……」

「良かった。お探ししましたのよ、モニカさま」


 彼女は――リリー・ブレシェルドさまは、思わず声が裏返ってみっともなく震えた私を笑うこともなく、ただ穏やかに微笑んだ。

 まるで、天使の微笑みのようだ……能天気にもそう思った時、私はかなりまずいことに気がついてしまった。


 ――私、オーガスタス王子とリリーさまにご挨拶してない!


 有象無象の招待客たちならともかく、オーガスタス王子には直々に招待された上、確実に顔も名前も覚えられているというのに……まずい。

 ていうか、そもそも……今日の主役の一人が何故私なんかを探しに来ているって、何がどうなってるんだろう……?


「申し訳ございません! 本来ならばこちらからご挨拶に上がるべきところを……」

「事情がおありだったのでしょう? わたくしは気にしませんよ」

「お心遣い、痛み入ります。しかし、では……」

「パーティーは既に終わりました。わたくしは個人的にモニカさまとお話がしたいと思って、お探ししていたのです」

「個人的に、ですか……?」


 そう言って首をかしげながら、パーティーが終わったと聞いてほっとする。

 ならばルシオ王子も帰ったはずだ。少なくとも、今夜会うことはもうないだろう。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、リリーさまは再びにっこりと微笑んだ。


「そうですの。わたくし、モニカさまにお会いできるのを、ずっと楽しみにしておりましたのよ」




 リリーさまについて、王宮内を歩く。どこへ連れていかれるのかは分からないが、おそらくリリーさまが落ち着いて話をできる場所なのだろうと勝手に解釈をした。


「意外と人には会わないのですね」


 途中、最初の方に近衛兵とすれ違ったくらいで、王宮の廊下には人影がほとんどない。もっとも、人の噂になりたくない私にとって、それは好都合であったが。


「夜の王宮は初めてでいらっしゃいます? こんなものですよ。意外と」

「そうなのですか……」


 リリーさまの答えは、穏やかで優しい。でもどこか淡々としていて、意外と会話は弾まない。どうせなら、私への用事をここで話してくれたらいいのにとすら思った。


「リリーさまは、王宮に詳しいのですね」


 ルシオ王子は、私自身の目でリリーさまの人となりを確かめろと言ったが、私にはまだ掴めていない。天使のような微笑みは完璧で、人当たりも良い。それが何故か、無機質に感じる……ような気がする。


「それほどではありませんけれど、来る機会はありますから。モニカさまこそ薬室で働かれていると聞きましたが」

「私など、薬室と宿舎の往復にすぎません。だから、中のことはほとんど分からなくて」


 けれど、その違和感は思い過ごしだと思う。

 だってこの方は、仮にも王太子妃……いずれは王妃になられるお人だ。


「この間なんて、ルシオ殿下のおつかいで迷ってしまったのですよ。それで途方にくれそうなところをオーガスタス殿下に助けて頂いて」

「まあ、そうでしたの。今夜は王太子殿下も、モニカさまにお会いになられますわ」

「オーガスタス殿下も?」

「……ええ」


 リリーさまの声が微かに震えた。

 そう言えば私は、まだ彼女が一体何の用なのか聞いていない。

 不意に、それを確かめなければならない――そう思ったのに。


「モニカさまは……ルシオ殿下と喧嘩でもなさいましたの?」


 リリーさまが脈絡もなく、ど直球なことをたずねてくるものだから、私は思わず言葉に詰まった。


「いえ……あの……」

「そんなにお顔をはらして、おいたわしい……ですけれど、わたくしにはどうすることもできませんの」

「お、お気になさらず! 私平気ですから!」

「モニカさまは、お優しいのですね」


 その時、リリーさまの無機質な微笑みが歪んだ。初めて彼女が私に見せた感情――それは、ひどく泣きそうな顔で。


「どうか、お許しくださいましね」


 背中を強く押される直前、私たちはどこかの部屋の前で立ち止まっていた。

 バランスを崩した私は、そのまま扉の開いていたその部屋に倒れ込む。


 ――リリーさま!?


 声を上げる間もなく、扉は閉められた。

 それからすぐに外で鍵のしまる音がして、私は閉じ込められてしまったのだと気づいた。

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