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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第2章
12/31

12 彼と私の間には

 王子と私の間に、しばしの沈黙が落ちる。

 何と声をかけたものか思案している間に、先に笑ったのは王子の方だった。


「ああ――驚くのも無理はないか。だが、心配はいらない。もう随分よくなったから」


 王子に会えると思って、少なからず浮かれている自分がいた。けれど実際に姿を見れば、そんな気持ちはすっかり消え失せてしまっていた。


「殿下、いったい……」


 どれだけ考えても、それは上手く言葉にならない。

 久々に会った王子は、痛々しく片足を引きずりながら現れた。服の上からでも酷く腫れたように見える足は、動かすだけで痛みを感じているはずだ。

 端正な顔立ちも、すっかりやつれてしまったように覇気を感じることができない。その目の中の光が消えていないことだけが、唯一の希望のように思えた。


「少々、実験に失敗してしまったんだ。しかし――アデルの奴も意地の悪いことをする。このような情けない姿で貴女に会え、などと」


 王子は変わらず笑いながら、私にソファを勧める。私が座らなければきっと王子も座らない。そう思ったから、彼を問いつめたい気持ちを抑えて腰を下ろした。


「実験とは……何なのでしょうか。そのように怪我をされるような危険なものなのですか?」

「要は私の不注意だよ。怪我自体は大したことはない。長引いてしまったのは、傷口から感染をおこしてしまったからで……」

「何が大したことないんですか! 殿下はご自分のことを軽く考えすぎです!」


 思わず大声を出した私を、王子は驚いたように見た。けれど、今回ばかりは後悔などなかった。

 王子はおかしい――これだけは言わせてもらう。逞しく健康的だった彼が、これほどにやつれてしまったのに、大したことないなんてことがあるはずがない!


「……フランシスカも同じようなことを言った。いつまでも実を結ばぬ研究などやめろと、怒っていたな」

「王女殿下は貴方のことが心配なのです。私も……そうです」

「……そんな顔をしてくれるな。足はじきに元通りに歩けるようになる」


 そう言って私をなだめようとするあたり、やはり王子は何も分かっていない。そういう問題ではないというのに。

 とはいえ実験の失敗……もとい、王子の怪我のことは王宮でも一切噂になっていなかった。それは、この件がひた隠しにされていたからに他ならない。もしも外に漏れたりすれば、格好のネタになる。王子もそれは分かっているはず。


「実験とは、薬室の研究室でのことですよね?」


 そもそも、実験とは何なのか。王子が不自然なほど触れないそれに、私は痺れを切らしたように踏みこんだ。


「それは……」


 王子は言い淀んで私を見る。逸らすことなくそれを見返せば、王子は何かを観念したように息を吐いた。


「……あの研究は、悲願なんだ。私には、どうしても完成させたい薬がある」

「薬……ですか?」

「いつか兄上の病を治して差し上げることが、幼い頃からの夢だった。そのために薬学を学んだ。もちろん、医学も」


 ルシオ王子にとっての兄とは、一人しかいない。第一王子オーガスタス、王太子殿下だ。


「確か……薬室では、毎朝王太子殿下の持病のお薬を調合していましたね」


 私が言うと、王子は頷いてみせた。


「そうだ。だが、あれは対症療法にすぎない。私はもっと、完全な効果を目指している」


 もしかして――と思う。オーガスタス殿下が持病をお持ちなのはなんとなく知っていた。だけど、今までそれ以上は知ろうともしなかったから。

 ルシオ王子がどこかためらうふうだったのは。時間を惜しんで研究に没頭するのは。


「王太子殿下のご病気は、その……あまりよくないのですか……?」


 単なる推測にすぎなかった。これが意味するのは次の王位継承者が健康上の不安を抱えている、ということ。

 しかし、ルシオ王子は私の問いにきっぱりと答えた。


「そんなことはない。考えすぎだよ、モニカ。本当に幼い頃からの持病なんだ。確かに、全く障りがないというわけにはいかないだろうが」

「……そうでしたか。出すぎたことを申しました」


 王子は笑って、気にするなと言った。それが何故だか、ひどく不自然に見える。

 けれどそれ以上詮索することはできなかった。王子が言わないと決めたことを、私に知る権利があるはずもない。

 私は単なる薬室の雑用係で、王族である彼からはあまりに遠い。私たちが友人であることが不思議なくらいに。


「それはそうと……先日は申し訳なかった」

「……?」


 どこか気詰まりな沈黙の後、話題を変えるように言った王子に、私は首をかしげる。


「大雪の日に約束をしていただろう? 連絡することもできず、本当に悪かったと思っている。すまない」

「ああ……」


 そうだった。王子に言われてようやく思い出した。それくらい、王子の今日の姿は私にとって衝撃だった。


「大事であったのですから、仕方のないことです。それに――殿下が気にやまれることはございません。私もあの日は仕事が忙しく、時間がとれなかったのです」


 私の唇は、その思いとは裏腹にするすると動く。

 そしてほんの一瞬、王子の表情がゆるんだのを見逃さなかった。


「……そうだったか」

「またいつか、機会がありましたらその時は、是非に」

「そうだな」


 王子の言葉が私の胸にはむなしく響いた。

 クズな私が嘘をついたのは、もちろん初めてなんかじゃない。だけど、王子と初めて会った夜は、こんな気持ちにはならなかった。


 ――苦しい。


 その正体不明の感情は、心の端から染み渡ってゆくように、私を蝕んでいく。




 結局あまり盛り上がる話もなく、私は早々に王子の部屋を後にすることになる。

 送ってやれなくて申し訳ない、と言った王子は部屋の外に控えていたアデルにその役目を命じた。


「浮かない顔ですね……喧嘩でもされたのですか?」


 王子の姿が見えなくなると、アデルは何故か訳知り顔で私を見た。

 おかしい――ちゃんと笑って別れたはずだ。

 内心では不安に思いながらも、私はすました顔で答える。


「まさか。どうしてでしょう」

「勘ですよ」


 見透かしているかのようなアデルの視線が、なんとなく不快だった。あんな状態の王子と私を引き合わせて、何を考えているんだか。


「ああ、それから――心配ないとは思いますが、今日のことは他言無用にお願いします。主の怪我のことは、王宮でも限られた者しか知らぬことですので」

「なら――どうして私を会わせたのです」


 つい恨みがましくアデルを見た。会いたくなかったと言えば嘘になる。でも知りたくなかったような気がする。

 あんなふうにやつれきって、それでも何でもないと笑う王子など。自分の身を危険にさらすことを、大したことがないように語る王子など。

 私は――彼に、失望しているのだろうか。違う、でも、分からない。無性にやりきれない、この気持ちは。


「あれでも、主は貴女を心配していたんですよ――詳しくは存じませんが、約束があったとか。こっそり俺に薬室の様子を見に行かせるくらいになら、いっそ会ってしまえばいいと思いまして」


 ――王子が、私を?


 そう思ったけれど、よく考えてみれば当然のことだった。だって王子は……あの人は、「いい人」だから。いい人すぎるから、困る。


「安易な考えでは。私が口を閉ざしているとは限りません。側近ならば、殿下に近づける人間はもっと選んだ方がいいと思います」

「それは、もちろん。失礼ですがモニカさまの身辺は調べさせてもらっています。しかし、貴女は言わないでしょう?」

「どうでしょうか。分かりませんよ」


 少しむきになっていたのかもしれない。多分、私は腹を立てていた。

 アデルはどこか軽くて、事を重大に考えているようには見えなかったし、知ったふうな口ばかりきく。どれだけ調べたとしても、他人の心の中まで分かると思うのは思い上がりだ。


「大丈夫ですよ。貴女は、主のことを好いて下さっている」

「それは――……お友達、ですもの」

「おや、そういう意味ではなかったのですが」

「――あり得ません!」


 アデルの言葉の意味するところを悟った瞬間、口をついて言葉が出た。

 そんな私を少し意外そうに見ると、アデルはくつくつと笑みをもらす。


「そんなに否定しなくても」

「事実ですから」

「今はそうでも、この先は分からない。元々は婚約者同士の間柄であったわけですし」


 この先? この先もずっと、あり得ない。

 だって、私は。私と王子は、男女の関係などとはもっとも遠いところにいなければならない。

 王子は女性を触れることすらままならぬほどに苦手にしているのに、私がそのような目で彼を見ることは決してあってはならない。

 私たちが友人でいられるのは――王子がそれを許したのは――互いにそういう関係にならないと分かっているからだ。

 最初は、王子を励ますためのろくでもない嘘だった。でも今は――


「政略的とはいえ、あの婚約は互いに間違ったものでした。殿下には伝えていますが、私が男性に恋することはございません。同性愛者ですから!」


 私はアデルを見据えていい放った。


 嘘とはいっても、死にたくなるほどに恥ずかしい。

 それでも、不思議と後悔はなかった。

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