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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第2章
10/31

10 雪の日の約束

 首都に雪が積もるようになってから、辺りはめっきり寒くなった。

 私が住む宿舎は、公爵家と比べるとひどく冷え込むし、ベッドから出るのはなかなか辛いものがある。それでも、雪が降るようになってから仕事への遅刻は一度もない。

 我ながらかなり頑張っていると思う。お兄さまは褒めて下さるだろうか。実家へ宛てた手紙を前に、一瞬ペンを走らせかける。

 けれども、やはり手紙はいつもの通り家を案じる内容にとどめておいた。私は元気でやっている、それだけでいい。

 公爵家の厳しい状況は依然続いている。公爵令嬢として、人として当たり前のことに浮かれている場合ではないのだ。


 単なる薬室の雑用係がいつか公爵家を救いたいだなんて、おこがましい願いだと分かってはいる。

 けれど、不思議とあの王子の近くにいると希望がわいてくるような気がした。

 私は何故だか、彼を見ると元気になれるのだ。




 その朝も、王子を見かけた私は、自然と声を出していた。


「お早うございます、殿下!」

「お早う、モニカ。今朝は随分冷えるな」


 王子は私を見ると目を細めて挨拶を返してくれる。

 自分から言い出したことだが、家族以外に名前を呼び捨てにされるのにも、ようやく違和感がなくなってきた。


「雪はこれから本降りになるそうですよ。殿下もお身体を冷やされませんように」


 王子は私の言葉に頷くと、いつものように一人自分の研究室に入っていった。

 王子とは、そう長々と話をするわけではない。互いに遊びに来ているわけではないのだから当然だが、毎朝のように繰り返されるこの光景が、私にとっては日課のようになりつつあった。

 王子の友達だなんて、最初は想像もつかなかったけれど、こんな感じなんだろうか。




「モニカさん、いつも朝早くからご苦労さま」


 薬室前の掃除を終えて室内に戻ると、薬室長がそう言ってお茶を出してくれた。

 本来なら、このような雑事は私の仕事のはずなので恐縮する。しかし寒い廊下での仕事に冷えきった身体は、素直にこれを喜んだ。


「わあ、ありがとうございます。でも、わざわざすみません」

「いいのよ。今日は寒いから、風邪を引いたら大変だわ」


 事務室には、私と薬室長の二人だけ。薬師たちは、仕事中はたいてい調合室にいることが多い。特に最近はこの寒さで、体調を崩す人が増えて薬室は忙しくなっているし。

 逆に働きづめの薬師たちの体調が心配になるくらいだ。それは、朝から晩まで研究室にこもりきりの王子にもいえることだが。


「これでも、去年よりはましな方よ。モニカさんが、手伝ってくれるから」


 まるで私の心の中を読んだかのように、薬師長は言った。

 彼女のいれてくれたお茶は、自分でいれたものよりも美味しく、少し落ち込む。けれども、それ以上に温かくなる。

 丁度年代が同じくらいなのもあるのだろうか――私は公爵家に残してきた母を思い出した。


「……私、お役に立てていますか?」


 私にできることといえば、お茶汲み、掃除、書類の整理、その他の諸々の雑事くらい。

 まれに薬師に助手を頼まれて、調合の手伝いをしたこともあるにはあるが。


「もちろん! すごく助かってるわ。確かに――ルシオ殿下が公爵令嬢を連れてきた時は驚いたけれど」

「はは……」


 これには私も苦笑するしかなかった。貴族の令嬢は普通、姻戚関係を結ぶための駒。

 行儀見習いとして、高貴な女性に仕えることもあるが、雑用係なんて聞いたことがない。

 しかし、奇跡的に私のようなクズにも務まっているのだから、結果的良かったのだろう。令嬢としての矜恃なんて、元々大して持ってない。あのまま公爵家のお荷物になって朽ち果てることを思えば、迷うべくもないことだ。

 妃にはなれなかったけれど、私に自立する道を与えてくれた王子には感謝しかない。


「ねぇ、モニカさん本当のところは殿下とどういう関係なの?」

「……関係って」


 不意に話題がデリケートなところに飛んで、私は答えにつまった。


「あのお噂は本当なの? 殿下が男の方と――」


 なに、それ。


「ご本人が、そうおっしゃられたのですか?」

「いえ……そうじゃないけど」

「殿下は大切なお友達です! とってもとっても素敵な方です!」


 気がつけば声を荒げていた。

 困惑したような薬室長の顔見て我に返る。


「……すみません、つい」

「いいのよ。私も下衆の勘繰りだったわ。許してくださいね」


 私を王子の友人と知って、彼の男色家の噂について聞かれることは、度々あることだった。元々私たちが婚約していたことを知っている者たちからは、さらに品性のないことを聞かれることもある。

 慣れたことではあったが、薬室という王子と近いところにいる人に、そんなことを言われたのはショックだった。

 たとえ噂が、事実だとしても。


「けれど、どうか誤解しないでいてね。私たち薬室の者は皆殿下のことが大好きよ。あの方が口添えして下さるから、薬室は予算の面でも優遇してもらえるし、職場環境もよくなって……感謝しているの。噂の真偽はどうあれ、それは絶対に変わらないから」


 薬室長の弁解は、真実のように聞こえた。

 人間とは他人の噂が気になるもので、悪意はなかったのかもしれない。けれど理解はできても、感情はすぐにはおさまらなかった。


「……調合室を見てくるから、モニカさんはしばらくゆっくりしてくださいね」


 気まずそうに言って薬室長が席を離れ、私は部屋に一人きりになった。




 無性に歯がゆく思う。

 王子はあんなにも立派で素敵な人なのに。それを誰にも分かってもらえない――

 だけど、私に薬室長を非難する資格なんてなかった。

 私は誰より酷い嘘で、王子を騙したクズ。都合よく自分の罪は棚上げしてしまう、どうしようもないだめ人間。それを思い出して、憂鬱になる。

 家を出てから、少しは変われた気がしていたけれど、きっと本質的には何も変わっていないんだ。


 ――どうしたら、いいのだろう。

 本当のことを話して謝る? それはできない。

 きっと王子を傷つける。私はもう王子に傷ついて欲しくない。誰にも王子を傷つけさせたくない。


 その日、雪は勢いを増して深夜まで降り続いた。




 翌日は朝から雪かきの対応に追われた。宿舎の周囲にも雪が降り積もって、人が通れる道を空けなければ、出勤どころではなかったからだ。

 首都にこれだけの雪が降ったのは数年ぶりのことだという。しかも朝には止んでいた雪が、またいつ降りだしてもおかしくないらしい。

 その日、私は午前の薬室の仕事を免除され、雪かきを手伝うように指示を出された。広い王宮の敷地内の雪をかき出すために、現場はてんてこ舞いだった。


 皆で協力して汗を流し、一通りは終わった頃、私は休憩をとるように言われて、薬室の様子を見に行くことにした。どうせ午後からは薬室の勤務へと戻るのだし、そのまま向こうで休憩しようと考える。

 途中に通りかかった中庭には、まだ誰も足跡をつけていない雪がたんまり残っていた。優先順位的に後回しにされ、皆から放っておかれてしまった場所なのだろう。

 最初はそう思っただけで通りすぎようとしたが――私はつい、足を止めてしまった。


 ――綺麗。


 こんなにたくさんの雪を見るのは、本当に久しぶりのことだった。足跡もないふかふかの新雪は、雲の隙間から顔を出した太陽に照らされて、きらきらと光る。

 この時だけは、寒さも忘れた。




「……モニカ?」


 どれくらい時間が経ったのか、私は名を呼ばれて我に返った。

 そして、振り返った先にルシオ王子が立っているのを見つけて、血の気が引いていく。


「ここで何を?」


 王子の問いはもっともだった。

 二十歳も過ぎた貴族の令嬢が、まるで小さな子供のするような雪遊びをしているのだから。しかも一人で。


「え……えっと、これは……」


 上手い言い訳なんて思いつかない。痛い、痛すぎる、私。

 王子にドン引きされると思うと、なんだか泣きたい気分だった。

 ああ――またわたし、やってしまった。これはもう、悪癖とか、そういう以前の問題だけれど。


「それは?」

「え?」

「その、丸いのは?」


 気づけば、王子は私の傍らにある雪の固まりを指差していた。


「こ、これですか?」


 それは、私が年甲斐もなく熱中してしまったという動かぬ証拠だった。丸く固めた雪玉を上下に重ねて、顔を書いてある――いい年して作った、雪人形である。

 あまり触れてほしくなかったのに、何故か王子が興味津々に見てくるので、仕方なく答えた。


「これは――異国の雪人形の一種で……『雪だるま』というのです」

「……ほう。貴女は異国の文化に詳しいのだな」

「私ではありません。昔、妹に教えてもらったのです。妹は異国のことを熱心に学んでいたから。それで――懐かしくなってしまって」

「そうか。大雪は久しぶりだからな」


 そう言った王子は、私の作った不格好な雪だるまに目を細める。

 思いの外、引かれていないような気がした。それとも、呆れ返って、逆に感心しているのだろうか。

 しかし、王子が発した言葉は更に意外なものだった。


「……羨ましいな。私もつい、童心に返りたくなってしまう」

「で、では、ご一緒にいかがですか? その、空いた時間にでも!」


 私はまたしても調子に乗って言った。おそらく、王子を雪遊びに誘った令嬢は後にも先にも私だけだっただろう。

 王子は少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつものように微笑んでくれた。


「ああ、そうだな。この『雪だるま』に仲間を作ってやろう。一人は寂しいからな」

「仲間ですか、良いですね!」


 私と王子は、翌日の昼にまたこの中庭で会う約束をした。

 毎日のように薬室に来ているとはいえ、王子はほとんどの時間を研究室にこもりきりでいる。だから、純粋に嬉しかった。


 けれど――……


 翌日、王子が姿を現すことはなかった。

 それどころか、この日以来私は王子に会えなくなってしまった。

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