1 食べ損なったぼた餅
元々、棚からぼた餅のような婚約だった。
ぼた餅というのは、遥か東の異国のお菓子のことで、かつて博識なマリーベルが教えてくれた。思わぬ幸運が巡ってくるという意味らしい。
我がブライトマン公爵家には爵位を継ぐ兄の他に、三人の娘がいた。姉リディアは私の五つ上で、既に他の貴族家に嫁いでいた。三つ下の妹マリーベルは特に優秀で、気立てもよく、公爵家との繋がりを深めたい王家の目にとまり、第二王子の婚約者候補になったほどだ。
婚約者だった――と言うことができないのは、それが正式に決まる前に頓挫してしまったから。ほとんど決まりかけてはいた――だが、妹は前触れもなく病に倒れた。そしてあっという間に死んだ。
それから妹の死を悲しむ間もなく、王子の婚約者として、死んだ妹の代わりに私に白羽の矢が立った。
私にそんな器量がないことは、公爵家の誰もが知っていたはずだ。それでも、王家と公爵家の思惑が一致した結果、私は王子と婚約した。
人生って、本当に何があるか分からない。幼い頃から優秀な兄姉妹たちと比べられ、家族以外の周囲の者はみな口には出さずとも、出来の悪い私を見てため息をついていた。それが今では王子の婚約者という大出世なのだから! いや、まあ、主に根回しなどをしたのは父であるブライトマン公爵で、私が何かしたというわけではないのだけれども……
「マリーベル、私……畏れ多くもルシオ王子の婚約者になってしまったわ。本来ならあなたがそうなるはずであったのにと思うと、本当に申し訳なく思うのだけれど、どうか許して頂戴ね」
マリーベルの死から約半年、王子との婚約が決まってから初めて訪れた妹の墓前で頭を下げると、同伴していた姉のリディアが笑った。
「いやねえ、モニカは堂々としていればいいのよ。確かにマリーベルのことはかわいそうだったけれど、あなたは何も悪いことなんてしていないんだもの」
「でも、私などが……」
「婚約者に選ばれたのは、あなた自身の力よ」
リディアだけではない、父母も兄も私に優しい。優秀で誰からも好かれたマリーベルよりも、私がいなくなった方がよかったに決まっているのに、誰も口には出さない。
私はその度に申し訳なくなって、いたたまれない――と思うのだろう。普通は。
「励まして下さってありがとうございます。リディアお姉さま」
「まあ、花嫁修業にはもう少し力を入れないとだめね。王族になるのだから、やる気のない適当な性格もなんとかなさい。そんなことでは民衆に示しがつきませんよ」
当然ながら、長年共に暮らした家族であるリディアには見抜かれている。
実際、マリーベルの死は悲しんでいるし、残念にも思う。私よりはよほど王子にふさわしい婚約者だったとも思うし、私などを掴まされた王子がいっそ不憫である。
かわいそうなマリーベル。この先かわいそうなルシオ王子。しかし、実は私はそれほど気にしてはいなかった。
二人の不幸な運命は、仕方がない。まあ、そういうこともあるよね、みたいな。
そんなことよりも、私は転がり込んできた信じられないような幸運に興奮を抑えきれずにいた。
――だって、この私が! 嫁の引き取り手もなく、公爵家の穀潰しになるしかないと思われたこの私が、王子の婚約者なんて!
ルシオ王子は第二王子だが、国王になる可能性だってある。そうなれば私は王妃。それはこの国の頂点に立つ女の称号だ。
きっと夢のような贅沢三昧なんだろうなあ、とか欲にまみれた想像ばかりしている私は、まあ要するに……クズなのである。
しかしある日、私の明るい将来は唐突に暗転する。互いの顔合わせもまだのルシオ王子から届いた公爵家宛への手紙。それは私たちの婚約破棄を一方的に通告するものであった。
婚約破棄の理由は手紙には書いていなかった。父を通して王家に問い合わせてもらってみても、明かされることはなく、私たち家族は肩を落とした。
「きっとよほどの事情だったのだろう。他に婚約者が決まったという話もないし……とにかくお前は気にするでないよ。好きなだけこの家にいればいい」
優しい父は、私を不憫に思ってそう言ってくれた。この時、私は二十歳。この国の習慣では、まだギリギリ結婚適齢期と言えなくもない年齢だったが、家族は既に私の結婚を諦めているようだった。それが少し悲しくはあったが、「ですよね」と納得せざるを得ない私は、それほど気にせずに素直に穀潰しすることにした。
思うに、両親の子育て失敗の原因は、私のクズな性格に気づきながらも、甘やかし続けてしまったこと。もしかしたら、私の親だけあって楽天的なところがあったのかもしれない――なんとかなるだろう、と。
だが、世間はそんなに甘くなかった。まだもっと若い時に婿探しをしていれば可能性はあっただろうに、花嫁修業なんてやる気のない私はまだ早いと言い続けて、先伸ばしにした。
その結果がこれ。まさかの幸運に恵まれて王子の婚約者になるも、一転して破談に。穀潰し一直線への逆戻りだ。
両親は悲観にくれていることだろう。しかし、穀潰し生活が性に合っているクズな私はそれほどというか、全く気にしてはいなかった。
夢のような贅沢三昧にはちょっと未練があるけれど、公爵家だって十分裕福だし。まあ、いいか的な。
……なあんて適当に考えていた私、ぼた餅を食べ損なった二十歳の春のことである。