調子に乗ってる王子をボコボコにしてやった
「私には身に覚えのない事なんですけれど……」
私、公爵令嬢ミリアン・アルメリアは困り果てていました。
優雅なお茶の時間、父からのお土産のジェリービーンズをちまちまと食べていたときのこと。
ばたん!と派手な音を立てて扉が開いたかと思うと、婚約者である第三王子殿下がずんずんと入ってきて、なにやらとても怒りながら私を貶すのです。
そしてその王子の背後には、小さくてかわいらしいピンク色の髪の女の子が心配そうにこちらを見ておりました。
私は一体何事かと、紅茶を注いでいた手を止めます。
王子は、なにやら訳の分からないことをペラペラと喋り始めました。
「――だからミリアン、君さあ、あれだよね、僕のかわいい彼女にさあ、嫌がらせをしたよね」
「嫌がらせ?本当に身に覚えがありませんが、たとえばどのような?」
「身に覚えがないだと!ふざけるのも大概にしてほしいね!階段から突き落としたり、影で悪口を広めたり、彼女の、その、教科書を、隠したりしたんだろう?」
「まあ?殿下、私そのようなことはしていません」
「頭の悪い女は、自分の言ったことがすぐ認めてもらえると思ってるよね。僕本当さあ、そういうの嫌いなんだよねえ、証人だっているんだからねえ」
こい!殿下が叫ぶと、何人かの男たちがいそいそと入ってきました。
1人はなにやらずいぶんと幼い顔をした男、1人は酷く美しい顔をしているものの、その服装がとても貧相な男、もう一人は無駄にガタイがいい男。
ここ、実は私の部屋なんですけれど……。できれば知らない方には入っていただきなくなかったのですが。
「俺は、君が彼女を階段から突き落とすところを見た!」
「僕は、君が取り巻きを囲んで彼女を詰るところを見た!」
「おいらは、お前が彼女の本を焼却炉に捨てるところを見た!」
三人は三人共口を揃えて、私が彼女に嫌がらせをした場面を見たと言います。
……そんなはずはない。やっていないのですから。
「ほら見たことか!言い逃れはできないんだからね!」
王子は勝ち誇ったような笑みを浮かべています。私はそもそも、この方々と争う気はないんですけれど。
「あの、それは本当に私でしたか?他の方を見間違えたのではなく?」
「何を言う!間違いなくミリアンだった!なあお前たち!」
「はい!あなたと同じブロンドの長い髪で」
「あなたと同じ青色の瞳で」
「あなたと同じ透けるように白い肌でした!」
「……それ、白人女性なら大概がそうではないかしら」
私が少し首を傾げて見せると、王子もまずいと感じたようで、「と、とにかく!」とあまりにも露骨に話を変えた。
「僕はお前のような器の小さい人間と、け、けけけ結婚する気なんてないんだからね!」
……どこのツンデレ女子でしょうか。
先ほどから、ガタイのいい男が、殿下の喋り方が気になるようでチラチラと視線を彷徨わせています。
けれど、そこは大目に見てあげてほしいところです。
殿下は第三王子ですが、お兄様方はそれはそれは優秀な方で。そのプレッシャーに耐えかねて、お部屋に引きこもり、お菓子ばかりをお召しになった結果、人と話すことが苦手なデブになってしまったのです。きっとあの貫禄は100キロ級ですわ。
「私はそのような嫌がらせなんてしませんわ。もしなにか気になることがあれば、正々堂々とその方へ伝えます。それが代々伝わる私の家の教えです」
「お前の家訓なんて僕し、しし知らないし!女のいう事なんて信じないし!お前との婚約は破棄だ!」
頭に血が上ってしまっているらしい王子は、驚いたことに婚約の破棄にまで乗り出しました。ええと、今巷で流行っているドロドロ小説ではないのですから、いきなりのそういう展開は控えていただきたいところなんですけれど。
「でも殿下、婚約の破棄なんて私達の一存で決められることではないですわ。この婚約は私の父と陛下が話し合って取り決めになったことです」
「僕のお父様は喜んで了承してくれるだろうね!そもそも、僕は君みたいな勉強も運動も出来て人望もある完ぺきな女なんか大嫌いなのだ!」
「それは褒められているのでしょうか、貶されているのでしょか」
「婚約者なのだから、僕に媚びの一つくらい売ったらどうかと思うけどね。ぼ、僕の母上は父上を射止めるために毎日イニシャルの刺繍入りのハンカチを送り続けたし。君は僕に刺繍入りハンカチの一枚でも送ったことがあるか!」
「ええと……刺繍は苦手でなかなかそう量が作れないもので……。でも私、ついこの間の殿下のお誕生日に送ったはずですが」
「……ついこの間?」
「ええ、つい先週ですわ」
「…………」
殿下はしばらく無言になりました。忘れていらっしゃったのだと思います。あの刺繍、私はなかなか苦労して縫い上げたものだったのですが。少し残念です。
「ま、まあいいよ。とにかく、君が彼女に嫌がらせをしたことは確かなんだから。これは父上にも報告し、後々正式に、婚約破棄の知らせが来ることになる!」
「……はあ、殿下がそれでよろしいなら異論はありませんが」
私は、ずっと王子の背後に隠れていらっしゃるご令嬢に目を向けました。
あまり見ない顔の方です。同じ学園にこんな子いたでしょうか。というか先ほどから、彼女はひどく怯えたようにこちらを見ていらっしゃいますが……。
「殿下、あの後ろにいらっしゃるご令嬢、ご紹介いただいても?」
「ふん!シラを切るつもりなんだね。まあいいけどね。さあおいで、し、しししシェーラ」
しししシェーラと呼ばれた彼女は、とても嫌そうにおずおずと前に出てきました。殿下はその様子を、真っ赤な顔をして見ています。おやおやまあまあ。
無理もありません。たまに学園へ登校してもひとりボッチを貫いていた王子は、私以外の女の子に免疫がないのです。
「この子は、し、ししシェーラと言って、学園の一つ後輩だ。最近特待生で編入してきた、とても努力家でけ、健気な子なのだ」
「……。殿下、申し訳ないですけれど、彼女の名前はしししシェーラとししシェーラとどちらですか?」
「……」
「……」
「……」
「……ぶっ」
あ、笑った。必死にこらえているようですけれど、彼女の肩は小刻みに揺れています。証言者三人衆の顔も、きっと我慢しているのでしょう、真っ赤になっています。
「お、お前僕を馬鹿にしているのか?」
「……いえ、馬鹿にしているのではなく人のお名前を間違えると失礼に当たりますので」
「もう我慢ならん!お前はいつもそうだ!事あるごとに僕を馬鹿にして!そういうところが嫌いなんだ!」
さすが殿下。せっかく私が、こわばっていた彼女の顔を笑顔に変えて差し上げましたのに。そんなちょっとそた遊び心にも気付かないんなんて、先が思いやられますわね。
「そもそも、僕はお前の父から嫌いなのだ!王家の血がつながっていないくせに、政治には口を出すし、僕を部屋から引きずり出そうとするし、僕のお菓子を取り上げるし、兄たちには慕われているし!僕はお前やお前の父のようなどこの馬の骨ともしれないけがらわしい血が王族の中にあると考えるだけで寒気がするぞ!」
「……ほう」
「お前の母親も、貴族でない男と結婚するなんて頭がおかしいんじゃないのか、そうだ、女は馬鹿なのだ、僕が正しいんだ!」
――人の心に、本当に琴線があるのだとしたら、今、私のそれはプッツンとキレましたわ。それはそれは切れ味のいい刃物でね。
「……殿下、その言葉、撤回する気はなくて?」
「て、ててて撤回などすものか!僕は悪くない!」
「――よろしい!貴様、剣を取れええええええええ!」
「!?」
証言者三人衆やしししシェーラが驚いた顔をしているが、私は無視して背中に隠していた剣を取った。
「うおおおおおおおおお!」
私が腕に力を込めると、筋肉が隆々とむくれあがり、たちまち耐えきれなくなったドレスが裂けていく。一つ瞬きをする間に、私が先ほどまで着ていたドレスは木端微塵に破裂していた。が、私は下着姿を晒しているわけではない。安心してください、水着です。
「さあ王子!さっさと剣を構えろ!我が家を侮辱したその精神、叩き直してくれる!」
「だ、誰だお前は」
王子は腰を抜かして地面にへたり込んでいる。
「我が名はミリアン!この国の王女であり最強の女騎士であったアルメリアと、百戦錬磨の孤高の剣士、グスワードの娘である!淑やかな公爵令嬢とは仮の姿だ!」
「な、なんだそれは!」
「なに、王子、剣がないのか。それではこの剣をくれてやろう、貴様などこの短剣で十分だ。さあ立つがいい!」
私は先ほどまで持っていた剣を王子の元へ放り投げ、胸の中に隠していた短剣を手に取る。もう片方の手で ジェリービーンズを一掴み口の中に放り込めば、筋肉が歓喜したように震える。
「得物はくれてやった。戦いはすでに始まっている。立たぬか王子、貴様それでも男か!」
「ひいいいいい」
王子が恐怖に煽られて立ち上がったところで、私は王子に向かって突進した。
右頬にパンチをひとつ。左頬にもう一つ。下からはアッパー。王子はすでに伸び掛けていたので、目を覚ますためにもう一発。
「剣を使え!これでは体も暖まらん!」
「う、うわあああ血!血だあ!僕から血!」
「馬鹿め、鼻血だ。小さい頃何回も出しただろう」
「う、うわあああああ」
結果、王子は剣を使わずとも計4発のパンチで気絶してしまった。なんとも情けないヤツだ。最後の腹パンが効いたようで、そのまま動かなくなった。
「し、死んだか?」
「素手で死ぬはずないだろう。伸びているだけだ」
証言者三人衆は、雪崩れるように私の前に土下座した。
「申し訳ございませんでした!」
「僕たち王子に買収されて!」
「わ、悪気はなかったんです!」
「うむ。本来ならば処刑ものだが、私も鬼ではない。今後二度と私の前に顔を見せるなよ」
「ははあ!ありがたき幸せ!」
「あ、あのう」
「なんだ」
おずおずと、ししシェーラだかしししシェーラだかいう令嬢が私に歩み寄ってくる。
「ありがとうございました。私、いきなり学園で殿下に声を掛けられて、話を合わせないと家族もろとも牢に入れると脅されて」
彼女は深々と私に頭を下げる。
「なんだと!?こやつはそんなことまで。もう一発殴っておくか?」
「い、いいのです。あなたが殴ってくれたのを見たらすっきりしましたので」
「そうか。ならばコイツが目覚めぬうちにさっさと行け。今後もう二度と王子の手が届かぬよう手配はしておく」
「ミリアン様……。このシェーラ、ご恩は一生忘れません!」
「よいよい」
私は去っていくシェーラに手を振りながら、伸びてしまったこの王子をどうしようかと考えていた。
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「こんの馬鹿娘がああああ!」
すぱこーん!と父に頭を叩かれた。
「あれほど、王子に手は出すなと言っただろうが!婚約者のお前が王子をボコボコにしてどうする!」
「でも父上、コイツ、父上と母上を馬鹿にしました」
「なに?私だけならばいざ知らず、我が嫁までも!?あの豚、ハムにしてくれる……」
「まあまあ父上、私が父上の分も殴っておきましたから」
「しかしあの王子、そろそろ本気で性根を叩き直さねばいけないな」
「なんか、婚約破棄したいとか言ってましたよ」
「どうせ運動ができるお前に対する嫉妬だろう。こちらは陛下から直々に、どうか婚約してあいつの手綱を引いてほしいと頼み込まれているというのに」
「……親からも家畜扱いですか」
「そろそろ豚から人間にしなければなるまい。王子ももう齢16だ。頼んだぞ、我が娘よ」
「はい、父上」
それから、私を見ると怯えるようになった王子を外へ連れ出し歩かせ、時には走らせ、なるべく暴力は控えながらその根性を叩き直していった。
お蔭でいまは豚が子豚くらいにはなってきた。
この調子で、これからも躾――トレーニングをしていこうと思う。
また婚約破棄なんて馬鹿なことを言わせないために。
豚みたいな王子だが、私は別に嫌いじゃない。
コイツがここまで歪んでしまったのは周囲のプレッシャーによるもの。
プレッシャーに打ち勝つもの、それは強靭な肉体!
豚王子筋肉化計画は、すでにスタートしている。
昔のように心優しい少年になってほしいと願いながら、トレーニングをサボってマフィンを貪っている王子を殴――コホン。王子にお菓子の代わりにプロテインを飲ませ、私は今日も彼を率いて走るのだ。
――――数年後、痩せたらちょっとイケメンになった気弱で優しい王子と、少し恥ずかしそうな表情の公爵令嬢が結婚式を挙げ、子宝に恵まれながら幸せに暮らしたのは、また別の話。