二章
門をくぐってまず目に付いたのはそこらじゅうに立っている帝国軍の兵士の姿だった。二人以上の組になって建物の周りを巡回したり、出入り口の警備をしたりしている。視界に入るだけでも五十人はいるだろうか。他国との戦争中とはいえ、こんな森の中の施設には似合わない厳重な警備だった。
そしてその兵士たちが守っている建物も異様なものだった。町にあるどんな建物と比べても遥かに大きいのに出入り口は見える限りでは二つ、その上ほとんど窓はない。頑丈そうな石造りで外からの進入を拒む、というよりも内側にあるものを外へと出さないためのもののように思えた。塀の内側にはその建物以外には馬車小屋とおそらく兵士の宿舎と思われる施設が見えた。これほど大きな施設を作っていながら、兵士の生活場所はほかにあるというのも少々不思議な気がした。よほど危険な魔法でも研究しているのだろうか?
そんなことを考えながらも俺は黙々と兵士たちについて行きながらもこっそりと周囲の様子を伺い、頭の中では脱出の方法についても考え続けていた。もちろん、この施設が俺が考えているような危険なものではなく、この中で孤児として路地裏で暮らしていたときよりもましな生活が待っている可能性はある。あるいは何らかの事情からすぐに開放されることも無いとは言い切れない。しかし、前者は今まで目にした警備の様子からおそらくは無いだろうし、後者の場合は軍の機密施設と思われるものを見てしまっている俺を生きて返すとは到底思えない。現に俺を捕まえるのに協力しただけのダインをそのまま殺しているのだから。
そうなると当然逃げ道については考えておかねばいけないだろう。まず思いつく逃げ道は裏口だろうか。窓はさっき見たように数は少なく、比較的小柄な俺でもとても通り抜けられないぐらいに狭い。正面の入り口は当然警備は厳しいだろう。まあ、だからといって裏口の警備がザルだとも思えないが、表口よりはましなはずだ。警備の緩む時を見計らって逃げるのがいいだろう。
そう当たりをつけているうちに正面の入り口にたどり着いていた。そこにあったのは重々しい鉄の扉で、鍵穴は見当たらず魔方陣のようなものがノブの上の辺りに刻まれているだけだった。兵士の一人は扉の前に敬礼をしてから扉に近づき、なにやらポケットから取り出して扉に当てると、誰も触っていないのに重々しい鉄の扉は勝手に開き始めた。おそらくさっきの手錠と同じ理屈なのだろう。この施設から脱出するにも鍵穴をこじ開けたり、扉を破壊するような方法では難しそうだ。
扉をくぐり、中へと入る。そこから見えるのはかなり奥まで続いている長い廊下と、そこを照らす小さなたいまつの明かり、そして一定の間隔で並んでいる鉄製の扉のみだった。薄暗いその雰囲気に周囲を取り囲んでいる兵士たちがわずかに身を硬くし、緊張したのが伝わってきた。しかし、おかしな話だ。自分たちが守っている施設で、その上軍事関連のものだというのなら俺の周りにいる兵士たちも入ったことは何度もあるだろうに。
俺はというと、普段薄暗い路地裏で生活していたせいか暗闇にもすぐに慣れ、環境的にはむしろ先ほどよりも快適に感じるぐらいだった。しかし、ある種の薄気味悪さのようなものは感じていた。まるで盗みに入った先でしくじった直後のような、異常なほどの緊張感。とっさに辺りを見渡してみるがこれといって怪しいところは見当たらない。
「……いくぞ、こっちだ。ついて来い。」
兵士の一人が搾り出すようにそう言った。その声が震えていたのは俺の気のせいではないだろう。俺は小さくうなずくとゆっくりと兵士たちに囲まれたまま歩き出した。一歩一歩と奥へ進むごとに周囲の闇はより深くなっているように感じられた。いくつかの扉の前を横切ったが、そのうちの何個かからは今までに聞いたことがないような甲高い物音がしていて、そのたびに兵士たちはびくりと肩を震わせていた。
泣く子も黙ると言われる帝国軍の兵士をここまで怯えさせるものとはいったい何なのか、気にならないはずがないが、好奇心以上の危機感が俺の中で膨れ上がっていた。おそらく普段はこの施設の外で生活しているであろう兵士と違って、俺はここにこのまま閉じ込められる可能性もあるのだ。俺を探していたやつが何を考えていたのかがわからない以上、これからどうなるのかはまったくの不透明であるといえた。周囲を取り囲む暗闇がいっそう濃くなっている中で、ふと視線を感じ俺は顔を左へと向けた。
「……………」
「うわぁ!?」
思わず、といった感じに声を上げたのは俺の視線の変化に気づいたのか、左を向いていた兵士の一人だった。他の兵士たちもその声に視線を左に向け、そして全員同じように顔を背けた。まるでおぞましい怪物であるかのような反応を向けられたのはうっすら開いた扉からこちらを見ている、ワンピースを着た一人の少女だった。本来なら恐怖どころか感嘆の声で迎えられたであろう美しい、いや『美しかったであろう』少女だ。年は見た感じ俺と同じくらいだろうか。腰まで伸びるシルクのような銀色の髪に均整のとれた体つき、目鼻立ちの整った顔とその存在を構成する要素のほとんどが美しいという言葉でしか表現できないものだった。
それを反転させておぞましさに変えているのは体中についた無数の傷跡だった。特に顔のものはひどく、右半分は鋭利な刃物で切り裂いた痕が無数に交差し、左半分にいたっては焼け爛れた皮膚の中でスカイブルーの瞳だけが唯一原型を保っていた。いや、その瞳さえも尋常のものとは思えない感情の色に染まり、見ているだけで気がふれてしまいそうになる。
周りの反応はもっともだと言えたが、俺はそれ以上にどうしてこの少女がこのような状態になってしまったのかが気になった。裏路地で生活していると少なからず悪意に染まりきった瞳をしている者に出会うものだが、ここまでのマイナスの感情に出会ったのは初めてだ。その瞳に宿る感情の源泉を想像しようとして、俺はあわててかぶりを振った。相変わらず俺の悪い癖が出そうになっていた。冷酷でいよう、一人でいようとと心がけているのに、負の感情を強く持っている人間にはなぜか深入りしてしまう。それが同情なのか、それとも同族意識なのかは分からない。しかし、その癖の結果つい半日ほど前に裏切られたばかりなのだ。ここから生きて出るためには非情にならなければいけない場面はいくらでもあるだろう。生きるための努力は最大限するべきだ。俺は無理やり少女から意識をそらすと、ようやく我に返った兵士たちとともに目の前に続く暗闇の中を再び歩き始めた。そのとき
(へぇ……?)
という声が聞こえた気がして少女がいた辺りを振り返ったがそこには誰の姿も残ってはいなかった。
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規則正しい足音に囲まれたまま暗闇の中をしばらく歩くと、それまでの通路にあったものとは明らかに雰囲気の異なった扉にたどり着いた。重厚で、過度なほどに装飾のされたその扉は周囲の暗い空気からは浮いているといえなくもない。兵士たちがその扉の前で立ち止まったのでおそらくここに俺を連れてくるのが目的なのだろう。
兵士のうちの一人が前に出て(おそらくそいつがこの隊のリーダーなのだろう)扉を数回たたくと、しばらくして「入れ」という声が聞こえて、魔法によるものだろうか扉はひとりでに開いた。その兵士に促されて部屋の中に入る。中は扉から予想できたとおりに豪華だった。俺には価値が分からないがおそらくとてつもなく高価だと思われる調度品がいくつも並び、床には赤い絨毯が敷き詰められていて靴のまま入っていいものか一瞬ためらってしまうほどだ。(横の兵士が軍靴のまま入っていたので俺もそのまま入ったが。)飾り物の甲冑が立ち並ぶ先には大きな机と、髭の目立ついかにも身分の高そうな人物、そしてその背後には初めてみる姿の獣人兵が二人立ち並んでいた。全身が蛇のような鱗で覆われ、背中には鳥の羽、指の先端は猛獣の鉤爪のようになっているというなんとも恐ろしい、文字通り悪魔のような姿をしていた。
そしてその獣人兵たちの間に机、そのいすに座っているのは明らかに貴族とわかる華やかな服装に身を包んだ精強な雰囲気の人物だった。年のころは三十歳ぐらいだろうか。服装は一目見て貴族のものだと分かるがその鍛え上げられた肉体と鋭い顔つきはとても貴族のものとは思えない。主に政治を司る貴族たちは頭を働かせるのが仕事であるため、この国の中でももっとも普段から運動をしてない人種にあたる。貴族の姿なんてほとんど見たことはないが、俺が見た貴族は全員ひょろりと痩せているか、でっぷりと太っているかだった。しかし目の前の人物は格好こそ貴族のものだが、妙にがたいが良く、そばには剣が立てかけてあるのが見える。そして何よりこの場所の雰囲気、そして両脇の恐ろしい怪物に対しても平然としているのが、ただの貴族ではない証拠であるといえるだろ。俺が部屋の中を注意深く観察していると隊長格の兵士に後ろから小突かれ、前へと進むように促された。周囲を警戒しながらゆっくりと近づいていくと、それまで黙っていた貴族と思われる男がゆっくりと口を開いた。
「お前たち、ご苦労であったな。後は兵舎で待機していていいぞ。」
「しかし………」
と、俺とその貴族が二人きり(獣人を無視すればだが)になることを案じてか兵士の一人がためらいを見せた。だが男は
「問題はない。『こいつら』がついておるし、そもそもこの私が小僧一人に遅れをとるはずがなかろう。」
そう言って兵士たちを一人残らず下がらせた。隊長格の兵士が最後に出て扉を閉めると、貴族の男は改めてこちらに向き直った。
「ふむ、今度の異能者は孤児か。生まれや育ちは関係ないのか?」
なにやら聞きなれない言葉をつぶやくと、近くに来るように促した。できれば獣人たちには近づきたくなかったが、ここは素直に従っておくほかないだろう。そう思って男のもとへと近づく。獣人特有の獣臭さに腐臭の混じった、独特のにおいが鼻をつく。こんな中で平然としていられるのは、男はやはり軍人で獣人兵の臭いに慣れているのだろうか。
正体の分からない男を観察するようにまじまじと見たが、男はそのことに何の興味も持っていないのか、ただこちらを見ているだけだった。その目には人としてあるまじき冷酷さが見て取れる。こちらのことはせいぜい虫けら程度にしか思っていないようだ。
貴族のことは分からないが流石にこんな人間ばかりということはないだろう。となるとやはりこの男は貴族ではないのか。いや、貴族の中にも軍と近しい立場のものはいるのかもしれない……。そんなことを考えながら一歩ずつ男のほうへと歩いていった。
「はじめに説明しておこう。貴様が以前に使ったという『魔法』。それは正確には魔法ではない。」
男の目の前に着た俺に対して男は唐突にそう告げた。一瞬何のことか分からなかったが、すぐに俺がここに連れてこられた唯一の心当たり、すなわちダインを助ける際に無意識に放っていた火の玉のことを言っているのだと気づいた。
「魔法とは本来数秒の詠唱、もしくは特殊な陣を描くことによって発動するもの。いかなる方法を持ってしても、それらの段階を飛ばして使うことはできぬ。」
俺が理解しているかを確認するつもりもないのか、淡々と口早にそう告げた。俺は男の話した情報を必死で整理する。つまり魔法には特殊な予備動作が必要で、それなしに使えた俺の力は魔法ではないということか?
「だ、だけど……」
「その力を我々は『異能』と呼んで魔法と差別化している。」
俺が疑問を口に出そうとしたのをまるで無視して男は続けた。
「この能力は現在の戦争において極めて有意義なものだ。まず一つ、魔法を使うには知識が必要だ。しかし我らの帝国は騎士の国として発展してきたため、魔法の研究は周辺の国家と比べて非常に遅れている。もちろん今から今から追いつこうというのは現実的ではない。」
確かにそのとおりだろう。魔法について詳しく知っているわけではないが、簡単に扱えるようなものではないということは想像がつく
「しかし、異能は別だ。個々人の資質が全てである異能は研究の必要もなく、その能力の所有者が使いこなせるように訓練すればそれでよい。」
次々に情報が出てくるため困惑するが、男の話は一応理解できた。確かにこの国では魔法は戦争の道具としてしか見られてこず、評価され始めたのもごく最近だ。またその戦争の場においても「騎兵隊こそ至高」という見方は強く、魔法使いの地位はその技術に対してあまりにも低い。それは以前からこの国は精強な軍馬を多く産出する国として有名で、『帝国に騎兵隊あり』と広く知られているからだ。当然騎士たち、そして国民の多くはそのことに誇りを持っており、結果騎兵の地位は高く、魔法使いの地位は低い。
一方でこの国と今戦争をしている国々は、魔法の扱いに長けている国が多いようだ。俺はあまり周りの国について詳しいわけではないが、そんな俺でも知っているくらいこの国と周囲の国との魔法技術の差は歴然としている。とはいえ貴族が魔法に変わる戦力を本気で考えなければならないほど戦況は良くないのだろうか。
「この施設はそのためのものであり、お前は異能を使えるのでここに連れて来られた。今から十分な訓練をし、異能を使いこなせるようになったら前線で活躍してもらうことになる。いいな?」
問いかけてはいるが俺に選択肢ははなからないのだろう。その証拠に男は
「もっとも、国の大事であるからしてお前の意志に関係なく国のために働いてもらうことになるがな。」
と続けた。まあ、帝国の上の人間にとって俺に命がどれほど安いかなんて分かりきっていたことだ。異能だの何だのと、予想外の自体はいろいろ起きてはいるがやるべきことは何も変わらない。前線とやらに送られる前に何とかここから逃げ出すか、あるいは戦場についてから逃亡するのも手かもしれない。いずれにせよこんなところで死ぬつもりはまったくなかった。
「説明は以上だ。分からないことがあれば他の異能者にでも聞くがいい。お前の部屋まではこいつに案内させる。」
そういって男から見て右側の獣人兵を指差した。
「……分かった。」
俺は素直にうなずいておく。今この場で目の前の貴族の男を人質に取って脱出する、というのも考えなくはなかったが流石にそれは無謀が過ぎるだろう。獣人兵二人の隙を突かなければいけない上にこの男自身の力量も未知数だ。ここには俺以外にも連れてこられた人間が多くいるようだが、この男はそいつらの敵に当たるのに平然とこの場に座っている時点でただものではないのだろう。
そもそも俺は荒事が得意なわけではない。そりゃあもちろん裕福な家庭で育った同年代の子供よりは修羅場を潜り抜けてきた自信はあるが、俺はどちらかというと争いは避ける方に注力してきた。腕力に任せて生き残ろうとした人間は多く見てきたが、そいつらのほとんどはより大きな力につぶされたか敵を多く作りすぎて袋叩きにあったかのどちらかで、まともに生き残っているやつはいない。なので俺は暴力は最後の手段だと思っている。もちろんそうしなければならない場面なら躊躇いなく振るうが、避けられる場面なら極力は避けるべきだ。今はまだ様子を見るべきだろう。ここがどのような場所なのか分かっていない現状では下手に動かないほうがいい。ひょっとしたらあっさりと出口が見つかる可能性もなくはないのだから。
俺の横を通り過ぎ、扉を開けてこちらを振り返る獣人兵についていこうとしてふと聞き忘れていたことがあったのを思いだした。
「そういえば、あんたの名前は?」
「…………」
ひょっとして何か分かるかと思ったが返ってきたのは無言の返事だった。貴族は口の達者なものが多い、と聞くがこの男は例外のようだった。やはりどうにも俺が抱く貴族に対するイメージとは大きくずれている人物のようだ。いや、そもそも俺と話す気がないのかもしれない。この男のいうとおりならばこの男にとって俺はせいぜい魔法に対抗できる新型の兵器ぐらいにしか思われていないのだろう。これ以上はこのままここにいても無駄だろう。
そう思い最後に男の特徴を頭に焼き付けて俺は部屋を出た。相手がこちらに興味がなくともここから出るためにはあの人物の情報が何か役に立つかもしれない。少なくともあの男がこの施設で重要な立場であるのは確かだろう。ならばあの男と接触する機会はあるはずだ、もちろんそれが穏便な結果に終わるとは限らないが、そのときはそのときだろう。少なくとも現状よりはいくらか勝率を上げれているはずだ。いや、これからそうなるように振舞わなければならないだろう。あせらず冷静に、それでいて必要なときは大胆に。獣人兵に見張られて長い廊下を歩きながらも俺はまだ何もあきらめてはいなかった。
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来た道を戻り、しばらく行くと獣人兵はとある扉の前で立ち止まった。ガチャリと扉のロックをはずし(例によってあの紋章によるものだった)中に入れと俺を促す。扉をくぐりながら俺はその獣人兵の姿に意外なものを感じていた。
獣人兵は魔法によって異界から召還された化物で、細かい作業などには不向きだと思っていたのだ。いや、実際戦闘が一番向いているのは確かだろうが、上のものに命令されたからといって、道案内なんてことができるとは思ってなかったのだ。でもそういえば俺を追跡していた中にも獣人兵はいたわけで、少なくとも「人を探す」程度のことはできたということか。
まあ、それはそれとして部屋の中に入る。そこには簡素なベッドと机が一つ、ぽつんと置かれていた。他には見る限り何もない。いや、奥の壁に格子のついた窓が一つだけあったが、頑丈そうな金属の格子は流石に破るのは難しいだろう。逃げ出す手段が見つかるまではここにいることになるのかと思うと気が滅入ってくる。
「うわっ!!」
部屋を隅々まで観察し、ため息をついていた俺は突然袖を引かれ思わず声を上げた。
慌てて振り返るとそこには先ほどの獣人兵が、俺の袖をつかんで引っ張っていた。どうやらついて来いということらしい。俺の部屋にたどり着いたのにまた移動するのはどういうことだろう、とも思ったが俺が気になったのは別のことだった。さっきこの獣人兵は「俺を部屋に連れて行け」としか命令されていないはずなのに、別のところに連れて行こうとしているのはいったいどういうことだろう?獣人兵は魔法によって魔界から連れてこられた魔物だが、魔法によって理性を奪っているはずだ。そのため指示されたことをそのまま行う以外のことはできないはずだ。それとも新しくここに来た者を目的の場所に連れて行くように、あらかじめ言われているのだろうか?
「…………」
少しの間考え込んだ俺を、獣人兵はさっきよりも少し強く引っ張った。いずれにせよここで立ち止まっているわけにはいかないか。そう思い獣人兵の後について部屋を出る。さっきいた部屋のほうへ進んで、右に曲がったところで獣人兵は立ち止まった。どうやらここが目的の部屋らしい。
獣人兵は無言のまま立ち尽くしているがおそらくこの中に入れということなのだろう。そう思って俺はゆっくりと扉を引いた。
思いのほかあっさりと開いた扉からは光が漏れ、暗闇に長くいた俺は思わず顔を背けてしまった。
しかし、漏れてきたのは光だけではない。中からはいくらかの人の気配がしていた。目はまだなれないが、俺は意識だけでも部屋の中に向ける。と、同時にいつでも動き出せるように準備をしておく。中にいるのが何者かはまだ分からないが、最悪の場合背後にいる獣人兵を無理やり突破してでも逃げる必要があるかもしれない。
ようやく光に目が慣れてきたので、俺は警戒しながらも部屋の中を覗き込んだ。そこにあったのは年齢はまちまちの、しかし明らかに大半が子供であろう人間の集団だった。上は俺よりおそらく三、四歳ほど年上で、下はダインよりも年下であろう少年の姿も見える。そんな少年少女の集まりが皆一様にこちらを見ていた。そのまなざしに浮かんでいるのは警戒心と好奇心。警戒心は、俺へ向けられたものと獣人兵へ向けられたものが半々といったところか。好奇心は新入りの俺に対するものだろう。
複数の視線が向けられる中、俺はそのまま立ち尽くしていた。こういう時は下手に自分から動かないほうがいい。あくまでこの場では俺はよそ者で、ここでの主導権は相手側にあるのだから。しばらくすると後ろのほうから一人の青年が姿を現した。
見た感じではおそらく二十歳前後でここでは最年長だろう。やたらと長い髪にひょろっとした体つきは遠くから見ると女に見えるかもしれない。
少なくとも力自慢なタイプには見えないが、そいつが出てくるときに周りのやつらが道を譲っていたのを見るとこの集団のリーダーということで間違いないだろう。ただ単に最年長というだけでまとめ役をやってるのか、それとも見かけによらず強いのか今の段階では判断がつかない。そもそも、ここにいるのが全員異能とやらを使えるのなら見た目などいっさい判断基準にはならないだろう。
「ようこそ、はちょっと違うかな?はじめまして、そしてよろしく新入り君?」
人のよさそうな笑みを浮かべて右手を差し出してくる。俺は警戒は解かないままにゆっくりとその手を握った。
「…………よろしく。」
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リーダー格の男はリーガンと名乗った。リーガンは思った通りこの集団をまとめる立場にいるらしく、俺にそこにいた子供たちを一人一人紹介して回った。やはり全員が異能を使えるらしく、リーガンの話ではそれぞれに使うことのできる異能は異なっているらしい。
(もっともその内容までは教えてもらってはいないがな)
流石にそこまで無警戒ではないようだ。
「…………ところで何でここに異能持ちを集めてるのか、あんたは知ってるか。」
大半のメンバーとの顔合わせがすんだ後、俺はリーガンにそう尋ねた。
「うん?何も説明を受けなかったのかい?」
「いやそういうわけじゃないが、あの男の説明には不備が多すぎてな。」
「ああ、なるほど。」
この施設の支配者であろう男のぶっきらぼうな態度を思い浮かべたのか、うんうんとうなずいた。
「確かにあの人はそこらへんを詳しく話すような感じじゃないよな。じゃあこの施設のこととこれからのことをまずは話していこうか。」
「ああ、よろしく頼む。」
今はあまりにも情報がなさ過ぎてどう動いていいか分からない状態だ。少しでも現状を打開するための何かしらの情報は欲しいところだったので、この男が話してくれるというのなら正直なところかなりありがたい。
「この施設は異能者―――――ああ、ここでは異能を使える人間のことをそのまま『異能者』と呼んでるみたいだね。まあ、魔法を使える人のことをそのまま『魔法使い』と呼ぶようなものじゃないかな?うん。で、その異能者を訓練して戦争で戦えるようにするのが目的みたいだね。ここら辺のことはもう聞いてるんじゃないかな?」
「ああ、さっき聞いたばかりだ。」
訓練して戦争で使う、か。それに加えて異能者を隔離、拘束する目的もあるんだろうな。異能者については街中では噂になったことすらない(まあ、俺みたいに魔法と思い込んでいた、っていうパターンも結構ありそうだが)。そんな、おそらく絶対数が少ないであろう異能者を逃がさないためににも今まで見てきたような厳重な警備をしているのだろう。軍事施設とはいえあまりにも厳重すぎる警備だとは思っていたが、ある程度事情を知った今となってはその厳重さにもうなずける。
「それで、最終的には戦争で異能者を活躍させる、ていうのが目的みたいだね。まあ、この国は魔法については敵国と比べてかなり劣っているみたいだからその代わりにしたいんじゃないかな。」
「…………。」
「自分達が戦争の道具にされる」という話なのにあまりにも軽く話すものだから少々めんをくらってしまった。まるで他人事のようだ。何か落ち込まないような理由があるのか、それとも単にあきらめて自棄になっているだけか。目の前の青年とはついさっき対面したばかりだから、いまいち判断できない。
「で、具体的には朝起きてから寝るまでは基本的にこの大広間で訓練ってことになる。もちろん休憩なんかは挟むしご飯も途中で食べれるけど、それ以外は基本的に訓練だね。」
「訓練っていうのは具体的に何をするんだ?」
ざっと見渡してみた感じでは特にそれらしい道具なんかは見あたらない。一応壁際には木でできた剣や槍なんかが置いてあって近接戦の訓練はできそうだが、異能はどうやって鍛えるのだろうか?そもそも異能が鍛えられるようなものなのかも分かってないのだが。
「お昼までは模擬剣を使った訓練かな。一応軍人になって戦場で戦うんだから最低限は剣も振れないとね。この訓練については帝国軍の軍人さんたちが教えてくれるよ。で、その後は異能の訓練かな。とは言ってもひたすら異能を使うだけなんだけどね。」
「それで本当に訓練になるのか?」
疑問に思ったことを口にしてみる。まあ、例えどんな練習方法だったとしても納得できるとは思えないが。そもそも自分以外の例を見たことがない以上、異能の存在についても完全に信じているわけではない。
俺も詳しくは知らないが、聞いたところによると魔法使いは空気中のマナなるものを操って魔法を放つらしい。ではいったい俺はどうやって炎を出したのか。少なくとも魔法使いの様に俺にはマナが見えたりはしない。
では魔法ではないからといって俺が出した炎が異能によるものだという結論に至るのは早すぎるだろう。あの男の話をどこまで信じていいのか分からない以上、異能についてはまだ何も分かってないといっても過言ではない。
「まあ、ここの人たちも異能についてはまだ分からないことのほうが多いみたいでさ。研究段階なんだとか。実際ここにいる子の中にも、この施設に来たときよりも異能をよく扱えてたり、異能そのものが強くなってる子が結構いるから訓練の方法としては間違ってはいないんだと思うけどね。」
なるほど俺よりは知識はあるかもしれないが、帝国軍のほうも同じような状態なのか。となるとこの場所は異能者の訓練のためのものであると同時に、異能そのものについての研究をする場所でもあるということか。
「で、訓練をして異能と、それから武器の扱いに慣れた人から戦場に出て戦うことになるって訳だね。」
「ずいぶんと軽く言うんだな。戦場で戦うのが怖くはないのか?」
さっき感じた違和感を口にしてみる。さっきも、そして今もリーガンは戦争で戦うということをあまりに軽く話しすぎている気がする。普通ならもっと暗くなるものではないのか。やはりそこに違和感を感じた。
そして俺がそのことを口にした瞬間、周りの異能者たちの意識が心なしかこちらを向いたような気がした。やはりここにいる連中もこれからの自分の境遇については興味があるのか。もちろんここに来た時にちょうど今の俺と同じように、この男にある程度のところは聞かされてはいるんだろうけれど。
「確かに、怖くないわけではないよ。ただ、戦場に出て功績を上げれば帝国軍の上層部に取り立ててもらえるって話でね。ここにいる子達の大半は孤児だったりあまり裕福な家庭の生まれじゃなかったりするから、そこから抜け出せるチャンスがあるならってことで希望を持っている子もいるんだ。」
もちろん僕もその一人だけどね、と言ってリーガンは周りの異能者たちを見渡した。確かにそこには絶望に染まっていないものもざっと半分くらいはいるようだった。
「もちろん、戦争がそんなに甘くないものだってことは想像はつく。でも僕たちはそもそも毎日生きるか死ぬかの瀬戸際にいた訳だしね。それに僕たちには異能がある。もちろん戦闘向きではない能力の子も入るけれど、中には一人で何十、何百人も相手にできそうな子もいるしね。そう悲観したものではないと、僕は思うんだ。」
「なるほどな。事情は大体分かった。」
文字通り命懸けでまともな生活を掴もうとしているわけか。問題は戦場でそううまくことが運ぶかということと、軍がその約束を守ってくれるのかということだろう。同じような希望を抱いて無残に死んでいったやつをついさっき見た(聞いた、か?)ばかりの俺にはそんなネガティブな考えばかりが思い浮かんだ。
「それで、俺はこれからどうすればいい?」
「えっと、とりあえず今日の訓練はもう終わってるから明日から参加してもらう形になるかな。これからは他の子達と親交を深めてもらって、軍人さんが呼びにきたら自分の部屋に戻って食事を取って就寝って感じかな。」
「わかった。」
親交を深めるといってもまだそこまで深入りするつもりはない。もちろん裏切られたばかり、というのもあるが、そもそもダインとそこそこ仲が良くなったのだってあいつを救い出してしばらくしてからだった。
相手が信頼に値するかしばらくは観察して見極めるのは、俺のような家を持たない者にとっては当然の自衛手段だった(その自衛に俺はさっき失敗したわけだが)。
そもそも孤児なんてだましたところで得るものは少ないので、その少量の『得るもの』を奪い取ろうとするのはいつだって同じ孤児だった。裕福な人間は俺らが持っているものどころか俺らの存在すら視界に入っていない。だからこそここにいる人間の大半が孤児だと聞いたところで、それが警戒を緩める理由には一切ならない。むしろここに来た経緯を考えれば最大限警戒すべきだろう。
しかし一方で集団の中で孤立するわけにもいかない。たとえ表面上だけの薄っぺらい協力関係だったとしても、一人と、二人以上とではできることに大きな差が出てくる。
なので俺はこれから最大限に警戒しながらも、それを悟られないように仲良くならなければいけないというわけだ。
考えただけでも気が滅入ってくるが、まあ大人がいないだけまし、といったところか。
「…………あ、そういえばここに来た時に、顔に酷い傷のある少女を見かけたんだが彼女はいったい……?」
流石にあれだけ特徴的な姿を見落としたりはしないだろう、と思って辺りを見渡してみるが、一向に見当たらない。ここに全員集まってるという話だったからてっきりいるのかと思ったが。
それともここにいないということは彼女は異能者じゃないのだろうか?その場合は「何でここにいるのか?」という別の疑問が出てきてしまうが。
「ああ……、彼女は、なんというか、僕たちとはちょっと立場が違ってね…………」
「…………話しにくいことなら話さなくてもいいぞ?」
今までとは打って変わって歯切れの悪い返答に、彼女の存在はここではタブーだったのか、と一瞬あせったが、リーガンは「いや、大丈夫だよ」と言って、少々間を空けてから続けた。
「彼女は元は貴族のお嬢様だったらしくてね。そのせいなのか訓練なんかも一切免除されてるみたいなんだ。というより軍の兵士の人たちもほとんど彼女には関わろうとしなくてね。それで、僕たちも極力接触しないようにしているんだ。」
触らぬ神に祟りなしってやつだね、とリーガンは話を締めくくった。それ以上はこの話題を続けて欲しくなさそうな様子だったので、俺は彼女についてこれ以上聞くのを控えた。まあ、ここでは有名人のようだし、しばらくは嫌でもここにいることになるので、その中で分かってくることもあるだろう。
それにリーガンの気持ちも分からないではなかった。リーガンの話が本当ならば、貴族のお嬢様がこんなところにいるなんてよほどの事情があったのだろう。そもそも顔の傷が訳有りのであることを示しているとも言える。そして、『貴族の事情』なんてものは俺ら庶民にとっては理解しがたく、巻き込まれると庶民一人の人生なんて簡単に消し飛んでしまう、厄介極まりないものだ。以前にダインが『嵐みたいなもんだよな』などと言っていたのを思い出す。生きていくために避けるべき物の筆頭と言える。そんな貴族の事情の塊のようなあの少女を避けると言うのは至極当然の判断だと言えた。
俺も積極的には関わるつもりはないが、どうにもいずれ関わってしまいそうな予感がしていた。それは俺の今までの人生が、ダインを筆頭に厄介ごととばかり何故か関わってしまう物だったせいかもしれない。俺は心の中で、今回は厄介ごとに巻き込まれませんように、と祈ると改めてリーガンの方に向き直った。
「いろいろとありがとうな。おかげでここのことついて知ることができた。」
「どういたしまして。これから、まあどれくらいの長さかは分からないけど、よろしくね。」
「ああ、こちらこそ。それじゃあ俺は他のやつらとも話してくる。」
軽く握手を交わすと、俺はリーガンに背を向けて歩きだした。目の前にはこちらを興味津々といった目で見つめる大勢の異能者たち。どれだけ見渡しても、その中にあの少女の姿は見当たらなかった。