一章
雑多にものが積まれた細い裏路地を、すり抜けるようにして走る。十五年もの間過ごして来た町だ。道に迷うことなどありえない。
一際細い路地の奥に入って、ゴミの積まれた物陰に転がり込むように身を隠す。そこらに散らばる生ゴミの腐臭が鼻につくが、俺は構わず身を伏せ今来た道を眺めた。
大丈夫だ、全身赤色が特徴の帝国軍の姿はどこにも見えない。
そこからさらに三十秒ほど耳を澄ませてみたがこちらに近づいてくる足音はないようだ。
遠くに人々の行き交う喧騒を聞きながら、俺はようやく息を吐いた。どうやら追っ手はまいたようだ。
壁に背を預けて座り込む。先日の雨のせいか地面は少し湿っていたが、この際気にしてはいられない。少しでも体力を回復させて、いつでも逃げれるようにしておかないと。
ここに隠れていればしばらくは大丈夫だろうが、追っ手は大勢いるようだから時間の問題だろう。そもそも水と食料が手元にないからいつまでもここに隠れているわけにもいかない。
「はぁ。まったく、なんで俺がこんな目に。」
乱れた呼吸を整えながらも、愚痴を漏らさずにはいられなかった。いや、帝国軍に追われる理由がないというわけではない。
俺はこの町の裏路地に物心ついた頃からずっと一人で暮らしていて、生きていくためにいろいろと汚いことに手を染めている。流石に殺しはしたことないが、盗みやら恐喝紛いのことやらまあいろいろだ。
もちろんそれが悪いことだとは分かっているし、仕方なかったなどと言い訳する気もないが、だからといってそれ以外の方法でどう生きていけば良いかは分からなかった。四丁目のラクアみたいに男娼でもすればよかったのか?まあ、その道を選んだのはあいつの勝手だが、俺はプライドがそれを許さなかった。
こんなゴミだめの中に身を伏せててプライドも何もあったもんじゃないが、どんな人間にも最後まで譲れないものってのはあると思う。それがあいつと俺とじゃ違っただけだ。
まあ、それはともかくとして帝国軍に追われる理由に心当たりはありすぎるぐらいあった。
というか実際に町を巡回している兵士に追いかけられ、逃げ回ったことは何度もある。
だが知り合いの情報屋に聞いた話だと今回は百人規模の軍人が、俺を名指しで探しているらしい。時折大規模に軍が動くこともあると聞くが、俺がそんな追われ方をする心当たりはない。
貴族の荷物にでも手を出せばこうなるのかも知れないが、そんな命がいくつあっても足りないことをするはずがないし、最近盗んだ物だって大半がその日を暮らすための食料で、貴重品の類を盗った覚えはない。まあ、それは単純に貴重品を捌くためのルートを持ってないだけなんだが。
ともかく現状は理由も分からないまま追い掛け回されているわけで、ひょっとしたら別に悪いことではないんじゃないか、俺が知らない場所でどこぞの誰かを助けてて、それでお礼がしたいないんて話なんじゃないかとか、そんな考えが頭をよぎるがそんなことがありえないことは俺自身が一番よく知っている。
となれば捕まったらどんな目に合わされるか分からないわけで、このまま逃げ続けるしかない。
「いっそこの国から出ちまうか。」
出来もしない考えが口から出るのは三日三晩休むまもなく追い回されて参ってきてるからだろうか。国外に逃げれば流石に追ってこれないだろうが、現在周辺諸国と戦争中なのを考えるとどの国に逃亡したところで捕まって処刑されるだけだろう。
そもそも巨大国家の首都だからこそ盗みなんかでもなんとか食いつないでいけてるわけで、よそに行ったところで戦争中のこのあたりで盗むほどの食料があるとも限らない。
さらに言えばこの町の検問を何とか通り抜けなきゃいけないわけで。
「誰が俺なんかを追いかけさせてるのか知らねぇが、そいつが飽きるまで身を隠し続けるのが最善か。」
というかそれしか手がない。とりあえずはどこか落ち着ける場所を探さないと。 頭の中にこの町の地図を広げる。さっきの大通りとその周辺には近づけない。軍服の連中はそこから西のほうへ向かっていたから……
「なんにせよ、一旦住処に戻るか。」
そうするのが最も良いように思える。もちろん家なんて持ってないので、住処といっても普段寝泊りしている廃屋のことだ。
しかし、最もよく使う場所はすでに見張られている可能性もある。なので行くとしてもいくつかある予備の寝床のうちのひとつとなる。盗みがばれて追いかけられたときのために普段からこうした隠れ家を確保しておいたのは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。
そうと決まれば後はどうやってそこまでたどり着くかだが。
「あそこなら裏路地だけでも何とかたどりつけるか。」
頭に予備の住処のうちの一つを思い浮かべる。かなり奥まった場所にあるから行くのは少々大変だが、行くまでと着いてから見つかりにくいと言うのはこの場合大きいだろう。
俺は静かに立ち上がると、体に付いたゴミを軽く払い落とした。生ゴミの臭いが多少体に移ってしまったが、裏通りならばそれもカモフラージュになるだろう。 追っ手は人間だけとは限らない。あれだけ大規模な捜索隊だ、軍犬や獣人兵なんかが嗅覚を使って探している可能性もある。辺りを見回して再度追っ手が来ていないことを確認する。
よし、大丈夫そうだ。俺は極力足音を殺して、ゆっくりと今いる細い道をでてさらに細い横道へと入っていく。こうして裏路地を通り続ければそう簡単に見つかることはないだろう。
後は無事に住処まで帰れるように祈るばかりだった。祈る神なんて俺にはいないけれど。
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この都市、ルニリア帝国の首都ルナスは国内はもちろん近隣諸国を見渡しても匹敵する都市がないほど巨大だ。当然その分人も多く捜索隊にも人数をより割けることになるが、同時に人ごみにまぎれやすく、また都市自体が大きく裏路地も入り組んでいて隠れやすい。
そして、俺みたいな孤児も多くいるので捜索隊の規模が大きいとはいえ隠れながら隠れ家の近くまでたどり着くことは十分に可能だった。もちろん常に警戒しながら動いていたし、遠くに帝国軍の人間や獣人兵を見つけて内心慌てながら隠れてやり過ごしたことも何度かあった。
しかし幸いにも軍用犬の類は駆り出されていないようなので臭いにまで気をつける必要はなさそうだった。
獣人兵も五感は人より優れているが、嗅覚は利きにくいらしいので姿を見られなければ大丈夫だった。
さらに、魔法による探知も行われてはいないようなのが俺にとっては追い風だ。もっともこれはただ単に「俺がまだ捕まっていない」という現状からのただの推測だが。
魔法については俺もほとんど知識は持ってないが、強大な魔力を持つ者には出来ないことはないらしい。そんな存在が俺の捜索に協力していたらまず間違いなくすでに捕まっている。しかし魔法を使う素質を持つものは多くいるが、それで何もかも思い通りに出来るほど力を持っている者は少ないらしい。
今この国が複数の国を相手に戦争をしていることを考えれば、強大な力を持つ魔法使いをこんなことに使っている余裕はないのだろう。まあ、それを言うと俺なんかの捜索に貴重な軍の戦力を割いていることにも疑問が残るわけだが。
そんなわけで予想外の出来事は特になく、無事に隠れ家の近くへとたどり着くことができた。もっと困難だと思っていたので正直なところほっとする気持ちもあるが、ここで気を緩めて捕まっては元も子もない。
ここの隠れ家がまだ軍に気づかれていないとは限らないのだ。この辺りは先ほど隠れていた路地に比べても狭くそして暗く、昼間でもほとんど夜と変わらないような視界の悪さだったがこの場合はむしろ好都合だ。
帝国軍の兵士共はここまで入ってくるのは一苦労どころじゃないだろうが、俺はほぼ毎日薄暗い路地裏で暮らしているため普通よりも夜目が利く。その上地面には物が散乱していて誰かが通ったのならその痕跡が残りやすい。
今のところ俺が最後に来たときと変わっている様子はなかったが、まだ油断はできない。足元に散乱するゴミを踏まないように、しかし周囲にも気を配りながら今にも崩れそうなほどぼろい隠れ家に近づくと、入り口が開いてはずれかけの扉がじめじめとした風に軋んできぃきぃと音を立てていた。
それを見た瞬間、俺は一気に警戒心を強め、周囲の気配に気を配った。確かに扉はぼろいがそれでも最後にこの隠れ家を後にしたときには風が吹いたぐらいでは外れないようにしっかりと止め具を閉めていた。
中に隠してある物資が風雨に晒されるのは問題が有ったし、何よりこんな風に誰かが入ろうとしたときにそれが分かるからだ。
扉が開いけられているということは誰か他の孤児なり浮浪者なりが見つけて住み着いたか、帝国軍に先回りされたかということになる。そして以前ここを去るときに入り口をゴミなどでカモフラージュしておいたので、この場所を知っていない限りピンポイントでここを見つけることはないだろう。孤児ならもっと過ごしやすい場所に行くはずだ。
つまり状況だけを見れば帝国軍に先回りされた可能性が高いことになる。俺は最大限に家の中、そして周囲を警戒しながら足を進める。
と、そのとき隠れ家の中からごそごそと物音が聞こえてきた。どうする?引き返して別の隠れ家に行くか?いや、しかしいくつかある隠れ家の中でも特に見つかりにくいこの場所がばれているということは他の場所も安全ではないわけで……と考えている間に音の主が暗闇の中から姿を現した。
足音を殺しながら全力で後退しようとしたが、その姿を見て足を止めた。
「なんだ、ダインか。脅かすなよ。」
「そっちこそ、追われてるって聞いて少しは心配したんだぜ、ジルにぃ。」
隠れ家の中から姿を現したのは俺のよく知っている少年だった。名前をダインという。まあ、俺と同じく物心ついたときから孤児である以上、生まれたときにもらった名ではなく自分でそう名乗っているというだけのものだったが。
栗色のくせっ毛に大きな瞳が特徴的な少年だ。年もはっきりとはしないが、おそらく俺より四、五歳は低く俺の弟分のようなものだった。とある事件で俺がダインを助けて、それ以来そこそこ良好な関係が続いている。ちなみにジルというのが俺の名前だ。こっちは自分で名乗ったわけではないが、いつの間にか周囲にそう呼ばれるようになっていた。
「ダイン、お前なんでこんなところにいるんだ?」
「いや、一応普段の家のほうにも行ってみたんだけど、帝国軍がうろうろしてて近づけなくってさ。他にもいくつか候補はあったけど、帝国軍のいなさそうなとこっていったらここかな?って思ってな。一人で逃げ続けるのもきついだろうし、何か協力させてくれよ。」
ダインのその言葉は、逃げるという行為においても、精神的な面においても非常にありがたかった。
孤児なんだから一人でいるのに慣れている、と思うやつもいるが実際はむしろ逆だ。日々の暮らしにすら困窮しているからこそ、いざというときには協力できる仲間を作っておかねばならない。もっともその協力も「自分に被害が出ない限り」という条件でのものであるし、自分と接点のない者は平然と見捨てる冷酷さの裏返しでもあるのだが。
「それは助かる。じゃあさっそくで悪いが、お前が帝国軍の動向を教えてくれないか。」
「りょうかいだぜ。今のところ軍の連中は西のほうまでしか本格的に捜索できていないみたいだぜ。でも大通りは東の方まで押さえられているみたいだ。捜索に加わっているのは帝国軍二百から三百に加えて獣人兵がいくらか。普段はあんまり見ない規模の部隊だな。いったい何をやらかしたんだ?」
「それが分かれば苦労しないんだがな。」
実際思い当たる節がないのだから仕方がない。いや、一応まったくなくもないのだが、あまり大したことには思えない。少なくともこんなに大掛かりな部隊が動員されるほどのことではないのは確かだ。
「ジルにぃもさんざん逃げ回ってばっかりで疲れただろ。隠れ家の中はある程度きれいにしておいたから、とりあえずは中で休んだらどうだ?」
「悪いな。そうさせてもらおう。」
実際、俺の体は疲れきっていた。大量の探索隊の目から逃れるためにかなり遠回りをしてここまで来たし、その上で東側まで捜査の手が伸びる前に隠れ家までたどり着かなけりゃいけなかったからかなり無茶な動き方をしていた。
人目を避けて細く障害物も多い路地を出来るだけ急いで通り、時には塀をよじ登ったりして何とかここまで着いたのだ。
確かに普段からそうして暮らしてはいるが、追いかけられている現状は自分で思っている以上に心と体に負担がかかっていたらしい。
ダインに促されるままに扉をくぐる。
ふとそのとき自分の視界に映る景色に若干の違和感を覚えたが、そのときはそれが何かは分からなかった。
そもそも、あまり細かいことを気にしていられる状態ではなかったということもある。
ぼろい扉を通って中に入ると、そこは少々埃っぽいながらも目に見える範囲では生活するのに十分な程度には片付いていた。先に準備してくれていたというのは本当らしい。
椅子や机、寝床などからは埃が払われていている様子がうっすらと見える。
休む分には問題ないだろう。元々置いてあったがらくた達は部屋中に散らばったままになっていたが、まあそんなに長い間ここにいるつもりもないしそのままでも良いだろう。
一通り隠れ家の様子は確認し終わったが休む前にダイともう少し情報交換をしておく必要がある。
そう思って、テーブルの上においてあったろうそくに火をつけようと手を伸ばした。もともと薄暗い通りにある上に窓もなく、角度的に日光も入らないので時間に関係なく常に闇に閉ざされている。伸ばした手はしかし、ダイによって阻まれた。
「いくらこっちの方まで兵士が来てないからって、ここだけ明かりがついてたら流石に目立つぜ。帝国軍は来てなくても、報酬欲しさに俺たちのことを売るやつがいないとも限らないし。」
「確かにそうだな。」
ダイの言うとおりだった。疲れで判断力が少々鈍っているらしい。せっかくここまで逃げてきたんだ、気を緩めて軍に捕まるわけにはいかない。
俺はそのまま古ぼけた椅子に座って背もたれに体を預けた。それを見てダイも反対側の席に座る。
やっと一息つくことが出来た。
「なあ、帝国軍の動きとか俺を探してる理由とか何か分かる情報はないか?」
「うーん……」
ダイは演技っぽく首をかしげた後、暗闇の中でもはっきりと分かるぐらい、にやりと笑った。
「ジルにぃがそこら辺のことを知る必要はもう無いんだぜ。」
「……何だと!?」
その言葉の意味を理解した瞬間に俺は罠にはめられたことを悟った。なぜダイがこんなことを、と思わなくもなかったが理由を考えるのは後ででいい。
慌てて椅子から立ち上がり、扉へ向かって走り出そうとするが俺の脚は根でも生えたかのように地面から持ち上げることが出来ず、椅子から立ち上がることさえ出来なかった。
床を見ると黒い塗料でかかれた幾何学的な魔法陣が、暗闇の中でうっすらと光を放っている。
俺は先ほどの違和感の正体に今更ながら気づいた。この文様が視界の端に映って違和感になっていたらしい。とはいえもともと暗いところに黒色の塗料で描かれ、その上床は周囲に散らばったがらくたでかなりの範囲が隠れていて、今までまったく気づかなかった。
「何のつもりだ、ダイン!?」
この場から動けないことを悟った俺は、顔を上げてダインをにらみつけた。怒りに駆られた様を見せながらも時折視線を動かして逃げ道を探る。
と、同時に体のどこが動かなくなっているのかを確かめる。今は足だけだが下の方から徐々に体の感覚がなくなっているのが分かった。
いつの間にか毒でも回っていた可能性も無くはなかったが、それなら全身に影響が出ているだろうから原因は足元の魔法陣で確定だろう。
そうこうしているうちに膝まで感覚はなくなっていた。何かしら手を打って逃げるにしてもとにかく時間が足りない。完全に体が動かなくなってしまえばもうどうすることも出来ないだろう。
「ジルにぃを引き渡せば人並みの生活を送らせてくれるって帝国軍に言われたもんでね。今まで何かと世話にはなってたし、恩もあるけど自分の人生には変えられないしな。すまないけど大人しく捕まってくれよ。」
俺の内心の焦りを悟ったのか、得意げにそう言った。その目は俺の方を見ておらず、すでに人並みの生活とやらを送っている自分の姿を想像しているのだろう。
これではダインを説得するのも難しそうだ。帝国軍のことを信用するか、あるいは知り合いをやつ等に売るのかという問題はあるがその条件は俺でも魅力的に思えるだろう。
せっかく掴んだチャンス(と、少なくともダインは思っている)を不意にするとは思えない。
だとすれば後は一つしか手は残っていないが、その手段はそもそも自分でも任意に使えるものではない。その上どうやら時間切れのようだ。徐々に上へと上がってきた呪縛はすでに肩から下のほぼ全身へと及んでいる。これが頭のてっぺんへと到達したときのことは……正直考えたくはない。帝国軍の様子をみた限りではおそらく生きたまま捕らえるつもりのようなので、このまま死ぬことは無いと思うが。
「残念だけどこれでお別れだね、ジルにぃ。今までお世話になったよ。もう何をやっても無駄だからこのまま大人しく魔法が回るのを待っていた方がいいと思うよ。」
「くっ、このッ!!」
そうダインに言われても俺はもがくのをやめなかった。あの時何があってもあきらめることだけはやめようと自分に誓ったのだ。
すでに視界は歪み、意識は朦朧としてきていたが俺は最後まで体を動かし、何とか逃げようとするのをやめなかった。
しかしすでに体はピクリとも動かず、それでもあきらめない俺を馬鹿を見るような目でみるダイの姿を最後に俺の意識は闇へと飲まれていった。
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アリヤが死んだと聞かされたとき、俺は特に動揺しなかった。
あの女とは会えば世間話の一つでもするような仲だったが、逆に言えばその程度だったし俺たちみたいな孤児がそこら辺で野たれ死ぬのもそれほど珍しい話じゃない。
病気に飢餓、暴力と死に繋がるものは掃いて捨てるほどある。だからアリヤに限らず誰が死んだと聞かされてもあまり反応は変わらなかっただろう。
その上彼女に関しては以前から体の不調を訴えているという話も聞いていた。だからその話を聞いたとき俺はせいぜい「そうか、それは可哀想に」としか思わなかったし、数日も経てばすっかりそんな話も忘れて、その日その日を生きるのに必死になるような、つまりは今までと変わらない日常に戻っていた。
だから俺が『あきらめる』ということを極端に嫌うようになったのは、アリヤが関係してないとは言えないが直接的な原因というわけではない。問題はその後だった。
アリヤの存在が俺を含め、周囲の人間から風化してしまう程度には日が経ったある日のこと。
俺はアリヤの知り合いだったという男からこんな話を聞いた。
そいつとはたまたま仕事のときに関わっただけで、そいつとアリヤの関係は結局知らないままだったが、アリヤは裏路地の小汚い娼館の娼婦として生計を立てていたからそいつも客の一人だったんだろう。
で、そいつが言うにはアリヤの死んだ病気というのは本来なら死ぬようなものじゃなくて、一般的な家庭のおよそ一日分の食費代で買えるような薬で治るような代物だったらしい。
その男は何で助けてあげなかったのかと散々自分を責め、涙を流していたが、俺にとってもその話は十分に衝撃的だった。
いや、仮にそのことをアリヤが死ぬ前に知っていたとして俺が彼女を助けていたかどうかは分からない。一般家庭の一日分とはいえ俺らのような生き方をしている人間にとっては大金といっても差し支えの無い額だ。
それほどの金を時々世間話をする程度の相手のために使うのかというと、まあ正直なところ怪しいと言わざるを得ない。
確かに俺はそれ以前にダインを助けはしたが、それはあくまで生活するために行商人の馬車に盗みに入ったついでに奴隷として捕まっていたあいつを助けただけだったし、もし俺が逃げるスピードに着いてこれないようであれば囮にするつもりだった。
つまり俺にとっては何もリスクはなかった訳で、明確に俺にとってデメリットのほうが大きいアリヤの場合とはまったく異なる状況だった。だからアリヤを助けずに見捨てる形となったことを悔やんでいる訳でもない。
孤児にとっては死なんて非常に身近なものであるし、こんなことで一々落ち込んでいてはまともに生きていけないだろう。どこかで折り合いをつけなければならないことだ。
だが死んでしまった本人は別だろう。ここが俺にとって引っかかっている部分だった。アリヤの境遇は辛いものだったが、アリヤ自身は明るい性格で死を望むようなタイプではなかった。
それなのに病気に罹った時点で生きるのをあきらめてしまったのだ。体を売っていたアリヤは身寄りの無い者としては比較的生活が安定している方で、薬の代金ぐらいは捻出できただろうに、『病気に罹ったら死ぬしかない』という孤児の共通認識に囚われて何の抵抗をすることも無く死んでいった。
そ のことに一種の恐ろしさを感じずにはいられなかった。もし俺が同じような状態で、本当はまだ生きていられたのにあきらめてしまって死んでいったとしたら。 そう考えると文字通り死んでも死にきれないだろう。
だから俺は諦めることだけはしないとその日心に誓ったのだ。切り捨てるのはいい、それが自分のためだというのならそれもまた必要なことだろう。『取捨選択する』という決意がいる場面だって人生には無数に有るのだから。
だが、自分にとって本当に大切なものだけは何があっても絶対に諦めない。アリヤにとって自分の命がそうするに値しないものだったか?否だろう。
それでも諦めてしまった。その結果があの無残な死に繋がっているというのなら俺は何があっても俺の命は諦めない。例え何を犠牲にしたとしても生き延びてやろう。自分の死に際に歩いてきた道を振り返ったときに、何故あの時諦めてしまったのかという後悔だけはしないように。だからこそこんなところであきらめるわけにはいかない。例え弟のような存在に裏切られ、体を動かすことも出来ず、意識さえも失ったとしても「生きる」ということをあきらめないのは当の昔に自分に誓ったことなのだから。
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ガタゴトと体揺れる感覚に俺は目を覚ました。薄暗く狭い空間の中には俺以外にも二人の人の気配がある。気を失う前の記憶を徐々に取り戻した俺は、慌てて自分の現状を確かめた。
両手両足には鉄製の枷が嵌められてる。視界は潰されてはいなかったが、体そのものがほとんど動かせない状態で床に転がされているため見えるのは木製の壁ばかりだった。
その木製の壁が見える程度には明るいので時刻は昼ごろだろうか。俺が目を覚ますきっかけとなった揺れは今も不規則に続いている。外から聞こえる蹄の音からして、馬車に乗せられていると考えて間違いないだろう。
さらに耳を澄ませて外の音を聞こうとするが蹄の音と馬車の車輪が軋む音以外の音は、人々の喧騒などは聞こえてこない。
これは少々まずい事態と言えた。なぜなら、気絶してからたった今起きるまでの時間がわからないため確かなことは言えないが、もし普通に軍の牢屋に連れて行かれるのなら、この町の牢屋は割かし町中にあるので牢屋のある区画までは人の声が絶えず聞こえていなければおかしいわけで、ましてや昼間に人の声が一切聞こえないというのはあまりにも異常な事態である。
となるとおそらくは郊外の人気のないところか昼間でも人通りの少ない、裏通りや貴族の住宅街あたりいるのだろう。
ただ、いずれにせよ本来軍が連れて行く以外の場所に向かっているわけで、必然的に何者かが軍に命令して俺を捕まえさせたことになる。そいつが何を考えているのかは知らないが、一定の権力を持つものに目を付けられるというのはかなり厄介な事態だ。
少なくとも敵の本拠地に連れて行かれる前に脱出しなければならない。そう思って手足に嵌められた枷を確かめる。鋼鉄でできたそれは分厚く頑丈なつくりをしており、とてもじゃないが素手でどうにかできるような代物ではなかった。
鍵穴を確かめてみようとしたがどこにもそれらしいものはなく、かわりに何やら複雑な文様が側面に刻まれているだけだった。
おそらく魔法によって管理されているタイプのものなのだろう、そういうものがあると話には聞いていたが実物を見るのは初めてだった。
どのようにして開けるのか見当もつかないが、少なくとも鍵穴がない以上こじ開けることは不可能だろう。足のほうにも同じものがつけられているので、ここから逃げ出すのも難しい。
「ん?おお、ようやく目を覚ましたみたいだぜ」
枷を確認しているときのかちゃかちゃという音に気づいたのか、馬車に乗っていた兵士が二人ともこっちのほうを向いた。
これで気づかれなよう逃げることもできなくなった。少しずつ逃げるための方法がなくなっていくことに内心焦りを覚えながらも、俺は兵士の様子をうかがった。
その兵士たちはどちらとも人間で、兵士らしいがっちりとした体形をしていた。赤い意匠の施されたフルプレートアーマーと、腰に差している同じく赤の装飾の剣は帝国軍の上級騎士の特徴だった。
屈強な者が揃う帝国軍の中でも特に精鋭とされる騎士二人から逃げるのはかなり大変だろう。
その上、騎士の背後に見えるのは馬車の馬を操る獣人兵の姿だ。毛むくじゃらの体に所々羽毛や鱗に覆われた部分が混じっている獣人兵は、その恐ろしい外見の通りに高い身体能力と鋭敏な五感を持っている。
これほど近くから逃げ切るのは不可能に近いだろう。自身の体が一部腐敗しているため鼻は利きにくいらしいがこの状況ではあまり意味がないだろう。仮に手枷と足枷を何とかして馬車から逃げ出したとしても、その時点で追いかけてくるであろう獣人兵から逃げ切るのは身体能力の差から不可能に近い。
「やめとけやめとけ。ここから逃げ出すなんて無理だぜ。」
俺の視線から考えていることを予測したのか騎士の一人がそんなことを言ってきた。俺は馬車の外へと向かっていた意識を目の前の二人に戻した。まずはこの二人を何とかしないとそもそも馬車から脱出した後の未来も存在しない。
「……いったいどこに向かっているんだ?」
とりあえずは情報を集めることにする。わざわざ捕まえたということは少なくともこの場では殺されることはないだろう。馬車が着いた場所でまでそうとは限らないが。
「悪いが教えることは出来ねぇな。まあ、じきに着くだろうからそれまで大人しくしてな。」
案の定というか、答える気は無いようだった。しかし、騎士たちも俺みたいな孤児の見張りでは退屈なのか、問答無用でしゃべるのをやめさせるつもりもないようだ。今のうちにいろいろと聞いておくか。
「ダインはあれからどうなったんだ?」
裏切られておいて心配するのも変な話だが、最初に思い浮かんだのはダインのことだった。
なんだかんだ言ってそこそこ長い付き合いだったし、万が一にも孤児としての生活から抜け出せたのならそれは喜ぶべきことだろう、俺自身の裏切られた恨みは別として。
「ダイン?ああ、あの協力者の子供のことか?とっくに殺しちまったよ。」
「裏切られたくせにそいつの心配なんて、仲間思いなやつだなぁ。ひっひっひ。」
薄々勘付いていたとはいえ動揺を隠せない俺を二人の騎士は嘲笑っていた。この様子だとわざわざ俺が聞かなくてもしゃべるつもりでいたのかもしれない。
「あんな奴死んだところで気にするのはそれこそお前ぐらいだろうよ。」
「わざわざ報酬をくれてやるなんてもったいないことするかよってんだ。口封じもできて、害虫も一匹駆除できてまさしく一石二鳥ってやつだぜ。」
騎士たちの言うとおり、立場の低い俺らみたいなやつとの約束を正直に守るなんて何の得にもならない。そして、そのことをダインにしっかりと教えておかなかったのは俺の責任だ。普通に生活している人間にとっては俺らなんて実際ゴミや害虫と同列という認識だろう。
加えていうならダインに渡す予定だった報酬はこいつらで山分けしたか、もっと上のやつが着服しているに違いない。
あるいは本人も気づいていて、それでも淡い希望に縋ってしまう程に貧乏な生活に疲れていたのかもしれないが、そうにしたってそのことに気付けなかったのは俺の迂闊さのせいということになるだろう。
「……なんで俺なんかをわざわざ追いかけてたんだ?」
とはいえそのことにいつまでも拘っていてもしょうがないので、この状況において最も疑問に思っていることをぶつけてみる。
「まあ、それくらいは教えてやってもいいだろう。お前以前に魔法を使ったことがあるな?」
「…………。」
返ってきた答えに思わず口をつぐんでしまった。俺が帝国軍に追いかけられる心当たりとして唯一思い当たるものがそのことだった。確かに俺は以前に魔法を使い、そのことを他人に知られたことがある。
それこそダインに初めて会った時のことだ。追いかけてくる商人の護衛に対して何とかしないとと思い、それでも逃げる術も思いつかず万事休すかとあきらめかけたとき、突然近くの木が燃え上がりそれに護衛たちが驚いている隙を突いてなんと何とか逃げることができた。ダインは何もしてないと言っていたし、その時は逃げ道を探して周囲に気を配っていたので俺らと護衛以外には人がいなかったのは確かだ。
そして俺はそのとき力がほんの少し抜けるような奇妙な感覚を味わったのを覚えている。ひょっとして魔法の才能でもあったのかと驚いたが、それ以降何をやっても再現はできなかった。
どうやらそのことが軍に漏れていたらしい。そうなると今回追いかけられるきっかけを作ったのもダインの垂れ込みだったのかもしれない。助けられておいてその恩人を売るなんて逞しいというか図々しいというか、流石に怒りが湧いてこないでもないが死者に対して感情を高ぶらせても無駄以外の何物でもないだろう。
「今の帝国は少しでも戦力が欲しいところだからな。特に単騎で大きな戦果を挙げることができる魔法使いは戦場において重要な存在だ。」
「索敵に広域殲滅と役目はいくらでもあるぞ。ふっ、活躍できれば身分も上がるかもな。」
目の前で騎士の一人が笑いを堪えているがそんなわけがない。一部の大魔法使いならともかく魔法使いのほとんどは使い潰されて精神が壊れるか戦場で死ぬかで、帰って来られる者はほとんどいないという噂だ。
国内で研究をしている魔法使いもいるらしいが俺の立場を考えればまず間違いなく最前線に送り込まれることになるだろう。現状は想像以上に危機的らしい。このまま目的地に着くまで待って何とか逃げ出す隙をうかがうか?いや、魔法使いを捕まえておく施設なんて警備が甘いはずがない。
物理的な壁ならともかく、魔法などで逃げられないようにされてはどうしようもない。そうなると何とか馬車から逃げ出すしかないわけだが……。
「おっと、魔法を使って逃げようとしても無駄だぜ。その手枷には魔法の使用を封じる特殊なルーンが掘り込まれているらしいからな。」
「…………わかってるよ。」
一応は素直に従う様子を見せておく。しかしそうか、魔法を使えないのでは逃げるられる可能性がまた一つ潰れてしまったことになる。もっとも俺は最初に使ったとき以外で魔法を使ったことは―――――― いや、魔法を『使えたこと』は一度もない。
自分でもあの時どうやって魔法を使ったのかよくわかっていないのだ。あの日以来何とか魔法を発動させようとあれやこれやとやってみたが未だに使える気配はない。しかしあの時も極限状態だったし、今回も都合よく使えて脱出できるかも……なんて淡い期待を抱いていたがどうやらそれもなさそうだった。
「まあ、もうすぐ着くからそれまで大人しくしていろよ。」
俺に興味を失ったのか、騎士たちは二人で話し始めた。耳を澄ませてみたが話の内容は今の戦争のことなどのいわゆる世間話で、特に情報は得られそうになかった。ならば自分で脱出する手段を考えなければならないだろう。
正直なところ状況は絶望的だが、そもそも今での人生で絶望的でない時なんてほとんどなかった。いつも飢餓と暴力に打ちのめされながらも何とか生きてきたんだ。
こんなところであきらめるわけにはいかないだろう。何かしら逃げ道があるかもしれないが、あきらめてしまったらあの時のアリヤみたいにその逃げ道に気づかないまま死んでいくことになる。
俺は周囲の状況、そして今俺が手にしている情報のすべてを頭の中に並べもう一度逃げ道を模索し始めた。生きることをあきらめないために。
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「お、もうすぐ着くみたいだな。」
その声に慌てて顔を上げた。目の前の馬車の横壁から差し込んでくる光は先ほどよりも幾分か弱くなっている。思ったよりも時間が経っていたようだ。
抜け出す方法を考えるも有効な方法は思いつかず、力ずくで手枷をはずそうとして騎士たちに気づかれ殴られたこともついさっきのように感じられるが、実際はかなりの時間が経っているのだろう。
その間考え続けて出た結論はこの状態から逃げ出せる方法はありはしない、ということだった。
だからといってあきらめたわけではない。どこにつれていかれるのかは知らないが、この馬車の到着する場所で逃げればいいだろう。
監禁される可能性もあるが、戦争に駆り出されるというのなら少なくとも食事くらいは取らせてくれるだろうし、魔法の訓練もしなけりゃいけないはずだ。そうした行動の隙に逃げることもできるだろう。
ならば今はとにかく警戒されないように大人しくしたがっている振りをするのが得策だ。
「ふーっ、やっとこの任務も終わりか。」
「正直退屈だったよなぁ。わざわざ騎士の俺たちが出張ってくるほどのことでもないだろうし。」
確かにその点は俺も気になっているところだった。帝国騎士といえば貴族の次男三男や代々騎士の家系の男によって構成されるもので、一般的な兵士とは少々立場が異なる。
庶民の目から見ると軍人の癖に身分を笠に着て戦争に行くこともなく威張り散らしているだけの存在に見える。
実際戦争に行っても本隊でのうのうとしているだけで、前線で戦っているのは一般の兵士のみという噂だ。(ややこしいことに帝国軍においては騎馬兵=騎士ではない。騎馬隊の多くは一般兵によって構成されたものだ。)
つまるところ騎士という身分は兵士というよりも貴族に近いものであって、そんな者達が魔法が使えるとはいっても孤児の輸送なんてやってるのもおかしな話である。
よって俺を連れてくるように命じたのはかなり地位の高い者でなおかつ帝国騎士団と繋がりのある者、ということになる。
もっとも俺は貴族の名前なんてほとんど知らないし、王宮内の権力構造なんてさっぱりなのでそこから黒幕を探るのは無理だろう。がたがたと車輪の音を響かせて進んでいた馬車が徐々に速度を落とし始めるのを感じた。
もうすぐ目的地というのはどうやら本当だったようだ。やがて甲高い音を立てて馬車は停止した。と、同時に騎士たちは立ち上がってこちらに近づいてきた。
「さてと、今から降りるんで足枷ははずすが、余計なことはするなよ。」
そう念押しして、見たことのない文様の描かれた金属製の指輪を足枷に押し付けると、かしゃんと音を立てて俺を縛っていた枷の一つが外れた。だが依然として手は封じられたままだし、騎士たちは手で軽く剣の柄に触れていつでも抜剣出来るように構えている。
「ほら、降りるぞ。立てよ。」
騎士の一人に促されて俺は立ち上がった。今まで長時間動かせなかったせいで若干こわばった足を軽く動かして、いざというときにすぐに動けるようにしておく。 そんな俺の後ろと前に騎士たちは位置取って、馬車の出口へと向かった。幌を左右に開いて外に出る。久々に見た日の光は暮れかけていて、夕方と夜の境目といったところか。
俺が気を失ってから馬車に乗せられるまでにどれほどの時間があったかはわからないが、おそらく首都からかなり離れたところに来ているのだろう。その証拠に正面以外は見渡す限り一面森で、目の前の建物と、馬車の通ってきたやや荒れた道らしきものだけが数少ない人工物のようだった。
周囲の森は木々が深く生い茂って暗く、人の手が加わっているようにはまったく見えない。木材として使われているような森ではないのは確かだろう。
辺りを確認し終えた俺は、改めて目の前にある建物を眺めた。まず目に付くのは巨大な鉄製の門。かなりの頑丈さを持つであろうそれは城の城壁についている物と同じような物々しさを感じさせる。外敵の侵入、そして内部からの脱出を防ぐためだろうが、並みの要塞に匹敵する頑丈さを持つであろう事が人目でうかがえる。少なくとも正面から突破することは不可能といっていいだろう。
そしてその門からぐるりと周囲を取り囲んでいるのはあろうことか分厚い鉄の塀だった。普通塀といったら切り出した石を積んで作られるものであって、間違っても金属で作られるものじゃない。その上高さは俺の身長の四倍近くはあるだろう。 さらに驚くべきはその塀に一切の継ぎ目がないことだった。足をかけられるような出っ張りが存在しない滑らかな壁面は確かに進入を困難にしているだろう。そもそもこんな巨大な金属を加工するような技術は今のところないはずだから、おそらくなんらかの魔術によって築きあげられたものであるはずだ。
それが前線に築き上げられているのならともかく、こんな森の中にひっそりと立てられているのはなんとも不思議な光景だった。塀の頂点を見ていた俺は視界を下へと向けた。門の両脇に立っておそらく警備をしていたであろう兵士が八人、そのうち四人がこちらへと走ってきていた。
腰には帝国軍の正式装備である直剣を下げ、腕章は全員帝国軍のもの。ただ、俺のすぐ近くにいる騎士たちとは服装の細かな部分が異なっているため騎士ではないようだ。その四人は俺と騎士たちのいるところへ来ると騎士たちに向かって敬礼をした。
「任務ご苦労であります!!これから先は私たちが引き受けますので……」
「あぁ、了解了解。どうせ俺らは中には入れてくれないんだし、後は任せて俺らはさっさと帰るよ。」
そう言って馬車へと戻る騎士たちと、その姿を敬礼で見送る兵士たち。ふと今の会話に少々の違和感を俺は感じた。特権階級の騎士が入ることが許されないような場所を一般の兵士たちが守っている。いったい何の施設なのか謎は深まるばかりだが、この後いやでも知ることになるのだろう。
両手を封じられた状態で俺の周りを取り囲んでいる兵士四人から逃げ切ることは不可能だから、逃げるにしても目の前の鉄の牢獄に入れられた後にならざるを得ないからだ。四人の兵士たちに促されて俺は門の前まで歩いてきた。兵士たちはお互いに敬礼を交わしたあと、なにやら二言三言言葉を交わして門を開け始めた。俺は覚悟を決めて一歩一歩そこへと近づいていく。
これから先、たとえどんな困難が待っていても命がある限り希望を捨てることだけはしない。その意志をもう一度強く心に刻み込みながら。