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赤鬼と青い花  作者: たま
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後篇

 娘は赤鬼の怪我がなおってからも、毎朝、赤鬼のもとに通っておりました。

 赤鬼の言う言葉はわかりません。

 娘も言葉は伝えられません。

 けれども娘は幸せでした。

 はじめは大きな身体や見慣れない顔立ちは少し怖くもありましたが、赤鬼は村人の噂するような乱暴なことなど少しもしませんでした。

 赤鬼はいつも静かに海を見ておりました。それはまるで何かを待っているかのような、さびしくも哀しい姿でした。

 しかし娘がやって来ると、小さくではありますが嬉しそうに笑ってくれました。


 赤鬼の住む洞窟にはいくつかの不思議なものがありました。

 きらきらと光る綺麗な石。不可思議な紋様の描かれた板。

 それらはもしかしたら鬼が人から奪ってきたという財宝だったのかもしれません。

 そうして赤鬼は岩壁に何かを刻み付けておりました。それは娘が訪れるたびに増えておりましたので、どうやら毎日、赤鬼はそれを刻んでいたようでした。


 娘が来ると、赤鬼は自分が座っていた場所をほんの少しだけ開けてくれました。

 そうして娘の座る場所を作ってくれます。

 だから娘は赤鬼の横に座って、朝の太陽で彩られていく綺麗な海を一緒に眺めておりました。

 とても静かで、優しい時間でした。


 村では相変わらずひどいことがあります。哀しいことを言われます。

 それでも娘は、明日の朝のことを思うと幸せな気持ちになれました。



 そんなある日のことでした。

 村長から、明日から村長の家に住み込みの奉公に来るように言われたのです。

 それは本来ならば喜ぶべきことでした。

 住み込みで働けるのなら、最低限の食べ物や衣類の心配はしなくてすむからです。

 父親を亡くした直後であったならどんなに嬉しかったことでしょう。

 けれども娘はそれを断りました。

 なぜなら住み込みで働いてしまえば、今までのようにこっそりと赤鬼に会いに行くことができなくなってしまうからです。

 今の娘にとっては、赤鬼との時間がなによりも大切だったのです。



 その日の夜、村長の息子が家にやってきました。

 村長の息子の顔は青い顔をしておりました。そうしてその端正な顔をゆがめて娘を詰りました。

 おそらくは父親である村長の優しさを踏み躙った娘のことが許せなかったのでしょう。

 娘は村長の息子が怒るのは当然のことだと思いました。

 娘は素直に頭を下げました。

 だから殴られても蹴られても、娘はずっと頭を下げ続けておりました。



 その日から三日間、娘は一歩も歩くことが出来ませんでした。

 殴られたところも蹴られたところもひどく疼いて、立ち上がることさえろくに出来ません。

 村長の息子のことは憎くはありませんでした。

 ただ赤鬼に会えないことだけを哀しく思いました。


 四日目にはなんとか歩けるようになりました。

 明日は赤鬼さんに会いにいけるかもしれない。そう思うと泣きたくなるほど嬉しくなりました。

 その夜更けのことでした。

 扉を叩く音に娘は目を開けました。

 そうして扉を開けると、そこには村長の息子が立っておりました。

 考え直したか。村長の息子はそう言いました。

 娘は首を振りました。そうして頭を下げます。

 それだけはどうしても譲れないことだったのです。

 すると村長の息子が声をあげて笑いはじめました。

 驚く娘の前で、村長の息子はその顔を笑みの形に歪めました。

 そのときに見た村長の息子の笑顔は、いつかの犬を殺した時のものに非常によく似ておりました。

 娘は咄嗟に逃げ出しました。夜の山の中に向かい、山道を走ります。

 しかしすぐに追いつかれ、地面に引き倒されました。

 身体の上に覆いかぶさる影を見ながら、娘は「殺される」と思いました。

 涙が溢れます。しかしそれは恐怖ではなく、死んでしまえば二度と赤鬼に会えなくなるという悲しみによるものでした。


 身体の上に乗られ、首に手を回されました。

 殺してやる、村長の息子が叫ぶのが聞こえました。


 ……らないなら、殺してやる。


 首にかけられた手の力が強くなり、息が出来なくなりました。

 苦しくて苦しくてたまりません。

 ああ、このまま死ぬんだ。

 そう悟った瞬間に脳裏に浮かんだのは、やはり赤鬼の姿でした。

 私が死んだら赤鬼さんはまたひとりぼっちになってしまう。

 ひとりきりで、「なにか」を待ち続けることになってしまう。

 そう思うとかわいそうでなりませんでした。


 とても優しい赤鬼さん。

 大好きな大好きな赤鬼さん。

 どうか、どうか泣かないでくれたらいいのだけれど……。



 そう思った瞬間、短い叫び声とともに自分の上にあった重みがなくなりました。

 急に息が出来るようになって娘は咳き込みます。

 涙に滲む目をあげると、そこには倒れて悲鳴をあげている村長の息子と、何故か赤鬼が立っておりました。

 月の光の下、赤く塗れた棍棒を持っておりました。

 村長の息子は赤く染まっている頭を抑えたまま娘を見据えます。

 そうして鬼よりも鬼のような形相となって叫びました。


 お前は、お前はこんな奴と通じてやがったのか……!

 殺してやる。

 お前を俺が殺してやる……!


 その言葉を聞いた赤鬼は、黙ったままその頭に向かって棍棒を振り下ろしました。



 血に塗れた棍棒を持ったまま、赤鬼はひどく悲しそうな瞳をしておりました。

 娘は赤鬼が自分を助けてくれたことを悟りました。

 助ける為に、赤鬼が一番嫌っている暴力を振るってしまったことも悟りました。

 赤鬼は俯きます。それはひどく、叱られた子犬の仕草に似ておりました。

 娘は立ち上がろうとしましたが立てませんでした。

 見ると足が滑稽なくらいに腫れ上がっております。どうやら転んだ拍子に捻ってしまったようでした。

 娘のようすに気づいた鬼は、ゆっくりと娘の方に歩いてきました。

 娘は首を振りました。逃げて、と身振りで示します。

 赤鬼は本当なら人に暴力なんてふるいません。とてもとても、いい赤鬼なのです。

 けれども娘を守るために、村人を殺してしまった。

 その事実だけは消せません。

 きっと村人は赤鬼を殺すでしょう。それだけはどうしても嫌でした。

 逃げて、と示す娘を見下ろして、赤鬼は哀しげに微笑みました。

 そうして呆然とする娘の前に膝をつきます。

 赤鬼はまっすぐに娘を見て、その青い瞳を優しく細めました。

 そうして手のひらに綺1本の花をそっと握らせました。

 それはいつかくれた、鬼の瞳と同じ色の綺麗な青い花でした。


 娘は涙を零しました。何故だかはわかりません。

 だけれどわかってしまったのです。これが最後なのだと。

 赤鬼はここで、死ぬつもりなのだと。


 涙を零す娘の瞳を見ながら赤鬼は何か囁きました。

 そうして立ち上がり血まみれの棍棒を手にします。

 だけども娘は知っています。赤鬼はもう棍棒を振るうことはありません。

 ただそうしていれば村人の感情を煽ることをわかっていたからこそ、棍棒を手にしたのです。

 赤鬼は娘の方を見てもう一度微笑み、やがてゆっくりと村に向かって歩き始めました。

 さきほどの声をききつけたのでしょう。村では騒ぎが起こっています。

 ここに人が来るのも時間の問題でした。

 娘は鬼のあとを追おうとしました。しかし捻った足は倍ほどにも腫れ上がり、娘の体重を支える役には立ちませんでした。


 死なないで。


 そう叫びたいのに言葉は声になりません。

 娘は立ち上がろうとし、そうして何度も何度も転びました。

 赤鬼の姿が水の膜を通してにじみ、そうして村のほうへと消えていきました。



 やがて村のほうから悲鳴が聞こえてきました。

 悲鳴と怒号。


 そしてすぐに、それは歓声へと変わりました。




 娘と村長の息子は、赤鬼による最初で最後の被害者ということにされました。

 娘は違うと首を振りながら泣きましたが、それは村人の目には村長の息子を失った娘が悲しんでいるようにうつりました。

 赤鬼の死骸は切り刻まれ、疎まれながら海へと捨てられました。




 やがて秋がやってきたときには、集落のすみのあばらやから娘の姿は消え失せておりました。

 村人達は娘が恋人を失い、悲しみのあまり身投げしたのだろうと噂しました。

 青い花をたくさんかかえた娘がひとり、岩場へ去っていくのを見たものがいたからです。




 今でもそのあばらやの周囲には不思議な色の花がたくさん咲き誇っております。



 それはまるで、目に染み入るように美しい、青い、青い色の花でした。



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