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赤鬼と青い花  作者: たま
1/3

前篇

 その集落は海の近くにありました。

 冬になると北の方から氷が流れてくる冷たい海です。

 しかし暖かい間の海は北からも南からもたくさんの魚を運んでくれ、そこに住む人々に豊かな恵みを与えておりました。


 そんな村の外れのあばらやで、その娘は一人きりで住んでおりました。

 娘の母親は娘を産んだときに亡くなり、父親は二昨年前に海で亡くなりました。

 海の神は恵みをもたらしてくれる半面、恐ろしい顔ももっているのです。

 ある時期になると激しく神は怒り狂い、海に出ている船をばらばらにしてしまいます。

 時には遥か彼方にある神の国の船までばらばらにされるという言い伝えもありました。

 それは事実なのかもしれません。

 海辺には時折、異形の船の残骸が流れ着くこともあったのですから。


 父親を亡くしたときの娘は齢十二の幼い子供でした。

 しかし哀れな子供をを引き取って育てようとするものはおりませんでした。

 なぜなら娘は生来口の利けない子供だったからです。

 その集落では文字というものが存在しませんでしたから、娘との意志の疎通は非常に困難で厄介なものでした。

 父親はわかってくれていましたが、村人は口の利けない娘を白痴であるとさえ思っておりました。

 意思が伝わらないということはその村にとって、それだけ差別を受けることだったのです。


 だから娘はひとりで暮らしておりました。

 父親は長に借りをしていたらしく、住んでいた家は長にとられてしまいました。

 しかし集落の外れの家を恵んでもらえたので、娘はとても感謝しておりました。

 たとえそれがぼろぼろに朽ち果てたあばらやであっても、住む所があることと無いことでは大きく違います。

 娘はそこで衣を作って生計をたてることにしました。

 娘は口こそ利けませんでしたが、その実、手先はとても器用で利発な子供だったのです。

 糸を紡ぎ、はたを織ります。そうして衣に仕立て上げるのです。

 村人の半分は娘に対してあまり良い感情はもっておりませんでしたが、半分の人間は哀れんでくれておりました。

 だから衣を作り、そんな人のもとへ持っていっては食べ物と交換してもらいました。

 そうして毎日毎日、朝日の昇る前から夜遅くまで働いて、娘はなんとか暮らしておりました。



 十四になったある日のことでした。


 冬になればこの土地は雪と氷に閉ざされます。食べ物もほとんど採れなくなります。だから人々は秋の間に食べ物を蓄えておかねばならなかったのです。

 そこで娘は村へ衣を持っていったのですが、村長の息子に妨害されて食べ物と交換してもらえませんでした。

 村長の息子は娘のことをうんと嫌っているようでした。

 一言も口を利かない娘が気持ち悪かったのかもしれません。何も分からないと思っていたのかもしれません。

 だから子供の頃から、娘は心がずたずたになるような言葉を吐き捨てられたり、髪をひっぱられたりしておりました。村長の息子は子供達の間では人気者でしたから、他の子供も真似をして娘を馬鹿にしておりました。

 年々ひどくなってくるそれに、娘は頭を下げてじっと耐えておりました。

 何もいえないのはもちろんのこと、痛いや哀しいなどの表情を見せれば余計にひどいめにあうことは子供の頃からの経験で学んでいたので、ただひたすら耐えておりました。

突き飛ばされて転がされて、それでも頭を下げてじっとしていると子供達はそのうちに飽きて去っていきます。

 娘はそっと息を吐きました。倒れた時に打ったのでしょう。

 右腕がひどく痛みましたけれど、それでも立ちあがります。着物もどろどろに汚れておりました。

 こんな汚い格好では嫌がられて食べ物と交換はしてもらえないでしょう。

 そう思った娘は衣を持ち帰り、人気の無い海岸に行くことにしました。

 そこで海草や貝をとることにしたのです。


 しかしやってきた海岸は、すでに人の手が入った後のようでした。

 海草も貝も、ほとんど残っておりません。

 娘は仕方なく、人食い鬼の出るという噂のある岩場の近くまでいってみることにしました。

 村人がいうには、何十年か前に鬼の群れが集落をおそってきたことがあったそうです。

 鬼は恐ろしい赤ら顔で背が高く、凶暴な唸り声をあげるそうです。言葉は通じず、手にした棍棒をひとふりすると大の男が3人がかりでもかなわないほどの怪力でもあるとのことでした。

 そのときは村の英雄が鬼の討伐に成功したそうですが、その生き残りがまだどこかにいるのではないかと言われておりました。時折、赤鬼を見たという者があらわれていたからです。



 娘は山をふたつ越え、そろそろと岩場の近くの海岸に行ってみました。

 するとそこにはたくさんの貝や海草があったのです。

 娘は喜びました。これでなんとか冬を越せる、そう思いました。

 娘はしばらく夢中で食べ物を採っておりましたが、ふいに背後で地を震わすような唸り声が聞こえてきました。

 赤鬼だ、と娘は思い身を竦ませました。

 恐ろしさのあまりしばらく震えながら屈みこんでおりましたが、その唸り声はやみません。

 しかし赤鬼が襲ってくるわけでもなく、ましてや気配すらしませんでした。

 娘は顔をあげました。瞬きをしながら耳をすませます。それはまるで苦悶の声のようにも、助けを求める声のようにも聞こえました。

 娘はしばらく悩んだ末、そろそろとその音を探して歩き始めました。


 しばらく歩くと、海岸は終わっておりました。

 あとは荒波に削られたとげとげしい岩場が天をつらぬかんばかりに広がっています。

 娘は耳を澄ませながら、その岩場を登り始めました。

 いくつか人を寄せ付けないであろう岩山をのぼったところで突然唸り声が大きくなりました。

 娘は屈みこみ、そっと首を覗かせました。

 そこには小さな洞窟がぽっかりと口を開けておりました。


 唸り声が響きます。それは洞窟の中から聞こえてくるようでしたが、外の方が音が大きく、おそろしく聞こえました。音が風によって大きくなるのかもしれません。

 娘は洞窟の中を伺いました。

 やはり声は聞こえます。それは人の声に聞こえました。悲しみや苦しみのあまり、泣いている人のような声にも聞こえました。

 娘はその声があまりにもかわいそうになりました。だから思わず洞窟の中に足を踏み入れてしまいました。

 口の利けない娘は声をかけることが出来ません。しかし歩き出そうとした瞬間に何かが足に絡まり、がらがらとした音を立てました。


 突然、洞窟の奥に凝っていた闇がびくりと身動きをしました。しかし動いたのはその一瞬だけで、あとはこそとも動きません。しかしその闇が、息を殺してこちらを伺っている気配だけはしんしんと伝わってきました。

 娘も身動きがとれませんでした。だからしばらくのあいだ、ふたつの影はお互いをじっと伺っておりました。

 動き出したのは娘の方が先でした。明るいところから暗いところにはいったために曇っていた瞳が慣れてきたのです。だから瞬きをひとつしました。

 そうしてそれば、洞窟の奥で蹲っているものの正体をもうつしだしました。


 それは鬼のようにみえました。村人が噂したように赤みがかった肌をしており、恐ろしい顔をしておりました。そしてがっしりとした大きな身体をしているようでした。

 予測しか出来ないのは、鬼が地面に伏せているからでした。四肢を丸めるようにして蹲り、顔だけをこちらに向けて、じっと睨みつけておりました。

 それはまるで、いつか村で見た手負いの犬のようすによく似ておりました。

 そうして娘は気づきました。

 鬼は本当に、全身にひどい大怪我をしておりました。




 赤鬼は人が怒っているような顔をしておりました。村人がいうように身が竦むような恐ろしい顔をしております。

 身体は大きく、その腕は娘の胴体ほどもありそうでした。

 赤い髪はまるで血のような色をしており、そのうえ天に向かって乱れ放題でした。きっとその中に恐ろしい角があるのだろうと娘は思いました。

 しかし何故でしょうか、娘はあまり怖くはありませんでした。

 だから駆け寄り膝をつきました。

 手を伸ばしてその身体に触れると、赤鬼はびくりと震えました。

 そのようすはやはり、あのときの犬の様子によく似ておりました。


 傷ついた犬は手を伸ばす娘に向かって歯をむき出して唸り声を上げましたが、娘が辛抱強くなんとかしようとしているうちに、次第に甘えた仕草をみせるようになってくれました。

 しかし傷が治りきる前に、再び大怪我をしてそのまま死んでしまいました。

 犬を抱いて泣く娘を見下ろしながら唾を吐いたのは村長の息子でした。

 娘は村長の息子が犬に怪我をさせたことを知っていました。そうして、それはたぶん自分が犬と一緒に居ると楽しそうにしていたからだということもわかっておりました。

 村長の息子は自分のことが本当に嫌いで、憎んでさえいるようでした。

 おそらく犬が死んだのは自分のせいなのだ。

 娘はそう思っておりました。そうして悔いておりました。

 だからこそ今度こそは助けてあげたい。

 目の前の赤鬼を見ながら、そう強く思いました。


 手をかけた娘の手を、赤鬼はまるで恐ろしいものでもみたかのようにみつめておりました。しかしすぐにその手を振り払いました。そうして唸り声を上げます。

 それはもしかして怒号だったのかもしれません。

 しかし娘には鬼の言葉はわからなかったので、鬼が落ち着くのを辛抱強く待つことにしました。


 傍らにじっと座っていると、やがて鬼は静かになりました。しかし苦しそうな息はおさまりません。

 娘はそっと鬼に触れました。今度は鬼も抵抗しませんでした。

傷をあらためます。鬼は血まみれになっておりました。傷跡からして崖のようなところから落ちたのだろうと娘は思いました。

 娘は外に出ていき薬草を摘んでくると、それを持ってきていた竹筒にある水と共に鬼に飲ませました。

 そうして傷を洗い、薬草を貼り付けた布を巻きつけます。この洞窟には布がなかったので、自分の着ていたものを細く裂いてかわりにすることにしました。

 鬼は大人しくしておりました。しかしその瞳は常に娘を警戒しているようでした。

 娘に何かひどいことをするという気配は少しもみせませんでしたが、娘が動くたびにびくりと身体を震わせ、かすかですが逃げ出すような仕草を見せます。

 娘はそれを哀しく思いました。

 それは自分によく似ておりました。

 人が怖くて、いつもびくびくしている自分によく似ていたのです。

 そうして思いました。

 もしかしたらこの赤鬼さんも人に傷つけられて人が怖いのかもしれない。

 いつもびくびくと暮らしているのかもしれない。

 そう思うと、顔は怖いけれど、そのぎょろりとした青い瞳は哀しさを湛えているように見えました。



 娘は朝早く、仕事の前にやってきて赤鬼の看病をすることにしました。

 赤鬼のことを村人に相談しようとは思いませんでした。

 赤鬼のことを知った村の人たちは、おそらくは赤鬼を退治しようとするでしょう。

 娘は怪我をして哀しげな瞳の赤鬼を、そんな目にあわせたくはありませんでした。


 赤鬼は終始びくびくとしておりましたので、娘はその度に安心させるように笑って見せました。

 父親が亡くなってこの方、ほとんど笑ったことがありませんでしたので上手くわらえていたのかどうかはわかりません。

 それでもそうすると赤鬼はほんの少しばかり落ち着くようでしたので、できうるかぎり微笑んでおりました。



 三日目に赤鬼が娘に何かを言いました。唸り声のようでもありましたが言葉のようでもありました。だけれど村人の言葉とはまるで違うものでしたので、もしかしたら鬼の言葉なのかもしれません。

 それでも赤鬼が感謝をのべていることはなんとなく伝わってきました。

 だから娘は嬉しくて笑いました。

 このころには娘も、自然に笑えるようになっておりました。



 七日の朝、娘がやってくると赤鬼はすっかり動けるようになっておりました。

 それどころか娘に鹿肉を渡してきました。

 娘はびっくりしました。赤鬼さんが自分で捕まえてきたのでしょうか。

 その問いは身振りでなんとか伝わったようでした。赤鬼はこっくりと頷きました。

 そうしてさらに何かを娘に手渡しました。

 それは一輪の綺麗な青い花でした。娘が今までみたこともないような青い花です。

 娘は喜びました。

 言葉のかわりににっこりと微笑むと、赤鬼もぎこちなく笑ってくれました。

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