Apples and Oranges
昼休み、私は廊下をダッシュしていた。
すれ違う人達の好奇の眼差しも、今の私には関係無い。
一階から四階までの階段を一気に駆け上がり、目的の教室へ飛び込む。
「りっちゃん!」
勢いよくドアを開けて叫ぶと、パコーンと額に何かがクリーンヒットした。
頭をさすりながら自分の脇に落ちたものを見る。今日は三つ葉のクローバーのキーホルダーのようなものだった。
「その名前で呼ぶな!」
「照れなくてもいいよ、りっちゃん」
怖い顔をして私を睨んでいるのは黒崎律、あだ名はりっちゃん。
と言っても私だけしか呼んでないんだけど。
「というか湊ちゃん、頭から血出てるけど・・・大丈夫?」
「大丈夫、いつものこと!」
そしてりっちゃんといつも仲良くお昼ご飯を食べているのは、優しい佐藤くん。りっちゃんと同じ、野球部に所属している面白い子。
二人一緒にいる所に、私はいつも入って行く。
最初は嫌そうな顔をしていたりっちゃんだけど(照れてるだけ)、今では優しく迎え入れてくれる(呆れてるだけとも言う)。
私は佐藤くんの隣りの席に座り、戦利品をりっちゃんに見せる。
「これ、見て! 購買でやっと手に入れたんだー」
ずっと食べてみたかった手作りプリン。
毎月三回、一回につき15個しか販売されないこのプリンは、昼休み開始3分で完売する。
「今日はね、ちょうど四時間めの授業が体育だったから買えたんだ」
「へー、ラッキーだね」
私の話に佐藤くんはいつも耳を傾けてくれる。
でもりっちゃんは一人でもくもくとお弁当を食べている。まぁいつものことなので特になんとも思わない。
「いいでしょ、りっちゃん! 一口ならあげてもいいよ」
「いらない、そんな甘いもの」
「はー?みたらし団子好きなくせに何言ってるの、りっちゃん」
「いちいち名前を呼ぶな」
「だって名前呼ばなきゃ返事してくれないじゃん」
私は購買で他に買ってきたパンを机の上に出し、三人でお昼ご飯を食べる。
これもいつもの風景。
「相変わらず、たくさん食べるね」
「育ち盛りだから!」
佐藤くんの苦笑いに私は笑顔で答える。
クリームパンにミニドーナツ(5個入)、チョココロネとカップケーキ(8個入)は私にしてみれば普通の量だ。
「そんなに食べたら腹に肉がつくぞ」
「ぽっちゃりな子、好き?」
「お前がぽっちゃりになっても可愛くないな」
「じゃあ大丈夫、私胃下垂だから!」
りっちゃんはため息をついてまたご飯を食べ始めた。
こんな扱いをされてる私だけど、一応りっちゃんの彼女です。
「ほんと、不思議だよ・・・」
「なにが?」
「湊ちゃんがりっちゃんを好きなのが」
「その名前で呼ぶな、アホが」
「オレの時だけ『アホ』?」と少しだけ怒っている佐藤くんの横で、私はうーんと考える。
私がりっちゃんを好きなのは、なんでだろう?
じっとりっちゃんの顔を見つめる。
私がりっちゃんを好きになったのは確か・・・そうだ、中学生の頃だ。
ひょんなことから話をする機会があって、そうしているうちに仲良くなって。
野球をする姿を見て、好きになったんだ。でも、なんで好きになったのはわからない。
「ひょんな出来事って?」
佐藤くんの言葉に、りっちゃんは私の口を塞いだ。
「なんでもないよ」
「なんだよ、それ。なんか気になるじゃん」
「黙れ」
二人が言い合いをしている間に、りっちゃんの腕から逃れる。
そんな隠すことでもないのになぁと思いながら、買ってきたパックのジュースに口をつける。
やがて私が暇そうに窓の外を眺めているのに気付いたのか、佐藤くんが後ろからひょこっと顔を覗かせた。
振り返ると、りっちゃんが疲れたようにぐったりとしている。
「で、なんでりっちゃんと仲良くなったの?」
「あー、中学の時に話しかけてきたんだ、同じクラスだったから」
「え、なんて?」
「もしかして、『好きだった』とか?」と身を乗り出してくる。
「違うよ。私の方が成績良かったから、どんな勉強してるんだよって」
「・・・え?」
「なんか、負けたような気がするから教えて欲しいとか言って」
「・・・えぇ!?」
ぐわんっと佐藤くんがりっちゃんの顔を見る。
りっちゃんは「だから嫌だったんだよ」とそっぽを向いた。
「ど、どういうこと? 湊ちゃんて、りっちゃんより頭良かったの?」
「中学の時はね」
「ぼけっとしてるのに何でか学年10位以内をキープしてるみたいだったから、気になって話しかけただけだ」
「10位!?」
「ぼけっとなんてしてなかったよ!」
ちゃんと家でも勉強してたんだから、と言うと「わかってる」と返された。
その、いつもよりも少し優しげな声音に、私はまだまだドキドキしてしまう。
「そっか、湊ちゃんがね・・・バカな子って思ってたのに」
「ラッキーだよね!だからりっちゃんと仲良くなれたんだし」
「今はオレの方が上だよ」
「うん、りっちゃんよりも順位はひとつ下だよ」
「それでもりっちゃんと同じくらい?」
こんなふうに楽しく会話をしながら昼休みを過ごすのが、私達の日常。
どんなにりっちゃんが冷たくたって、私はこの瞬間がすごく楽しいからいいのだ。
友達にはよく、「黒崎くんて湊のこと、本当に好きなの?」って言われるけど、大丈夫。
りっちゃんはちゃんと、私のことが大好きだから!
これを言うと「自惚れんな」って返されるけど、嫌いだとは言わないから。
ふと、さっきの事を思い出す。
私がりっちゃんを好きな理由、か。本当に、なんでなのかなぁ。
昼休みも残り10分くらいになった時、同じクラスの唯理がやってきた。
彼女がここに来るのは珍しくない。暇になるとこうして私達の所に遊びに来る。
「湊、ちょっと来て」
「え?」
有無を言わせず、彼女は私の腕を引っ張って教室の外に出た。
りっちゃんと佐藤くんには一言断って、唯理の後を着いて行く。
教室を出てすぐに唯理は話を切り出した。
「これ、渡してくれってさ」
差し出されたのは折り畳まれたルーズリーフ。
私は唯理の顔を見ながらそれを受け取る。
「何?これ」
「開けてみれば?」
紙には短い文章が書かれていた。
放課後、オレ達の教室で待ってる。
春山
「春山くん・・・って、同じクラスの?」
唯理は「はぁ・・・やっぱりか」と息をついた。
私の耳に口を寄せて、小さな声で話す。
「それ、告白よ」
「え、うそ」
「当たり前でしょ。放課後に呼び出すっていうのは、そういうことなの」
「・・・でも・・・」
私は紙を握りしめ、すがるように唯理を見る。
ここだけの話、私は告白されたことがあまり無い。りっちゃんの時は自分から言った。
告白されたのなんか、小学生の時ぶりだった。
「わかってるわよ。アンタには黒崎くんがいるんだから、ちゃんと断りなさいよ」
「うん・・・」
「・・・あー、もうだから嫌な予感がしてたの!湊ってこういうの慣れてないと思ったし」
さすが小学生からの友達、私のことをよくわかっている。
でもこのまま無視する訳にもいかない。
ほんと、こういうのって苦手なんだけどなぁ・・・。
「とにかく、『ごめんなさい』とだけ言っておけばいいわ」
「今日は用事があるから私は一緒にいられないけど」と唯理は心底心配そうに言った。
私は力なく頷いた。
ほとんどの生徒が下校し、教室がしんと静まり返った頃。
私は足取り重く、自分のクラスへと向かった。
ドアの前に立ち、ひとつ深呼吸する。告白されたら、「ごめんなさい」とだけ言おう。
一人でうん、と頷いてドアを開けた。
夕日が差し込む教室には、既に春山くんが来ていた。彼は私を見て、心無しか頬を緩ませた。
私は入り口の所からあんまり動かずに、話しかけた。
「あの・・・何か用でもあった?」
できるだけ明るい声で聞くと、春山くんはゆっくりと近付いてきた。
目の前まで来て、真剣な表情になる。
「用っていうか・・・」
緊張している私を見て、「わかるだろ?」とまた笑った。
「オレ、お前のこと 好きなんだ。 だから・・・付き合って欲しい」
予想していたのに、返事も決めていたのに、言葉は喉の奥に突っかかったまま出てこない。
気まずい沈黙の後、春山くんの手が伸びてきてやっと言葉を発する。
「ご、ごめん!私、付き合ってる人いるから・・・」
そう言うと、春山くんはあからさまに表情をきつくした。
「知ってる、黒崎だろ?」
「う、うん。 だから・・・」
「でも、いつも冷たくあしらわれてるじゃん。 本当に付き合ってるの?黒崎が好きなの?」
まっすぐに見つめられ、私は一瞬答えることができなかった。
でも私は、好きだ。この気持ちに嘘は無い。
周りの人に何を言われたって、私はりっちゃんのことが好きだ。
「・・・好きだよ」
何とか答えると、春山くんの影が大きくなった。
次の瞬間には、抱きしめられていた。
何が起こっているのかわからずに放心する。そしてすぐに状況を理解し、その腕の中から逃れようと胸を押す。
しかし男の力は強く、私は抱きしめられたままだった。
「なんで?だってお前らって、全然違うよ。 絶対合わない」
「・・・」
「正反対だよ」
その言葉を聞いて、私ははっと気付いた。
私がりっちゃんを好きな理由。
春山くんがまた何かを言おうとした時、教室のドアが開く音がした。
私はドアに背を向けているので、誰が来たのかは見えない。
「———何してるんだよ」
その声を聞き、私は顔だけ振り向いた。
息を荒くして立っている、りっちゃんがいた。
「りっちゃん」
「何してるんだって、聞いてるんだけど」
「あ、これは・・・」
りっちゃんの元へ行こうとしたが、さらに強く抱きしめられた。
「・・・なんでお前がここに来るんだよ」
春山くんは普段の彼からは想像もできないような低い声で言った。
私は彼の腕の中で、どうしたらいいのかわからなかった。
「・・・不愉快だから。 離せよ」
りっちゃんは私の肩を引っ張ると、いとも簡単に春山くんから離してくれた。
ぐいっとりっちゃんの後ろの隠される。
廊下からパタパタという音が聞こえたかと思うと、佐藤くんが走ってきていた。
「ちょっと黒崎、勝手に出て行ったらオレがキャプテンに怒られるんだけど・・・って」
「もしかして修羅場?」と尋ねてくる佐藤くんに「そうかも」と小さく答える。
春山くんは佐藤くんを見て、悔しそうに顔を歪めた後、私を見た。
「今日は、もういい。 でも、オレは諦めないから」
りっちゃんを一瞥し、彼は教室から出て行った。
残された私達三人の沈黙を破ったのは、りっちゃんだった。
「———部活に戻る」
「え、この状況で?いいの?」
りっちゃんは私の脇をすり抜け、額の汗を拭いながら教室から出て行った。
その後を、私とりっちゃんを交互に見やりながら佐藤くんが着いて行く。
「りっちゃん!」
私の声に、りっちゃんは面倒くさそうに振り返る。
「私、わかった! りっちゃんを好きな理由」
「・・・」
さっき春山くんに言われてわかった。
「私って、りっちゃんと正反対なんだって!」
「・・・は?」
「だから私は、りっちゃんが好きなんだよ」
訝しげな顔をして、りっちゃんは私を見つめる。
あー、好きだなぁ、その感じ。お前は何言ってんだ、とか言いそうな顔をしてるけど、本当は照れてる時の表情。
長い付き合いだから、わかるんだよ。
「りっちゃんは性格、暗いから、私が明るくなってあげるし」
「なっ・・・」
「りっちゃんが素直になれないなら、私が素直になる!」
私はにこにこと笑いながら続ける。
「りっちゃんが、私のことを好きって言うのが恥ずかしいなら、私がたくさん『好き』って言ってあげるよ!」
本当は言葉で伝えて欲しいけど、私はちゃんとわかってるから。
自惚れなんかじゃないことくらい、わかってるんだよ。
だって私たちは、そういう関係なんだから。
「じゃ、部活がんばってね!」
りっちゃんに手を振り、鞄を取りに行こうと教室に戻りかけた時。
「湊」
久しぶりに名前を呼ばれ、ほんのり嬉しくなりながらひょこっとドアから首を出す。
思いのほか近くにいたりっちゃんは、私の頭を乱暴に撫でて背中に手を回してきた。
そのままくいっと引っ張られる。
「り、りっちゃん?」
「・・・またああいうヤツに捕まったら困るから、部活が終わるまで待ってろ」
それは、一緒に帰ろうって言ってるのかな。
ちらっと顔を見上げれば、耳が少し赤くなっているのが見えた。
かわいいなぁ、りっちゃん。
「しょーがないなぁ」
私は腕を引っ張るりっちゃんの手を掴み指を絡める。
あ、固い。野球をしてる指の感触だ。
そんなことにも幸せな気持ちになりながら、驚いたように見下ろすりっちゃんに言った。
「しょうがないから、一緒に帰ってあげるよ」
「しょうがないとはなんだ! オレは別に・・・」
「今日はりっちゃんが素直なので、私がツンデレになってみました!」
「オレはツンデレじゃない!」
Apples and Oranges
同じ所が足りない似た者同士より、
足りない部分を補い合える関係がいい。