2.流血した青年
男はちらりとリヒーナに左目を向けただけで、風のように走り去ろうとする。
緑のマントがはためく。
「っ、ちょっ、ちょっと!」
リヒーナは咄嗟にそのマントの端をがしっと掴んでいた。
ぐん、とマントが引っ張られるのを、両足を踏ん張って堪える。
振り返った男の目がリヒーナを見下ろす。
「手を放せ」
男の声は擦れていた。
けれど、きれいな発音をしている。
「いや」
「その手を放せ」
さっきよりも強い口調でいわれる。
「いやだってばいや」
「まさかこんなところにもあいつの手の者が……? おまえ、マジェームに金でもつかまされてるのか? それで俺をマジェームに突き出すつもりだとか?」
「マジェー……ム? 誰? 人の名前?」
「違うのか。じゃあ、なんの用だ」
「センタリナ通りはどっちかな?」
「なんだって?」
「センタリナ通りはどこですか?」
「あ? ……ああ、センタリナ通りか。おまえ言葉訛りすぎ。黒髪に緑の目ってことは、南のほうの出か? その格好を見るからに旅芸人で――おまけに迷子だ」
鈴のついた髪飾り、ひとつに束ねただけの長い黒髪、それにひらひらした服。
確かに今のリヒーナは女旅芸人らしい装いをしている。
「正解! でも、わたし訛ってる?」
「なんていってるのか一度で聞き取れない程度には」
「そうかぁ……」
あちこち旅をして回るので、自然と色々な地域の言葉を覚える。
けれどたまたま覚えた言葉がその場所特有の方言だったり、癖の強い訛があったりすることもあって、自分ではもうどれが訛っててどれが正しいのかわからなかったりする。
どこかおかしかったのかなぁ。
どこがおかしかったのかな? と会話を思い返して検証したくなったけれど、そんな場合じゃなかったことを思い出す。
「あ、それで、センタリナ通りは……」
「こっちだよ、阿呆」
男は自分の進行方向を――つまりリヒーナが今来たほうを顎で示した。
「え、そっちなの? わたしそっちから来たのに?」
「三叉路で間違ったんだろうな。戻って三叉路を右だ。わかったな?」
「あ、あそこ……かなぁ。ありがとう!」
「じゃあな」
男はすぐにマントを翻して駆け出そうとする。
ぐん、と両手が引っ張られる。
「――おい」
再び、男が振り返った
「なに?」
「その手を放せ」
マントの端をつかんだままのわたしを睨みつける。
「でも、あなた怪我してる」
「ああ。怪我してる。だから早く行きたいんだ。マントを放せ」
道を教えてくれた親切な人が怪我をしているのに、放っておくわけにはいかない。
ルッチェもよくいっている。
親切にしてもらったら、ちゃんとお礼をしろよ、と。
「あなた、これからどこ行くの?」
「どこって……とりあえず追っ手を振り切ってこの街から脱出する」
「追われてるの? その怪我はどうするの? すごい血だよ? そんな状態じゃ、街を出るのは無理じゃない?」
「どうもしない。なんとかする」
「でも、その怪我、放っといたら膿んでくるかもよ?」
「酒でもかけとくさ」
「悪化したら、死ぬよ?」
「そん時はそん時だ」
投げやりに男がいう。
「ふぅん。それじゃあ、もし見つかっても、その時はその時じゃない?」
リヒーナの問いかけに、男は一瞬言葉を詰まらせた。




