廊下の陰から ~告白
「助けてもらえませんか」
午後の廊下は、窓から差し込む淡い光に満たされていた。外は薄曇り。ガラス越しの空は白く、湿気を含んでいる。
コピー機の作動音が遠くで鳴り、誰かの足音が奥で反響する。
「・・・半日で足りますか」
彩の声は抑えられているのに、わずかに震えを含む。
廊下の空気が、ほんの少しだけ張り詰める。
「足ります」
即答。
そのやり取りを、少し離れた角で聞いていた影がある。
観葉植物の葉の影に半分隠れながら、腕を組んで壁にもたれかかる男。
「・・・ほぉ」
小さく漏れた声。
鈴木だった。
「若いなぁ」
ぽつり。
その視線の先では、距離を整え直した二人が事務的な顔を作っている。
床に映る影が、わずかに揺れる。
「日程は後ほど調整しましょう」
「ありがとうございます、彩さん」
名前を呼ぶ声が、ほんのわずかに低い。蛍光灯の光の下で、その声音だけが温度を持っている。
鈴木はくすっと笑う。
「仕事、ねぇ」
そこへ、資料を抱えた誠が曲がり角から現れる。スポーツサンダルの底が床を打つ音が、一定のリズムで近づいてくる。エアコンの風が、ほのかに加賀棒茶の匂いを運ぶ。
「あれ、鈴木さん。何してるんですかぁ?」
「いやぁ、青春を目撃してな」
「は?」
誠が視線を向ける。
ちょうど彩が自席に戻るところだった。背筋を伸ばし、凛とした横顔。
けれど耳の先が、少し赤い。
大樹は少しだけその背中を見てから、反対方向へ歩き出す。
振り返らない。
その、ほんの一瞬の間を、誠は見逃さない。
「・・・あぁ」
小さく呟く。
鈴木が肩を揺らす。
「うまくいけばええなぁ」
どこか楽しげに。
誠は眉を寄せる。
窓の外の曇天を一度見やる。
「うまく、ですか?」
「いやぁ、金沢に残るお仲間が増えるとしたら、嬉しいねぇ」
鈴木は軽く笑う。
この街は、静かだ。お客様には丁寧に接する。よそ者には少しだけ距離を置く。簡単には懐に入れない。
誠は視線を細める。
「そう、うまくいけばいいですけど。鈴木さんとこみたいに。」
「ほぉ?」
「彩さんは・・・簡単に流されるタイプじゃないです」
その言い方に、僅かな含み。
静かな独占欲にも似た、温度の低い何か。
鈴木が横目で見る。
「ほな、あの子が流されるくらいの男なんちゃうか?」
誠は即答しない。
蛍光灯の光が、床に白く反射している。
さきほどの大樹の目を思い出す。低い声。曇天より深い瞳。あの距離。
「・・・どうでしょうね」
簡単にいくとは思えない。
けれど。
簡単に終わるとも思えない。
鈴木がまた軽く笑う。
「まぁ、仕事に支障出さんかったら、ええやろ」
それだけ言って、歩き出す。
足音がゆっくり遠ざかる。
誠はもう一度、彩の背中を見る。
そして、大樹の去っていった方向を見る。
地元の空気は、甘くない。
「さて」
小さく呟き、誠も歩き出す。
廊下には、いつもの空気が戻っている。書類をめくる音。キーボードの打鍵音。遠くで誰かが笑う声。
● ●
鈴木が去った後。
誠は大樹を追いかけた。
窓の外では、雲がゆっくりと流れている。
大樹は廊下の隅で立っていた。
さっきの光景を、頭の中でもう一度なぞる。
あの距離。
あの声。
「大樹さん」
「はい?」
変わらない顔。
余裕のある声。
けれど目の奥だけが、少し深い。
「街、案内してもらうんだって?」
「ええ。勉強になりますし」
さらりと答える。
壁際の観葉植物の葉が、エアコンの風でわずかに揺れる。
誠は一歩寄る。
大樹は引かない。
その無意識さが、引っかかる。
「お前さ」
少し声を落とす。
「距離、近いんだよ」
大樹は笑う。
否定もしない。
窓の外に視線をやる。曇り空の向こう、遠くに白山の稜線が薄く見える。
「この前も、あの店で随分馴染んでたな」
「ああ、楽しいですよ」
屈託がない。
嘘はない。
でも。
「今のは、ちょっと違ってたぞ」
大樹の表情が、ほんの一瞬だけ止まる。蛍光灯の光が、瞳に小さく反射する。
「何がですか」
「目」
短く。
空調の低い音が流れる。
大樹は視線を逸らす。彼女の席の方向へ。
誠は、胸の奥で小さく確信する。
仕事であんな目はしない。
「変にこじらすなよ」
大樹は否定しない。沈黙。それが、いちばんわかりやすい。
「泣かせるなよ」
それだけ言う。
返事はない。聞かない。
誠は背を向けて歩き出す。
あれは遊びの顔じゃない。軽い男の目でもない。
あんな目をするなら。
もう半分、落ちてる。
問題は・・・本人が気づいているかどうかだ。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




