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神崎瑠花は幸福だった。
瑠花には自由自在に遊べるほど裕福な家ではなかったけれど、優しい両親と可愛い弟と妹がいる。
一軍女子というようなキラキラした女の子たちの中にはいなかったけれど、色恋関係なく男女共に友達はいて、楽しく日々を過ごしていた。
「遅くなっちゃった……急いで帰らないと!」
今日はおばあちゃんのお見舞いだった。
階段で足を滑らせて転んでしまって、入院することになったと聞いて心臓がドキドキするほどびっくりしたけど、いざ病室にいけば以前と変わらない明るい笑顔で「ドジっちゃったわ」なんて笑うおばあちゃんと、その横で呆れた様子だけれど心配と安心の顔を浮かべたおじいちゃんがいた。
何もなくてよかったとお見舞いついでにたくさん学校の話をして、気付けばお見舞い時間ギリギリで看護師さんに声をかけられた。
お母さんに遅くなるって連絡しなかったから慌てて病院を飛び出して家までの道を急いで帰る。
電車を乗り継いで、最寄駅から走る。
今日はすき焼きって言ってたな。
私がいないと鍋が始まらないし、弟の淳はまだかよーなんて拗ねてるかもしれないし、妹の加奈は待ちきれなくておやつを食べちゃってるかもしれない。
そんなことを考えながら曲がり角を曲がろうとした時、強い光に照らされた。
車のライトかと思ったけれど、その光は正面からではなく足元から照らされていて、光に包まれて目が慣れてきた頃に周りを見ると、そこは見慣れた住宅街とは全然違った。
「おお、聖女様!召喚は成功だ!」
色とりどりの髪の色の外国人みたいなのに何故か日本語で喋る人たちと、ゲームの中みたいな神殿の真ん中にいる私は混乱していた。
「ここはどこ?」
「アルバドス王国です、聖女様。あなた様にはこの国を救っていただきたく思い、召喚させていただきました」
アルバドス王国?聖女?なんのこと?
なんであなたたちは喜んでるの?
お母さんやお父さんが…淳や加奈がすき焼きを待ってるのに。
ぐっと立ち上がると私は杖を持った人に向かって声をかける。
「聖女とかよくわかんないです。お家に帰らせてください」
「いえ聖女様。あなたは我が国を救う聖女として選ばれたのです。この国を救ってくだされば、元の世界に帰して差し上げます」
どうして?あなたたちに決められないといけないの?
そんなことも思うも、魔法師と呼ばれる人に召喚されてしまって、自力で帰ることも常識の違う魔法の世界で一人で生き抜くこともできない私の選択肢は一つしかなかった。
それからというもの、私は聖女としての力の使い方を神官たちに学んでいた。
聖女が使えるのは浄化と癒しの力で、この国に蔓延る瘴気というものを浄化し終えたら元の世界に帰してくれるらしい。
私は早く家に帰りたいからと必死に学んだ。
そうして旅の準備が整うと、国を救う旅について国王陛下と謁見することが決まった。
「聖女ルカ、本日より浄化の旅が始まるが、そなたは何の力も持たない異世界の少女。故に我が国王軍より騎士を一名護衛として帯同することを許す」
「国王軍近衛騎士団長グレイ」
名前を呼ばれた男性が前に出る。
アルバドス王国民は金髪か茶髪が多い中で、彼の白銀の髪は珍しいのだと思う。
髪の色と同じ色の瞳が私を冷たく見つめていた。
この人と二人旅をしないといけないのだろうか。
瘴気を消す旅がどのくらいかかるかわからない。
ましてや召喚されてからこの王宮から出たことがないのだから、異世界の外の世界は不安でしかなかった。
この世界は魔法が当たり前にある。料理人が火の魔法を使ったり、メイドたちが水魔法を使う日常的な魔法から、私を召喚してきた宮廷魔法師のような優れた魔法師もいる。
でも私は魔法なんてファンタジーの世界でしか知らないから、自分が聖魔法を使えるとか知らないし、使い方だって説明されてもわからない。
だから魔法師が私に補助用の杖を用意してくれた。
そのおかげで浄化と癒しの魔法はなんとなく使えるようにはなったのだ。
「行くぞ、ついてこい」
「は、はい!」
雨傘くらいの長さの魔法の杖を握りしめて、グレイと呼ばれた人の後をついていく。
日本人女子の平均身長の私と違って、彼は背が高い。
故に足も長いのか一歩の歩幅が違うし、騎士だからか歩くのも速いから、私は小走りで後ろをついていく。
王宮の外に出ると街の中に出た。異世界感は魔法が使われてるから電気というものがないくらいで、ヨーロッパみたいな雰囲気だなと思う。
もう少し眺めたかったけど、グレイさんの足が止まらないから一生懸命についていくのに必死だった。
「ここから先は王都の外になる。平原を少し行くと森につく。その森が最初の浄化の仕事だ」
「わかりました」
彼の足の速さは変わらない。
けれど整備された街と違って自然の中を歩くのは慣れていない私は、彼とどんどん距離ができてしまった。
「はぁ、はぁ……待ってください」
「……遅い」
少し苛立った様子のグレイさんが足を止めてくれた。
私は荒い呼吸を整えながら携帯用ボトルから水を飲む。
「夜に森に入るのは危険だ。その前に終わらせたかったが……聖女様の速さでは無理そうだ」
重たいため息を吐かれると私は申し訳なくなった。
日本でも都会で育った身だから、長距離を歩いて移動なんて経験はない。
徒歩ならまだしもずっと小走りだから、すぐにバテてしまう。
騎士として鍛えてるグレイさんとは雲泥の差だと思う。
グレイさんの計画もそうだけど、早く旅を終わらせて家族の元に帰りたい私にとって、自分の体力のなさが進捗を遅らせてしまうのは不甲斐なさすぎる。
「大丈夫です、頑張ります!」
「……そうか」
グレイさんの瞳は冷たさを感じる。
けれど、先を歩いていく速度がほんの少しだけ遅くなったような気がした。




