八経ヶ岳
標高1,895mの弥山の頂上付近にある弥山小屋は、有料の宿泊小屋になる。冬季は営業していない。ただ、避難小屋が併設されているので、厳冬期であっても利用することは出来る。今回の登山においてこの弥山小屋の利用も考えていたが、歩き通せるのか自信がなかった。つい先ほどまで、その道のりを登ってきたわけだが、実際に行動に移していたらと思うと、背筋が凍る。まさに字義の如く。
弥山の山頂には弥山神社があるのだが、神社の鳥居が半分以上も雪で埋まっていた。しゃがみ込まなければ鳥居をくぐることができない。北アルプスほどではないにせよ、頂上付近は2,000mに迫る高度なので、かなりの雪が堆積していた。1,300m付近であれば樹氷だが、この辺りは全てスノーモンスターに変身する。太陽は完全に登っていた。雲一つない真っ青な空。弥山ブルー。そんな青い空をバックにして、白くて巨大なモンスター達が静かに立ち尽くしていた。何体も何体も。
八経ヶ岳は目の前に見えていた。ただ、一旦山を下りて再び登らなければいけない。弥山から八経ヶ岳までは人気のルートなので、トレースがあることを期待していた。トレースがあれば、進むべき道が分かるだけでなく、雪が踏み固められているので踏み抜きの心配がない。有ると無しでは大違いなのだ。ところが、僕の期待とは反して、ノートレースだった。
――ガックシ。
再び、ラッセル地獄が始まった。急峻な場所を登ろうとすると雪が崩れてくるので、歩きやすいルートを探した。しかし、僕の目では最適なルートが良く分からない。目的の八経ヶ岳の頂上は直ぐそこなのに前に進まない。白い迷路だった。たかだか1kmの道のりを歩き通すのに1時間半も要する。
また、寒さにも悩まされた。手の甲にホッカイロを貼っているのに、あまりにも寒いせいか暖かくならない。頂上に近づくにつれて、指先の感覚がなくなっていった。太陽が出ているというのに、気温が下がっている。たぶん風が吹いているから。2,000mという標高は森林限界のラインになる。実は八経ヶ岳の頂上には木が生えていない。いつも強風に晒されており、雪すら積もらない。岩肌が剥き出しになっていた。
標高1,915mの八経ヶ岳の頂上に立った。東の方角に熊野の海が見える。登りきった太陽に照らされて、金色に光っていた。眼下に見える山々は緑色。八経ヶ岳の周辺だけが別世界。真っ白な世界だった。引っ切り無しに風が吹いている。その風に押されるようにして岩の上に座り込んだ。スマホを手に取り時刻を確認する。9時47分。当初の計画から3時間近くも遅れていた。ネット上には、厳冬期の八経ヶ岳に登頂している猛者たちの記録がアップされている。深い雪に負けることなく予定通り登頂していた。今の僕では遠く及ばない。
雪山という異世界での登山は、様々なスキルを登山者に要求した。登攀できる脚力は言うに及ばず、正確なルートを捉える目、寒さに対する備え、水分や行動食の管理、状況に応じて必要な道具の選定。どれか一つでも未熟であれば大事に関わる。なぜなら、氷点下の世界だから。
とても疲れていた。座り込んだまま動くことが出来ない。行動食と水分の補給は定期的に行っていたので、エネルギーが枯渇している訳ではないと思う。なんだか吐き気をもよおした。それに眠い。ストックで頭を支えて目を瞑る。登頂できたという感慨よりも、疲れの方が優っていた。
山登りというのは、登りきるまでは頂上という明確な目標があるのでモチベーションが維持される。僕なんて、人参を目の前にぶら下げられた馬と一緒だ。ホイホイと登ってしまう。ところが登頂してしまうと、目的という梯子が外されてしまうので急激にテンションが下がった。体力が残っていれば、山の美しさに酔いしれる余裕があったかもしれない。ところが、今の僕はかなり疲れていた。そう疲れていた。
一分か二分。少し寝ていた。相変わらず風がビョービョーと吹き続けている。とても耳障りだ。薄っすらと目を開ける。このまま座っていては体温が下がる。歩かなければならない。大きく息を吐いた。気持ちをまとめる。
――さて、帰るか。
ストックを強く握って、立ち上がった。下りとはいえ、まだ道半ば。これまで歩いてきただけの道のりを歩かなければ登山口には到着しない。何だか、人生とよく似ていると思った。
若い頃は、その若さだけで突っ走ることが出来る。仕事をした。独立した。結婚をして、家族が出来た。我武者羅に生きてきたと思う。今年、僕は55歳に成る。ある意味、人生の折り返し地点。それなりに酸いも甘いも経験してきた僕にとって、これからの人生は自分の死と向き合うことになる。そう、これから目指すべき目標とは自分の「死」なのだ。
――どのように自分の人生を飾ろうか。
そんな問いかけと、下山はよく似ている。登山口までの道のりは、とても長かった。




