スノータイヤ
八経ヶ岳は奈良県大峯山系の一峰で、登山口は天川村にある。天川村には、これまで何度も足を運んできたので地図を見なくても走ることが出来た。僕が住む摂津市から天川村までは、100km弱の道のり。時間にして、3時間ほどかかる。登山当日、社長に早退を申し出て、早々に仕事を片付けた。出発の準備は昨晩に終わらせている。自宅に帰ってきたかと思うと、総重量15kgのザックをスーパーカブの荷台に固定して、直ぐに出発した。
計画では、14時過ぎには天川村に到着する。熊渡登山口から登山を開始するが、この日は八経ヶ岳の登頂は目指さない。狼平避難小屋で一泊する。次の日は、日が昇らない早朝から活動を開始して、八経ヶ岳の頂上から日の出を拝みたい。登山専用アプリであるヤマップの計算によると、昼前には熊渡登山口に戻ることが出来る。移動距離は18km。余裕を持った計画だ。
摂津市から中央環状線を南下して柏原市に向かう。生駒山地と金剛葛城山地の切れ目を流れる大和川周辺から奈良盆地に至り、金剛葛城山地の東側面に沿って南下した。国道309号線に合流して、しばらく走ると吉野川を渡る。ここから先は大峯山系の山の中になる。黒滝村を越えた辺りから、道路の脇に残雪が見られた。
僕はこれから雪山を登るわけだが、その登山口に至るまでに大きな難関があった。それが雪道。車でもノーマルタイヤでは雪道を走れない。それなのに、僕はスーパーカブで走ろうとしているのだ。昨年、天川村に訪れた時は完全に雪国だった。ノーマルタイヤではあったが、極太結束バンドを後輪に巻いて雪道を走る。今回は、この日の為に、相棒にはスノータイヤを履かせていた。推進力を得るために、タイヤの面がゴツゴツとしたブロックパターンになっている。長い長いトンネルを幾つも抜けると天川村に至る。今回は雪国ではなかった。
――折角スノータイヤを履いてきたのに……。
そんな風に思ってしまったが、集落を離れて国道309号線がみたらい渓谷に入ると完全に雪道になった。スピードを落として慎重にハンドルを握る。心配していたが、なんとか走れた。雪道で減速する場合、フロントブレーキは握ってはいけない。エンジンブレーキを掛けるか、リアブレーキを使わないとコケてしまう。雪道を走れていることが嬉しかった。
みたらい渓谷を走る国道309号線は、とても細い。車は一台しか走れない。もし対向車が来たら、スペースがある場所でないと交互に通行が出来ない。そんな国道の右手には天ノ川が流れている。夏場は、このみたらい渓谷で多くの観光客が水遊びをしていた。しかし、今日は誰もいない。河全体が雪化粧で白くなっている。川に浮かんでいる岩の一つ一つが雪の帽子を被っていた。とても可愛い。そんな雪景色を写真に撮りたいと思った。思わずブレーキを掛ける。しかも、フロントの……。
――ズテッ!
スピードこそ出てはいなかったが、ツルンとこけた。フロントブレーキを掛けてはいけない……と、自分に言い聞かせていたのに、習慣は怖い。でも、お蔭で身体で覚えることが出来た。これ以降、雪道でコケることはなかった。
八経ヶ岳に登るためには幾つかの登山口があるが、今回は熊渡登山口になる。この登山口は、三ヶ月前の11月も利用した。この時は、一般登山道関西最難関とうたわれる双門コースを登ってみた。噂に違わぬ激ムズコース。予定通りに行動が出来なくて、山中で初のビバーグを経験した。山登りを止めようかな……と思ってしまったくらいのトラウマが蘇る。
熊渡登山口には、2台の車が停まっていた。先行者が八経ヶ岳に挑戦している。なんだか、そのことを想像するだけで、僕も勇気づけられた。仲間というか、戦友といった親近感がまだ会ってもいないのに沸々と沸き上がる。
――俺だって。
スーパーカブを停車して、山登りの準備を始めた。




