今しかない
「てんきとくらす」という登山専用の天気予報サイトがある。天気予報くらいならテレビでもネットでも確認が出来るが、山頂という特殊条件下ではアテにならない。先ほどまで晴れだったのに、急に風が吹いてホワイトアウトすることもある。「てんきとくらす」では、晴れや雨といった天気だけでなく山頂の気温や風速を教えてくれる。他にも僕のような登山初心者に優しいのが登山指数になる。ABCの三段階で、登山に適している環境かどうかを教えてくれた。A――登山に適しています。B――風または雨が強く、やや登山に適していません。C――風または雨が強く、登山に適していません。
登山を初めて3年目になるが、この「てんきとくらす」の重要性について気づかされたのが長野県の白馬岳だった。白馬岳にはロープウェイでも登れるが、有名なのが大雪渓ルート。一つの山を形成できるくらいの万年雪が山の渓谷に堆積していて、傾斜45度を超える雪の斜面の登攀には、アイゼンとピッケルが必須。
ゴールデンウィークに合わせて、大雪渓の登攀を計画した。天気予報は晴れマーク。ところが「てんきとくらす」では、登山指数がCになっていた。当時の僕は、晴れなのに指数がCになっていることが理解できない。良く分からないまま、計画を続行した。
大雪渓は、いま思い出しても雄大で心が震えるような威容だった。東京スカイツリーの天辺から大地を見下ろしている様な高度感。ひとたび転げ落ちればもう止まらない。アイゼンの爪とピッケルを雪にぶっ刺して、雪壁にしがみ付きながら登った。そんな僕に、絶えず発生するつむじ風が雪を巻き上げて襲い掛かる。体は浮き上がろうとするし、雪は散弾銃になり僕の顔面をバシバシと撃ち付けた。暴風が逆巻いている間は動くことが出来ない。ピッケルを両手で掴んで、ただ耐えるしかなかった。結局のところ、登頂は諦めて下山する。途中で、地元の登山家に出会った。僕は風が如何に強かったかを説明する。
「テンクラは見てなかったんですか?」
「テンクラ?」
「山専用の天気予報ですよ」
「てんきとくらすのこと?」
「そうそう、天気は晴れだけど、風は25mの予報だったんじゃないかな。降りてきて正解ですよ」
「……そうなんですね。勉強になりました」
それ以来、「てんきとくらす」を重要視するようになった。
実は途中でリタイヤしたのは大雪渓だけではない。奈良県にある近畿最高峰の標高1915mの八経ヶ岳に厳冬期の2月に挑戦したことがある。この時は、あまりにも初心者過ぎて装備不足で撤退。あまりにも雪山を舐めていた。同じ登山でも雪山は全く違う。そんな厳冬期の八経ヶ岳にリベンジしたいと考えていた。今の僕なら、きっと登れるはず。
1月の下旬、日本列島が寒波に見舞われた。日本海側は大雪になる。大阪は気温こそ下がったが、雪が降るようなことはなかった。このような環境下で「てんきとくらす」を見ていた。八経ヶ岳の登山指数は、当たり前だがC判定。週間予報もずっとC判定。C判定の内容も風速が20mだったり、気温がマイナス14度だったりする。登山のサイトであるヤマップを開いてみても、誰も八経ヶ岳に登頂していなかった。
2月に入り、その寒波が幾分おさまる。「てんきとくらす」を見ると、一日だけA判定の日があった。この日を逃せば、その先もずっとC判定。しかも、このA判定の日は明後日で、職場である中央卸市場は休場日になる。
――この日しかない。
八経ヶ岳登頂のリベンジを決めた。




