第6承 第15和【八岐大蛇 漆腫 炎の首 美桜 前闘】
その炎は、地獄の色をしていた。
赤でも、橙でもない。
人の心を焼くために生まれた――業火。
溶岩が脈打つ大地の中央、
八岐大蛇・炎の首は、悠然と座していた。
そしてその炎の首の前に
小さな少女が球体に閉じ込められ浮いていた。
「……未希……」
美桜の喉が、ひくりと鳴った。
美桜の大事な一人娘、未希が今、炎の首に囚われている。
足が、動かない。
呼吸が、うまくできない。
未希は怯えながらも、必死に母を見ていた。
その首元には、淡く青白い炎が纏わりついている。
触れてはいない。
だが、それは“いつでも殺せる”という宣告だった。
《動くな》
炎の首の声は、低く、粘つく。
《一歩でも前に出れば――
この娘は“焼煙”だ》
“焼煙”。
肉も、骨も、魂も。
存在ごと、煙にする。
仲間たちが、歯を食いしばる。
信長が剣に手をかける。
海里が叫びそうになる。
バニーが一歩踏み出しかける。
――だが、誰も動けない。
炎の首は、愉快そうに続けた。
《条件を出そう》
《神承者、信承者――
ここにいる全員、我の配下となれ》
《世界は滅ぼす》
《だが――
従った者と、この娘だけは生かしてやる》
空気が、凍りついた。
誰も、答えられなかった。
誰かが従えば、
人類は終わる。
誰も従わなければ、
未希が死ぬ。
美桜の膝が、がくりと折れた。
(……なんで……)
(……どうして……)
(……私たちが……)
視界が、滲む。
――思い出が、溢れ出した。
初めて悠真と出会った日。
不器用な笑顔。
照れながら差し出された缶コーヒー。
告白も、結婚も、
決して派手ではなかった。
それでも――
「この人と生きる」と、自然に思えた。
妊娠がわかった夜。
二人で泣いた。
未希が生まれた日。
小さな命を、三人で囲んだ。
夜泣きに疲れ果てても、
家族でいることが、幸せだった。
――そして、あの日。
「……悠真様は、任務中に殉職されました」
その一言で、
世界の音が消えた。
通夜も、葬儀も、
現実感がなかった。
帰宅して、
いつもの場所にいないことだけが、
胸を抉った。
泣き崩れる美桜に、
まだ幼い未希が、必死にしがみついた。
「ママ……だいじょうぶ……」
「パパ……きっと……生きてる……」
その言葉が、
どれほどの夜を救ったか。
そして――真実。
悠真は、生きていた。
日本を、家族を守るために、
死んだことにされた。
顔を変え、声を変え、
国家の闇に沈み、
罪を背負い、生き続けていた。
再会。
抱き合った瞬間、
言葉はいらなかった。
だが――
神は、残酷だった。
八岐大蛇との戦いで、
悠真は、伊邪那岐として消えた。
「未希を……頼む……」
その言葉だけを残して。
美桜は、拳を握りしめた。
(……運命なんて……)
(……神なんて……)
(……全部、嘘……)
炎の首が、嗤う。
《どうした》
《答えろ》
《従うか》
《娘を失うか》
未希が、叫んだ。
「ママ!!」
その声が、
美桜の心を、完全に壊した。
美桜は、前に出た。
「……私の……命と……」
声が、震える。
「……交換してください……」
「私が……死にます……」
「だから……未希を……返して……」
炎の首は、満足そうに目を細める。
《それでいい》
《母の犠牲――
実に美しい》
仲間たちが、叫ぶ。
「やめろ!!」
「美桜!!」
「そんなこと、許されるか!!」
だが、美桜は振り返らない。
未希だけを、見つめる。
「……ごめんね……」
「……ママね……」
「……あなたを……守れなかった……」
未希は、首を振り、泣き叫ぶ。
「いや!! ママ!!」
炎が、強まる。
時間が、尽きる。
このままでは――
未希が。
美桜は、目を閉じた。
そして――
すべてを捧げる覚悟をした、その瞬間。
炎の奥、
誰にも気づかれないほど微かに――
天地を創った“光”が、静かに目を覚ました。
それが、
伊邪那岐の帰還であることを、
まだ誰も知らない。




