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翡翠のルスキニア  作者: トミタミト/feat.AI
1/3

翡翠と牙

古来より翼をもち、空を飛ぶもの。


それを人は”鳥”と呼んだ。




『―――、』




凍えた風に痛みを覚えながら、彼女は飛翔する。


頭上には重い雲。


月は見えない。星々もまた厚い雲に覆われていた。


冬の終わり。


長く続いた冬の終わり、三月最初の夜。


例年よりも随分と遅れ、厳しい寒さとともに彼女はこの地へとやってきた。




―――否、それは正確ではない。正しく言うのなら”追い出された”というべきだろう。


かの地における彼女の役割はとうに終わっていた。役割を果たせないモノを、かの地の守り手が許すはずもない。




『――、』


彼女は視線を下ろす。


翡翠色の瞳が覗く。街の明かりは遠く、地上に灯る光は星のようだ。


ここは地上から遥か離れた空の上。


人の身では立ち入る事のできない聖域だ。


『――――』


ふと、声が聞こえた気がした。


視線を空から地に戻す。


しかしそこには誰もいない。ただ暗い闇があるだけだ。


……いや、違う。よく見るとそこには、




――塔。遥か上空を飛ぶ彼女からは米粒よりも小さい。


まるで豆粒のように小さな塔が見えた。


この街に塔があった覚えは無い。彼女は目を細め、その塔をじっと見つめる。


『――、』


ずきりと頭が痛む。


眼下から吹く強い風に痛みが増す。


『あ……』


それが合図であったかのように彼女の体は風に攫われる。


翼が風をはらむ。


一度の羽ばたきで、彼女は天空から遠ざかる。


『あ、――」




彼女はその塔へと、墜落する。


珈琲に溶ける砂糖のように彼女の純白の羽根は酷く、溶解する。


油断、失望、不安、恐れ。


様々なものが彼女の心を黒く染める。


『あ、あぁああああああ……!』


羽を散らしながら、彼女は夜の帳へと堕ちる。


悲鳴ととも落ちていく彼女の表情は恐怖に歪み、涙の粒をこぼしていた。




彼女の名はカロス=ルスキニア。


地に落ちれば勇を失う、しがない一羽の鳥である。







朝日の昇る時間と共に、彼女の瞼が開く。


危うく地面に激突し、九死に一生を得た体験をした彼女だったが、どうやら怪我無く身体は無事のようだった。


彼女が寝ていた場所には聖域が施されていた。


幾何学模様と術式が施された魔法陣が石畳に描かれたおり、それが彼女の着地の衝撃を緩めたのだろう。


一体誰がこんな高度な術式を……? 疑問は浮かぶばかりだが、まずは状況を整理することにした。


『……、』


彼女は瞼をこすりながら周囲を見渡す。


どうやらここは塔の中らしい。古くはあるが、しっかりした石造りだ。


彼女はその場から起立し、広場の真ん中まで歩く。


『あ……』


そこには小さな水飲み場があった。


朝日が昇り、水面はきらきらと輝きを放っている。




そして、彼女は本来あるべきものが無い事に気づく。




「……私の羽」




彼女の美しい白翼は失われ、大きく開いた背中には、火傷跡を思わせる痛々しい傷だけが残っていた。


カロスは状況から察するにこの塔に落ちた際、この塔に住む何者かの”仕業”により、その羽を失った、と考えた。


『……』


しかし、彼女はそれほど気に留める様子はない。


羽はまた時をかければ生やす事が出来る。ならば別に問題はない、そう考えたのだろう。


ふと彼女は地面に目を向ける。そこには一切れの羽根が落ちていた。


『……?』


それを拾い上げる彼女。


それはカロスにとって見慣れたもの、自分の翼から抜け落ちたものだ。


だが色は見慣れた純白ではなく、まるで炭のように黒くくすんでいる。




……いや、違う。


『黒い』。それは、己の一部ではない。傷による鮮血はあれど自身の翼はこんな色ではない。


『これは……一体誰の羽根?』


彼女は拾い上げたそれをまじまじと見つめる。


件の羽根は、まるで”獣の牙によって喰い毟られたような”形をしている。


この塔に住む何者かがカロスではない他の鳥人の翼をもぎ取り、この塔に捨てたのだろうか?


『――』


彼女はふと水飲み場に目を向ける。


規則的な石畳で構成された現場をよく見てみると、黒く滴り落ちる液体が地下へ降りる階段へと続いていた。


『……』


カロスはゆっくりとその階段を降りる。


その先にある扉を開き、部屋の中へと足を踏み入れた。


……そこには血だまりと、”炭化した獣の亡骸”があった。


『……これは』


カロスは獣に近づく。彼女はそれを知っている。


この獣は鳥人、即ち同族である。長年放置された亡骸が塔の地下に遺棄されていたのだ。


その悲惨な光景にカロスは嫌悪感を覚える。




「……また、馳走が来ようたか」




低く唸るような声が空間に響く。


カロスは警戒し、その声の主の方向に自身の爪を向ける。


鳥人の爪。長旅の休息のため、長時間不安定な枝葉に集うことの出来る強靭な握力を持つ、鳥人にとって最適な武器の一つである。


カロスは本能的に危機を感じ取り、野蛮な武器を取って相手に殺意を向ける。


それは朝露と果実くらいしか食べてこなかった彼女にとって、初めての経験だった。


「誰ですか?」


再び空間から唸り声が聞こえ、カロスの身体はより強張った。


しばらくして亡骸の山から、




「午餉に独り言を呟く趣味は無い」




自身の三倍はある体躯の獣が姿を現した。




「……!?」


その獣はカロスのよく知る姿、山犬に酷似していた。


だが、目つきは野生のものと比べるとより残忍で、牙はより鋭く、爪はまるで刀のようだった。


カロスの本能が告げる。こいつは危険だと。


『……貴方は何者ですか?』


その言葉に獣は少し目を見開き、彼女を凝視する。


そして目を細めながらこう返した。


「……臆せぬのか?」


カロスの瞳は真っすぐ大獣に向いている。


その姿を見た大獣は少し、困惑した様子だった。




「……まあいい、気まぐれに教えてやろう。


私はかつてこの地で”牙の王”と呼ばれていたものだ」




――牙の王。カロスは聞き覚えがあった。


かつてこの地の野山を支配し、時に神とすら崇められていた。


その伝承は一度走れば千里を超え、その牙は一噛みで大木をなぎ倒すとまで言われていた。


だが、そんな王が何故こんな塔の地下で……?




「……気まぐれは終わりだ、”ひな鳥”」




牙の王は唸る。その殺意はカロスに向けられる。


「我が贄として光栄に思うが良い」




――刹那、鋭い牙がカロスを襲う。彼女は咄嗟に腕でそれを受け止めようとする。


しかし、牙はいともたやすく腕を切り裂き、鮮血を散らす。


「……っ!」


とっさにカロスは致命傷を避けるため、体躯を捻り、牙を振りほどいた。


痛みに耐えながらカロスは後退し距離をとる。


だが彼女の腕はだらりと地面を指し、既に使い物にならなくなってしまった。


「ほう、まだ動けるか」


「その数々の骸、同胞をいくつ喰い殺した?」


牙の王は亡骸の山を一瞥する。


その視線の意味を理解し、カロスは怒張する。


「これ以上の狼藉は許さない」


「……お前たちが他の生物を喰い殺してないとでもいうのか?」


カロスは沈黙で返す。




「ふん、まあいい。どちらにせよ私の贄だ」


「……私は貴方の糧にはなりません」


「それはどうかな」


牙の王は再びカロスに飛び掛かる。その強靭な牙が彼女の身体を引き裂こうとする。


……が、その牙はカロスの肌を裂く事はなく、弾かれた。


「なに?」


「……王は貴方だけではありません」


カロスの翡翠色の瞳が輝き、周りに守護の魔法が展開されている。


彼女の、いや、”彼女たち”の美しい翼から抜け落ちた”白い羽根”が彼女の身を護ったのだ。




「……羽根の王」


「そう、私は羽根の王、真名をカロス=ルスキニア」


「ひな鳥ごときが!」




――羽根の王。


突如季節風に乗って現れ、世界各地に数々の豊作や繁栄をもたらすとされている。


その姿は未だ伝承にのみ語り継がれ、正体は未だ謎に包まれているという。




牙の王は幾度もカロスを襲う。その度に彼女は強靭な防壁で防御する。


「恐らく私に貴方を処す権利はない」


カロスはふと、手の中に握っていた羽根を見つめる。


それはかつての”ひな鳥”たちが持っていた白い羽根だった。


それを握りしめ、彼女は深呼吸した。


「だが、これは彼女たちの無念の為」


カロスは再び目をつむった。


彼女の周りに展開された魔法陣が強く輝く。


その輝きはやがて部屋全体を覆いつくし、そして……。


「――!」


牙の王とカロスの間に巨大な旋風が巻き起こり、




「ぐおおおお!!!」




牙の王はそれに弾かれ、部屋の奥に吹き飛ばされた。







「……貴方、真名は?」




白く輝く羽根で拘束された牙の王は弱弱しく答える。




「貴様も獲物の前で独り言を言う”たち”か?」


「質問に答えよ、牙の王」




牙の王はついに焼きが回ったと罰悪い様子で話し始める。




「……真名はカーン=デーヴァ。


一度狙った獲物は決して離さないとされる神の弓の意味だそうだ」




「……カーン。君はこの塔に閉じ込められているのだね?」




カーンは力なくにやりと口元を歪ませ、その答えを肯定した。




「我は本来、深森に身を窶すしか能のないしがない獣。


我々の種族はただ生きるために獲物を狩り、野山を駆け巡る。それが全てだった。


しかし何時ぞやか人々から畏れられるようになり、いつしか牙の王と呼ばれるようになった」




正直崇拝されることに悪い気はしなかった。


だが、畏れは時が経てば、敵視へと移り変わる。


人々は邪魔になった我を塔に封印したのだ。




「……そして塔には強力な魔術式が当てられ、我はその番人となった」




「この塔そのものが獲物をおびき寄せる為の罠、というわけか。


……人というのは何時もろくでもないことを考えるね」




贄を定期的に供給するための、おぞましいシステムだ。


そんな血なまぐさい術式を書いたのはどんな性悪なのだろうか。


カロスの憎しみは既にカーンからそのシステムを作り出した魔術師へと移っていた。




「牙の王、君を解放するには?」


「この塔の術式を描いた魔術師を探す事だ。さすれば呪縛は解かれ、我の本来の姿へと戻れるだろう。


だがその魔術師とやらは世界中どこにいるかも分からないし、すでにどこかで息絶えているかもしれぬな」


「……」


カロスはカーンに近づき手をかざす。




「……くくく、なるほど。手っ取り早い。獲物を狩った勝者として、我のこの命、奪うが良い。


……我の覚悟は既にできている」




カロスはカーンの牙にゆっくりと触る。


――そして。


「私たちは互いに得た骨や鉱石の装飾品を贈る文化があってな」


「?」


カロスはそっと手をかざすと、魔法陣がカロスの掌に展開される。


その輝きはやがてカーンの身体を優しく包み込み……。


「……これは、一体どういうことだ?」


カーンの身体にまとわりつく傷が消え去り、見る見るうちに体力が回復したのだ。


「私の……厳密に言えば私の一族に伝わる魔法だ。万物の生命力を回復し、闘争心を抑える。


そして……」




牙の王に生えていた大型の牙が二本とも抜け落ちた。




「相手の爪や牙……殺意のある武器を解除する。


……こうして私達は相手の牙や爪を得て、装飾品として得ていた。


相手をなるべく傷つけずにと心がけた先人の技術の賜物だ……」




牙の王はその告白に驚愕の表情を浮かべる。


「何故そのようなことをする?」


「その牙ではもう相手を襲う事は出来ない。


生きたいのならこのまま贄を狩る食生活を辞めるか、出来なければ餓死するまで同胞に祈るがいい」


カロスは大きな牙を拾いながら答える。


「これは同胞を喰らった君の罪滅ぼしだ」


カーンはその言葉に少しきょとんとした様子だったが、やがて大声で笑い出した。


「ふははは!貴様なかなか面白いな! 気に入ったぞ!


だが、貴様はどこからこの塔を脱出するつもりだ?


……もしや我と同じ運命を辿り、餓死する気か?」




牙の王は塔から見える朝日を見つめる。


その太陽はやがて地平線に沈み、夜が訪れるだろう。


「まさか。私はここから解放する。


……この”牙”と”羽根”がこの間違った”原罪”を破壊する」




カロスはカーンの牙と自身の髪の毛、散らばった枝葉を組み合わせて、頭飾りのようなものを作り出した。


そして、その頭飾りをカロスは自身の頭部に重ねた。




「なんだ? 祭事の真似事か?」




「真似事ではない。”祭事”そのものだ」




カロスはカーンに向き直り、そして……。


「この塔の番人よ、私はお前をここから解放する」


「――!」


その宣言と共にカロスの背中から翼が生え、輝きだした。


それはやがて塔全体を覆うように広がっていった。


「なんだ?何が起きている?」


「……”羽根の王”はその名の通り、白い羽根を自由自在に操ることが出来る。


そしてその白い羽根はあらゆるものを浄化し、清める力を持っている」




カロスは天に向かって大きく手を広げる。


彼女のその身体はみるみるうちに輝き、やがて塔の天井から差し込む光がカロスを包み込んだ。


「そして私はこの羽根の力と頭飾りで増幅した魔力を用いて、”この塔”の術式を消滅させる」


『――!』


白い光に包まれたカーンは目をつむる。




……しばらくして再び目を開くと、彼の目の前には青々とした草原が広がっていた。




「外……だ」




自身の出身とも重なる外の情景を久方ぶりに見たカーンの瞳は、ひどく潤むこととなり、


カロスはその様子を満足そうに見つめていた。







――夕刻。




「これからどうするつもりだ」




カーンはカロスに話しかける。




「元々旅の途中だったのでな、ここよりはるか先の東方の地へ向かう予定だ」




「ほう……、しかし羽根を失ったお前にそれが出来るのか?」




カロスの羽根は魔力を失い、また元の火傷したような跡の背中に戻ってしまっていた。


牙により傷ついた腕の傷も痛々しく包帯が巻かれており、万全とはいえない。


「魔力が戻れば、傷ついた身体は戻る。……だがあれほどの魔力を消費したんだ。


当分は自身の健脚に頼らねばならないね」




カーンはカロスのその話を聞くと、目の前に伏せて、合図する。




「……乗れと言っているのか?」




「貴様のお陰で我はもう獲物を狩れぬ。なら、一緒に旅路を共にし、見聞するのも悪くない。


……そう思っただけだ」




カロスはカーンの背中に飛び乗り、その身を預ける。




「では、暫しの間よろしく頼む」


「ふん……振り落とされるなよ」




そうして、彼らの旅は始まった。




羽根を失った王、そして牙を失った王。


彼らがどのように旅をし、そしてどのような結末を迎えたのか。


その記録は当人達ですら知る由もない……。

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