第8話 偽りの神子は、夢の残滓を抱いて目覚める
――これは、ひとつの封印が告げた、運命という名の予告状。
忘れられた昨日に刻まれし契約を、今、偽りの神子が思い出す。
起きたら自宅のベッドだった――なんて都合のいい展開は、やっぱり来なかった。
目を覚ましたとき、私はまだあの宿にいた。
ベッドでぐっすり眠れたはずなのに、絶望感だけが胸に残っている。
(……そういえば、昨日)
ギゼルが広げた地図の上に指を滑らせながら、次々と語っていたのを思い出す。
「ここには、レナ様が愛したという伝説の騎士が……」
「そちらの山岳地帯には、かつてレナ様が旅をともにした――」
正直、情報量が多すぎて途中から記憶がぼんやりしていた。確かその後……
「次の目的地は、ロード共和国にございます」
その共和国へ向かう途中にある森には、聖獣が眠っているらしく、森全体にかけられた封印を私に解いてほしい、とのことだった。
(……めちゃくちゃこき使うやん……)
そのとき、私は軽い気持ちで尋ねた。
「えーと、移動はやっぱり、魔法で空とかビューンって飛べる感じですか?それか瞬間移動的な?」
一瞬の沈黙のあと、ギゼルが大笑いした。後ろで控えていたライルも、肩を震わせていた。
「はっはっは! 冗談はやめてくだされ、救世主様。そんな便利なものはございませんぞ」
「え? は? でも、魔法はあるんですよね?」
「ありますとも。ですが、魔王が倒されて以降、魔物は特定の地にしか現れなくなりましてな。攻撃魔法などは衰退の一途。今では生活魔法が主流でございます」
ギゼルはそう言って、少し誇らしげにうなずいていた。
「テレポートのような術は、現在研究段階にありますが……実用化には至っておりませぬ」
「不便ですね……(小説のなかでは普通に使ってた気がするんだけどな……)」
横で、ライルが真面目な顔をして補足した。
「勇者様がテレポートを使っていたという記録は、確かに残っています。ですが、いま実際に使える者はおりません」
「救世主さまの移動であれば、速度重視なら馬が一番です。乗れない場合は馬車か徒歩になりますが、どちらにしても馬具に補助魔法をかければ、そこまで長旅にはなりません」
(有能か、ライル)
「引き受けますけど、こっちにも条件があります」
私がそう言った瞬間、部屋の空気がピリッと引き締まった。
「……こう見えても私、一応年頃の(現実では32)女性なんです。日帰りじゃないなら、同行者に最低一人、女性をつけてください」
その途端、ギゼルの表情がふっと和らぐ。
「なんですか、そんなことでしたか。すぐには難しいですが、旅の途中で合流させましょう」
交渉成立。とりあえずは、よし。
ギゼルが退出し、部屋には私とライルだけが残った。
念のため、伝えておく。
「ちなみに私、食べることはできるけど、食欲はないし、寝なくても平気なんです。今のところは」
「……え! それってまさに――」
「レナ様と同じですね」
「えええええっ!」
出た、レナ様。
(寝なくていいって設定……そんなのもつけてたっけ……? 神の使いってことになってるから?)
「……あと、私の名前はみさきです。“救世主さま”ではありません」
「あっ……そうなんですね。えっと……“救世主さま”って、名前あったんですね」
(そこ!? ……やっぱ天然だこの人)
* * *
回想を終えて、私はベッドの上で小さくため息をついた。
どうやら、本当に旅に出るらしい。
――でも、そうしないともとの世界に戻れない気がする。多分。
私は布団を蹴り飛ばし、ゆっくりと身体を起こした。
馬しかいない世界に転生し、空を飛ぶ魔法は夢だった。
次回、「森と封印と、たぶん筋肉痛。」
我が運命に、祝福を──。