表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/41

第39話 虚無へ堕つ、平行なる魂

世界を隔てる境界線――それは決して交わらぬはずの道。

 だが、禁忌に触れしとき、結晶は真実を映し、魂は虚無へと堕ちる。


 彼女が覗き見たのは、もう一人の「私」。

 その瞬間から、抗えぬ運命の歯車は音を立てて回り出す……。

平行線世界のみさきの映像は、

「なんで……私ばっかりこんな目に……」

「私だけ……なんでこんなに苦しいの……」

といった言葉を繰り返す場面が多かった。


 その思いは独り言として口にされることもあれば、日記に書き留められることもあり、そうして少しずつ発散していたようだった。


 仕事で厳しい言葉をかけられ、涙をこぼしながら、彼女は呟く。

「……あの人の方が私より酷いのに、どうして何も言われないの……」


 平行線世界のみさきは、そうした不公平さに強く傷つき、心をすり減らしていた。

 けれど今の自分は違う。鈍感なせいか、むしろはっきり言われた方が助かることもあると考えていた。


 ――同じ状況でも、受け止め方はこれほどまでに違っていた。


 辛いことがあると、彼女は部屋の隅にうずくまり、泣きながら思いつくままに紙へ走り書きをしていた。

 だがこの日は、書く紙が尽きていたのだろう。代わりに手に取ったのは――設定ノォト。


 そこに、彼女はただ一言だけを書き殴っていた。


『助けて』


 その文字を見た瞬間、みさきは息を呑む。


(……私が祠で拾ったノォトの切れ端は、これだったんだ)


 そんなことを考えていると、突如として父親とみさきが口論する場面が映し出された。


 このときの父親はすでに高齢であり、力だけなら平行線世界のみさきの方が勝っていただろう。

 ――だが、長年浴びせられてきた暴力の記憶は、肉体よりも深く彼女を縛りつけていた。


「殺すぞぉ! こらぁ!」


 荒々しい声と共に拳が振り上げられた瞬間、体は反射的に震え上がり、彼女の足も手も凍りついたように動かなくなる。


 父親が実のところ口だけの小心者だと気づいたのは、いつの頃だっただろうか。

 思えば、彼もまた何かに押し潰されていたのかもしれない。


 やがて怒鳴り声は途切れ、最後にドアを叩きつける音だけを残して、姿を消した。


「あいつの借金のせいで、お母さんも私も苦しんでるのに……あいつのせいで……」


 平行線世界のみさきは真顔のままそう呟き、震える手で包丁を握りしめていた。

 その光景が映し出された瞬間、胸の奥から堰を切ったように叫びが溢れ出す。


(やめて! それだけは――絶対に!)


 声にした覚えはなかった。

 けれど、その強烈な拒絶の思いは抑えきれず、意識を突き破って結晶の向こうへと流れ込んでいった。


「……え?」


 平行線世界のみさきが、ピタリと動きを止める。

 驚いたように辺りを見回し、手にしていた包丁がカランと床に落ちた。


「だれ……? いま……声がした……」


 震える声が、確かにこちらへ届いてきた。

 俯瞰しているはずなのに、映像の中のみさきの瞳が――まるでこちらを探しているかのように揺れている。


 そのとき、後ろで「あーあ」と、ため息混じりの声がした気がした。

 振り返る間もなく、映像の彼女がゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


 みさきは驚くよりも先に、必死に思いをぶつけていた。


(あなたの苦しみはわかる)


 声にはならずとも、その願いは結晶の内側へと響き渡っていく。


(あんな父親なんて、もう捨ててしまえばいい……!

 あなたが背負う必要なんて、どこにもないんだから。


 頼れる人に助けてもらって……お母さんと、そして自分自身を守って……!)


 強く、強くそう願った、その瞬間――


 バリィィン!


 鋭い音とともに、結晶に亀裂が走る。

 視界が崩れ落ちるように揺らぎ、その裂け目の向こうで――平行線世界のみさきの瞳と、確かに視線が重なった。


「……あなたは……私?」


 ゴゴゴ……


 その声を合図にしたかのように、鈍い音を立てながら結晶の亀裂が一気に広がっていく。

 ひときわ大きな破砕音とともに、結界そのものが崩れ始めた。


(どうしよう! いつもの砕け方じゃない!)


「……落ち着け」

 背後から低い声が響く。


「え……?」

 振り返る間もなく、ふっと後ろから包み込まれるような感覚に囚われた。


 急激に辺りが闇に沈み込んでいく。

 足元が消え、底の見えない奈落へ落ちていくような感覚が全身を襲った。


 そこで、みさきの意識は途切れた。


虚無は閉じ、闇は沈んだ。

 だが、そのすべてを“俯瞰する存在”がいる。


 神――世界の理を見下ろす眼差し。

 次回、その声がついに語られる。


 何を告げるのか。

 救済か、それとも――さらなる絶望か。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ