第38話 並行世界の残響 ―選ばれなかった道―
封じられし結晶に触れた瞬間、我が魂は深淵へと誘われた。
そこに映るは――かつて歩むはずだった、もう一人の「私」。
そして現れし剣は、すべてを知りながら沈黙を選ぶ……。
(これは……他の世界線の私の記憶……)
結晶にそっと触れる。ひんやりとした感触が、ただそこにあるだけ。
何も起きない。けれど、みさきは深く息を吸い、意識を研ぎ澄ませていった。
冷たさに意識を合わせ、少しずつ、少しずつ奥へ――。
やがて境界が薄れ、結晶の中へ自分が溶け込んでいくような感覚に包まれる。
みさきの意識は、静かに深いところへ沈んでいった。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所で、ライルとその頭に乗ったぷーたが不安そうにみさきの様子を見守っている。
そのとき、不意にライルの肩が軽く叩かれた。
「よぉ」
振り返ると、そこには行方不明になっていたはずの聖剣が立っていた。
まるで最初からそこにいたかのように、自然な顔で。
ぷーたはひょいと聖剣の肩へ飛び移る。
「どこに行ってたんですか!? みさき様が、どれだけ探していたか……!」
ライルは思わず咎めるような口調になった。
「……知ってるさ」
淡々と告げる聖剣。その顔には一切の感情が浮かばない。
ライルは息を呑み、胸にざわりとした違和感を覚える。
「……それは一体」
問いかけようとしたが、聖剣はそれ以上答えず、ただ腕を伸ばしてぷーたを抱き上げた。
「この世界のことは……お前に任せたぞ、ぷーた」
短くそう告げると、ライルの肩へぷーたをぽんと戻す。
「ぷぅ?」
きょとんとした声をあげるぷーた。
「聖剣様……?」
戸惑うライルに、聖剣はふと思い出したように言った。
「そうだ、なるべく船の近くにいろよ」
それだけ言うと、ゆっくりとみさきの方へ歩き出す。
途中で足を止め、首だけを振り返った。
「ライル……お前も達者でな」
軽く手を振る後ろ姿。
――何を知っているのか、なぜそんなことを言うのか。問いかけたいのに、声にならなくて、ライルはその背を、ただ見送ることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
別の平行世界のみさきも、最初は同じ道を歩んでいたようだった。
映像の断片には、確かに自分も経験したことのある場面がいくつも映し出されていく。
けれど、ある時を境に道は分かれていった。
分岐点は――いじめに遭ったあの頃かもしれない。
今の自分は、学校を休むことで、かろうじて心を守ることができた。
だが、もう一人の彼女は休むことを選ばず、苦しみに耐え続けてしまったのだ。
――彼女は学校へ通い続ける道を選んだ。
世の中には、彼女よりもはるかに過酷な境遇で耐えている人もいる。
「そんなのはいじめに入らない」と言われてしまえば、それで終わりかもしれない。
だが彼女にとっては、その日々の重圧こそが限界だった。
積み重なったストレスに押しつぶされ、やがて家の中でも塞ぎ込むようになっていった。
ちょうどその頃、母親も知人から宗教の勧誘を受けていた。
今のみさきの母親はうまく断ってくれた。
だが、もう一つの世界の母親は――そのまま入信してしまった。
さらに、こちらの世界では両親が離婚することもなく、父親は母とみさきに暴力をふるい続け、借金を重ねていく。
かつては同じ線だったはずの世界。だが今は、平行に分かたれ、交わることのない道を走っていた。
並行世界に揺らぐ記憶は、ただの幻影か、それとも真実か。
選ばれなかった道を見届ける旅は――まだ終わらない。
次に待ち受けるのは、さらなる深淵か、それとも救済か……。




