第36話 記憶改竄の書と、堕ちたる勇剣
――刹那、世界は塗り替えられた。
聖剣と神の使いを繋いだはずの記録は、無惨にも改竄され、ただの“旅の仲間”へと堕ちる。
真実を知るのは、ただひとり。
この身に託された【設定ノォト】こそ、運命を揺るがす禁断の書。
聖剣が居なくなったと報告しても、その場の空気はさほど深刻にはならなかった。
「また居なくなったのか……」
「書物でも、聖剣様は束縛を嫌うとありましたからね」
そんな呑気な声があちこちで交わされ、むしろ和やかな雰囲気さえ漂っている。
(……もっと焦ってよ……!)
みさきは思わず心の中で叫んだ。
彼らにとって聖剣は「自由を愛する伝説の英雄」。勝手に消えることも“そういう人だから”で済まされるのかもしれない。
けれど――みさきにとっては深刻な状況だ。
(ノォトのロックを外せるかもしれないのは聖剣だけ。しかも、あいつは他にも“帰る方法”を知ってる……!)
唇を噛みしめ、誰にも言えない焦燥を胸に押し込める。
やがて、一人の神官がはや歩きで近づいてきた。
「聖剣様。神殿にもいないようです」
「ち、ちなみに! 神様って聖剣の居場所わかったりしませんか?!」
我ながらナイスな提案だと思ったのだが――。
神官はゆっくりと首を振り、胸の前で厳かに両手を合わせる。
「大神官様が言うには――神は、また深い眠りにつかれたとのことです」
「……え?」
みさきは思わず固まった。
(いやいやいや……! 二百年近く寝てたんでしょ!? もうちょっと起きてようよ!?)
あわてふためくみさきを見ながら、ライルが一拍おいて小声で口を開いた。
「……みさき様。お気を悪くなさらないでください。“あのノォト”に行き先の手がかりが記されているのではないでしょうか」
(……正直、気乗りはしないけど)
みさきは誰にも見られないよう、少し離れた場所でノォトを開いた。
恐る恐る、一ページ目から隅から隅まで目を走らせる。
こんなにしっかり読むのは初めてかもしれない――そう思いながら、次の人物設定のページをめくった、その瞬間。
指先から力が抜け、ノォトがはらりと床に落ちた。
「……そんな……」
「どうされましたか……?」
異変に気づいたライルが近寄ってくる。
みさきはノォトを拾い、震える指でページを指さした。
「……これ……聖剣とレナの関係が、恋人から……旅の仲間になってるんです!」
ライルは驚いたように目を瞬かせ、少し困った顔で答えた。
「え? 恋人ですか……? そのような話は聞いたことがありません。
レナ様と聖剣様は、魔王を倒した“仲間”。
……記録には、道中で多くの異性と浮き名を流した、とは残っていますが」
「えっ……?!」
思わず声が裏返る。
「冗談……言ってませんよね?」
ライルは真面目な顔で小さくうなずいた。
彼は、そんな冗談を口にする人じゃない。
だからこそ――彼の困惑の表情が、すべてを物語っていた。
(“恋人同士だった”と確かに語られていたのに……。
それが、まるで最初から存在しなかったかのように世界が塗り替わっている……?)
背筋に冷たいものが走る。
「みさき様、どうなさいますか? 聖剣様の探索を優先して……島行きを見送りますか?」
ライルは真剣な眼差しで問いかけてきた。
(……設定ノォト。神は手が出せない領域だと言っていた。
じゃあ――これを書き換えたのは、聖剣……? でも、なんで……?)
一瞬、思考が揺らぐ。
けれどみさきは、唇を噛み、かすかに首を振った。
「………いえ、行きましょう」
その声は、ほんの少し震えていた。
「あいつは……もう、私を助ける義理なんてない。
だから――目の前から消えたんです」
きっぱりと言った。
――聖剣は消え、記録は歪み、少女(32)は孤独を抱きながら歩みを進める。
だが立ち止まることは許されない。
次に待ち受けるは、荒ぶる海原を渡る“試練の船旅”。
波に揺られようとも、彼女の魂は揺らがぬ。
運命の舵を握るのは――他ならぬ彼女自身なのだから。




