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第35話 交渉は血に飢えた契約書の上で

――契約の囁きが、夜を裂く。

決して触れてはならぬ“禁忌のページ”が開かれたとき、勇者は試されるだろう。

今宵の交渉、その結末を見届けよ。

神殿を出てからも大変だった。けど、このときのことは、正直よく覚えていない。

聖都の人々に引っ張り回されて――まるで「勇者御一行ツアー」の見学者みたいになすがままになっていたからだ。


ただひとつ、はっきり言えるのは。

あのあと起きたことを思い返すたびに、今でも腹が立つってこと。

――聖剣が、何も言わずに姿を消した夜のことを。


◇ ◇ ◇


「こちらへ! 勇者様が滞在された館跡でございます!」

「次はぜひ記念館を! レナ様が刻まれた軌跡の書物などはいかがですかな?」


休む間もなく矢継ぎ早に案内が飛び、腕を引かれ、気づけばまた次の場所へ。


(……まあ、まだ話しかける時間はあるし。夜になればゆっくり――)


そう楽観していた自分を、今の私なら全力で殴ってやりたいと思う。


その夜は、聖都が用意してくれた宿に一泊することになった。

日中の喧騒が嘘のように静かだ。


(……やっと落ち着けた)


そう思った矢先、頭に浮かんだのは昼間から抱えていた疑問だった。どうしても聖剣に聞いておきたい。


みさきは立ち上がり、聖剣の部屋へ向かう。

ノックをしてみたが、返事はない。

扉を開けても、中は空っぽだ。


「……まぁ、どこかでナンパでもしてるんでしょ」


少し外を探してみようと歩き出した、そのとき――。


ドン!

肩に衝撃が走った。


「あ、ごめんなさ……」

顔を上げると、どこかで見覚えのある女性。

襟元ははだけ、帯も緩んでいる。頬は赤く、息も荒い。


(ん……?)


服装は違うが、昼間聖剣がちょっかいをかけていた女性神官だった。


(まさか……いや、でも……)


女性もみさきに気づいた瞬間、ぎろりと睨みつけてきた。


(えー……謝ったのに)

みさきには聞き取れない程の声で何か呟くとそのまま彼女は立ち去ってしまった。



なんとなく、こっちにいる気がする。勘というやつだ。

とりあえず女性が来た方向へ進んでいく。

宿の裏手には、物資を運び込むための小さな通用口があった。

そのすぐ脇の雑木林で、男が木にもたれて肩で息をしている。襟元は乱れ、腰帯も締め直しきれていない。


……いた、聖剣。


(…………めっちゃ気まず……)


すれ違った女性神官の姿を思い出し、内心でそう呟く。

けれど、聞くなら今しかない。


「今、大丈夫?」


聖剣はまだ肩で息をしていた。

長い髪をかきあげた拍子に、濡れた首筋がちらりとのぞく。


「……なんだ?」


「選択肢を間違えると帰れなくなるって、設定ノォトのことなの……?」


「は?」


(えええええ!? 違うの? そんな気はしてたけど……でも……)


「聖剣。あんたなら、設定ノォトのロックってやつを外せるかもしれないって、神様が言って……」


急に腕を引っ張られ、背中が木に押し付けられた。

ぐいと顔が近づき、耳元で低く囁かれる。


「ここからは……交渉だ」

ねっとりとした声。吐息が耳にかかり、熱い。


一瞬、心臓が跳ね上がった。だが――こんな時こそ平常心。

みさきは大きく息を吸い、声を整えた。


「――では、交渉に入りましょう。

 まず、あなたの望みを明確にしてください」


聖剣の顔がわずかに引きつる。

「……は?」


「交渉は対等です。あなたの条件を提示してください。こちらも条件を出します。そのうえで合意できるか判断しましょう」


にっこり笑うみさき。低く甘い空気を一刀両断するような口調。

聖剣の手が一瞬止まり、困惑を隠せない。


「おい……せっかく分かりやすく色っぽい展開に持ち込んでやったのに……」


「不要です。――もしかして、条件は性交渉でしたか?

 では、何をどんな風にするのか、ご希望はどこまででしょうか? 書面での提示をお願いいたします」


真顔でそう言い切るみさき。


一瞬、聖剣の思考が止まった。

「……はああああ!?!?」


「交渉とはそういうものでしょう!」

みさきは逆にずいっと押し返すように言い放った。


「……もう、いい。萎えた」

短く吐き捨てると、聖剣はふっと背を向けた。

みさきが瞬きをしたときには、もう気配すら掻き消えていて――残ったのは木々のざわめきだけ。


ぽかんと立ち尽くしたまま、みさきは呟く。

「……何よ。勇者のくせに逃げるなんて……」


みさきは「(どうせ拗ねてるだけでしょ)」と軽く考えていた。


しかし翌朝。


聖剣の姿は、どこにもなかった。





……ふぅ。

闇に囚われし契約の夜は、ここまでとしよう。

勇者が消えた理由は、いずれ“記録のノォト”が語ってくれるはずだ。


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