第30話 二百年の封印を破りし、白光の謁見
愚かなる剣は、神聖なる廊下においてもなお、己が戯れを止めぬ。
今日、聖域の空気は凍りつき、紅き耳朶はその罪を刻んだ……。
「こちらです」
大神官の言葉と同時に、背後の巨大な扉が音もなく開いた。
冷えた空気が流れ込み、外のざわめきが一気に遠ざかる。
(……静かすぎる)
一歩足を踏み入れると、白大理石の床が光を反射して足元を照らした。
高い天井から吊るされた金の燭台が、わずかに揺れ、香の匂いが濃く漂う。
息すらひそめたくなる静けさだ。
外での歓迎のため、ほとんどの神官や民は広場に出払っているらしい。
そのせいで、広い神殿内部には案内役の大神官と数名の随行者しかいなかった。
さっきまでの熱気が嘘のように、ここは別世界の冷ややかさに包まれている。
大神官は振り返らずに進み、やがて小さな円形の間にたどり着く。
中央には淡く光を帯びた泉があり、水面から白い靄がゆらゆらと立ちのぼっていた。
近づくと、冷気が肌に触れ、思わず肩がすくむ。
「ここで身を清めていただきます。神の間へは、穢れを持ち込めません」
促されるまま、泉の水で指先と額を濡らす。
冷たさが肌を引き締め、背筋が自然と伸びた。
聖剣も渋々同じ動作をし、ぷーたは器に浸かろうとして女性神官に慌てて止められていた。
再び歩みを進めると、やがて巨大な壁画の廊下に出た。
壁一面に描かれたのは、勇者一行と魔王軍の戦いの場面。
剣を掲げる勇者、その背で魔法を放つ女性——レナ。
本当にこの通りなのかはさておき、金と群青で彩られたその姿は、今にも動き出しそうな迫力を放っていた。
(あれ?ぷーた居なくない?)
ぼんやり見上げていると、横から聖剣が低くつぶやく。
「……こんなの前はなかったよな?」
「あ、はい。勇者御一行様が消息を絶った後に描かれたと聞いております。
皆の記憶から忘れ去られないように、と」
男性神官は穏やかな顔で言った。とてもいい話のはずなのに、聖剣が気にしたのはそこではないらしい。
「なるほどねぇ、通りでレナの姿が実物と違うわけだ」
彼は自分の胸を持ち上げるジェスチャーをして、にやりと笑った。
(スレンダー美女に憧れてたの!実際の私はスレンダーでも巨乳でもねぇわ!悪かったな!)
睨み付けるみさきをよそに、聖剣は隣でぷーたを抱えている若い女神官に顔をぐっと近づけ、視線を下へ滑らせる。
「——君の胸なら、モデルにぴったりだったのにな」
女神官は一瞬息を呑み、耳まで真っ赤になる。
周囲の神官たちも固まり、場の空気がピキリと凍った。
大神官は歩みを止めず、低く一言。
「……おふざけはほどほどに」
聖剣は肩をすくめ、何食わぬ顔でついていく。
「……現代に飛ばされてコンプラ違反でボッコボコにされてしまえばいいのに」
(しまった!心の声が……ま、いいか)
そのまま廊下を進むと、やがて二枚扉がそびえ立った。
中央の宝玉が、近づくごとに淡く光を増していく。
大神官は扉の前で立ち止まり、こちらを振り返った。
「——この先が、神の間です。ですが、神は“あなた”とだけお話を望んでおられます」
(え……私だけ?)
「おいおい、置いてく気かよ」と聖剣が小声でぼやく。
大神官は微笑を崩さず、聖剣たちに下がるよう促した。
彼らはしぶしぶ一歩引き、みさきは一人で光る扉の前に立たされた——。
大神官は手を扉にかけたまま、静かに言う。
「記録では、神が姿を現されたのは二百年以上前のこと……。この扉の向こうは、その時以来の聖域です」
扉が重々しく開いていく。
きしむ音ひとつなく、ただ白い光だけがこちらに流れ込んできた。
足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑む。
そこは、天井も壁も床も、すべてが白で統一された広間。
磨き上げられた大理石の床が淡く光を反射し、柱や壁面には古代文字が薄く刻まれている。
装飾は最小限で、余白の多さが逆に荘厳さを引き立てていた。
空気は澄みきっていて、外の熱気や匂いは一切入り込んでこない。
二百年以上もの間、誰もこの部屋の中央に立つことは許されなかった——そんな重みが、肌にまとわりつく。
部屋の中央には低い円形の台座がひとつ。
何も置かれていない……ように見えたが、近づくほどに淡い光が揺らぎ始める。
(……これが……神……?)
光の玉が口を開いた。
声は柔らかく、しかし不思議なほど澄んで響く。
「——遅いよー」
荘厳な空気が、一瞬で軽く吹き飛んだ。
白き光は扉の彼方から溢れ、選ばれし者を飲み込んだ。
これは二百年の沈黙を破る、神と人との邂逅の始まり。
次章、声なき神が紡ぐ言葉が、運命の歯車を動かす。