第29話 二百年ぶりの再臨、その名は私にあらず
白銀の海に飲まれる私に、逃げ場はなかった。
花弁は舞い、讃歌は響く。
笑顔を作ればこめかみが引きつり、消せば“場違いな異物”が露わになる。
——このままだと、顔面筋肉まで石像にされそう。
神の国の歓迎って、笑顔の持久戦なの?
御成りの馬車は、城門をくぐったあとも——いや、むしろくぐってからが本番だった。
きらびやかな大通りに踏み入った途端、馬の歩みが極端に遅くなる。
(……おっそ。いや、遅すぎるでしょ……)
旅用の馬車なら数分で通り抜けられそうな距離を、まるで牛歩戦術のように進んでいく。
(いつ終わるの?)
沿道には白衣の民がぎっしりと並び、花を投げ、讃える声をあげる。
「聖剣様ー! ぷーた様! レナ様ぁ!」
誰がどこで叫んでいるのかわからないほど、歓声が渦を巻いていた。
……全部私に向けられているわけじゃないのはわかってる。わかってるけど——
(あ、目が合った……笑わなきゃ……)
ぎこちなく口角を上げると、頬が引きつる。
笑顔を作るたびに、こめかみがぴくぴくするのが自分でもわかる。
隣の聖剣は、まるで当然のように余裕の笑みで手を振っていた。
黄色い声が上がる。目が合った女性が、思わずよろめいて仲間に支えられている。
(いや、アイドルかよ!)
目の前では、神殿の尖塔がゆっくりと近づいてくる。
(あーこのまま馬車から降りてダッシュで神殿に駆け込みたいわ……)
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ゆっくりすぎる行進の末、ようやく馬車は神殿前にたどり着いた。
城門前の広場とは違い、ここはすべてが白い大理石で造られている。
中央には大きな噴水があり、その周囲を囲むように民と神官たちが整列していた。
まるでこの国の信仰そのものを形にしたような場所——そう思わせる空気があった。
目の前にそびえる白亜の神殿は、尖塔が空を突き、陽光を受けて神々しい輝きを放っている。
その階段下には、儀礼用の衣をまとった神官たちがずらりと並び、こちらを見つめていた。
(だから人が多いんだってば……)
「勇者御一行の皆さま! 二百年ぶりのご帰還、心よりお待ち申し上げておりました!」
口々に礼の言葉が告げられ、花や香が捧げられる。
ぷーたは女性神官の腕の中で眠たそうにしている。
「あの、私……レナじゃなくて、顔が似てるけど別人で——」
「——またまた。ご冗談を」
目の前の神官が、にこやかに首を振る。冗談半分に、というよりは“信じる気がない”笑みだ。
「とりあえず笑ってやり過ごしておけばいいんだ。ぷーたみたいにどっしり構えてろよ」
聖剣が耳元で囁く。
和やかな笑顔と祝福の言葉に包まれていたその時——
神殿の奥の方から、ゆっくりと一人の男が歩み出てきた。
その衣は神官たちの白衣とは違い、深い群青と金糸で飾られている。
ただそこに立つだけで、祝福の声が、まるで風にさらわれたように消えていった。
「……だ、大神官様」
周囲の神官たちが一斉に道を開ける。
男は迷いなくみさきの前に立つと、深く一礼した。
その瞬間、周囲の神官たちがざわめきを飲み込み、再びしんと静まり返る。
「——神が、あなたを何日も前からお待ちしております」
(え……?)
先ほどまでの賑やかさが嘘のように、広場は静まり返った。
遠くの方から、まだ群衆の騒ぐ声がかすかに響いていた。
祝福のざわめきが、突如として凍りついた。
奥から現れたのは、群青と金の衣を纏う大神官。
その口から紡がれた言葉は——
「神が、あなたを待っている」
次回、いよいよ“神”が姿を現す。
その出会いが、物語の歯車を大きく狂わせることになるとも知らずに。




