第16話 拒絶の幻想領域(リジェクト・ファンタズム)~崩壊を拒む心の牢獄~
我が魂の奥底に眠りし『記憶』が再び目覚める――
抗えぬ過去、砕けぬ結界。
漆黒の闇に沈む運命の歯車は、静かに動き出す……。
さあ、刻は満ちた。
そなたも共に、深淵の扉を開くがよい――!
「ルルさんはどうしますか?」
ライルの問いに、ルルはほんの少し沈黙した。
「……まだ答えをもらっていませんし、正直、納得もいっていません。だから……もう少しだけ、ご一緒させてもらいます」
そう答えると、ライルの表情がふっと和らぐ。
(あれ? これは、もしかしてラブの予感……?)
「みさき様も、儀式はほどほどにして、そろそろ出発の準備をお願いします」
最近、私が『儀式』という名の現実逃避をしているのを、ライルも完全に察してきたらしい。なんというか、もう私の扱いにも慣れたものである。
出発の準備なんて、本当は何もない。 それでも、あっちをうろうろ、こっちをうろうろしてみたり、「えーと……」なんて意味もなく呟いてみたり、精一杯悪あがきをしてみる。
「みさき様」
低く静かなライルの声に促され、私はついに観念した。
「……着きましたね」
道中は休憩を挟みながら順調に進んだ。道が整備されているわけでもないのに妙に平坦で、山も谷も存在しない世界なんじゃないかと疑いたくなるほど。
見渡すかぎりの草原。その真ん中にぽつんと、巨大な結界が異物のように鎮座している。村というより、小さな集落くらいのサイズ。
結界にそっと手を伸ばす。 今回はどんな記憶が見えるんだろう。
――ゆっくりと、意識が記憶の中へと流れ込んでいく。
記憶の中の私は自分の部屋にいた。 机の上に広げられた教科書を無表情で見つめている。
そこには、悪意に満ちた落書きがあった。
『猫殺し』『学校に来ないでください』
(えっ……これ、いじめ……?)
心臓がギュッと掴まれたみたいに痛い。胸の奥で苦しい何かが膨らむ。
コンコン。
ドアを叩く音に、反射的に教科書を閉じた。
『また泣いてたの?』
『……違うよ』
『ね、お母さん。みさきのためにもっとお祈りするから、一緒に集会に行きましょう?』
(なに……この会話、知らない……)
母が友人に宗教の勧誘を受けて困っていた時期はあったけど、結局入らなかったはずだ。 教科書の落書きだって、見覚えなんてない。
『うん』
(ちがう……! ちがう、こんなの知らない!)
強い拒絶がこみ上げて、現実へと引き戻された。
気がつくと、結界に触れていた手が離れていた。
結界には、ヒビひとつ入っていなかった。
「どうして……割れてないの……?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
自然に口からこぼれる謝罪の言葉。 誰に謝っているんだろう。過去の自分? それとも……。
(自分で作ったはずの世界なのに……現実でも、こっちでも……私、結局なにもできてない……)
自己嫌悪で心が押し潰されそうになる。
ぽん、と優しく肩に手が置かれた。
「っ……!」
思わず身をすくめてしまう。
「……言いたくないこともあるでしょう。でも、僕たちにも話してくれませんか? みさき様の力になりたいんです」
そっと顔を上げると、そこにはいつもの優しい笑顔のライルがいた。 その表情を見た瞬間――ずっと我慢していた涙が、ついに溢れ出したのだった。
くっ……またしても忌まわしき『記憶』に囚われたか……。
我が封印せし過去が牙を剥く。
だが、我には導きの使者がおる……ふっ、この闇が消えぬなら、共に堕ちるも一興……。
次章、さらなる深き闇の世界で再び相見えようぞ!