第13話 禁忌ノ湯《アマノユ》と夜に舞いし聖獣、そして鼻毛ノ疑惑
――遥か古より癒しの地として伝わる“温泉”。
それは、肉体の緊張を解き、精神の輪郭をぼかす“液体の魔陣”である。
湯けむりの向こうに浮かぶ微睡と、静かに燃える灯……。
我が存在に疲労の概念はない。されど、
温泉って……いいな。
口論もどうにか収まり、私たちは宿へと向かった。
疲れ、気まずさ、悪目立ちした恥ずかしさ……いろんな感情が、どっと押し寄せてくる。
「は〜〜〜……しみる……」
静かに湯気の立ちのぼる岩風呂に、体を沈める。
ああ、異世界にも温泉があるって……なんか、いいな。
湯のぬくもりが今日一日のトラブルを少しだけ溶かしてくれる。
疲れを感じない体になってしまったけど、それでもお湯に浸かると不思議と気持ちが落ち着いた。
「……お湯の成分、ちょっと変わってますね。魔力反応があります……」
隣で湯をすくって観察しているルルがつぶやく。
ロード共和国にちょくちょく滞在してるのに、温泉は初めてなんだとか。
(ホント、興味のあることに対しての情熱すごいな……)
顔を近づけて、お湯にぶつぶつ話しかけているようにも見えるルル。その頬がやけに赤い。
「ちょ、のぼせてない!? 顔まっかだよ!」
慌てて声をかけると、ルルは「だ、大丈夫です……」と言いながらふらついた。
いや絶対ダメだろそれ。
◇ ◇ ◇
夕食も終わり、みんな思い思いに時間を過ごす中、
私も麻の浴衣に着替え、ふらりと外に出てみる。
湯気がもくもくと立ちのぼり、下から照らされた光でぼんやりと風景が浮かび上がる。幻想的だ。
(宿の造りも、浴衣も、食事スタイルまで日本と一緒……。
さすがにこれは“自然発生”って感じじゃないよね)
──ふと、次の目的地のことを思い出す。
封印場所のひとつは、このロード共和国から少し離れた秘境の温泉。
古くからどんな傷も癒すとされ、かつては傷ついた冒険者たちの間で“奇跡の湯”として知られていたらしい。
聖獣の森の報告をしたとき、「ぜひ優先的に行ってくれ」と言われた場所だ。
(全部の封印を解き終わったら……なにが起きるんだろう)
「……ここに居ましたか。あっ」
振り向くと、ライルが立っていた。
一瞬だけみさき見て、すぐに顔をそらしてしまう。
えっ、なに? と思って自分を見ると、浴衣のすそが乱れていて、太ももがまるっと露出していた。ヤバっ!普段のだらしなさが出てしまった……。
「す、すみません!……お見苦しいものを……」
「い、いえ」
また顔をじっとみてくる。なにか言いたそうにしてる感じにも見えなくもない。
(まさか……顔に食べかすついてたとか!?)
急いで口まわりを手で拭う。……何もない。
(ま、まさか……鼻毛……?いや、この世界で異物扱いの私にそもそも毛がはえるという概念が……)
やっぱり心配になって鼻の下をこっそり確認しようとすると──
「じゃあ、明日もよろしくお願いします。みさき様も、早めにお休みください」
ぺこりと頭を下げ、逃げるように立ち去ってしまった。
「……まぁ、暗いから……最悪出てても見えないかな……」
◇ ◇ ◇
深夜。
それぞれが床についたあと、みさきの頭の上で眠っていたはずの聖獣ぷーたは、いつの間にか姿を消していた。
◇ ◇ ◇
月明かりに照らされながら、ふわふわと宙を漂うぷーた。
通りかかった酔っ払いの町人がそれを見て、ぎょっと目を見開く。
「な、なんだあれは……!?」
「ま、まさか……あれが聖獣様……!?」
「袋持ってこい!!」
興奮した町人たちは、まるで神が舞い降りたかのような騒ぎを始めた。
一方のぷーたは、まったく気にする様子もなく、のんびりと漂っている。
「えっ!? 浮いてる……!」
「捕まえたらご利益があるぞ! 聖獣様だーっ!」
そんな熱狂もどこ吹く風、ぷーたは路地をひょいっと曲がり、夜の闇に消えていった。
「おい! 聖獣様、どこ行った!?!?」
◇ ◇ ◇
翌朝──
町は異様な熱気に包まれていた。
「封印が解けたから、聖獣様が出てきたって聞いたよ!」
「ギラリと目が光ってたってさ!」
「わたしも見たかったー!」
あちこちで“聖獣様目撃談”が飛び交っている。
もう完全にひと騒動だ。
「聖獣様が出たって騒がれてるけど……ぷーた外出てた?」
私の頭の上で、ぷーたがくるくる回って「ぷーっ」と鳴いた。
(いや、どっちやねん……)
そんなざわつく町を後にして、私たちは次の封印の地を目指して歩き出した。
聖なる獣が夜空を舞い、町は狂乱に染まった。
あの姿はすでに神格化され、
人々は“見た”というだけで尊み、崇め、騒ぎ、走り出す。
――これはもう、時間の問題だ。
近いうちに誰かが言い出すだろう。
「聖獣様に賞金を」
「捕まえた者に永遠の加護を」
……ぷーたよ、お前は逃げ切れるのか?
これは、すでに静かなる戦争の幕開けかもしれぬ……。