0話 水色の鑑
※運命の導きが訪れたときのみ、筆は走る――ゆえに不定期。
「……え?」
目を覚ました瞬間、守山みさき(32)は、石畳の上に寝転んでいた。
冷たい。
そして、目に飛び込んできたのは――やけに澄んだ、水色の空。
「……え? どこ?」
あたりを見渡すと、まるでヨーロッパの田舎町みたいな景色が広がっていた。
レンガ造りの家、道端の小さな花、古びた井戸。
のどかな風景。だけど……なにかが、おかしい。
――人が、動いていない。
水を汲もうとしている少女が、そのまま静止している。
走り出そうとしていた少年も、笑顔のまま止まっている。
みんな、まるで時間ごと凍りついてしまったかのようだった。
「……えーっと。夢、だよね?」
思わず、頬をぺちんと叩いてみる。
痛い。普通に、痛い。
「仕事に追われて寝不足続きで……こんな変な夢、見るとか……」
はぁ、と深いため息をついて、ぺたんと座り込む。
だけど、風の音も人の声もないこの空間は、あまりに現実味がなさすぎる。
そして、ふと気づく。
――全体が、淡い水色に染まっている。
(……これ、空の色じゃない。空気が、色づいてる……?)
気になって、みさきは立ち上がる。
視線の先、村の外れにある入り口へと足を向けた。
そこにあったのは――見えない壁。
いや、近づいてようやくわかる。
それは**結晶のように透き通った“膜”**だった。
ゆらめく水色の光。そこに、うっすらと自分の姿が映っている。
「……誰? この美人」
少しクセのある黒茶の長髪。色白で
背は高く、すらっとした体型。そして、服装は――まるで冒険者。
「……あれ?なんだか……」
結晶の膜に映った自分にそっと手を伸ばす。
――キィン。
その瞬間、胸の奥が締めつけられるような痛みに襲われた。
息が詰まりそうになる。懐かしくて、苦しくて、涙が出そうな感情。
(……なにこれ。なに、この感覚……)
思い出す。
誰にも見せなかった、あのノート。
親の怒鳴り声をかき消すように、書き殴っていた物語。
――中学生の頃。
必死に、必死に、現実から逃げるように夢中で書いた、あの物語。
(まさか……)
その瞬間。
パリン――!
乾いた音が響いて、結晶の膜にヒビが入る。
村を包んでいた水色の壁が、粉々に砕け散った。
光の粒が空に舞い、止まっていた風景が――動き出す。
「おかえりなさい」「さあ、急がなきゃ」
凍っていた人々が、何事もなかったかのように動き始めた。
「……えええ!急に!?」
混乱するみさきをよそに、村の中はごく普通の日常に戻っていく。
そんな中――村の入り口の外にある、朽ちかけた看板に気づいた。
『ここは、始まりの地』
「……っっっっっ!!??」
(え、だっさ……誰よこんな名前つけたの……)
――だが、同時に。
『一番最初の村はね、かっこいい名前がいいかな! "インフィニティ"とか響き最高!』
『“始まりの地”に“インフィニティ”ってつけるとか、あたし天才かも~!』
昔の自分の声が、頭の中に響いた。思い出したくない記憶が溢れてくる。
(やばい。これ、ほんとに……)
震える手で、看板をそっと撫でる。
「夢、だよね。絶対、夢。うん。そういうことにしとこ……」
そう呟きながらも、みさきは動けなかった。
――まるで、誰かが続きを書いてくれるのを、ずっと待っていた登場人物のように。
カッコいい名前をつけただけで満足してイベントどころか作中から存在すら消えてしまうパターン。