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神さまの嫌われもの  作者: marvin
16章 聖魔戦争
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16-3 堕天

 ようやく、霊力が尽き果てた。天使の神気は消え去った。

 あれを殺しはしないかと、霧の制御は腐心をしたが、まだザイナスは生きている。天使が最後に癒したらしい。置き土産としては上々だ。

 魔女の眼前を埋めるのは、白く巨大な塊だった。無数の蛇が巻いている。天使の守りを喰い潰し、四方で腹を畝らせていた。霧の首を捩じ込んで、奥へ奥へと潜り込んで行く。その選択の末とはいえ、天使の血肉は残るまい。行き過ぎたか、と舌を打つ。つい昂ってしまったが、今となっては惜しくもあった。

 ふと、怪訝に見入った。

 縺れた隙間が陰っている。霧の白にはない色だ。所々に覗いた陰は、見る間に大きく拡がって行く。黒々と霧の蛇を喰い削る。神器か――否、あれは天使の色ではない。夜よりもなお真っ黒な、まるでザイナスの瞳の色だ。

「どうして、こんなことが」

 呻くように呟いたのは、魔女と――そして、ザイナスだった。


「無信心にもほどがある」

 大きく広げた翼の光が、ぽつり、ぽつりと消えて行く。まるで街の灯が落ちるように白銀の羽根は一斉に漆黒に転じた。槍が、剣が、槌が。盾が、鎧が、冠が。弓も、短剣も、首環も全て。全てが真っ黒になってしまった。

「悪いね、誤算だ。これはボクだけの筈だったのに」

 連結をすっかり忘れていた、とアベルは言った。これほどの事になるなんて。

「嘘いいなさい、わざとでしょう」

 ペトロネラが息を吐く。皆も同様に確信があった。これはアベルの企みだ。

 アベルの言葉を切っ掛けに、皆は迷いに侵された。神威の源泉をザイナスに求めた。それは背信、背任だ。御使いの存在は失効する。誰一人、賞牌(マユス)の代替に確信などなかった。ただ、一緒に堕ちたいと願っただけだ。

「そうかもね。でも、願ったのなら仕方ない」

 あっけらかんとクリスタは笑った。

「叶ったのなら、尽くすまでだ」

 シーグリッドは平然と、初めからそうあるべきだったかのように頷いた。

 ザイナスは途方に暮れていた。何が起こったかわからない。いや、解っている。解っているから、わからない。皆がザイナスに繋がっている。

 例え賞牌(マユス)が何であれ、人が御柱の代替になるとは思えない。それとも、それを介して天に届いたか。ならば、どの御柱に。不安と疑問の他にない。只々皆の復調が、以前に増して纏う神気が、手に取るようにわかるだけだ。


「どうして、こんなことが」

 ザイナスと――そして、魔女は同じ言葉を呟いた。

 あれは兎も角、ザイナスに集う天使が健在だとは。

 否、あれは本当に天使だろうか? スヴァールとは、まるで検知が異なっている。天上の神格ではない。魔女は霧を立ち上げて、なお強大な蛇を放った。

 蛇が闇に齧られた。神器に尽く削られる。それは何れも漆黒で、霧との境が曖昧だ。シーグリッドの黒い光輪が薙いだ後には、靄さえも残らなかった。

「なるほど、調子は悪くない」

 得物の具合を見定めるように、彼女は冷えた声で囁いた。

「あまり兄さんに負担が掛かけないで」

 リズベットがつい諫めると、表情を変えずに頷いた。

「過保護に思うが、承知した――が、その兄さんとはどういう意味だ」

 問い返すシーグリッドの肩に馴れ馴れしく肘を掛け、クリスタが嵩高に見遣る。

「気にすんな、あれは姑みたいなもんだ」

「先輩風を浮かせている場合か」

 オルガが呆れてクリスタを小突いた。

「最後の新顔は、ほら――あそこだ」

 顎先で佇む魔女を指し、そう言った。

 その背に再び白い絶壁が立っていた。魔女が四方に霧を呼び集めている。巨人機(アルビオン改)を砕いた大波の再来だ。全てを洗い流す気でいるらしい。

「あんなのに、ですの?」

 口許を覆った手の下でペトロネラは思い切り顔を顰めた。

「あいつは端女で十分だ」

 ティルダが言い捨て、魔女に向かって駆け出した。

「それは犬より身分は上かな」

 アベルが笑って追い掛ける。

 陰るほどの霧の壁にも、ザイナスは不思議と不安を感じなかった。皆の背中を眺め遣り、どう声を掛けたものかと迷っている。こうなったのは、自分のせいだ。自覚はないが、そうなのだろう。そんな確信だけはある。

「ご安心ください。スヴァールから魂刈りの資格を奪う必要はありませんから」

 傍にするりと身を滑り込ませ、ソフィーアがザイナスに囁いた。

「それより、何処か安全な――」

 ふとザイナスの肩越しに見て、剣呑な目をしたラーズに気づいた。

「貴方も魔女を倒しに行かれては?」

 微笑んでラーズに戦場を促す。

「この力を見ろ、もはや憂さ晴らしにもならん」

 応えてラーズはソフィーアに半目を向けた。

「それより、ザイナスには見張りが必要だ」

 舌打ちするソフィーアをちらと見て、ザイナスは魔女に目を遣った。

 一転、天を衝く霧の大壁は多頭の竜を成し、御使いたちに雪崩落ちた。だが、彼女たちの霊力は有り余っている。むしろ、持て余している。

 蠢く霧の竜頭は、もはや人より遥かに大きい。だが槍が、剣が、槌が、容赦なく喰み削った。散るのも許されず、ただ神器の黒色にに呑まれてて行く。霧は砕き捨てられた魂だ。それを神器が喰らっている。魂を喰らっているのだ。

「舐めるのも、大概にせよ」

 魔女は困惑した。そも賞牌(マユス)が源泉であったとしても、十一騎もの天使が寄れば、あっという間に呑み尽くす筈だ。後先を考えぬ愚行ではないか。

 それとも、思い違いは吾の方か。

 迫るペトロネラの剣を払い、喉笛に霧の蛇を射つ。クリスタの盾に阻まれた。打ち掛かるティルダと目が合い、足下に大顎を立ち上げる。頭の上からひと呑みにして、顎が爆ぜた。思わず破片に身を庇ったのは、人の身の反射だった。

 首筋に怖気が走った。ビルギットの槌が掠め過ぎ、髪をちりちりと焼いた。霧に転じて飛び退り、相手を視野に囲い込む。周囲の翳りに天を見上げた。

 エステルの巨大な掌が降り落ちた。

 リズベットとシーグリッドが御使いたちを繋いでいる。権能も知覚も意識さえも、ひとつの生き物のように混ざり合い、魔女を仔猫のように弄んでいる。

 魔女は咄嗟に指を擦り抜け、地を打ち震わせる手の甲に立った。アベルの気配を項に捉える。三たび短剣で喉を突く――魔女はそれを読み取った。

 躱した――刹那、胸先に漆黒の槍先が突き出した。アベルはそれを眺め遣り、魔女に一礼して見せた。背で柄を握ったオルガが告げる。

「人の身に縫い止めた。足掻けば身体は死に至るぞ」

 もはや、魔女の身体は指先さえも思い通りに動かなかった。

 シーグリッドが現れて、胸に立つ黒い切先を冷えた目で見おろした。

「さて、魔女よ。人の魂と逝くか、それともスヴァールと共に天に還るかを選べ」


 巨大な人影が掻き消えて、エステルがザイナスを振り返った。駆け寄る頭上を大人げなく飛び越え、リズベットがザイナスの隣で漆黒の翼を畳んだ。

 おつかれさま、と微笑むソフィーアの白々しさに、ラーズが呆れた目を向ける。

 オルガが魔女を連れて来た。辛うじて歩いてはいるものの、胸には槍の切っ先が覗いている。散々煮え湯を飲まされた皆は、変わらず警戒しているようだ。

 痛ましい姿ながら、ザイナスと対峙した目は変わらない。リズベットと同じ歳頃の身体に、魔女とスヴァール、そしてカミラが混在している。

「私のようにはいきません。彼女の人格は、もはや分け難いでしょう」

 釘を刺すように、ソフィーアはザイナスに唇を寄た。

「カミラ・ヴォルゴートの魂を砕けば、魔女もスヴァールも拠り所を失う」

 シーグリッドの提案に、ザイナスは心持ち首を竦めた。

「さて、どうする」

 オルガが問う。

「いまさら聞く?」

 クリスタが肩を竦めた。

 さて、とザイナスは思案する。御使いは人知の及ばぬ天に還り、魔女は再び歴史の隅に消える。天と地の声を聞いた少女には、墓碑だけが残る。

 打ち捨てられた信仰の残滓が再び地上に顕れたのは、御使いの降臨が切っ掛けだ。そも、敬虔な少女を贄にしたのは御柱に他ならない。

「割りに合わない」

 カミラに来世はない。ザイナスもそうだ。今ではそれが自然な事にさえ思える。

「君はどう思う?」

 皆が些か呆れた事に、ザイナスは魔女に向かってそう訊ねた。

 見返し、魔女は慄いた。今生の柱は何を見た。無自覚の因果で墓穴を踏み抜いたのではないのか。これは天に拮抗する芽だ。現に理に仇成している。

 魔女は身動ぎ、口を開いた。掠れた声にザイナスが身を乗り出すや、渾身の力を振り絞った。少女の身体を捩って足掻く。御使いは感知の虚を突かれ、反応が遅れた。オルガの槍先から庇護が解け、魔女の心臓を刃先が抜ける。

 反射的に手を伸ばしたザイナスに縋りつき、魔女はその喉笛に喰らいついた。

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