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神さまの嫌われもの  作者: marvin
15章 魔女と聖女
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15-4 崩落

 小屋ほど大きな積み石が、王墓の丘を跳ね落ちた。埋め跡の残る斜面の上を、麓の先まで転がって行く。街の建屋が轢き潰れるたび、遠くで悲鳴が尾を引いた。丘の頂は素知らぬ顔で、今も石と土塊を噴き上げている。

 王墓は既に形もなかった。石室は基礎ごと掘り捨てられ、残った石柱は彼岸花のように傾いでいた。見上げた者の証言によれば、石柱も跨ぐ黒い巨人が王墓を掴んで引き剥がし、辺り構わず投げ投げ捨てたとか。

 人の不安もお構いなしに、ビルギットは夢中で巨人機(アルビオン改)を駆る。

 四脚で周囲を尽き崩し、機体を巡る鉄の桶で土砂を外に放り撒く。ティルダの神輿は使い捨てだが、クリスタよりも動力にムラがない。操縦室の窓の外は、もう天辺まで土の下だ。真下を探る映写盤を覗き、彼女は伝声管で皆に伝えた。

「下に大きな穴」

 割れた大音量に顔を顰めて、ラーズは頭上を振り仰いだ。覆い被さる巨人の影で、辺り一面は真っ暗闇だ。大聖堂ほどある鉄塊は四肢を駆使して器用に潜る。掘り返された大穴の縁には、大雨のように土砂が降っていた。

「スクルドたちの下りた通路か」

 ラーズは支柱の脚に飛び乗り、伝声管に向かって声を張り上げた。大掛かりなため身の逃げ場は多いが、何処に行っても駆動音が五月蠅くて敵わない。

「もっと大きい。隙間はあるけど、それより下。底まで探信が届かない」

 ラーズは内心の焦りを堪え、暗い穴底を覗き込んだ。

 警戒を怠ったつもりはないが、まんまと魔女にザイナスを攫われてしまった。護衛を任じていただけに、自分自身が腹立たしい。

 件の霧が引くのを待たず慌ててザイナスを探したが、痕跡ひとつ見当たらない。どころか、開いていた筈の地下道が再び厚い石敷きの床に変わっていた。

 焦ったティルダがいきり立ち、咄嗟にビルギットを嗾けた。見掛けに反してビルギットが息巻き、止める間もなく巨人機(アルビオン改)で突喊した。一撃で石室を取り払い、犬のように王墓を掘り返し始めたのが、事の経緯だ。

 やってしまったら、仕方がない。アベルとクリスタが悪乗りし、乗り遅れたラーズは渋々指揮を執った。ザイナス奪還が最優先なのは、彼女も一致するところだ。王国起源の墓所であれ、御使いたちは気にも留めなかった。

 魔女は何らかの仕掛けを以て、続く通路を分断している。幾つか隔絶した空洞を掘り当てたものの、至る道筋はまだ見つかっていない。

「駄目だね、こっちも塞がってる」

 崩して見つけた横穴の端から、アベルがのそりと顔を出した。ラーズが頷き、もうひとつの穴に潜り込んだティルダに声を投げる。

「そっちはどうだ」

「石扉だ、下に広間があるかも知れん」

 声と共にティルダが穴から駆け出して来た。存外、巨人機(アルビオン改)の突喊は、魔女の予想にもなかっただろう。人が辿っての探索ならば、恐らく惑わせられもした。それが路ごと掘り返されようとは、迷宮を造った甲斐もない。

「下向きだったら、このまま掘る」

 巨人機(アルビオン改)が四肢を踏み換えながら身を屈める。アベルとラーズが跳んで避け、頭上の影に鉢合わせたティルダが慌てて逃げた。

「よし、魔女ごと踏み抜け」

 クリスタがビルギットを嗾ける。

「やめろ、わが王を殺す気か」

 ティルダが声を上げて巨人機(アルビオン改)の脚を蹴り上げる。

「慎重にやる。巨人機(アルビオン改)が落ちる」

「まどろっこしいな」

 クリスタが巨人機(アルビオン改)に這い上がる。ビルギットの操作を邪魔するつもりだ。待て勝手なことをするな、とティルダが慌てて後を追う。

 肩を竦めるラーズの隣に、アベルがゆるりとやって来た。

「これだけ派手にやってるのにねえ」

 アベルの呟きに言外を察し、ラーズは彼に一瞥を投げる。

「こっちは構うに及ばないか」

「こっちを構う余裕がないか」

 アベルはラーズに言葉を足した。

「むしろ、あの連中があっさりやられちゃ困る」

 他人事のようなアベルに、ラーズは鼻を鳴らして応えた。

「案外、ザイナスに手古摺ってるんじゃないかと、オレは思う」

「ああ、それは有り得るね」

 魔女の罠は念入りだ。御使いの降臨が契機にせよ、十余年の策も厭わない。それこそ皆の知る以前から、罠は幾重にも仕掛けられていただろう。ザイナスは、その悉くを潜り抜けた。その足を絡め取った魂なきもの(ノスフェラトゥ)の索でさえ、手繰り寄せようとする幾重の罠を彼はこうして生き延びている。

「思えばザイナスの厄憑も、幾らかは魔女の仕業かも、だ」

 評するアベルを横目に、知らずラーズは独りごちた。

「本当に、ザイナスは人か」

 アベルの視線に気づいて口籠る。ラーズは誤魔化すように舌打ちした。

「ボクもね、ひとつ考えてることがあるんだ。内緒のついでに教えておこうか」

 お返しに、とばかりにアベルが悪戯な目で囁いた。

「近いうちに、自由神(ケイオス)を――」

 不意に足下が大きく震えた。二人、巨人機(アルビオン改)を見上げるも、機体がぴたりと駆動を止めた。クリスタとティルダも昇降口で何事かと振り返る。

「ええと」

 ビルギットの声が伝声管に割れた。

「底が抜けた」


 ◇


 甘い暗がりの中でシーグリッドは目覚めた。記憶の手前は霧の中だ。ザイナスが失せ、届かない言葉を呑み込むうちに意識が遠退いたのを憶えている。

 霧は消えていた。瞼の外は暗闇だったが、石室の天井が間近に見通せた。

 身体は動くが、まだ鈍い。恐らく御使いが降りたあの日、霧に攫われた日のままだ。ともすれば、十年前の最後の粥がまだ胃の中に残っている。

 回復に時間を擁するのは仕方がない。

 だが世界とは、こうも賑やかだっただろうか。霧の中にも五感はあったが、こうして思えば情報の量が違う。無風の暗闇に横たわっていてさえ、シーグリッドはそう感じた。切り捨てた雑音と意識から排した雑音は違うのだ。

 例えば、体温と息遣い。少し焦げた布の匂い。間近に感じる自分以外。何より、シーグリッドを霧の中から手繰り寄せた温もりが、まだ唇に残っている。

「私を奪ったな」

 傍に呟くと、言い訳めいた溜息が返った。

「君が脅すから。いきなり襲われでもしたら、僕には勝ち目がない」

 シーグリッドは目線を向けて、以前さえ使った覚えのない頬の筋肉を動かした。

「作戦通りだ」

 何だそれ。ザイナスが呆れたような顔をする。

「だが、唇だけか。破瓜の痛みはくれないのか」

「修道士のくせに、はしたない」

「使いを穢して今更だ、ザイナス」

 シーグリッドはそう言って、楽しそうに目を閉じた。

「ああ、だがおまえの罵倒なら心地よい」

 ザイナスは石の天井を見上げて呻いた。

 慣れない会話を交わしつつ、シーグリッドはザイナスを探った。存外に脆弱な術式とはいえ、古式の焔を素手で消すなどと。身体を焼くに十分だった筈だ。

「ともあれ、いま死んだら魔女の思う壺だ」

 ザイナスは寝転がったまま肩を竦めた。

「ひとつずつ片付けよう」

 そう呟いて天井を指した。腕を伸ばせば届くほど、石室の蓋は目の前にある。

 辺りを探ってみたものの、どうやら隙間も手掛かりもない。勿論スヴァールの権能ならば、霧を介して操り通り抜けられる。そも、出入り口の必要がない。

 つまり、餓死どころか窒息死の可能性もあるということだ。

「どうやら石堂の中のようだ。外はそれなりに開けているが――」

 ふと、シーグリッドが口籠る。ザイナスも気づいて呟いた。

「揺れてるような気がするんだけど?」


 ◇


 ふと、魔女が動きを止めた。リズベットが霧に目を凝らすも、カミラの表情はわからない。だが、隣で小さな影が身動いだ。燥いだ声を張り上げる。

「ザイナスが帰って来た」

 声に向かって頸を傾け、魔女はエステルに言い捨てた。

「古神代の妃は耳聡いな」

 凝らせばリズベットにも感知ができた。先に聞こえた魂を削られるような悲鳴ではない。水底で爆ぜた泡のようなザイナスの意識だ。

「魔女といえども、ザイナスの番狂わせは如何ともし難いのか」

 オルガは鼻でそう笑った。同情するような様子さえ見せる。

「ということは、シグルーンを篭絡しましたの?」

「流石はザイナスさま、ですが、その」

「兄さん……」

 皆が揃って複雑な表情で口籠る。肉欲も情愛も削ぎ落された黒神(アノル)聖堂の神の娘(ギレンレイヴ)、しかも降りたのがシグルーンとなれば、相手は鉄壁の乙女の筈だ。だがザイナスの誑かしは、どうやらそれ以上だったらしい。

 当人は必死に否定するだろうが、事実なのだから仕方がない。

 彼女らの呟きを真に受けた訳ではないが、魔女の内にもさざ波が立った。

 あれを炙り出す為に、幾重も罠を掛けて来た。捉えたと思ったのも、これが初めての事ではない。だが、ほんの僅かな偶然で、いつもするりとこの手を抜ける。

 よもや黒神(アノル)の天使さえ、練った好機を逃すとは。賞牌(マユス)はそれほど硬いのか。あるいは柱の気紛れが、器までをも歪めているのか。

 魔女は内心で爪を噛む。思えば呑気に問われた最初が、あろう事か地霊術(ゴエティア)の起源だ。人界に埋もれた信仰の断片など、古神の残滓に他ならない。天上は勿論、魔女さえ認識するのは禁忌だ。虚に留める他はない。

 明日の天気を占うなどと、戯言を言うほど俗なもの――そう考えようとはしたもの、こうした縁は無下にできない。むしろ、下手には触れられなかった。

 今生の柱は何を考えている。承知の上で賞牌(マユス)を配したのか。これではまるで、自身の破滅に手を伸ばしているかのようだ。

 魔女は身震いを押し隠し、霧の端に意識を乗せて頭上に大きく手を伸ばした。策を弄するのはもう終いだ。不確実には目を瞑り、原初の手順を全うする。

 空が、大きく地響きを鳴らした。


 ◇


 滑落に呑まれて巨人機(アルビオン改)が滑る。足底に開いた土砂の渦に潜り込んで行く。四肢が猛然と再び動き、周囲の土塊を撥ね上げた。どちらを選ぶか迷ったものの、アベルとラーズは機体を駆けて、操縦室に飛び込んだ。

「右手に岩だ、早く掴まれ」

 ティルダが窓に齧りつき、ビルギットに指示を飛ばしている。聞いているのか、いないのか、ビルギットは操作盤の上で喘いでる。御使いであっても手が足りない。必死になって動かすが、まるで瀕死の丸猫が鼠を追うような有様だ。

「ねえ、下の四角に赤いのが――」

 のほほんと横から頭を突っ込み、クリスタが盤面に身を乗り出した。

「邪魔をするなヘルフ、あっちへ行け」

 ティルダが無下に押し返した。

 扉を閉めて土砂を追い出しながら、それを眺めてアベルが評した。

「みんな働き者だなあ」

 つんのめるように巨人機(アルビオン改)が揺れた。ゆっくり下り、がたがた登る。耳を弄する重機の音が、嫌というほど高まった。雹の打つような音もする。忙しなく動く鉄の四肢が、周囲の土砂を水のように掻き上げていた。

「これってさ――」

 問われる前にビルギットが制した。びしりと両手を真横に掲げ、音も立てるなと真っ赤になった。皆も思わず動きを止めて、ビルギットに注目する。

 操作盤を睨んで一頻り唸り、ビルギットは肩を竦めた。

「駄目、落ちる」


 ◇


 白銀の光輪が辺りを埋める。内から支えて倒壊に耐える。二人の揺れは収まらない。そうした力の拮抗が、却って不穏な音を立てている。

「おまえの妙な術は我が身を護れるか?」

 シーグリッドはザイナスに問い掛けた。

 彼女が初めに危惧した通り、此処には御柱の手が届かない。自身に抱えた神気だけでは、厚みの知れない積み石に対して、力の加減が難しい。こと、人の身のザイナスは脆弱だ。かなりの危険を伴うだろう。

「残念ながら」

 聖霊術の類と異なり、地霊術(ゴエティア)は市井の占術だ。発現こそはするものの、対象ではなく事象が相手だ。似通う結果も実は論理の根が違う。自身をどうこうするのは不得手だ。当然、制御も儘ならない。

「ならば、耐えて貰うしか――」

 シーグリッドは言い掛けて、言葉の途中でぷつりと切った。いよいよ以って激しく揺れたが、それも単なる前兆だった。

 土砂の濁流が石室を呑み込み、二人もろとも押し流した。更には天が降るような巨大な鉄塊が落ちてきて、二人を地盤の底ごと圧し潰した。


 ◇


 気づけば魔女が消えていた。ぐるりに壁を成すように周囲の霧が逃げて行く。

「何が起きた」

 呟くオルガの姿が見えた。辺りを探すまでもなく、互いの場所は案外に近い。見渡せば、立ち上がる霧が四方に退く。まるで、ぽつんと地上に居るかのようだ。想像以上に辺りが広い。何より天蓋が遥かに遠く、空と呼んでも差し支えない。

「上だ」

 頭上の一角が小さくひび割れ、白い泡を噴いた。だが目測を思い直せば、王墓ほどの大きさはある。あれは粉塵、いや、土砂だ。呆然とするうち、破裂した。

 一欠片、二欠片の岩ではない。土砂の濁流が降って来る。

 真下に眺める大瀑布の中に、異質なものが垣間見えた。巨大な鉄の四肢が突き出し、くるくると翻弄されている。土砂と積み石、円天蓋の石堂を押し潰した巨人機(アルビオン改)の躯体が、皆に向かって落ちて来た。

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