表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神さまの嫌われもの  作者: marvin
15章 魔女と聖女
59/65

15-3 蒼い焔

 魂の選別場(ニヴルヘイム)は架空の異層だ。魂を具現化し、物質的に扱う仕組みで成っている。血肉を外れた魂の、その行き先を定める場所だ。御使いが選んで導く他は、全てスヴァールがそれを管理している。

 善き魂は来世の血肉に、より善き魂は天界に――全人観測儀(エリュシオン)へと導かれる。来世は御柱との契約であり、信仰で魂は保証される。

 ただし、教会が教えぬ事実もあった。来世は決して絶対ではない。

 不浄の魂は砕かれる。

 御使いが価値なしと判じたものは、砕かれて微細な片となる。それらは朽ちずに吹き溜まり、魂の選別場(ニヴルヘイム)を真っ白な霧のように満たしてる。


 ◇


 ザイナスは堪らず膝を折り、腕を抱えて呻きを吐いた。息ができない。声も出せない。僅かな身動ぎも苦痛を呼ぶ。身体が痛みに怯えて動かない。

 白銀の光がザイナスを苛んでいる。シグルーンの聖像は後背の輪に銀色を塗る。いわゆる後光が彼女の神器だ。それは矢に、槍に鞭にと形を変える。ザイナスの身体を貫くそれは、純粋な痛みだけをザイナスに与えていた。

 死にそうに痛いが、死に至らない。あるいはとうに死んでいるが、なおも苦痛が続いている。意識はこうして逃れても、身体の方は動くのも儘ならなかった。


「案ずるな、じき魂を圧し砕く」

 シーグリッドは囁いた。人の魂は存外、脆い。血肉の方がしぶといほどで、屍鬼(グール)もそうした成り立ちだ。故に、方法は幾つもあった。最も手早いやり方が、閾値を超えた苦痛の投与だ。それが神器の役割のひとつでもある。

 だが、おかしい。不自然だ。自我の殻など最初に割れる。こうも苦しむ筈がない。 賞牌(マユス)が硬く砕け難いとしても、とうに削り出されている筈だった。


 苦痛が思考を塗り潰す。壊れた意識が意味のない記憶を吐いている。その幾つもを横から眺めて、ザイナスは独り途方に暮れた。これはいつまで続くのか。

 なるほど、墓所の兵士が狂気に逃げる訳だ。逃れようのない痛みなら、意識をどうにかするしかない。ザイナスのように俯瞰する、もしくは信仰に縋る、など。神の娘(ギレンレイヴ)はそうした修練の果てと聞いたが――いずれ、ザイナスに信仰は不向きだ。それができれば、こんな目にも合ってはいない。

 そうする間にもザイナスは、永遠の苦痛の業火に焼かれて続けている。ただ、こうした責め苦には既視感もあり、またか――の思いも何処かにあった。


 シーグリッドは表情を変えず、冷えた目でザイナスを見おろし――内心で困惑に眉根を寄せた。何故にこれほどに時間が掛かるのか。

 これならば、いっそ。だが、殺してはならない。それは魔女の思う壺だ。魂を、賞牌(マユス)を苦痛で削って砕く。苦しみに喘ぐ美しい瞬間をもっと――。

 想定外の状況に、思考がむずむずとざわついている。否、違う。これはシーグリッドの奥底にあるものだ。人格形成の一隅に澱んだ衝動が励起されている。


 さて、どうしたものだろう。このままでは埒が明かない。身体に傷や欠損はないが、痛みで呼吸も儘ならない。そも、此処での呼吸は必要なのか。本当の身体が無事ではいても、無暗に時間を使ってしまえば餓死や衰弱を避けられない。

 この身体が本物でないのなら。この世界が異層であるのなら。

 地霊術(ゴエティア)を気兼ねなく試せはしないか。

 ふと、ザイナスはそう思い至った。皆のいるところでは使えない。余波が想定できないからだ。そうは決めたが、此処なら違う。迷惑の対象は限定される。

 どうせ、限界を待つなら――。


 ザイナスの苦痛はいや増している筈だ。吐息に混じる微かな呻き。蹲り震える長い四肢、細い指先。ほつれた髪が頬に貼りつき、汗の雫が輪郭を辿る。

 堪らなく、美しかった。

 シーグリッドは苦痛を食んで生きて来た。次々に抜け落ちる同輩たちが――彼女らの苦しみ藻掻く姿が自身の生き延びる糧だった。自分も同様にそれを味わい、やがては与える側になった。美しい痛みを。無用の器官と成り果てた子壷が喜び叫ぶ苦痛を。屈した相手の歪む様はシーグリッドをより強固にした。

 苦痛を得る者、そして苦痛を与える者が、唯一彼女に情動を呼び起す。それを自覚した刹那、シグルーンとシーグリッドの境界は崩落した。


 移換(ガープ)

 これが現でないならば、他者としても扱えるだろうか。得たものを還そう。


 シーグリッドの身体が跳ねた。受け身を取る事さえできず、棒切れのようひっくり返った。背が折れるほど反り返り、声にならない悲鳴を上げた。

 苦痛だ。死を乞うほどの激痛だった。今まで受けた修練にさえ、これほどの痛みに覚えがない。シグルーンでなければ死んでいた。シグルーンであっても打ちのめされた。身体が砕けるほどの不随意の痙攣を暫し止めようもなかった。


 唐突に苦痛が消え失せた。痺れも余韻も何もない。「痛かった」という言葉の記憶だけを残し、体感は急速に薄れて行く。心身に傷がないのが幸いだ。

 ザイナスは気怠げに立ち上がり、汗で貼りついた前髪を掻き上げた。ふと、手を止めて片方の目を覆う。閉じた筈の目の先が蒼く照らされた岩肌を見上げている。視線は動くが、ぎこちない。感覚を確かめながら指先を動かしてみる。

 ふと、霧を向いた目がシーグリッドと交わった。

 横たわったまま、ザイナスを仰いでいる。喘ぐように息を取り込み、今も小刻みに震えている。自身が与えた痛みなら、すぐに途絶えた筈だった。どうやら事情が異なるらしい。痛みの余韻が残っている様子だ。

 力を振り絞ったシーグリッドが、苦痛の切れ切れにザイナスに問う。

「私は、美しいか」

 震える身体を見おろして、ザイナスは困惑に眉を顰めた。何を言っているのだろう、この御使いは。答えを聞き取る間も持たず、シーグリッドは失神した。


 ◇


「狭いな」

 身体はどうにか動いたが、立ち上がれるほど高さがない。寝返りを打つように転がって、ザイナスは石室を這い進んだ。間近に蒼い灯が揺らいでいる。薪も油もない石敷の上に炎の壁が立っていた。向こうに横たわる影がある。

 シーグリッドの神器のせいか、ザイナスの意識は現実と霧の世界に跨っている。石室の身体に意識が向くほど、霧の世界は薄れて行くようだ。

「かなり希薄だ。境を越え掛けているようだな」

 失神から醒めたシーグリッドは、ザイナスへの態度が一変していた。ただ、ザイナスとしては、どうにも変心の理由が解らない。ティルダもそうだ。リズベットは原因を明らかにしたが、理屈に至ってはエステルも未だ不明ではある。アベルに唆されたものの、もしや初めから唇を奪う必要などなかったのではないか。

「言っておくが、賞牌(マユス)を諦めた訳ではない」

 距離感を誤り、蒼い炎に炙られた。熱さに思わず身を起こし、石天に頭を打ちそうになる。重なる視界が余計にザイナスの混乱を招いた。

「あれを魔女に渡す訳にはいかない。この場所、あの方法では如何ともし難いと判断しただけだ。おまえを奪うことに躊躇いはない」

 シーグリッドは毅然と言った。やれやれだ。横になったまま言われても。

 ともあれ、こうして実体の身体と繋がったのは怪我の功名だ。彼女も目覚めているものの、身体が自由に動かせない。ザイナスと異なり十年に及ぶ拘束だ。身体こそ攫われた当日と変わりないが、代謝が極端に落とされているらしく、魔女の術式を解くまでは回復が儘ならないという。

「蒼い炎がその施術だ」

 シーグリッドがザイナスに答える。

 恐らくスヴァールの術式に加え、古式の聖霊術が編まれている。時を隔離するほどに強力だが、反して術式は脆弱だ。壊すだけなら、それほど難しくはない。

「消すだけでいいの?」

 ザイナスが火傷を厭わないなら、の話だが。

 シーグリッドは言葉を呑み込んだ。正直、術式を解くのはザイナスの割に合わない。十騎に及ぶ使いがいるなら、救出を待った方が得策だ。この性格といい、あの地霊術(ゴエティア)といい、ザイナスは人として何処かおかしい。

「思ったより熱いんだけど」

 床に何かを探るザイナスの姿は、既に輪郭が溶けていた。現の器を取り戻した以上、魂の選別場(ニヴルヘイム)には留まれない。じき声も届かなくなる。

 表情にこそ出さないものの、シーグリッドは困惑している。修道士でもあるまいに、ザイナスは遺恨を抱いて然るべきだ。なのに、あっけらかんとそれがない。神の娘(ギレンレイヴ)を凌ぐ割り切り方だ。人そは、そんなものだったか。

 賞牌(マユス)が彼を歪めたとも思えない。砕こうとして思い知ったが、あれはザイナスの魂ではない。恐らく、ザイナスの魂は血肉と分かち難く一体化している。天上の目には魂を欠いた者に映るだろう。もはや人と見分けられない。

 賞牌(マユス)とは、もしやザイナスを見つけ出す為の標ではないのか。

「ザイナス」

 聴け、と掛けた声が霧に吸い込まれた。ザイナスの影は既に霧に溶けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ