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神さまの嫌われもの  作者: marvin
15章 魔女と聖女
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15-2 霧の魔女

 エステルが堂に手を伸ばすや、円天蓋の底が抜けた。足下が失せたのが先か、雪崩落ちた霧に呑まれたのが先か。不意に皆の目を塞いだ白い闇に上下の感覚が消し飛んだ。奈落に落ちる。いや、それさえもが錯覚だった。

 リズベットが感覚を取り戻すのに幾許を要しただろうか。気がつけば、辺り一面が真白な霧に包まれていた。ただ、足下はある。石敷き様の床を踏んでいる。

 見渡せば、近くに人影が揺らいで見えた。皆はまだ間近にいる。いるが全く近づけない。駆けど踠けどその場から離れられない。まるで、並んだ檻の中だ。

「何ですの、もう」

 近くの淡い影がペトロネラの声でぼやいた。

「魔女か」

「それ以外に何が?」

 失策に苛立つオルガとソフィーアの応酬が聞こえる。

「力がでない。大きくなれない」

 むう、とエステルが口を尖らせている。リズベットは慌てて違和感を探った。普段は意識さえしない御柱との繋がりが絶たれている。この導管が失せるなど。あまりの事に、ぽかんとなった。あるのは人の身に留めた霊力だけだ。

「今生の神の目は届かぬ故な」

 声が明かした。なるほど、霧が世界の境界であれば。此処はまさしく魂の選別場(ニヴルヘイム)に近しい。――だとすれば、あまり居心地は良くない。

「まて、誰だ」

 はた、と気づいてオルガが誰何した。

「少々取り溢したが、まあよかろ」

 人影が悠々と皆の目の前を横切って行く。立ち止まり、霧の檻に声を掛けた。

「吾の標を辿れたようで、何寄りだ」

 告げた相手はソフィーアだ。己が記憶に残した指示によく従ったと、その人影は――スヴァールは――カミラは――魔女は、ほくそ笑んでいた。

「ええ、おかげで迷わずに済みました」

 ソフィーアは静かに微笑んで、相手に精一杯の皮肉を返した。

 カミラ・ヴォルゴートが霧に攫われたのは、確か十四の歳だ。だが目に前の霞んだ影は十年を経た身体に見えない。見掛けはリズベットとほぼ同じだ。

「スヴァール――いや、魔女か」

 オルガの問いに、嗤うような吐息が返った。

「吾を人に堕とす算段か。まあ良い、好きに呼べ」

 少女の見目にそぐわぬ大時代な物言いだ。カミラにそれを強いているのは、己の地位を示す為か。それとも、魔女が座を持つ時代のものだろうか。

「あらミスト、貴方が手引きをされましたの?」

 揶揄うようにペトロネラが半目で問い質すと、ソフィーアは悪びれる風もなく肩を竦めた。欠落した記憶の縁にカミラの幽霊譚があったのは事実だ。

「あからさま過ぎて拍子抜け、ザイナスさまもご承知の上です」

「なら、仕方ありませんわね」

 ほほほと笑う二人の掛け合いを聞き流し、オルガは魔女に身を乗り出した。

「天に座がなくばザイナスの魂も無意味だろう、目的は何だ」

 魔女は表情を変えぬまま、問い掛けたオルガを振り返る。

「地べたに這う吾が賞牌(マユス)を手に入れて何とする。全人観測儀(エリュシオン)に届かぬ吾に、いったい何の価値があるのか、と?」

 饒舌だ。会話を愉しむ節さえあった。

「下僕は知らされてもおらぬか? それとも、知識を拭われたか?」

 そう呟いて嘲笑う。

「あれは神代の終焉を兆すひと欠片だ。無垢な天使を競わせるとは、今生の柱もあざとい、あざとい。ぬしらも触れれば火傷をするぞ」

 囁くようにそう明かし、魔女は霧の牢を見渡した。

「神の威を借り、祭壇を用いて刈らんとした者は?」

 オルガは答えなかったが、魔女は察して口許を歪めた。

「惜しかったな。あれを人から切り外すのは容易ではない」

 高揚する魔女にソフィーアが水を差そうとした。

「であれば、詰みではありませんか」

 ザイナスを奪う為に祭壇を用いたのは、魔女の傀儡であったソフィーアもだ。

「貴方に祭壇は立てられません。憑代であるスヴァールも、自ら下した者を裁くことができない。貴方こそザイナスさまの天寿を待っては如何ですか?」

 魔女は断ずるソフィーアに向き直った。

「おまえが届かなんだのは、よもや人の情欲に堕ちたからだ」

「あら、失礼。ザイナスさまの魅力がお解りにならないとは、枯れたものです」

 存外、魔女は意表を突かれて、口の減らないソフィーアに一拍の間を置いた。

「いずれ、問題はない。砕き落として手に入れる。吾にあの者は不要だ」

 魔女の言葉にリズベットは眉根を寄せた。確かに、魂の審判は御使いの権能だ。不浄と断じて砕きもできる。だが、賞牌(マユス)を失っては意味がない。

「買い被りでしたかしら。そも、スヴァールが手を下せないのは同じでしょう」

 見下すペトロネラを制し、気づいたオルガが蒼褪めて問う。

「魔女よ、何を知っている」

「あれが欲しくばくれてやる、砕いた残りで良ければな」

 魔女は笑って宙を仰ぎ、指先に霧を絡ませた。

「これは冥神(ビヨンド)の空隙、魂の選別場(ニヴルヘイム)より洩れ出た欠片だ。わかるであろ、神の目の届かぬ地に捨てられたなら、吾の身も同様だ」

 皆一様、無意識に息を詰めた。人と御使いの混ざった生理、それならではの反応だ。鼻先に漂う霧の正体に、今更ながら身が引ける。魂の選別場(ニヴルヘイム)を埋める霧は、全て砕き捨てられた不浄の魂に他ならないからだ。

「さて長々と戯言につきおうたお陰で、あれの足掻きに遭わずに済んだ」

 魔女が笑う。微かなザイナスの気配に気づいてリズベットが悲鳴を上げた。

賞牌(マユス)は魂の全てに非ず、砕き落とせば切り分けられる。ぬしらが惑わず断罪を果たせば、初手から祭壇に頼らずとも済んだのだ」

 ――死ぬに死ねない苦しみだがな。僅かに魔女は顔を顰める。

「シグルーンか」

 オルガが呻いた。目の前の魔女に気を取られ、その傀儡を失念していた。

「吾に捧ぐとも知らず、忠義な犬だ」

 さっさと賞牌(マユス)を削り出せ、魔女は咽の奥で呟いた。

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