表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神さまの嫌われもの  作者: marvin
15章 魔女と聖女
57/65

15-1 神の娘

 真白に煙る霧の中、ザイナスは暫し思案した。

 果たして自分は生きているのか、それとも死んでしまったか。五感はどこも変わりがない。足を取られて擦り剥いた脛も、痛みはそのままだ。

 とはいえ、ザイナスは死んだ事がない。比較しようにも、良くわからない。

 辺りは一変して見えた。石室の中にいた筈が、壁も床も消え失せていた。辺り一面が白い霧だ。何もないのか、ただ広いのか。まるで見通しが利かない。

 ただ足下は平板で、どうにも造作じみている。硬さも厚みも敷石ほどで、無いのは四方と上方だ。霧に埋まって見えないが、果てがないとも思えなかった。

 思索は幾つか流れに任せて、ザイナスは歩き出した。方向は適当だ。手を伸ばしても、指先は見える。無闇に駆けねば躓く心配もない。

 とにかく、端を確かめたかった。だが、暫くして途方に暮れた。

 見当が想定外だ。比較するものがまるでないため、どこまで歩いた、どれほど歩いたかが測れない。真直ぐかどうかも、確かめようがなかった。

「まいったな」

 立ち止まった瞬間だ。何の気配も前触れもなく白銀の一閃が胸を射た。あまりに正確、あまりに速く――だが、寸分の狂いのなさが仇になった。

 霧の温みが気になったザイナスが、竦みも誰何も何もせず踵を返したからだ。何気の動作に、刹那の僅差で難を逃れた。つまるところは、偶然だ。

「おまえが賞牌(マユス)か」

 霧の向こうに声がした。振り返ったが姿がない。どうやら歩いて来るようだ。

 どちらの御使いか。自問に答えはあった。魔女なら一度、会っている。確認の類は不要の筈だ。呆れるほどの歩数を要して、朧に人影が浮かび上がった。霧の向こうにこの距離で、あの遠射てを放つとは正確さにも程がある。

「それは名前じゃありません」

 不遜な態度には慣れている。あっけらかんとザイナスは名乗った。

「ザイナスです。ザイナス・コレット」

 薄灰色の瞳がザイナスを見つめ返した。

「仕方がない。よもや初手を外したら、話すのも一興と決めていた」

 霧の中から溶け出したのは、輪郭も移ろう白い肌、銀の髪、ザイナスにも届く長身の少女だ。手には弓も槍もなく、漆黒の修道衣に具足だけを纏っている。

「シーグリッド・シベリウス――」

 相手の名を受けてザイナスは嘆息した。

「身に受けたるは、シグルーンだ」

 情動を欠いた頬を眺め、ザイナスは初めまして、と肩を竦めた。


 ◇


 あの日、この霧に捕えられて以来、どれほど刻が過ぎたのだろう。

 計る尺さえない中で、シーグリッドは思索を重ねた。こうして身体はあるものの、空腹もなく疲労もない。眠気もなければ老いもない。だが、痛みはあったし、傷も負う。恐らく望めば自死も叶う。それが許されているのなら。

 この身は恐らく意識の義体だ。魂の写しに違いない。いわば醒めない夢の内。実存の身体はまだ生きている。恐らく、氷漬けにでもされているのだろう。

 こうした術もなくは無い。内なるシグルーンが囁くに、内側からは出られぬ檻だ。此処は――魂の選別場(ニヴルヘイム)に酷似している。

 冥神(ビヨンド)の空隙、あるいはそれに似た何か。とはいえ、スヴァールにそれが成せるか。施術化するには秘が多い。権能はあっても権限がない。

 恐らく、高位の者がいる。受肉を好機と使いの権能を奪い取った何者かだ。地上で考え得るならば、駆逐された古神の残滓に違いない。

 ならば、目的は座の復権か。

 御柱の戯れに乗じて賞牌(マユス)を簒奪し、全人観測儀(エリュシオン)に手を伸ばす気か。あるいは群がる使徒を操り、己を再構築させるに違いない。

 であれば、スヴァールの確保は順当だ。賞牌(マユス)を待つには都合がよい。ただし、自ら動けない。確実な殺害、他の使いを抑える戦力が必要だ。

 そこで、シグルーンを選択した。これもまた、理に叶う。受肉直後のシーグリッドを攫ったのは妙手だ。が――少々、相手が悪かった。人の脆弱さに付け入るには、神の娘(ギレンレイヴ)は些か頑迷に過ぎただろう。

 神の娘(ギレンレイヴ)黒神(アノル)聖堂の修道士だ。御使いの地上代行者として、崇拝の守護と魔を祓うことに特化している。司教を裁く司教でもあるが、それは半端に零れた者だ。才を見染めて攫った女児が、峻厳な修練を経て選抜され、信仰と研鑽を生き残った一握りが神の娘(ギレンレイヴ)となる。

 故に、人として育てられた記憶はなく、現世に欲は何もない。シーグリッドは、その完成形と謳われた。御使いの器として彼女に優るものはいないだろう。

 だからこそ、付け入る隙がない。

 御使いは人格を変容させる。多くは肉の懊悩による歪みが原因だ。シーグリッドには、それが欠けている。御柱の使命、その機能として彼女はシグルーンを受け入れた。人と御使いの境界を残しながら、彼女は使徒として完全だった。

 スヴァールを使って現身を切り離し、放置しているのも頷ける。例えシーグリッドを殺しても、シグルーンは別の血肉に降りるだけだ。

 それとも、それを以てなお、何か別の企みがあるのだろうか。


 ◇


「なるほど魔女か、矮小で賢明な呼び名だ」

 シーグリッドの理解は早かった。御使いの知識もさることながら、隠匿外典を知る彼女は、ある意味ソフィーアよりも地上の秘事に通じている。

「とはいえ、十年か」

 昼夜の変化もない此処は、僅かの間さえも無限に等しい。独りの思索に飽きないザイナスならば兎も角、神の娘(ギレンレイヴ)の意思は相当に強靭だった。

「よくも身体が朽ちないものだ」

 ザイナスの知るところ、シーグリッドの失踪は十九の歳だ。齢不相応の落ち着きはさて置き、彼女の外見に十の経年はない。やはり、この霧に物理はなく、身体は生きたまま代謝を留められているように思える。

 ならば、自分にもまだ身体があり、彼女のように生かされているのだろうか。

「いや、おまえは飢えて死ぬだろう」

 シーグリッドはにべもなく言った。確かにザイナスは疲れもするし、空腹らしきものも感じている。彼女とは身体の保たれ方が違うのだ。不公平この上ない。

「魔女がおまえに手を出せないのは、スヴァールを依代にしているからだ。あれが自らおまえを殺せば、魂は手に入らない。だが自然死ならば、どうだろう」

 それが争奪戦におけるスヴァールの負荷だ。とはいえ、兵糧攻めが自然死とは、解釈の都合に難がある。他に目論見があるのでは。些か審議が必要だ。

「無論、おまえの餓死を待つつもりはない」

 語る口調を少しも変えず、シーグリッドは言い切った。

「魔女の企みは知れている」

 シーグリッドは僅かに目を細めた。

「先の遠射てで確証を得た。祭壇でもなければ賞牌(マユス)は刈れん。私がそれを得ようと足掻き、おまえを苦痛で死に至らしむのが目的だろう」

「だったら――」

 言葉を端から遮って、シーグリッドはザイナスに、あるいは霧に宣言した。

「魔女の意に沿うつもりはない。だが、本質を違えはしない。私の使命は黒神(アノル)の勝利、引いては天界の普遍に他ならない」

 彼女の背に白銀の光輪が浮かんだ。シグルーンの祝福、神器の後光だ。

賞牌(マユス)を魔女に渡しはしない、死に至る前におまえの魂を砕き尽くす」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ