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神さまの嫌われもの  作者: marvin
1章 神さまの嫌われもの
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1-4 リズベットの憂鬱

車窓はすっかり暗くなり、映るのは苛立ちを堪えた顔だけだった。汽車はもうすぐハルムの外だが、いっそ機関士を脅しても速度を上げさせたい気分だ。

リズベットは焦っていた。とても嫌な胸騒ぎがする。

兄がまた何か面倒に巻き込まれているに違いない。

大抵、予感は当たるのだが、確率が高いのは単に災難の頻度が高いからだ。

正直、ラングステンの神学校など通いたくなかった。理事がリズベットの条件を聞き入れ、月に一度の帰省を認めたものの、そうでなければ断っていた。

むしろ、最初にホーカソン司祭が推したのは、ラングステンより遥かに遠い王都の神学校だった。とんでもない。どれほどザイナスから引き離すつもりだ。

ほんの少し目を離しただけで、兄は災難に寄っていく。災難も兄を狙っている。

そも神学校に通うのは、世話になったホーカソン司祭への体面。そして、将来に有利だからだ。よい地位に就けば、それだけ兄を養い易い。

父も母も当てにはできない。兄を放って置く訳にはいかなかった。

確かに、ザイナスは厄憑きだ。しかも、それを平然と受け入れる変人だ。降って湧いた災難に遭うか、猫のように明後日の方を見つめてぼうっとしているかのどちらかだった。放って置くと、いつまでも飽きずに雲を眺めている。

ザイナスは鈍くも惚けてもいない。むしろ、ひどく達観している。荷車の撥ねた泥を頭から被っても、世を拗ねて悪態を吐くわけでなく、不敬に御柱を詰ることもしない。頭を掻いて少し恥ずかしそうに微笑むだけだ。

そんな兄の周囲を見渡せば、その災難を笑う者、世話を焼く者の二色がある。兄を知るほど後者になって、何とかしてやらねばと思うようになる。

だが、それがリズベットには我慢ならない。

災難に追われるザイナスは、確かに庇護欲をそそられる。だが、兄の真価はそこにはない。聡明で優しく、何より容姿がとても良い事にあるのだ。

ザイナス自身はまるで無頓着だが、見目を整えれば王都でも引手数多の囲い者になれるだろう。兄がどれほどの厄憑きでも、養いたいと手を上げる筈だ。

目を離したら攫われる。人買いにも女にもだ。

勿論、リズベットも手を尽くしていた。髪をざんばらにして目許を隠し、見栄えのする長身は常に背を丸めて歩くよう言い聞かせてある。それでも、ザイナスの容姿が余計な災難を招いたことは、決して少なくない。できれば周囲の男女をすべて追い遣り、ずっと里に閉じ込めておきたかった。

ザイナスがずっと空を眺めて過ごすなら、リズベットはずっとそんな兄を眺めて過ごせた。その為にも災厄は遠ざけねばならない。こと、女の姿の災厄は。

停車前の減速を感じて、リズベットは鞄の持ち手を取った。まだ揺れる客車を危なげなく横切って、扉に向かう。停車ももどかしく駆け出した。

ザイナスはいつもの食堂で待っている筈だ。いつものように、話のくどい酔っ払いや発情した給仕に絡まれていなければ良いのだが。

帰省したリズベットに声を掛ける街の人に愛想よく応えながら、早足で歩く。店の前で歩調を落とし、急いで来たと微塵も見せないよう息を整えた。



「ちゃんと送って貰えたかな」

線路の脇の砂利を踏み、ザイナスは黒々と蹲る車両を見上げた。駅前の灯は向こう側だ。黒々とした壁に遮られて、殆ど何も見えない。

「心配しなさんな、司祭殿も約束したろ」

ザイナスに応えてユーホルトは笑った。

転車台の汽車を横目に、ぽつりぽつりと灯の並ぶ薄暗い停車場を歩いて行く。

リズベットと顔を合わせぬよう、便に乗れ。きっと話がややこしくなる。それが司祭の厳命だ。ユーホルトにも何となく、そうした機微の理解はできる。

「おまえさんより、リズちゃんの方が余程しっかりしてるしな」

白神(ブラン)の祝福の賜物だ。華奢で可憐なリズベットだが、霊力も体術も並みの衛兵では太刀打ちできない。護衛という意味では、モルンの夜道にザイナスの同道も必要はない。送り迎えは妹の厳命だからだ。

「まあ、ちょっとザイナスには厳しいよな」

同情するように呟いて、ユーホルトは無精髭の顎を掻いた。

いつもの如くザイナスが酒場の騒動に巻き込まれた際は、傍観客まで彼女の説教を逃れ得ない。小一時間は直立不動だ。ユーホルトも犠牲の常連だった。

「可愛いですよ?」

「そりゃあ、そうだけどさ」

笑ってザイナスの背中を叩いた。おかげで酒場には変な癖のついた客もいる。

不意打ちと、制服に染みついた酒の匂いにザイナスが咽せた。目敏くザイナスの表情に気づいて、どうかしたか、とユーホルトが覗き込んだ。

「いつ帰れるかわからないので、心配を掛けそうで」

「そうなのか? その割には身軽だな」

そういえば、手に提げているのはホーカソン司祭の用意してくれた夕飯の包みだけだ。ザイナス自身の手荷物といえば、腰の小物入れしかない。

「なにぶん、急だったので」

ユーホルトは司祭の様子を思い起こした。

「まったく、今度はどんな面倒に巻き込まれたんだ」

それは訊くなと釘を刺されていたし、決して話すなとの厳命でもあった。

「おまえさん、やっぱり信心が足りんのじゃないか?」

肩を竦めてユーホルトが笑う。

「どうやら、そうみたいです」

応えてザイナスも苦笑した。

二人の歩く複線は、どれも貨物車だけだった。荷票を提げた業者が確認して回っており、とぼとぼ歩く二人を見つけて、どれに乗るのか教えてくれた。司祭は教会枠で乗車を捻じ込んだものの、夜行の便に客車がなかったらしい。

ザイナスとユーホルトは、積荷の隙間で汽車に揺られることになるようだ。ラングステンまで一晩の行程だ。ユーホルトは聞くなり顔を顰めた。

「やれやれ、おまえさんの厄が感染ったな」

ごめんなさい、とザイナスが謝り、二人で笑う。こればかりは、どうしようもない。

車両の中を覗き込み、座れる場所を見つけると、二人はようやく腰を落ち着けた。汽車はもうじき動くだろうが、ラングステンに着くのは明け方だ。

さっそく夕飯の包みを開けるユーホルトに、ザイナスは酒の小瓶を手渡した。

「え、なに。気が利くなザイナスくん」

「司祭からです。道々空けないようにって、僕が預かってました」

大仰に神に感謝するユーホルトを眺めて、ザイナスは微笑んだ。さて、自分は夕餉の祈りをどうしよう。司祭によれば、ザイナスには捧げる相手がいない。

ザイナスは、ぼんやり考え込んだ。

だとしたら、こうしてラングステンまで呼ばれているのは、何に対する何のせいだ。奉神不在が非難される理由は何か。ザイナスの不信心を裁くのは何者か。ザイナスも答えは期待していない。ただ、遥か昔にそれを探していた気もする。

「酒が床に呑まれそうだ」

車両が延々と揺れている。居心地の酷さにユーホルトがこぼした。おまけに貨物の床板は、ハルムの教会より硬くて冷たい。今度は尻が痺れそうだ。

ともかく、今はなるようにしかならない。このまま御柱が不在では、うっかり死んでも死にきれない。ザイナスの魂の処分には、御使いたちも困るだろう。

ふと、十二人の御使いが頭を突き合わせる様を想像した。魂を囲んであれこれ思案するものの、どこに遣るかが定まらない。考えると、少しだけ楽しくなった。

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