魔龍王の愛
アーシアは身支度を整える為に王の間の続き部屋にいた。ゼノアが、片時も彼女を離さない為だ。一言も喋らない侍女達に次々と着替えさせられていく。いつにも増して衣装が重い。そう感じるのだ。素晴らしい刺繍を施した衣に豪華な細工の飾りの数々。年頃の娘が見たら大きな溜息を漏らすだろう。兄と衣を巡って喧嘩したこと、ラシードから贈られた花の宝珠飾り―――
遠い昔のようだ―――
仕度は整ったようだった。ゼノアが待っている。笑わなければ。
(ほら! アーシア! 楽しかった事を思い出すのよ!)
自分に言い聞かせて、楽しいかった思い出を浮かべてみた。無理やり笑顔をつくって、王の間へ入って行く。ゼノアは上機嫌だった。近くにはラシードが同じく着替えさせられて何もなかったかのように腰かけている。しかし、彼の五感はそのままだが身体の自由を奪われているのだった。その真紅の瞳だけが意思を持っているかのように存在を訴えていた。
ゼノア越しにラシードが見える―――
「今日も素晴らしく美しい。さあ、私のアーシア。この私の為に、その輝くような笑顔を見せて、愛を語っておくれ」
「ええ、ゼノア。あなたを愛しています」
ゼノアは満足そうにしていたが、急にすっと瞳を細めた。アーシアが笑顔なのに、その頬に涙がひとしずく流れたからだ。自然と涙がおちる。それでもアーシア微笑んだまま言葉を綴る。
「愛しています。この世が果てたとしてもあなただけを・・・」
アーシアの目線は、ゼノアを通り越してラシードの瞳に注がれていた。ゼノアは不自然なその熱い目線を追って、肩越しに振り向くと、ラシードの炎のような瞳と合った。
「クククッ・・・これは、これは。アーシア、あれを見る事も禁じるよ。私だけを見なさい。その瞳に映るのは私だけだ。それが出来ないのなら、あれの瞳をくりぬくよ」
「ひっ、やめて! お願い。言う通りにするから!」
アーシアは必死に懇願する。ゼノアは、酷薄に薄く微笑むと、嘲るように言った。
「心以外はくれると言ったね? 心ほど変わるものは無いんだよ。今まで散々見てきたからね。今に、お前に全てを投げ出させてみせるからね・・・そうだ、いいことを思いついた。あれが見ている前でアーシアお前を抱こう。クスッ、その頑固な心が壊れなければいいけどね」
アーシアは蒼白になって頭を振っていた。覚悟はしていたが、まさかラシードの瞳の前でなんて。
「み、見ないでラシード! 私を見ないで―――っ」
「それじゃ面白くない。アーシア、お前は愛おしいと思うよ。だから嫌な思いはさせたくない。だが、あれは別だ。あの瞳が気に入らない。しっかり見てもらおう、お前のものじゃないという事を。さあ、その瞳は閉じないよ。それと声を出せるようにしてあげよう。怨嗟の声が訊きたいからね」
ゼノアが指を鳴らしたと同時に、ラシードの喉頭の縛が解けたが、瞳は自分では閉じることが出来なかった。歯を食いしばり言葉にならない怨嗟の声をもらす―――
ゼノアは満足そうに微笑むと、震えるアーシアをすくい上げ、ラシードが座る瞳の前の卓上で彼女を組み敷いた。アーシアは、触れられる程近くにいるラシードの前でなど、気も狂わんばかりだった。このような恥辱を受けるぐらいなら死んでしまいたかった。しかし、出来ないのだ。自分が死ねばラシードも殺される。それだけは出来ない。
(泣いては駄目、叫んでも駄目! ラシードが心配するわ。なんでも無い振りをするのよ!)
自分を叱咤し、血が滲む程、くちびるをきつく噛みしめ耐えた。
ゼノアの手が、するすると衣を解き始め、はだけた胸元からするりと手を差し込んで肌を撫でる。アーシアは、びくりと震えたが声は出さなかった。ゼノアは、ふと手を止めると愉快そうに囁いた。
「ほう、やはり本気のようだな。そんなにあれが大事か? 誇り高いお前が、死にもせず、甘んじてこんな恥辱に耐えるなぞありえないからな。それはそれで一興だ」
ゼノアはラシードの反応を見ようと目線を流して、眼を見張った。ラシードは無言だったが、開いたままの瞳は激昂に燃え、静かで烈しい炎が彼の全身を包んでいたのだ。その炎は一気に鮮烈な火柱となり一瞬にしてゼノアを弾き飛ばした。
ラシードはよろめきながらも立ち上がった。彼はゼノアの結界呪縛を破ったのだ。彼の怒りが、先日暴走した時のような力を誘発し、その爆発的な力は同じ火の龍であるゼノアの力を凌駕し、決して内側から破れることのない結界を破壊したのだった。
「馬鹿な・・・私の結界が破れるなど・・・」
ゼノアはすぐさま応酬したが外した。アーシアがラシードの前に立ち塞がったからだ。
「ちっ」
ラシードはしっかりとアーシア引き寄せ、ゼノアに向かって渾身の〈龍力〉を叩き込む〈力〉は、炎の刃となって振り下ろされたが、防御される。
「ラシード! 私の力を使って!」
ラシードは腕の中のアーシアにふっと微笑むと、頭を振った。
「必要ない。負ける気はしない」
二人は睨み合ったまま、じりじりと間合いを詰めていった、その時「紅の龍」のユーリスと「翠の龍」アリナが、飛び込んで来た。二人はゼノアを庇い、後方へ下がりながら叫ぶ。
「ゼノア様、大変です! 今〈陽の龍〉が攻め込んで来ました!」
アーシアとラシードは、喜びにお互い顔を合わせた。
城中から爆音と絶叫が上がっている。
「ラカンの奴、嬉々としてやっているだろうな。では私も、ゼノアか四大龍ぐらい斃しておかないと後で嫌味言われかねないな?」
「くすっ、そうね。絶対言われるわよ。ふふっ」
このような状況なのに和やかに笑顔で話す二人をゼノアは、狂ったように見つめた。昔はアーシアを独り占めしているかのような、その兄が憎くて殺した。
(この男は、八つ裂きにしてやる・・・)
しかし、アーシアが邪魔で迂闊に手を出すことが出来なかった。
ラシードの言葉にいきり立ったのはユーリスだった。
「この俺様を斃すだと! 笑わせるな!」
ユーリスより速くラシードが動いた。〈力〉が右の腕に集まったかと思うと、紅蓮の炎が龍のようにユーリスに襲いかかった。アリナが前に出て防御壁をかけるがひとたまりも無かった。アリナが炎に呑み込まれる。
ユーリスは驚愕した。
「馬鹿な! 翠の龍の防護を破るなんて!なんて馬鹿げた力なんだ!こんな火の龍がいたなんて信じられない」
その時、室内に閃光が走った。
「!」
閃光の源から、豪奢に輝く黄金の髪を煌かせながらカサルアが現れたのだ。宝玉さえも褪せてみえる金の瞳で、真っ直ぐゼノアを見据えている。カサルアはチラリと、アーシアとラシードに目線を流して一瞬、微笑んだが、表情は峻烈な覇気をみなぎらせていた。
先に口を開いたのはゼノアだった。いつもと変わりなく薄く微笑みながら、その声は深黒を思わせるようだった。
「やはり、お前か・・・今回も、はなかなか楽しませてくれたな」
「ゼノア。お前の戯言を訊くつもりは無い。今日こそ決着をつける!」
カサルアは言い終わるより先に雷光を放った。ゼノアもかわしつつ、炎の雷を放つ。双方の〈力〉は互角―――
衝突して爆発的な〈力〉が二人の間でくすぶる。二人は微動だにせず〈力〉を放ちあう。炎と光りが強い閃光を放って絡み合っていた。二人の間に誰も入っていくことが出来ない。
一瞬でも気が散れば勝敗は決するのだから―――
その〈力〉の波動が尖塔を吹飛ばし王の間を壊していく。
崩れる壁を除けながらレンが駆けつけた。そして、同じく崩れる壁を除け、アーシアを庇ってユーリスと対峙しているラシードの側へ、急ぎ駆け寄る。
「二人とも無事だったのですね。ああ本当に良かった」
「レン、アーシアを守ってくれ頼む。ゼノアはカサルアに取られたが、私は紅の龍を斃す」
「さあ、アーシアここは危険です。場所を移動しましょう」
「嫌よ! 私はここにいるわ! みんなが戦っているのに、安全な場所に行けない!」
「それは駄目です。あなたの事は、頼み事などしないラシードから頼まれたのですから」
「いいえ! 少しでも力が欲しい時に、私のためにレンあなたまで戦列から外れるなんて駄目だわ! レン〈力〉を貸して、あなたの守る力をみんなに私が注ぐから。お願い!」
「守る力を皆に注ぐ?」
「そうよ、あなたの治癒力を戦闘で傷ついた人達へ、私がみんなに送るから、お願い!」
レンは、そのような事まで出来るのかと、アーシアの力に驚いたが、自分の〈力〉を最大限に生かしてくれるこの申し出を断る理由もなかった。それに皆、アーシアのお願いには弱い。レンは、やれやれと少し困ったように微笑んで承知した。
ラシードは実際立っているのがやっとだった。ゼノアにやられたのと、結界を破るのにかなり消耗していたからだ。しかし、この紅の龍に負ける訳にはいかない。同じ火の龍の意地だ。さすがに紅の龍を名乗るだけの実力はある。ラシードも押され気味だったが、その時レンの〈力〉が注ぎこまれ、身体に力が満たされてきた。
(レン?・・・アーシア?)
ラシードは辺りに視線をめぐらせると、その場から去ったものと思っていた二人の姿を見止めた。柔らかな光りに二人は包まれていた。アーシアはその輝く左手を、レンの翡翠色に光る右腕に添えている。彼女は〈力〉を行使する時に見せる、誰も触れることが許されないような神気にあふれ、何も映さない空虚な瞳をしていた。しかしその瞳が、ラシードの瞳と合うと一変して喜びの色を湛えたのだ。
(アーシア・・・)
ラシードの頬を炎の矢がかすめる。
「よそ見をするな!」
ラシードはふと微笑むと、凄まじい〈力〉を放った。力の差は歴然だった。それは生きた炎の獣のようにユーリスに襲いかかり呑み込んでいく。
「うわあぁあ――――っ」
時を同じくして、カサルアと対峙していたゼノアが動いた。しかもゼノアは〈力〉をアーシア達の方角に放っていたのだ。どさりと倒れる音がした。アーシア達のすぐ近くで、アリナが倒れたのだ。彼女は信じられないと言うように大きく瞳を見開いた。
「―――ゼノア様・・・なぜ?―――うっ」
ラシードの炎に斃れたかと思っていたアリナが、アーシアの背後に迫って狙いを定めていたが、誰も気付いていなかった。しかし、ゼノアがそれに気付いたのだった。
皆、ゼノアを凝視した。彼の冷めた貌は、表情を崩していなかったが、いつも薄く微笑みを刻む唇からは鮮血が滴っていた。何事もなかったかのように、胸にあてた手の指の間からも紅い血があふれている。アーシアに攻撃しようとするアリナを制止する為、ゼノアが〈力〉を放った時、カサルアとの〈力〉の均衡が破れ、彼の雷光がゼノアを直撃したのだった。
「言っただろうアーシア。お前は私のものだ。死の神にさえ渡さないと・・・」
ゼノアは、がくっ、と膝をつきながらもアーシアに向かって話し続けた。
「お前は信じてくれるだろうか? 初めて遇った時から、愛していた・・・お前のその輝きは眩しく、私の安らぎだっ・・・た・・・」
続きの声は出ずに、青ざめた唇は 〝愛している〟 と、かすかに動き、絶命した。
これが千年にも及び、恐怖で支配し続けた魔龍王ゼノアの最後だった―――
カサルアは血溜まりに横たわるどこか安らいだ表情のゼノアを、ただ静かに見つめた。
「ゼノア、お前のした数々は、とても許されるものでは無いが、お前も普通の龍だったんだな・・・宝珠を乞いし恋焦がれただけの、愚かな龍だ・・・」
青天城も主を亡くした戦いは次第に収束し、カサルア達の大勝利でこの戦いは終焉を迎えたのだった――――
終わりが近づき始めてカサルア兄さんが好きになりました。妹に甘々ですが(笑)この設定上一番カッコイイ役どころなんですよねぇ~もちろん彼を主役にした短編を書きました。話は変わってゼノア様の最後のシーンは最初から決めていたので其処までもって行くのに苦労しました。叶わない恋でちょっと可哀相になりました。主役よりも脇役に愛を注いでしまう私でした。




