伝説の宝珠
北東の「艮龍州」は平野が少ない山岳地帯の春と冬の二季が廻る州。厳しい冬が来ても季節が廻れば生き物が芽吹く春がやってくる。しかしそこには、いつの頃からか地形が変化して動植物も生息しない年中氷期の・・・まるで迷宮のような険しい山があった。その氷山に〈伝説の宝珠〉が眠る―――
カサルア達三人はその一角に到着して最終の打ち合わせをしていた。路も無い迷宮の山をカサルアは迷うことは無く二人をそこまで導いた。
迷うはずも無い。何度この地を訪れたことか・・・
しかし結界が強くて肝心な場所に踏み込むことは出来なかった・・・
カサルアは物質を透過して見ることが出来る能力がある。〈力〉の強い『龍』ならある程度使うものだが彼の力はかなり強かった。だがその念視も遮られる状態だったのだ。
それがこの数ヶ月いきなり結界は弱まり、念視も鮮明になってきたのだった。待ちに待っていた時の到来にカサルアは全身の震えが止まらなかった。そして・・・それが今、眼の前なのだ!
カサルアは目を閉じて氷山に静かに眠る妹・アーシアの姿を思い浮かべてみた。
(アーシア・・・)
浮かぶ妹の姿はカサルアに笑いかけていた。明るく楽しく声をたてて笑っていた。思う自分の口元も自然とほころぶようだった。カサルアは思慕を断ち切り、瞳を開くと号令した。
「さあ、始めよう!」
氷結洞の入り口でカサルアは結界介入を行い始めた。彼の右肩から指先にかけて、金の龍紋が輝きを増していく―――そして閃光のような〈力〉がゼノアの結界を包み込み始めた。
『龍』は〈力〉を使う時、右手に龍の形をした文様が浮かび上がる。
色は力源の要素で変わる「火」=赤系・「水」=青系・「風」=銀系・「地」=緑系。力の強いもの程、文様が長く大きく、はっきりと刻まれる。また、瞳の色も〈力〉の色の系統になるものが多く〈龍力〉の目覚めた時に変化する。
しかし、カサルアのような例外も存在する。彼は特別かもしれないが、その四つの属性に関わらず、いや、全て関わるのか特殊な〈龍力〉を使う。〈力〉は光線、雷の類に現れる。それもあって容姿と共に〈陽の龍〉との異名で称えられるようだ。
ゼノアの結界を完全に掌握し維持するカサルアを入り口に残し、ラシードとレンは彼が介入している結界の中へ踏み込んだ。〈氷結の宝珠〉が眠ると云う場所に向かって氷壁の洞窟路を進んで行く。洞窟路はやっと人が一人通れるぐらいの狭さで外の光は差し込まないというのに、どういう仕掛けか?ほのかな光が氷の中から漏れて路を照らしていた。静まりかえった路は体温調節が出来る身体にさえ、魔龍の張り詰める冷気を肌に感じるようだった。
急に視界が広がり二人は息を呑んだ―――
中央には一本の巨大な氷柱があり、その真上からは神々しいまでにきらきらと柔らかな光が降り注ぎ、中の人物を照らしだしていた。月光のような長い髪が静かに降り注ぐ光に映え、風にそよぐかのように広がり煌きを放つ。すんなり伸びた脚は宙を歩いているようだ。月光の髪に縁取られた白い花のような貌は少し青ざめているが今にも瞳を開き、話しだしそうだった。
ただ、その華奢な肢体に纏う衣が異様だった。
紅く・・・無残に血塗られていたのだ。今、流されたかのような紅。そして胸元で祈るかのように両手で短剣を胸に埋めていた―――
「――なんて・・・」
レンは、ひと言呟いた後、言葉にならなかった。不可侵の聖なる領域を感じ、胸に熱いものが込み上がってきた。
いつも淡白なラシードも、一瞬、少なからず何か感じるのを覚えたが、この気持ちに名を付けられなかった。ラシードはその思いに舌打ちして、立ち尽くすレンに鋭く言った。
「時間が無い。カサルアに負担がかかる。始めよう」
レンは、はっと我にかえり応じると、ラシードの解封に備えて〈力〉を溜め始めた。彼は『地の龍』で、治癒力と防御力に抜きん出ている。その象徴である翡翠の龍紋が、右の二の腕から甲にかけて浮かび上がる。一方、ラシードは『火の龍』右肩から指先にかけて真紅の龍紋が浮かび、輝きを放つ。ラシードは渾身の〈力〉を氷柱に注いだ。
「―――っ」
封印は少し揺らめいただけで解封までいかなかった。
「ラシード!」
「さすが魔龍王―――っ」
ラシードはきつく奥歯を噛みしめ、真紅の瞳を燃え上がらせて再び〈力〉をぶつけた。〈力〉は閃く火炎となって氷柱を包みこんだ。ラシードの〈力〉は、カサルアに次ぐものだ。しかしその〈力〉を持ってしても、易々と解除出来なかった。だが、時の流れが味方した。さすがに幾百年経つ封印は弱化していたようだった。次第に封印が解け氷結が上から光りの雫のように、さらさらと崩れだした。
アーシアの瞼がぴくりと動いた。彼女の凍りつき止っていた時間が戻り始めた。そして朦朧とする意識の中―――記憶は混濁していたが、胸の痛烈な痛みが、自分の使命だけを思いださせていた。
(力を渡しては駄目・・・ゆ、指・・・動くわ・・・)
そして、ぐっ、と短剣に力を入れ始めたのだった。
レンは治癒〈力〉に集中していてアーシアのその様子に気付かないでいる。
「馬鹿な!」
アーシアの動きに気づいたのはラシードだった。咄嗟に氷結から解かれ始めた彼女の腰を片手で抱きすくめ、短剣を握るその小さな両手に、もう片方の手をかける。いきなりの接触でアーシアは、びくん、と身体を揺らした。そして重たい瞼を薄っすらと開け始めたその時、彼女を抱きとめていたラシードの真紅の瞳を見た!朦朧とする意識の中で魔龍の瞳と同じ紅を見て勘違いをしていた。
「ゼノア!嫌っ――」
大きく叫んだつもりだったが思うように声は出ず小さく掠れる。唇を噛みしめ、尚、短剣を進めようとした。しかし暖かい大きな手で押しとどめられ、剣は抜きとられてしまった。アーシアは抱きかかえられたその逞しい腕から逃れようと必死にもがいた。相手のびくりとも動かない硬い胸に空になった手をいっぱいに突っ撥ね、力いっぱい叩いては掠れる声で叫んでいた。
「は、離して!離して!」
ラシードは上手にアーシアの抗いをかわしながら、側らにいるレンの方へ少し首を回すと相変わらず冷淡な口調で確認してきた。
「どうだ?レン、もう大丈夫か?」
ふいに頭の上から聞こえた声にアーシアは驚いて手を止めた。
(えっ、声が違う?)
紅い瞳を見てゼノアだと思っていたのに・・・ゼノアの声と違うのだ。
「ええ、応急処置は出来ました」
今度は横から聞こえてきたレンの声に気がついた。
(また違う声?応急処置?)
先程まで痛烈に痛んでいた胸の痛みが薄れているのに気が付く。アーシアはバタつかせていた脚を止め、恐る恐る声のした真上を見上げてみた。
「!」
息を呑み込んだ。
(ゼノアじゃない!知らないひと!)
幾分、不機嫌そうに口元を引き結んでこちらをじっと見ている。端整な顔を際立たせている怜悧な真紅の瞳に黒髪が乱れ落ちていた。真紅の瞳は見ないようにして、ひりつく喉に息を吸い込んで小さく聞いた。
「あなたは誰?」
ラシードはすっと視線を外し、彼女に答えるのでなく、レンに向かって言った。
「かなり大丈夫のようだ。さあ戻ろう」
レンは頷き、戸惑うアーシアに優しく話かけた。
「私達はあなたを助けにまいりました。時間がございませんので、詳しくは後程」
アーシアは話しかけられた側らの、もうひとりも見る。
(私を助けにきた??状況が掴めない・・・全く訳が分からない・・頭がガンガンするし・・・)
急に気が遠くなったアーシアはとうとう意識を手放し身体の力が、がくんと抜けた。ラシードは崩れる彼女の脚をすくいあげ、ふわりと抱きかかえた。
(――ずいぶん軽いな・・・)
「大丈夫ですか?」
「ああ、気を失ったようだ。とにかく急ごう」
歩きだしたラシードは、きらりと胸元で光るものに気が付く。視線をむけると、腕の中の彼女の頬に一筋の涙がすっと流れていた。閉じた睫毛も涙で濡れている。
「・・・・・・」
ふと先程の名を付けられない気持ちがよぎるのを感じた。
先に出たレンは次元回廊のコンタクトを開始していた。それは一瞬の間に長い距離を移動できるものだが、これには術者が渡る先にいて双方で結ばないと出来ないものである。
カサルアは結界を安定させ、ラシードに駆け寄って来た。腕に眠るアーシアを覗きこんで、大丈夫かと彼に訊ね、頬の涙を親指の腹でぬぐって小さく何が呟いている。ラシードは、カサルアのこんなに、穏やかで優しい表情を見たことが無かった。意志の強い瞳、常に皆を率いて前に進む烈しい顔しか知らない。何故かその様子を見ながら、いつも何も感じない心が波立つような気がした。
その思いを断ち切るかのように突然、風が舞い上がり目の前の空間が歪み始めた。次元回廊が開いたのだ。ぽっかりと空いた穴には色んな色彩が混ざっていた。足元は白色に光る路が奥へと伸びている。
彼らはその路を辿って砦へ帰還していった。
アーシアは早速、レンに付き添われながら用意されていた一室に運ばれた。
レンは細々と指示を出し、アーシアの部屋に戻る。その部屋は前日に、彼女の為に用意されたものだった。カサルアが色々指示を出して設えさせていた。簡素な室内だが、所々に華やかな色彩の織物を配して上品な仕上がりになっている。どこから持ってきたのかこの時期では珍しい白い優美な花が窓際にたっぷりと生けられていた。アーシアはゆったりとした衣に着替えさせられて、少し広めの寝台に寝かされていた。真っ白な敷布には柔らかそうな淡い金髪が広がっている。白い頬に少し朱がさしてきたようだった。レンは側らに膝をつき、静かに見つめて思った。
(今にも消えて無くなりそうで儚げな・・・こんなに頼りなさ気なのに、あのゼノアに逆らい自らの命を絶つ勇気があるとは・・・)
彼は感動していた。氷結に眠るアーシアを見た時から心が騒いで仕方がなかったのだ。物語のような奇跡を目の当りにしているのだから・・・誰もが夢みた〈伝説の宝珠〉が直ぐ近くにいる―――
そっとアーシアの頬に手を伸ばしかけた時、彼女がうっすらと瞼を開いて身動きをした。
はっとして伸ばしかけた手を引き、優しく声かけた。
「お気付きですか?ご気分は如何ですか?お白湯でもお持ちいたしましょうか?」
まだおぼろげな様子で起きようとする彼女の、背中を壊れ物でも触るかのように、そっと支えて背中に大きな枕をあててやる。
ぼんやりと視界が広がってきて、アーシアは、声のする方向に焦点を合わせた。
(さっきの人・・・喉が渇いたわ)
こくん、と頷いた。
彼は白湯の入った器を手に持たせたくれた。心配そうに私が口に運ぶのを見ている。それからにっこりと微笑んで綺麗な声で話しかけてきた。
「目覚めたばかりでどうかと思いますが、ご不安でしょう?詳しい話は後程と、申しましたね。ご説明しますから少々お待ちください」
すぐ参りますからと言って、扉の向こうへ去っていった。
アーシアは、ふぅと息をつき背中の柔らかな大きな枕に身体を埋めながら、もうひと口、白湯を飲んで周囲を見回した。
(ここはどこかしら?)
窓は布が下ろされて外は見えないが、布の隙間から柔らかな光が漏れて室内に光の線を描いている。なんだか落ち着く感じがした。
(あ、私の好きな花の匂いがする)
どこだろうと瞳を凝らしていると、扉の開く音がした。二人、入って来たようだった。アーシアは再び目を凝らしてみたが室内は少し薄暗く、誰だか分からない。
(さっきの人かしら?)
近づいてくると室内に描く光の線がその人物を照らしだした。アーシアは息を呑んだ。陽光のような金色の髪、優しく微笑む金の瞳を見たのだ―――声が出なかった。
「――に、にいさま、なの?」
「アーシア、ごめんね、待たせたね」
聞き覚えのある声が答えた。
「ああぁ・・・・・」
アーシアは手を伸ばして、寝台から降りようとした。カサルアは床を蹴って、側に駆け寄り、今までの時を埋めるかのように強く、強く、抱きしめた。
彼女が兄を最後に見たのは・・・見る間に紅く染まる身体と大地と反対に白く、白く、青褪めていく顔だった―――何度呼んでも、いつも優しく微笑んでくれた瞳も開くことは無かった。
生きていたのね。と何度も呟き、子供のように泣きじゃくるアーシアをカサルアは落ち着くまで優しく抱きしめた。静寂だった室内には泣き声と、優しく低くあやすように囁く声が漂っていた。
少し落ち着いてきたアーシアは、もう一人の人物の存在を思いだし、兄に尋ねた。
ああ、と言ってカサルアはアーシアを元通り寝台の大きな枕に預け直し、上掛けを引き上げて額に軽く接吻し自分は寝台の端に腰を落ちつかせた。
アーシア達をただ静かに見つめていたその人物は自分から名乗った。
「イザヤ・ラナと申します」
彼は感情のない銀灰の瞳を軽く伏せて、無表情だが礼儀正しく礼をとった。
アーシアは泣いた顔が少し恥ずかしかったが花のように微笑んだ。
「はじめまして、アーシアです」
イザヤは目を見張った。
彼女の微笑みは昔から誰でも魅了される。春の光りにほころぶ花のように初々しく、可憐でなによりも信頼しきった安らいだ表情をするのだ。
(何と言う笑顔・・・何も知らないからだろうが・・・今から話す事を聞いたら、もうそんな顔はしなくなるだろう・・・)
彼は珍しく心が重くなった気がした。
それからカサルアは現在の状況をかいつまんで説明しだした。
アーシアはふと引っかかる事があった。
「ちょっと待って、にいさま。あれから何年経っているの?」
アーシアからすれば封印で時が止まっていたので、ゼノアとの戦いは昨日の事のようだがカサルアの話がどうも噛み合わない。
イザヤが替わりに答えた。無機質な声で淡々と、「転生の件」それと・・・「兄妹の件」
アーシアは信じられなかった。あまりの事に考え込んだ。
(そうよ、あの状態で生きているほうがおかしい)
また兄の最後の様子を思いだして、血が凍るような感じがした。
(巨大な力・・・でも、にいさまはゼノアと違う。でも他人から見れば同じなの?)
確かにゼノアの力に人々は恐怖した。でもそれはそれを振りかざしていたからだと思うのだが・・・
(せっかく再会したのに・・・他人の振りか・・・仕方ないか)
両親が早くに亡くなった為、兄妹ふたり何時も一緒だった。大きくなってからは恋人同士のようだとよくからかわれるくらい仲が良かったのだ。
ぽつりと、思ったことが口に出てしまった。
「にいさま、と呼べないのね・・・」
「アーシア、それでも私達は、兄妹に変わりはない」
カサルアはまた軽くアーシアを抱きしめた。
腕の中で、こくん,と頷く。
「今まで辛かったでしょうけれど・・・生きていてくれて、ありがとう。それが一番嬉しいわ。それに私を助けてくれて本当にありがとう」
「仲間のおかげだよ。私一人では出来なかったことだ」
アーシアは側らに立つイザヤに再び、花のように微笑んで言った。変わらぬ笑顔だった
「助けて下さって、ありがとうございました。お話良く解りました。気を付けますが、危ない時は、助けて下さいね。宜しくお願いします」
イザヤは驚いた。過酷な運命に引き裂かれ、やっと再会した兄妹に他人のふりをしろと提案する自分を恨みもしないなど。そして再び同じように微笑むなど考えられなかった。今まで役目上、組織の裏仕事に手を染めて来た。嫌がられたり、恨まれたりするのは日常茶飯事であり、いちいち気にすることもなかったのだが・・・
「ははは、お前、意外と抜けているからな。安心しろ、失敗しそうになったらイザヤがこの怖い目でギロリと睨んで止めてくれる、ははは」
「もう、失礼でしょう!にいさ、あっ!ごめんなさい」
やっぱり「にいさま」とつい言ってしまう。
(本当に睨んでいるかしら・・・)
ちらっとイザヤを見てみた。変わらず無表情だった。
(睨んでなんかないじゃない)
アーシアの様子を窺う目線に気が付いたイザヤは珍しく苦笑を浮かべた。
(すっと心に入り込むような・・・不思議な少女だ・・・)
「私達の間では構いません」
「イザヤのお許しが出た!ああ良かった!アーシア、う~んと可愛がってやるからな」
カサルアは嬉しそうにまた、アーシアの額に軽く接吻する。
「もう、駄目よ! クセになるでしょう! イザヤさん、甘やかしたら駄目です!」
「相変わらず手厳しいな」
「私は普通です!にいさ、じゃなくて!えっと、そういえば今の名前はなんと言うの?」
「ああ、カサルアだよ」
「そうカサルアね。覚えたわ。じゃあ、カサルアが甘えん坊さんなの!自覚しなさい!」
イザヤは二人で笑いあっている様子を眺める。こんなカサルアを見るのは初めてだ。彼がいつも纏っている、相手を怯ませる火輪のような空気は姿を消し、そこだけ優しい穏やかな空気に満ちているようだった。
しかも 〝甘えん坊さん〟
・・・・・考えられない。再び口元を引き結んで、もうひとつの案件をアーシアに言った。
「今後のことですが、我々の力になって下さいますか? それと・・・」
カサルアは、前回のイザヤの 〝戦力〟 という言葉を思いだして憤った。もう妹を巻き込みたく無い! 鋭く遮った。
いよいよヒロインの登場です。女の子はやっぱり可愛くて皆を惹きつける魅力を持っていないとね。ラシードと出逢いましたが如何だったでしょうか?私の好きなシーンです。冷淡なラシードに微妙な心の変化が…
そしてお兄ちゃんとの再会ですね。カサルアも妹の前だとキャラがかなり違ってしまいました…こんな筈では無かったのですが…おかしいですね~この章はアーシアの魅力に心惹かれるレンとイザヤがポイントかな?と思ってます。これからもモテまくる彼女が羨ましい限りです。