⑨新たな理解者
生家には、人どおりの少ない早朝に到着した。
でも、予想していた以上に生家は、大騒ぎになっていた。
門番は、わたしを見つけるや否や、人目につかないよう取り囲んで屋敷の中につれていかれた。
このことで、すでにヘスペリデス家に王家から何らかの『知らせ』が入っているとわかった。
優秀な執事はわたしを迎え入れると、まっすぐにお父様とお母様のいるお父様の執務室へ連れて行った。
「旦那様がおまちです。おじょ、イヤ、マリー王太子妃様」
「わたし、まだ王太子妃なの?」
「いえ、残念ながら」
「やっぱりそうよね。『マリー』でいいわ」
「ハぁー……マリー様、たった一夜のうちに、ずいぶん逞しくなられましたね」
「そおかしら?」
「はい。妄信的で、盲目的なおとなしい性格が心配でしたが、杞憂だったようです」
「やっぱり、従順なだけの、世間知らずのお嬢様に見えてた?」
「はい。率直に申し上げて」
「今はどうかしら?」
「現実を直視する、いさま、いえ、勇敢な女性です」
「ありがとう。初めて褒められたわ」
「マリー様。家の者は、みな貴女様にきせられた『ふしだらな娘』という話を、信じておりません」
「!?」
わたしは、驚きのあまり執事の顔を見た。
「そうゆうことになっております」
「……そうなんですか……」
「あなたが、清廉潔白なお嬢様だということは、常日頃のマリー様を知っているわれわれには、濡れ衣だとわかっております」
いつにない饒舌な優秀な執事の言葉に、わたしはうれしくなった。
「信じてくれて、ありがとう」
「いいえ。本当のことです。……マリー様、気を付けてください。旦那様には、情けや情は、通じません」
「うん。わかってるわ。お父様にとっての『利益』を前面におしだして話すつもりでいるわ」
執事は、わたしの肩に手を添えた。
「マリー様は、なんだか生まれ変わった別人の様です。その意気です。幸運をお祈り申し上げます」
「うん。ありがとう。でもね、わたしがい今あるのは、わたしたち自身のおかげなの」
執事は、不思議そうな顔をしていた。
判らないのは、当然だ。
わたしが、何度も殺されて、蘇って、同じ日を繰り返しているなんて、考えられないことだろうから。
でも、まぎれもない本当のこと。
非力でもわたしたちが、生きてきた意味はある。
そして、非力で世間知らずなお嬢様も束になれば、巨悪にも立ち向かえる。
いつもの冷静さをいささか欠いた執事をおきざりにして、お父様のいらっしゃる執務室の扉をノックした。
「失礼します」
部屋には、マホガニーの重厚な執務机にお父様がいらっしゃった。
お父様の向かい側に、執務机とそろいの応接セットのソファに、お母さまが座っていた。
わたしは、戸口の前に立ち、恭しくお辞儀をした。
「ずいぶんと落ち着き払っているな、マリー」
「はい。こうなることは、わかっておりました」
「不義密通を認める。ということか?」
「いいえ。オイジュス王太子が考え付きそうな、嘘です」
「黒幕は、王太子か?」
「いいえ。計画したのは、姉のエリス王女です。二人はーー」
続けようとした言葉をお父様は、片手をあげてさえぎった。
「もういい。やはり、そうだったか。……いつ気付いた?」
オイジュス王太子とエリス王女の実の姉弟の性的な関係を、お父様もうすうす気づいていたようだ。
「昨晩、テラスから突き落されて殺されそうになりました。その時に、オイジュスから聞きました」
「そうか……よく無事だったな。」
お父様の表情が、一瞬くもった。
娘のわたしのことを心配してくれている気がした。
「他には、なにか言っていなかったか?」
「はい、ございます」
「どんなことだ?」
ここからが、本題だわ。
わたしは、体の前でそろえていた手に知らず力がこもった。
「二人は、わたしが持つお父様亡き後のへスぺリデス家の遺産相続権、つまり、へスぺリデス家の財産が目的だと言われました」
「なるほど、合点がいった。財政が、困窮しているのことは把握していた。王家にあるのは、借金ばかりだとも聞いている。金のかかる家臣しかおらず、真の忠臣はわずかで、世事に長けている者はいない。どうりで……」
お父様は、先の言葉をあえて飲み込んだようだった。
ー我が家から嫁を娶ろうとなったわけだー
お父様の言わんとしていることは、伝わってきた。
お父様には、少なからずショックだったようだ。
「オイジュスが何と言ってきたかわわかりませんが、すべて偽りです」
「昨晩のうちに衛兵が乗り込んできた。お前を引き渡せと。マリーは、不義密通をおかしていて、初夜に王太子に処女でないことがばれて、テラスから遁走したと。王太子は、騙されて寝込んでいると聞いた」
「信じたのですか?」
「まさか。ただ、花嫁に初夜に逃げられるとは、あいかわらず、間抜けな新郎だと思った。」
「あいかわらず?」
「ああそうだ。オイジュス王太子は、今デスピオ火山の悪魔、アスタロト侯爵討伐の指揮官として、任に当たっているというが、実は、アスタロト侯爵に金を支払い、『武功』を買っているのだ」
「武功を買う?それは変ではありませんか?」
「ああ。だが、それほどおかしな話ではない。今や、勇者や騎士があふれる世の中だ。少しでも上級の位を得ようとすれば、多くの手柄が必要になる」
「それは、そうですわ」
「だが、勇者や騎士が多ければ、討伐される側の数は、減る一方。今や、『天然の魔物や魔獣は、絶滅品種』だ。そこで、考えを巡らせた悪魔がいた。『天然』がないなら、『養殖』すればいい。なんなら『悪役や武功をでっち上げればいい』と考えたのだ」
「それってまさか……」
「命を懸けて武功をあげなくても、金をつめば買えるようにしたのだ」
「そっそんなことって!?」
「むろん、真の武功には、それ相応の対価を。金で買った武功は、それなりに。ニセモノの武功には、悪い噂が付きまとうからな。そういったことをひっくるめて、武功商売を悪魔のアスタロト侯爵は、編み出した。まさしく、悪魔の所業だな」
お父様は、なんだか楽しそうだった。
商人の血が騒ぐといった様子だった。
「商人として、超一流かもな。そうそう新しい商売は、生み出せるものではない」
悪魔のアスタロト侯爵……
「どんな方なのですか?」
「あったことはない。相手は悪魔だ。すすんで会おうとも思わんよ、さすがにな」
「でも、変ではありませんか?宗主国は、神の子を信じ、崇めているているのに、悪魔と取引していて、王家は……」
お父様のわたしを見る目が、キラリと変わった。
「マリー、そうゆうことだ!だから、オイジュス王太子は、愚かなのだ。悪魔のアスタロト侯爵にみすみす弱みを握られにいった、大馬鹿者だ」
「そういうことですわね」
「……だが、マリー。お前は、意外に目鼻がたつ娘だったんだな」
「そんな、もったいないお言葉」
「わしの目は曇っていたかもしれん。……もっと早くにお前の賢さに気づいていれば……」
お父様の顔に後悔の念がにじんでいた。
「マリー、お前の話は信じよう。だが、ここにいれば、お前が逮捕されるのは時間の問題だ。もし……つかまれば、ろくに取り調べも裁判も開かれず、謀略により暗殺されるのが関の山だ。ならば……」
わたしもお父様も、次の一手がうかばない。
お父様は、絞り出すように声を発した。
「時間さえ稼げれば……。それができれば、宗主国に王家の裏切りと不貞行為を知らせられる。……そのあいだ、お前がどこか安全なところへ身を隠せれば。お前がいれば、生きた証人として、オイジュス王太子とエリス王女に鉄槌がくだせる」
そんな都合の良い場所なんてあるのだろか?
「修道院でかくまってもらうのは?」
お父様のそばでずっと黙っていた、お母様が静かに口を開いた。
今の時代、女が逃げ込める場所はそこしかない!
「わたしが懇意にしている修道院がありますわ。お願いすれば、なんとか……」
「良い案だ!これからすぐ、向かいなさい!!」
わたしは、ようやく、試練をクリアしたようだ。
難物のお父様を味方にし、最善の一手がもたらされた。