①新婚初夜の悲劇
「ぼくの幸せのために、死んでくれてありがとう。マリー」
いつも以上に明るいオイジュス王太子様の声をきいた。
えっ!?
わたしは、背中からの強い衝撃で前のめりに、正面から落ちている最中です。
どうしてこうなったのでしょうか?
わたしには、さっぱり理解できない。
きっと、イチャイチャじゃれあったはずみで誤って……
こんな事故にあうなんて……事故?事故かしら?いや、オイジュスの言葉を思い返して!!
ありえない……!?
いくら朗らか(ほがらか)で、能天気な性格をしていると言われるわたしにでもわかることだった。
『故意に突き飛ばした』
しかも、女性を後ろから、卑怯!卑劣極まりない行い(おこない)だわ。
怒りがフツフツとわいてくる。
でも、なぜそんなことを?
オイジュス王太子様は、わたしの夫だ。
ここスオカ王国の次期国王になるお方。
二年前に婚約を交わし、王太子様の17歳の誕生日の今日、結婚式を執り行った。
挙式は、わたしにとって夢のようなひと時だった。
わたしは、へスぺリデス家の長女。
へスぺリデス家は、スオカ王国の国民でありながら、近隣諸国からも一目置かれている大貿易商の家柄だ。
スオカ王家より、実は歴史が長い。
けれど、なぜか爵位はない。
オイジュス王太子は、王国中の女性たちの噂の的になるほどの金髪碧眼のイケメンだ。
そのうえ、身分の序列を気にしない、平等と博愛主義を旨とする性格も素晴らしい方。
「マリー・へスぺリデス。君は、ぼくの妻にふさわしい女性だ」
この一言で、わたしは並居る(なみいる)貴族のご令嬢方の中から花嫁に選ばれた。
そのオイジュス王太子と今日挙式を終えたばかりだった。
今晩、初夜を過ごすための特別な寝室で、初めて愛しあうはずだった。
寝室もそれ続くテラスも希少な白い大理石でできている贅沢なつくりだ。
部屋の真ん中には、天蓋付きの大きなベッドが一つだけあった。
ベッドにはシンプルながら上等なシルクの真っ白いリネン類でまとめられていた。
他に調度品は、置かれていなかった。
でも、色とりどりの花びらがふんだんにちりばめられていた。
ロマンチックな演出にわたしは、とても感激した。
幸せの絶頂は、永遠に続くものと思っていた。
だから、わたしは心の内で、オイジュス王太子への真摯な愛を改めて誓ったのだ。
寝室のテラスの柵は、腰より低くいデザインが洒落ていたが、転落防止には、不十分なつくりだった。
加えて、白い大理石製の柵と床は、夜露にしっとりとぬれ、滑りやすかった。
オイジュス王太子は、わたしが処女でいろいろ不慣れなため、人払いをしていた。
本来は、王太子の初夜は、つつがなく行えたかを見守る役人たちが、新婚のベッドをグルリと取り囲むらしいと伺った。
「マリーは、純情だから、恥ずかしいだろうと人払いをしたよ。これで、ぼくは、君を思いっきりひとり占めできるよ」
オイジュス王太子は、そう甘く囁いた。
だから、変に思わなかったのだ。
わたしのために!と感激さえした。
よもや、こんな展開になるなんて!!
でも、これが事実。
今わたしは、夫にベランダから突き飛ばされ、落ちている最中。
たかだか二階のテラスから落ちているのに、時間は永遠のように長い。
だから、こんな風に自分の人生を走馬灯のように思い出されるのかしら~。
わ・た・し!なにのんきなこと言ってるの!!
そんなことじゃなく、もつと考えるべき大事なことがあるわ!
寝室は、二階。
無傷ではないにしろ、助かるはずだわ。
大丈夫よ。
自分を鼓舞するポジティブな感情は、直ぐに木端微塵になる。
さっきまで、テラスで睦言を言い合っていた時に、こんな会話を交わしていた。
「薔薇のいい香りがする。君にピッタリだ。マリー」
「近くにバラ園があるんですの?王太子様」
「フフフ。マリー。ぼくたちはもう夫婦なんだよ。オイジュスって呼んでごらん」
ちがーう!!違うわ。そうじゃないわ!もっと後に大事なことが!!
「マリーに似合う白いバラを植えたんだ」
「まぁ!わたしのために?」
「今夜、君をー」
アダルトな部分は、重要ではないので割愛します。
重要なのは!バラが植えてあることよ。
繊細なバラを守るための鉄柵がある。
鉄柵のデザインは、鋭く天に向かって伸びる槍のようなデザイン。
そうそう、人気のデザインでよくある……
これまでに経験したことがないような熱い衝撃が、体を走った。
ブシュともグシュともなんとも背筋が寒くなる音を聞いた。
わたしの体は、薔薇の鉄柵に貫かれた。
一面に血煙が立ち込めた。
顔にも、かすかに濡れた感触があった。
ほぼ同時に、鼻から霧状の血を吸い込み、こみあがった血液が口いっぱになる。
こんなに惨めな状況なのに、人間は、生理現象でむせるのだと知った。
無様にもわたしは、口からよだれと血を吐いた。
なに不自由なく、大貿易商の娘として溺愛され、大切に育てられてきた。
爵位はなくとも、『マリーお嬢様』と呼ばれ、立派な淑女の教育も受けた。
だから、人前で口からよだれを垂らすなんて……
惨めだった。
でも、誰に見られる心配はないはず。
三日月に雲がかかっており、暗闇が、すべてを覆った。
王太子によって、あらかじめ人払いがしてある。
だから、王太子以外に、この無様な姿を見られることはない。
テラスから王太子の声がする。
「ぼくはね、君のたっくさんの持参金と、へスぺリデス家の遺産相続の権利が欲しかったんだ」
遺産目当てだったの?
「お金だけは、いっーぱいもってるじゃん、きみん家」
「もう、済んだのかしら。オイジュス」
あの声は、まさか……!?
「ああ。エリス姉さま。姉さまの名案のおかげで、万事うまくいったよ」
「しっ!声が合大きいわオイジュス。あまり興奮しては、ダメよ」
「しょうがないよ。やっと堂々とエリス姉さまと愛し合えるんだから。大貿易商の家柄とはいえ、平民のマリーとは、王女様のお姉さまは、全然!違うよ!……ぼく興奮しちゃう。これからここでーー」
「血を分けた姉弟なのに。抱き着いたりして、イケナイ王太子様。わたくしが姉として、オイジュス王太子様をしっかり慰めてさしあげますわ」
「ほんとに!?」
「はい、陛下」
「陛下はまだ早いよ。あっ!でも、もうすぐか……父上にも急病で、退位していただく予定だから」
「オイジュス陛下、まだ、焦ってはだめよ。だれに聞かれるかわからないわ」
「平気さぁ。エリスお姉さまは、心配性なんだから」
「でも……」
「大丈夫だよ。心配しないでエリス。初夜を理由に、人払いしてあるから誰もいないよ。それにアイツは,名前の通り『ブラッディー・マリー』になったんだ」
高らかに笑うオイジュスとエリスの声は、闇夜に響いて不気味だ。
ほどなく、唾液を混じり合わせるクチュクチュという音がかすかに聞こえてくる。
おぞましい。
実の姉弟なのに……
鉄柵に刺さった体は、もうなにも感じない。
寒いだけだ。
かすんでゆく視界に、おびただしい量の血だまりが見える。
それから、鉄のにおい。
これが、マリー・へスぺリデス、16歳の最期に見る光景なの!?
意識が、スッーと遠のいていく。
わたしの人生は、こんな惨めな終わり方なのか?
が、突然とある記憶が、蘇ってきた。
この血だまりを見下ろす景色。
むせかえるほどの鉄のにおい。
これ『初めて』じゃない!!
そして、わたしはなぜか『またも自分が失敗した』と痛感した。
『初めてじゃない』、『また』とは、どういうことなのか?
思考しようとしたが霧散していき、ダメだった。
そして、今世の体はもう動かせそうにない。