元カレのせいで幼馴染に婚約破棄されてしまった。気付いた時にはもう、私には元カレに報いを受けさせる道しか残されていなかった
「「「「結婚おめでと~!」」」」
「……」
居酒屋に響き渡る祝福の声。高校時代の友人達は忙しい中、私のために集まってくれた。
この飲み会の主役であるにも関わらず、何故か心の底から楽しめない。理由は分からないけど、漠然とした不安が私の中で渦巻いている。
一体なんだろう。胸騒ぎがする。何か大事なことを忘れているような気がしてならない。
私――有賀文音は、幼馴染の彼――大岸直明ともうすぐ結婚する。
互いの両親に挨拶は済ませている。特に結婚に反対もされていない。あとは役所に婚姻届を提出するだけ。
それなのに何かひっかかる。やり残したことなんてないはずなのに……。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
グラスを持ったままボーッとしていたら、友人が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
いけない。折角祝ってもらっているのだから、辛気臭い感じになるのは止めよう。
「あの頃は楽しかったね~!」
お酒が進み、話題に上ったのは学生時代の話。
まだ独身の子も多いせいなのか、女子――もうそんな年ではないけれど――ならではというべきなのか、実はあの時誰と誰が付き合っていたとか、誰々が誰々に告白していたとか、そんな話の流れになった。
「あ、そう言えばさ、あの後北川くんとはどうなったの?」
「別に……何もないよ」
「そうなの? あんなに仲良かったのに」
そして話題に挙がったのは、学生時代に私が付き合っていた男の子のこと。
私が彼――北川克己と付き合っていたのは大分前の話だ。
かつく――北川くんと私が付き合い始めたのは高校1年の時。高校に入学して1ヶ月くらい経った、ゴールデンウィークを間近に控えた春に私は彼に告白された。
北川くんとは小学時代からの友人で、付き合う前から互いの家に遊びに行ったりもしていた。
だから彼と私が交際するのは、ある意味自然な流れだった。
北川くんと仲良くなったきっかけは、幼馴染――直明との別れ。
今でこそ私は直明の傍にいることができている。だけど小学生の時、直明が何も言わずいきなり転校した時は、もう2度会えないと思った。
朝学校へ行く時も、夕方下校する時も、直明は私の隣にいた。いつも一緒にいたはずの幼馴染が急にいなくなったことで、幼い私は寂しさで胸が張り裂けそうになった。
そんな私を慰めてくれたのは、北川くんだった。
彼は直明の代わりになってくれた。幼馴染を失った穴を埋めてくれた。だから私は彼と付き合った。
でも今になって思う。どうして私は北川くんと付き合ったのだろうと。
別に彼のことが嫌いになったとか、彼に浮気されたとかじゃない。ただ、私は北川くんとの別れに未だに納得がいっていない。
「今こっちに来てるみたいだよ? 北川くん」
「そうなんだ」
彼との別れは淡白なものだった。
学生カップルであればよくある別れ方――自然消滅。私と北川くんの交際の終わりはそれだった。
それは付き合って1年くらい経ったある日のこと、唐突に北川くんから彼が転校することを告げられた。
「ごめん文音……。俺、親父の仕事の関係で、ここから引っ越すことになった。だから、今までみたいに一緒にはいられない。本当にごめん……」
なんでこうも私はついていないのだろうと思った。私が好きになった人は、例外なく私から離れていってしまう。
北川くんの罪悪感に満ちた顔は、今でも覚えている。
彼はいつも私に挨拶のように「俺は大岸とは違う。文音の傍にいる」と言っていた。それだけに、北川くんは引っ越しに相当ショックを受けていたようだった。
ただ直明の時と違ったのは、彼との交際は彼が転校した後も続いたということ。
しかし遠距離恋愛ということもあって、北川くんと顔を合わせる機会は減っていった。それに比例して、連絡を取り合うことも少なくなっていった。
たくさんデートしたのに、身体を重ねたのに、彼と付き合っているのかも、別れたのかもよく分からない状況になってしまった。
ある日を境に彼から連絡もパッタリこなくなり、私も彼に連絡することを止めた。
もしかしたら何かあるかもしれないと思って、前に使っていた携帯に今でも連絡先は残している。
でももう流石に消そうとは思う。だって私は直明と結婚するのだから。
「…………あ」
漠然と感じていた不安の正体に気付く。
前の携帯には連絡先以外にも、北川くんとの思い出が残してある。それこそ、人に言えないような行為のものまで。
その気になれば、前の携帯は直明が見られる状態にはある。見られて困る――というよりは恥ずかしい。何より直明もいい気はしないはず……。
「ちょっと! またグラスが止まってるよ!」
「ごめんごめん」
家に帰ったら消せばいいい。この際だから、前の携帯も全て処分してしまおう。
そう思い、後顧の憂いを断つ術を知った私は、また友人達と思い出話に華を咲かせることにした。
………………。
そう言えば小学生の時、直明は北川くんと仲が悪かった気がする。
直明も北川くんも、私と同じ学校に通っていて、彼らは顔を合わせる度に、険悪な雰囲気になったことを思い出した。
今二人が出会ったらどうなるのだろう。友人に勧められたお酒で、酔っぱらいながらもそんなことが頭をよぎった――。
★☆★☆★☆
「文音……ごめん……俺と別れてくれ……」
お祝いが終わったその日、家に帰ってきて早々、直明から婚約破棄を告げられた。
訳が分からなかった。「とにかく別れてくれ」の一点張りで、彼は別れたい理由は話してくれなかった。問い詰めても問い詰めても、何も答えてはくれなかった。
私達は学生じゃない。社会人だ。別れてほしいと言われて、はいそうですかと済む年齢ではなくなっている。
「慰謝料は払うから……」
だから直明から、慰謝料という言葉が出た時は愕然とした。それほどまでに私と別れたいのかと。
直明は私の顔を見る度に、吐き気を催した。私が近づこうとすると、怯えた野良猫のように私から距離を取る。
彼の決意は固い。何が直明にそこまでさせたのかは皆目検討がつかないけれど、私と直明の関係はもう終わりであることは明らかだった。
「いいよ……慰謝料なんて」
直明から慰謝料を貰う気にはなれなかった。弱った彼を、さらに経済的に追い詰めてしまったら、どこか遠くの世界に行ってしまうような感じがして……。
「ごめん」
それから数日もしない内に、直明は逃げるように私たちが借りていた部屋から出ていってしまった。
今住んでいる部屋は一人で生活するには広すぎるのと、家賃が高いこともあって私も荷物を纏めて、新しいアパートに引っ越した。
直明と別れて数ヶ月が経った。
私はまだ失恋から立ち直れてはいない。未だに悶々としている。仕事中にも一体何がいけなかったのか考える始末だ。
会社の同僚や友人達は慰めてはくれるけれど、私の心は晴れないでいる。
皆、直明のことを最悪だと言う。友人だけではなく、私の両親さえも。でも私は、何か私自身に問題があったのではないかと考えてしまう。
「久しぶり」
悶々とする日々を過ごしていたら、その答えを知る人物と出会った。いや、再会したと言うべきか……。
「かつく……北川くん」
いつの間にか私は、北川くんの住むアパートの近くに引っ越していたらしい。家のコンビニで買い物をしていたら、バッタリ彼と出くわした。
寂しさに耐えきれなかったのだと思う。一生懸命作った夕飯を、自分以外食べる人間がいないことに虚しさを感じていたのだと思う。
「俺の部屋に来いよ。何があったのか分からないけど、泣きそうな顔してるぞ」
「うぅ……」
再会したばかりだというのに、私は言われるがまま、彼の部屋に入った。そして付き合っていた時と同じように、北川くんにその身を預けてしまった。
北川く――かつくんの身体は暖かった。彼に抱きしめられると、冷えきった心が温められているような気がして心地がよかった。
「かつくん、あのね……」
そのせいなのか。行為が終わった後、かつくんに今まであったことをついつい話してしまった。直明と同棲していたことを、そして突然婚約破棄されてしまったことを。
「あいつ男らしくねーな。俺がちょっかいかけたくらいで、文音を捨てるなんて」
「え?」
直明が男らしくないのはなんとなく分かる。私が気になったのは、かつくんが直明ちょっかいをかけたという点だ。
「ちょっかいって、どういうこと?」
「あいつ小学の時、文音と仲良かっただろ? だから嫉妬しちゃってさ、ちょっと意地悪したんだよ」
かつくんが……直明に意地悪?
………………!?
あ……。
ああああああ!
点と点が繋がる。私はようやく理解する。
直明が転校してしまった理由を、そして彼から婚約破棄されてしまった理由を――。
奴は小学生の時から私を狙っていた。だから邪魔な直明を、いじめて転校させた。私が直明に感じていた想いを、自分に向けさせるように仕向けた。
それだけならまだよかったのかもしれない。だけど、私は北川との交際記録を前の携帯に残していた。
恐らく直明はそれを見てしまったのだろう。自分を苦しめた男に対して、身体を許す姿を。
私は一体どれだけの絶望感を直明に与えてしまったのだろう。これはただ元カレがいたからとか、いなかったからどうとかのそんな単純な問題じゃない。
私は何も知らなかった。私は何も悪くない。だから直明は別れる時、私に対して謝ることしかしなかった。
なんて間抜けなんだろう……。私は本来憎むべき相手にいいように踊らされ、あまつさえ好きになってしまった。
北川が許せない。そして何より自分自身を許せない。
直明……ごめんなさい……。せめて、私の手で北川に償わせるから――。
「文音、安心しろ。今度こそちゃんと俺が傍にいてやるから」
「うん、ありがと……」
そう言うと、北川は私を右腕に抱き抱え、スヤスヤと寝息を立て始めた。
私はその腕を振りほどき、安らかな寝顔を浮かべる北川の首に、静かに自分の両手を当てた――。
最後まで読んでいいただきありがとうございました。