第2話
講師の話を聞き流している内に、昼休みを迎える。
日本にいた頃は勉強なんてしたくもなかったが、全く何もしないと逆に不安感が募ってくる。これは上に掛け合って、自習出来る環境を整えた方が良いのかも知れない。
などと柄にもない事を考えつつ席を立ち、事前に配布されたスマホで学食の場所を確かめる。
「気を付けてね」
レイチェルさんがサンドイッチ片手に、笑顔で手を振ってきた。
気を付けて、か。肝に銘じておこう。
スマホに表示されている学内の地図を頼りに、目的地である学食へと到着する。
ここは現代日本と変わらない、雑多で活気のあるスペースになっている。長いテーブルが幾つも並び、カウンターに行列が出来ているあれだ。
俺も行列の1つに並び、日替わり定食を受け取って席を探す。レイチェルさんの忠告、「気を付けて」を意識しながら。
具体的には、どこへ座るかという事だ。
ただ単に空いているテーブルへ付けば済む話ではなく、こういう場所では大抵指定席が存在する。能力をベースに擬似的な階級が出来ているだろうこの学校において、大勢が集まる場所ではそれは明確になっているはずだ。
ただその辺りは寮の食堂でも経験済みなので、間違いを起こすつもりはないが。
という訳で便利が悪そうな学食の一番端まで移動し、周りの生徒が薄暗い雰囲気なのを確かめてから空いてる席へ落ち着く。
ここは多分俺と同じく、能力が低い者の定位置だと思われる。言ってみれば、この学校における最下層だ。
俺も今日からその仲間入りだが、挨拶をして回っても仕方ない。よって大人しく、ボリュームのある唐揚げ定食を食べ始める。何かと現代日本風なのは助かるというか、ここを運営してるのが元日本人かも知れない。
ある程度食べ進めた所で水を飲もうと思い、目の前のポットに手を伸ばす。
能力を駆使すれば指先からも出るのだが、これの出所が全く分からない。空気中の水素を結合させてるのならまだ良いが、俺の体内からだとすれば結構嫌な話なので。
脱水症状の心配よりも、体から出た水分を飲み水とするのは相当にタブーな気がする。
なんて事を考えてるとポットが持って行かれ、俺の頭に水が注がれた。それに対して嘲笑が沸き起こり、理由はすぐに判明する。
「水、飲みたかったんだろ」
陰険そうな狐目の金髪男が、俺を見下ろして侮蔑的に笑っている。
誰かは知らないが、要は俺達のような駄目人間をいじめて楽しみたいだけのよう。こちらが反撃するだけの力がないと分かっているため、能力のある人間からすればやりたい放題し放題だ。
倫理的にもおそらく法的にも許される行為ではないが、ある程度は黙認されている雰囲気。また俺達は穀潰しなので、そのくらいされても仕方ない。
などと、やる方もやられる方も思ってるのだろう。
「ありがとう。だけどあまり飲めなかったから、もう一杯貰えると助かるよ」
笑顔を浮かべ、コップを差し出してそう促す。
狐目の金髪は一瞬戸惑い、それが皮肉だと分かるとポットを俺に投げつけてきた。
それを胸元で抱きしめ、今度は自分のコップに注ぐ。
「……軟水で飲みやすいな」
何しろこちらは日本生まれの日本育ち。硬水はどうも飲み慣れず、こういう点は逐一助かる。
「お前、馬鹿にしてるのか」
狐目の金髪は声を荒げ、俺に詰め寄って来た。それはこっちの台詞だろと思いながら、すぐに頭を下げる。
「悪い悪い。俺、こちらの習慣にまだ馴染んでなくてさ。てっきり頭に水を浴びるのが、初対面の挨拶だと思ったから」
「あ?」
「それとも頭に水を掛けるのは、違う理由でもあるのか?」
俺の嫌みな質問に、狐目の金髪はあっさりと押し黙ってしまう。
「いやー、ただの嫌がらせなんですよ」
なんて笑ってくれると俺も握手をしたくなるんだが、そこまでの人間ではないようだ。
狐目の金髪は俺を殺気立った目で睨み付け、しかしさすがに分が悪いと思ったのか立ち去っていった。取り巻きの連中も慌ててその後を追い、水浸しの俺が1人取り残される。
「大丈夫?」
可愛い顔立ちの金髪美少年が、不安げな表情で話しかけてきた。さっきの男は染めていたようだが、こっちは地毛だな。
俺は平気だと告げ、ハンカチで軽く顔を拭った。
「あまり挑発しない方が良いよ。向こうはランクが上なんだから」
「それって、公式な立場?」
「明文化はされてないけど、実質的にはね」
金髪美少年が、さらりと知識のあるところを見せてくれた。こういう人間とは、是非ともお近付きになりたい物だ。
「俺は南守宗。君は?」
「ミハエル・エンゲ」
向こうから差し伸べられる華奢な手を、俺は軽く握り返した。
未だに右も左も分からない状況では、一人でも知り合いが増えるのはありがたい話だ。ケタケタ笑う人は、ともかくとして。
ミハエルが言うには、ランクというのはそのまま能力の高さによるものらしい。高レベルの能力者は学内において何かと優遇を受け、他の生徒への影響力も持つ。
つまり低レベルの者は彼らに従い、大げさに言えば支配される側だ。とはいえこちらは穀潰しの身。多少の差別は、良い悪いは別にして受け入れるしかない。
「僕はこの世界に呼ばれて3ヶ月目。ようやく慣れてきたよ」
「生活に? いじめられるのに?」
「そのどちらにも」
ミハエルは少し頼りのない笑顔を浮かべ、ため息を付いた。
とはいえ俺達の立場を考えると、それも当然か。
「さっきの狐目。あいつのランクは?」
「B-だったはず。ちなみに僕は、D-だよ」
ミハエルはスマホで、自分の情報画面を見せてくれた。そこには確かに、D-と書いてある。
ちなみに自分のを確認すると、E-と記載されていた。良いんだけど、ちょっと嫌だな。
たださっきの奴に関しては、ほぼ予想通り。俺よりは強いが、最強を名乗る程ではないとは思っていた。
本当に図抜けたレベルなら俺達を相手にする理由がないし、もっと言ってしまえば認識する必要すら無いはず。逆に程々の能力があり、だけど上との差も大きくて追いつけない。そういう連中が憂さを晴らすとなれば、俺みたいな奴がうってつけだ。
「ランクはともかくこの世界で生きていけるだけの保障はされてるから、そこはありがたいと思わないとね」
「勝手に呼ばれて、勝手にいじめられて。その辺は納得出来てる?」
「出来なくても、元の世界に戻るのは結構大変なんだよ。この世界でそれなりの貢献をしてでないと、許可が下りないから。だけど僕達は能力が低いから、貢献なんて全然出来ない。だから嫌でも何でも、残るしかない」
「ひどい話だな」
思わず苦笑して、スマホの情報画面を見つめる。そこには元の世界への帰還可能日数も記載されていて、俺の懲役明けはかなり先になっている。いや。懲役ではないのだが、なんとなく。
「能力が高ければこっちの世界で生涯を終えても良いだろうし、戻りたい時に戻っても良い。だけど僕達は、自分の意志とは関係なくこの世界に残るしかないんだよ」
「奴隷みたいに働いて?」
「そこまでひどくは無いし、呼ばれた身だからそれなりの仕事も斡旋はしてくれる。ただ、元の世界には戻れないだけだよ」
ミハエルは静かに。そして重く語る。
俺だって人の子で、当たり前だが元の世界が恋しいし会いたい人間だっている。
いくらこちらでの生活が保障されているとはいえ、今すぐ戻る事が出来ないというのは結構な精神的負担。こちらの世界では役立たずとなれば、なおさらに。
ただ俺達は召喚された時点で、元の世界においては行方不明扱いらしい。
早く戻らなければ死亡者として処理されると考えれば、本当に以前の生活へと復帰する事は出来そうにない。勿論召喚された時点で異常な経験しているため、厳密な意味において元の生活へ戻る事などあり得ないが。
複雑な心境と共に食事を終えて教室に戻ると、机が無くなっていた。
いじめとしては効果的だが、衆人環視の元運ぶのは結構面倒で恥ずかしい。その方が逆にいじめだと思う。
「俺の机、どこに行ったか知ってる?」
「狐目の男子が命令して、運んで行った」
レイチェルさんはケタケタ笑いながら、机があった辺りのスペースを指差した。
それを黙って見てたのかよ。
「私が見かけた時は、もう窓の外に飛び出てたから。最後に、こういう遊びなんですって言ってたわよ」
随分斬新な遊びだな。
それはともかくここは3階だか4階で、机を抱えて降りられる高さでは無い。つまりは、そういう事を出来る能力者がいたのだろう。
「まあ、いいか。あの狐目はB-と聞いたけど、レイチェルさんは?」
「SS+++って所かしら」
なるほど。持つべきもの故のゆとりか。もしくは、ねじが二三本外れてるタイプだ。
本来なら俺みたいな役立たずを相手にする必要は無いと思うのだが、こうして話をしてくれるのは彼女の人徳もあるのだろう。
「全く、困った話だ」
床にしゃがみ込んでこれは無事だったリュックの中身を確かめていると、小柄な若い女性の担任が血相を変えて飛び込んできた。
「み、南君。君、君の机が」
「あ、見つかりました?」
「そうじゃないの。な、中。中にぐにゃっとした物がっ」
担任は金切り声をあげ、大きく身をよじった。
色々突っ込みたいが、まずは床から立ち上がろう。
「机、回収してきて良いですか?」
「え、ええ」
「面白そうだから、私も付いてく」
レイチェルさんはケタケタと笑い、俺の前を闊歩し始めた。こういうタイプが、一番質が悪いんだよな。