第7話 オスカー・フォン・ルースウェル
カン、カンと周りのあちこちから小気味いい音が響いている。
その音を聞きながら、セスティールも対峙している相手に対して右手に持った木刀を振るった。
学園への入学から早1週間。
今は、学園に入学して初めての武術の授業の時間である。
授業が開始してすぐ、セスティールたちはそれぞれペアを組んで軽い打ち合いをさせられていた。
なんでも、今日はペアでの打ち合いの様子を見ることで生徒の技量を測るのだそうだ。
入学式当日の印象の通りグレイディ教官は武術担当だったようで、彼は今訓練場の前方で生徒たちを監督している。
「打ち合い、止め!」
その大きな声に、セスティールとの攻防で体勢が崩れかけていたペアの相手に追い討ちをかけようと振り上げいていた腕を下ろした。
「「ありがとうございました」」
互いに礼をし、その場を離れる。
次の相手を見つけようと周囲を見渡した。
「やあ、次は俺の相手をしてくれないか?」
後ろからかけられた声に驚き、セスティールは振り返った。
そこで穏やかな微笑を浮かべている彼は、確か人界の貴族だったか。
「ああ、君は…」
「オスカーだ。オスカー・フォン・ルースウェル。人界の、侯爵家次男だ。」
そうだった。しかし、なぜ急に声をかけてきたのかと疑問を抱く。
先程まではセスティールから随分離れた位置にいたはずだったのだが。
「ルースウェル殿。もちろんいいが……」
「はは、やめてくれ、オスカーでいい。それで、相手はしてくれるのか?」
「もちろんだ。よろしく頼む」
「それは良かった」
そう言って微笑むと、彼はセスティールから少し距離をとって木刀を両手で構えた。
それに倣って、セスティールも向かい合って木刀を構える。
周囲も、全員新しいペアが決まった様子だった。
集中して、教官の合図を待つ。
「っ始め!」
グレイディ教官の鋭い掛け声が場内に響くと、2人は同時に動き出した。ジリジリと、まるで円を描くように動きながら、互いに隙を窺う。
セスティールはオスカーに鋭い視線を向けながら、内心ではその技術の高さに舌を巻いていた。
彼の立ち姿には全く隙がないのだ。
その重心、目線、そして足運びから戦い慣れしていることが伺い知れた。
人間は、基本的に魔物との戦闘を行わない。彼らの役割が世を整えることにあり、整えられた土地には魔物が発生しにくいからである。
そのため、同年代の人間にこれほどの腕の者がいるとは、とセスティールは心底驚いていた。
しかしセスティールとしても、たかが授業での手合わせとはいえ負ける気はさらさら無い。
互いに一歩も引かぬ睨み合いの中、ふっと、オスカーが笑みをこぼした。
「実は、入学式の日に貴殿を見掛けてからぜひ一度手合わせ願いたいと思っていたのだ。まさかこんなにも早く願いが叶うとは、嬉しい限りだよ」
そう宣ったオスカーに、セスティールは再び驚いた。彼の微笑になんとなく言い知れぬものを感じつつ、疑問を返す。
「それはまた…。なぜそんなにも早くから?」
「はは、そりゃあ、貴殿は目立っていたからな。あの組み合わせの複数の魔力属性に、入学式での挨拶もしていただろう?なんというか…、あれだな。大物で、強そうに見えた。しかし、俺の見立ては外れていなかったようだ。見事な技術ではないか」
「…そうか。お褒めに預かり嬉しい限りだが、貴殿の方こそ随分と戦闘慣れした様子。魔物との戦闘の経験がおありか?」
「まあ、な」
軽口を叩きながらも、互いに気を抜くことはしない。
不意に、隣で打ち合っていたペアの片割れが、木刀を取り落とした。
カラン、と乾いた音が聞こえたのを合図にしたかのように、それまでジリジリと動いていた2人が一気に動き出した。
思い切り上段に構えた木刀を振り下ろしたオスカーを、身体をかがめて彼の足元に滑り込んだセスティールが迎え撃つ。
ガキィン、と木刀に似合わぬ鋭い音が辺りに響き渡った。
セスティールは、下から振り上げた木刀の勢いそのままに、身体を回転させつつ再びオスカーに切りかかる。
するとオスカーは、木刀を斜めに構え、その衝撃を上手く受け流した。
思わず、セスティールは口の端に笑みを浮かべた。
面白い。
レベルの高さに満足感を抱きながら、攻撃を重ねていく。
しばらくして、形勢がセスティールに傾いてきた。大分激しく動き回りスタミナ切れだろうか。段々と精彩をかいていくオスカーに、追い打ちをかけていく。
そして遂に、ぐん、と強く踏み込んできたオスカーが振り下ろした木刀を弾き、彼の首筋に木刀を突きつけた。
「双方、止めっ」
教官の大きな声に、オスカーとセスティールはそれぞれ木刀を下ろした。
互いに一歩下がり、礼をする。
と、そこで一つの違和感に気がついた。
双方?
全員の間違いではなかろうか。
そう思って当たりを見回すと、それぞれ向かいあって打ち合いを行なっていたはずのクラスメイトたちが、全員こちらを向いていた。
驚いて、オスカーと顔を見合わせる。
すると、教官がこちらに歩いてきた。少しばかり顔が怒っているように見える。
「俺は、お前たちに軽く打ち合いをしろと言ったはずで、手合わせをしろとは一言も言っていないのだが」
そういえばそうだった、と今更ながら思い出す。
いつの間にか本気になっていたことに内心で苦笑を漏らした。
「申し訳ありません」
「いつの間にか本気になってしまいました」
2人揃って謝罪する。
1週間過ごしてわかったことなのだが、この学園はどちらかというと軍の士官学校に近い雰囲気がある。
規律に厳しく、教官の指示は絶対なのだ。
何か間違いが起きた場合は即座に謝らねば面倒なことになると、生徒たちはすでに理解していた。
腰を折ったセスティールとオスカーを見下ろしながら、教官はスッと眼光を鋭くした。
「セスティール」
「はい」
声をかけられたことに驚きつつ、視線を下げたまま返事をする。顔を上げていいと、許可が出ていないからだ。
「先ほどの手合わせ、貴様が勝ったようだが、貴様から見てオスカーはどうだった」
「はい。オスカーの技術はとても高いものでした。特に、身のこなしは我が領の若手の騎士団員に勝るとも劣らないものがあったかと」
見たところ、教官は魔族のようなので通じるはずである。
「ほう、名高いプラフラマ家の騎士団員にか。だ、そうだぞオスカー」
「はい。嬉しい限りです」
オスカーもまた、頭を下げたままそう答えた。
その様子に、グレイディ教官はほうっと息をついた。
「2人とも顔を上げろ。…今日は、全員の技量をこの目で確かめるための授業だった。だからまあ技量を確かめるという目的は果たせたといえる。」
そこまでいうと、教官はセスティールとオスカーを一睨みした。
「しかし、指示を守らなかったのはいただけない。それに、貴様ら、足元を見てみろ」
「?…っあ」
訓練場の砂地には、ところどころ大小様々な窪みや溝ができていた。授業が始まった時にはなかったものである。
「いいか。施設にはそれぞれ役割というものがある。ここはな、体力作りや体術を学ぶ場であって本来剣を扱う場ではない。今日は安全な授業内容だったからここを利用したのだ。わかるか」
居た堪れない気持ちが強くなる。頭を上げる許可が出たにも関わらず、もう一度視線を下げたくなった。
「まったく。今日のところは説教はここまでにするが、その地面は元に戻しておけ。いいな」
「「はい」」
セスティールたちは、殊勝な面持ちでもう一度頭を下げた。
授業終了後、2人は言いつけ通り自分達が荒らした訓練場の整備を始めた。
ルイスが終わるまで待っていようかと声をかけてきたが、先に帰っていてくれと返事をする。
しばらく黙々と作業を続けた。出来るだけ綺麗な状態に戻そうと、集中して器具を持った腕を動かす。
「今日は、少しやり過ぎてしまったな」
整備を終え、訓練場を出る時、オスカーがそう声をかけてきた。見れば、眉が困ったように下がっている。
「ああ、そうだな。貴殿が強くて、ついつい熱くなってしまった」
そう答えると、オスカーは破顔した。一転、悪戯っ子のような表情に変わる。
「それは光栄だ。先程の貴殿と教官との問答も、大変嬉しく思いながら聞いていたのだ。また機会があれば、手合わせ願えないだろうか?もちろん、教官の指示の範囲で、だ」
「はは、指示の範囲内で、だな。もちろんだ。またよろしく頼むよ」
「ありがとう」
楽しげに雑談をしながら、廊下を進む。地下にある訓練場から繋がる薄暗い廊下に、2人の笑い声が響いた。
しばらく歩いて、別れ道に差し掛かった時、オスカーが立ち止まった。
「では、私は売店に用事があるから」
「そうか。またな」
「ああ」
離れていくオスカーを少し見送った後、セスティールも教室へ向かうために踵を返した。