第1話 魔族の少年
一閃。
刀が捉えた魔狼の首が宙に舞った。
断絶魔を上げた獲物には目もくれず、漆黒の髪の魔族の少年ーーセスティールは次の獲物へと標準を合わせる。
残り3匹。
セステールの、美しい黄金の瞳が鋭い眼光を放った。
1番近いところにいた耳の下に傷のある魔狼へと素早く間合いを詰める。振り上げられた腕を受け流し、その胸を差し貫いた。
振り返りざまに、背後から襲いかかってきたもう一匹も切り捨てる。
最後に一匹残された魔狼は、それまでの3匹よりも図体が大きく禍々しいオーラを放っていた。仲間が殺されたのを理解しているのか、ウオォォォ、と凄まじい咆哮が辺りに響き渡った。
その様子に、セスティールは好戦的に唇を吊り上げる。
強い敵は大好きだ。
セスティールに、生きているという実感を与えてくれるから。
セスティールと魔狼は、お互いに向けて同時に駆け出した。
牙を剥き出し爪を振り上げ、激しい攻撃を繰り出してくる魔狼に対して、セスティールもまた容赦なく斬撃を放つ。
攻防の末、セステールの刀が魔狼の肉を切り裂いた。
僅かにできた隙を見逃さず、彼は無慈悲に最後の獲物の首に向けて刃を振り上げる。
決着は一瞬で着いた。
どしんと鈍い音を立てて、セスティールが首を落とした魔狼の体が地に伏した。
それを見届けたセスティールは、刀を一振りして刀身に着いた血を払う。
刀を鞘に納めたところで、近くの木の根元で震えていた若い女性と小さな男の子が駆け寄ってきた。
「セスティール様!」
目の前までくると、深々と頭を下げられる。
「助けていただいて、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「ああ。怪我はないか?」
「ええ。お陰様で無事でございます。本当に、なんとお礼を申し上げたらいいか…」
女性が、おどおどと恐縮している。それを見てか、男の子の方も落ち着きなくそわそわし始めた。
その様子を見て、セスティールの頬が思わず緩む。
「礼など必要ない。当然の務めだからな。それよりも、襲われたばかりで怖かろう。よければ家まで送って行こうか?」
「いえいえ、貴方様のお手をそこまで煩わせるわけには参りません。我が家もここからは近いですから、私たちだけで大丈夫です」
「そうか、わかった。では、気をつけて帰るといい」
「はい。本日は本当にありがとうございました」
ペコペコと頭を下げながら、2人は森の外へと去っていった。
それを見届けて、セスティールはふう、と息をつき木々の隙間から覗く空を見上げた。
真っ赤な大空から、きらきらと木漏れ日が降り注いでいる。
夕焼けというわけではない。
ここは地獄。四元世界がひとつ、魔族の住処である。
人界や天国では空は青いらしいという空は、この場所では赤いのが普通だ。
地獄の中心で、罪人を罰するための釜の炎が燃え盛っているためだ。
今日も、地獄の空は真っ赤に晴れ渡っていた。
セスティールは、地獄で生まれ育った純粋な魔族であり、外界に出た経験はない。
いつか青い空を見たいと、小さい頃からずっと夢見ていた。
その夢も、ついに叶う。
明日、生まれて初めて地獄を出て、新世界の学園に入学するのだ。
楽しみに心躍らせていると、不意に後ろから声がかかった。
「お見事でした、セス様」
振り返れば、執事服に身を包んだ壮年の男性が立っていた。父の専属執事であるセバスだ。
「お父上がお呼びです。お屋敷にお戻りいただけますか?」
「わかった。すぐに向かおう。父上の執務室でいいか?」
「ええ。そうなさってください。すでにお待ちになっていますよ。きっと、明日旅立つ我が子に激励の言葉をかけたいのでしょう」
セバスは、微笑ましげにそう言った。
それに対して、セスティールは苦笑を返す。
確かに、明日から長期間家を離れはするが、ただ学園に入学して寮暮らしになるだけである。
旅立ちなどとそんな大層なものではない。
そもそも、記憶上、あの厳格な父が自分のために激励の言葉をかけてくれるなど考えられなかった。
しかし、父の呼び出しは絶対だ。すぐに向かわなければならない。
パッと転移魔法を展開し、起動する。一瞬白い光に包まれ、すぐに目の前に壮麗な作りの我が家が現れた。
そのまま、大きな玄関をくぐり屋敷内に入る。
さまざまな調度品の並ぶ廊下を通り、階段を登り、しばらくして父の執務室にたどり着いた。
数回ノックしたのち、声をかけて入室の許可を待つ。
「入れ」と、短く返事が聞こえた。
入室すると、目の前には広い執務室の中央に父、セドリックが堂々と鎮座していた。
セスと同じ漆黒の髪に、深い緋色の瞳の美丈夫。
その容姿は、室内の多くの一級品の家具や調度品に囲まれていても、全く引けを取らない。
一家の主としてさまざまな苦境を乗り越えてきた威厳が、その態度に現れていた。
「父上、お呼びに預かり、ただいま参りました」
「ああ。明日、学園に入学するそうだな」
やはり思った通りだ。世間話をするでもなく、息子の日頃の様子を聞くでもなくすぐに本題に入ろうとする父に、この人が自分を励ますためだけに呼び出すなど想像もできないと心の中で苦笑した。
が、それもいつものことだ。今更めくじらを立てるようなことでもない。
「はい。明日の朝、越界の門より、新世界へ向かい、入学式に出席する予定です」
「そうか。今日お前を呼んだのは他でもない、学園生活での心得を再確認するためだ」
そういうと父は、書類を精査していた目をようやく上げ、セスを見据えた。
「お前は学園で、プラフラマの家の次期当主としての振る舞いを常に心がけて過ごさなければならない。わかるな?」
「ええ、もちろん理解しております」
セスは毅然とした態度で頷いた。
プラフラマ家。
セスが生をうけたこの一族は、地獄に於ける五大神貴家のひとつに数えられる、由緒正しい魔族の貴族家である。
この世には、天国、地獄、人界、いずれの世界に於いても、貴族が存在するが、
彼らは、それぞれの世界に1人ずつ存在する「告げ人」から神のお告げを聞き、神に代わって民を導く役割を担っている。
それらの貴族のうち、世を整えるために神より最も重要で神聖な役割を与えられた一族は神貴家と呼ばれていた。
普段は、一つの世界につき神貴家に任命された五家がそれぞれの世界を統べ、
有事の際は三世界の全十五家が新世界に集合し、協力し合って問題解決を図るのだ。
現世を統べる神貴家の持つ権力、影響力は計り知れない。
よってセドリックは、プラフラマ家の嫡男たるセスに、学園においてそれ相応の立ち居振る舞いを求めたのである。
セスも幼い頃から次期当主としての教育を受けてきていたため、その意図をよくわかっていた。
セドリックは、貴族としての役目を果たすことを最も重要とし、民の安らかな生活を一番に考えるが故に、家族との関係、特に次期当主であるセスとの関係は希薄だ。
かつては、父が自分に向ける冷淡な態度に自分は愛されていないのではないかと悩んでいたこともあった。
今では完全に割り切ってしまったが、当時はなんとか父に振り返ってもらおうと必死だった。
まあ、結局何をやっても無駄だと分かり、父への関心は薄れていったわけだが。
今となっては、父というよりも優秀な上司に対するような気持ちで接している。
父への興味が薄れて客観的に接せるようになったことで、セスティールは父の貴族としてのそのあり方を素直に尊敬するようにさえなった。
「プラフラマ家の者としてふさわしい行動をとることを、肝に銘じて過ごすつもりです」
「よろしい。学園では精進を怠らないように」
セドリックは鷹揚に頷く。
「承知しました」
セスティールは父に一礼し、執務室を辞した。
扉の前で一度立ち止まり、大きく伸びをする。
父との会話は案の定、親子の情など感じられない、淡白な物だったが、もう一度気合を入れ直すことができた。
明日から始まる、新しい生活への希望を胸に膨らませ、セスは大きな笑みを浮かべた。