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パチパチと火が爆ぜる音で目を覚ました。
俺は……、ここは……。
定まらない視点を制して、身体を起こした。そして辺りを見回す。
時間帯は夜。
どうやら俺は十軒程の木造集落の中心に居るようだ。そして、そのどれもが火に包まれており、盛大に燃えている。火事だね。
更にその周囲は森に囲まれている様で、風向き次第では山火事になる恐れもある。
この異常な状態。そう至った経緯や、原因を思い出そうとしても、全く思い出せず。それ以前の記憶はない事がわかった。
言葉は分かる。身体も動く。
そして、考える速度は特別速い様に思えた。
……頭が空っぽだからだろうか?
しかし、人の顔に眼と鼻と口がある事は知っていても、具体的な知り合いの顔が何1つ浮かんで来ない。
頭でも打ったのか。
衣服は、端から焦げて裾だけになった服らしき布と、茶色の革靴以外は着けていない。他の村人が生きていたら露出狂になる所だった。
辺りには、拳闘士の姿勢で焼け焦げている死体が転がっている。炭化している事から、燃え始めてから時間が経っている事がわかる。
体を支える両手を地面から持ち上げると、右手の甲に盾の紋章。左手の甲に剣の紋章が入れ墨の様に刻まれていた。
ザッザッザッ
前面の森から足音が聞こえる。
おっ、人の顔が拝めるかも知れない。
胸の奥から湧いてくる知的好奇心を全開にして立ち上がった。
……。
暗い森から現れたのは、全身を布で覆った木乃伊みたいな男だった。割と高身長、着痩せはしているが、鍛えられた筋肉を内包した身体のようだ。
布の隙間から見えるのは眼のみだったが、体格から男だと分かった。
「あれを食らってまだ動けるか……大した化け物だな」
初対面の木乃伊が独り言ちながら近付いてくる。
いや、お前が化け物だよ。
放つ威圧感は“殺気”。回転の速い脳が“逃げろ”と告げる。
「記憶と力は失った様だな。後は、トドメを刺……」
俺は、その台詞を言い終わらせる事なく襲い掛かった。手元にあった木の棒を拾っての2歩。予備動作なく前進して、下段から木乃伊の顎を殴り抜ける。
木の棒は砕けて宙に舞った。
だが、手応えとしてダメージは通っていない。
砕け散る木片越しに冷たい目線が俺を刺す。
にゃろう……。余裕だな。
そのまま背中を見せる様に回転して、蹴りを放つ。
軸足の爪先を返し、半歩前へ重心を寄せてから放った踵は、最も衝撃が通る距離を以て木乃伊の顎を撃ち抜く。
真正面からの後ろ回し蹴りは、喉に顎がめり込む程の衝撃を通したが、相手の身に堪えた様子はない。
「危険だな」
顔の奥にめり込んだ顎がカクカクと動いて話す。
見下す様な目線は冷静沈着そのもの。
コイツ、痛みを感じてる気配が無いな。
「無効化炸裂」
木乃伊の手から無造作に飛び出した散弾銃の様な衝撃波を全身に受けて、後方に吹き飛ばされた。
地面を跳ねて、転がる。3回転した所で村外れの柵を突き破って大木に激突した。目に星が飛ぶ……これが死兆星か。
全身に何かの欠片が刺さって貫通した様な痛み。
更に幾つかの記憶や力が抜けていった感覚がある。
記憶喪失になった原因はこれか。
身体を動かそうとするも、先程の十分の一も力が入らない。
……死ぬのか。
……死にたくない。
記憶がないのだから、生にしがみつく理由はない。だが、突然現れて俺を殺そうとした奴に殺されるのは癪だ。そう考えると、俄然生命を長らえさせたいという気概が湧いてきた。
逃げる。
無理だ、立てない。
這う。
何とかなるが、追い付かれるだろう。
だが、俺の中にある意地が、命尽きる迄は藻掻けと、強烈に訴えてくる。
1歩でも遠くに……。
1秒でも長く……!
手脚を引き摺りながら、大木の脇を這いずり、燃え盛る村から遠ざかっていく。
敵の殺意は強い、だが俺を痛ぶっているのか歩み自体は遅い。
「何なんだよ……!」
なおも這い擦り、暗闇へと歩みを進める。すると、背後の火に吸い寄せられていく蛾とすれ違った。
「そこは地獄だぞ……」と振り返ると、羽ばたく蛾のシルエットが村を焼く炎に消えていく。
徐々に小さくなる影。
その奥から木乃伊野郎の頭が見えた。
クソッ! ダメか……!
近付いてくる死。絶望。
もう1度無効化炸裂とか言う攻撃を食らったら木っ端微塵に砕け散るだろう。
何とかなる方法は……!
苦し紛れにただ這い摺って進む俺は1つの可能性を見付けた。
……井戸か!
向かう方向に整えられている空間があり、その真ん中に蓋付きの井戸があった。
蓋を開けてみると生臭い風がひうと通り過ぎた。
どこかに繋がっている可能性が……ある!
選択肢とも呼べない選択肢。逃げるために井戸の中に入る。
……これが最善策なのか。
俺は死を1秒でも遅らせる為に井戸へ落ちる決意をした。仮に飛び込んだ衝撃で頭をカチ割って死んでも、奴に殺されるよりはマシだ。
そう考えたのだ。
上半身を起こしてそのまま井戸の底へと身を投げる……。
バゴバゴバゴバゴ!
剥き出しの岩に殴られながら井戸の底へと……。
底……。
バゴバゴバゴバゴ!
随分深いな……。
ばしゃーん!
脳天に走る衝撃。やっと水の有る底へと辿り着いた。底は木の枝の様な緩衝材みたいなものが敷き詰められており、即死は免れたようだ。
だが既に全身は打撲や擦り傷に……捻挫もしているだろう。知覚する範囲全てが痛みに支配されて動けない。だが、恐らく骨折はない。
頑丈な身体が幸いした。
井戸の中は空気が通っており、うすら広い空間があった。横穴らしき通路の先は何処かに通じている気配がある。
もしかしたら、助かるかもしれない。
俺は、光のない闇の中、腰まで浸かる水を掻き分けて風の吹く方へと進み始めた。
すると、後方からズドンと爆発音が響いて、熱を帯びた大量の埃が井戸の中に流れ込んできた。
井戸の底がひっくり返る様な衝撃と共に落ちてくる土砂。
どうやら木乃伊野郎が井戸を爆破したようだ。
だが、それは悪手だぜ……!!
仕留めた死体を確認しないとはな。あんな顔してながら……素人が。
俺は怪我をした身体をひきずりながら暗闇の通路を奥へ向かって這い歩き始めた。
記憶を失った俺は、人生に未練はない。既に死んだも同然だ。だが、生きる事への好奇心は辛うじてある。
いつかあの木乃伊野郎をぶっ殺す……。それを生きる理由にしても良いだろう。
失うものが命しかない状況に笑みすら浮かんでくる。
元々の俺もきっと、戦闘に命を賭ける様な性分だったんだろう。
水をかき分けて、狭い隙間を抜け、光の無い道をゆく。
何分か、何十分か、もしかしたら数時間かもしれない。
風が抜けている。それだけの理由で盲の通路をただ移動を続けているが、そこが俺の通れる道になっている保証はない。だが、進むしかないのだ。
……幾度かの休憩。挫折を味わいつつ、辿りつく光。
「やった……ここは、地上か!」
上へと続く絶壁を登りきったそこには、大きな木の根の隙間越しに見える夜空があった。「ありがてぇな……」と言いながらその狭い隙間を這い出ると、そこは森の中だった。
濡れた脚を投げ出して、木に寄りかかって呼吸を整える。
「助かった……のか」
それがイタチの最後っ屁。どうしようもない眠気に抗えずに俺は意識を手放した。
◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇
目を開くと、こちらを覗き込む人間の顔があった。俺の人生2度目の目覚め……から始まっての2度目の顔だ。その主は魔女帽子の女。
鳥は初めて見た動くものを親と思い込むらしい。もし俺がそうなら、さっきの木乃伊野郎が母親で、コイツは父親って所か。
「生きているようね」
そう言い放つ女の目は冷たく、今から家に持ち帰って食う鳥を見る様な目だ。特に感情は感じ取れない。
「確かに……。だが記憶もない、起き上がる体力もない、半ば死んでるようなものだが」
そう答えても反応は皆無。
返事しろよ。
「俺にあるのは木乃伊野郎に追い回されて落ちた記憶と、この手の甲にある入墨だけかな……あれ、消えてる」
手の甲を見ると剣と盾の入墨が消えていた。
そう言えば無効化炸裂とか言う攻撃を食らった時に色々と抜けて行く感覚があった。その時に抜けたのだろうか。
「無効化炸裂……。おっかねぇ魔法だ」
そう呟くと、女に反応があった。
「ふーん、無効化されて記憶が飛んだってのなら、アンタはアンデッドか何かかもね」
「……アンデッド? 死なない系のやつ?」
「そう、アンデッドは身体を不死化した元人間。長く生きてれば記憶を蓄える脳味噌も魔法で制御するようになるから、強い無効化を食らったら記憶も飛ぶでしょうね。それに、ただの人間は全長10kmを超える暗闇……“投げ込み井戸”を抜けられるほど頑丈に出来てないわ」
……確かに。
常人なら井戸に落ちた時点で死んでそうだ。
「俺はアンデッドだったのか……」
「そうね」
「……で、お前誰なん?」
「私……? 私もーー」
彼女は無表情のまま、生い立ちを話し始めた。
俺が落ちた井戸は“投げ込み井戸”と言って、口減らしの為に生きた人間を投げ込む為の井戸らしい。彼女はそこに落とされた妊婦から産まれた……魔女なんだとか。
誰が彼女を育てたのか、何で魔女になったのかは分からないが、まぁ色々とあったんだろう。
世間話程度の時間だったが、休憩して体力の回復した俺は家に帰る彼女に連れ添って歩き始めた。
……これは、俺達が“不死身のカツアゲ王”と“無敵で不死の下げマン女”と呼ばれる物語の初めの1頁である。
おしまい