血をつなぐ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、「すりこみ」という言葉を知っているかい?
鳥などの動物は生まれて初めて見る、動いて声を出す相手を親だと認識し、その真似っこをしてしまう現象だ。
これは、反復と継続によって身に着けるものとは別。ほんのわずかな接触で、強い印象が自分の中に、文字通りすりこまれてしまう。そいつはほぼ一生ものであり、消し去ることは困難なのだという。
つぶらやくんは生きていて、どこか妙な違和感を覚えたり、不安とかがよぎったりしないかい? もしかするとそれは、記憶にはっきりとどまらないほど昔に、すりこまれてしまったものかもしれないよ。
私も、いまだにすりこみじゃないかと思っている、妙な記憶があるんだ。
つぶらやくん、ネタを探していただろう? ようやくまとまりかけてきたところだし、ちょっとでも足しになるといいんだが。
赤ん坊の私は、父親の顔を見て大泣きしていたらしい。他の家族相手には落ち着いているのに、父の顔を見たとたん、火がついたように泣きわめく。
原因は分からず、父はたいそうショックを受けたそうだ。これまで以上に時間をとっては、私に顔を見せるようになったが、ある程度落ち着くまでに、ざっと4年はかかったという。
この頃になると、私自身にも記憶が残り始める。どうも父の顔を見ると息がつまり、胸が激しく脈打つのを感じる。胃の奥からも、のどをひりつかせるすっぱい酸がこみ上げてきて、ひどく乗り物酔いしたような気分になるんだ。それは父を呼んだり、父に呼ばれたりするとなおさら強いものになる。
――もしかして父は、私の本当の父親じゃないんじゃなかろうか?
そんな疑惑が、ふと頭をよぎることもあった。素直に口に出さなかったあたり、当時の私のファインプレーに感謝するよ。
じゃあ、本当の父と思しき人はどこにいるのか。
私には心当たりがあった。私が布団に入って目を閉じると、真っ先に浮かんでくる男性の姿があるんだ。
白衣らしきものをまとうそいつは、細い顔の「父」に対し、エラが張っている大きめの顏。あごにくびれるほど肉が溜まっていたし、目鼻もどこか妙な角度を向いていて、「父」とは比べるべくもないブ男の部類だ。
だがこの男の男の顔を見ると、どこか安らぐ気持ちを覚えてしまうのも確かだ。胸の動悸がすること自体は「父」を前にするときと変わらないが、一緒にこみ上げてくるものは、苦しさとはほど遠い。
そのままぐううっと、眠りの深いところへ誘われるかのような心地よさ。四肢も一緒に動くことを拒み、ものいわぬ重しとなっていくのを感じる。呼吸もおだやかになっていき、私の中にあるのは心臓の鼓動だけとなるんだ。
どっくり、どっくりと一打ちを噛みしめるように、大きくなっていく脈動。すでに動かなくなった私の身体も、その跳ねと呼応してびくりと震えてしまいそうな、錯覚さえ覚えてしまうほどだ。
そうしているうちに、男の顔は見えなくなってしまい、私自身も夢の中へ入っていく。
しばしば現れるものだから、それがみんなにとって当たり前のことだと思っていた。
誰にもこのことを話さず過ごしていた私だが、じょじょに自分がみんなとは違うと思い始める。
まずは蚊に刺される頻度についてだ。
我が家では、私が群を抜いて奴らにからまれる。夏場はちょっと汗をかくと、夜も朝もあいつらの羽音が耳を揺さぶった。
うわさだが、蚊を引き寄せやすい血液型と、そうでない血液型があるらしい。我が家はA型とO型ばかりの家族だが、私だけが厳密にはAO型だった。表向きはA型扱いされるけどね。
いくらぱちんぱちん落としても、後から後から姿を現わしてくる。ここまでくると、私もうんざりしてしまってね。蚊取り線香が焚いてある部屋にずっと居座ることも、珍しくなかった。
更に、体育の時間でも怪しいことが発覚する。
持久走の後に測った心拍数だが、私だけ他の人に比べて倍近い数値を示したんだ。
当初はペアになった子同士で、脈を相手に測ってもらっていた。てっきりミスだと思っていたんだが、私も自分で測ってみて異状を悟ったよ。
他の人の脈が「ド、ド、ド、ド」なら、私の脈は「ドド、ドド、ドド、ドド」といったところ。
他人の一拍が、私にとっての二拍。それを丁寧に数えていくと、確かにあのような結果になるのも納得だ。安静にしている時なら、ほとんど感じないんだが。
極めつけは、クラスの一部の人から露骨に避けられるようになったこと。
昨日まで仲良く話していたはずなのに、今日になってからいきなり距離を取り始める相手の姿があった。どんな落ち度があったか、さっぱり判断がつかない。
他の友達づてに理由を聞き出してみて、驚いたよ。
いわく、私が蚊を飼っているのが、気味悪く感じたのだとか。
厳密には、私の耳の穴から蚊がはい出てきて、飛び去る瞬間を見てしまったらしいんだ。
聞いて私はすぐさま、先を濡らしたハンカチで自分の両耳の穴をほじった。多少の耳あかがくっついてくるばかりだったけど、両耳を軽く栓してみると、やはり小さな蚊の羽音が響いてくる。
腕を振り回し、周囲にいるだろう蚊を追い散らしたつもりでも、その状態は変わらなかったんだ。
これまでてっきり、私が蚊に付きまとわれているものと思っていた。けれどそれは、私の中から出てきた蚊たちが、私になついているのだとしたら……。
自分でも気味悪く思う想像だ。親にさえ、話すのはためらわれた。
私はいつものように蚊取り線香を焚き、くわえて殺虫剤をあたりにまき散らす。本当なら、自分の耳の中に直接噴射したかったところだが、身体には悪い薬と聞いたら、やる度胸はない。
――どうにか誰にも知られないまま、解決してほしい。
寝る前。私は自分の布団が薬をかぶることも構わず、もう一度同じことをしてから、床に入った。耳に手を当て、蚊の羽音が聞こえないのを確かめてから、私はぐっと目を閉じる。
もう何度見たか分からない、あのエラを張った男の姿が浮かんできた。
あいかわらず身体は休みに入ってしまい、心臓のみが音高く打ち始める。今回は一段と激しい弾み方で、「ドキドキ」より「ドカンドカン」といったほうが近い。
その中で男が、こちらへ向かって歩き出したんだ。これはいままで一度もなかった。私の意識がなくなるまでずっと、直立不動だったのだから。
「来るな」といいたくても、口はいうことを聞かない。さっさと寝入ってしまえばと、更に目を深くつむろうとしたが、それも無理。
そもそも私は目を閉じていなかった。上下に引き延ばされたまぶたが、閉じようと力を入れると、きりきり痛む。何か強いもので押さえつけられていた。
男はついに、寝転ぶ私をまたいで腹の上あたりに立つ。ぐっと右手の親指が伸びると、それがくくっと下を向く。
サムズダウン。ゴートゥーヘルのサイン。
そう認識するや、振り下ろされた腕が布団越しに私の身体をついた。いまもなお強く脈打つ心臓へ、まっすぐ押し当てられたんだ。
どっくり。
これまでにないほど大きく、そして長い一拍だった。耳から心臓が飛び出すかと思うほどだったが、代わりに感じたのは穴の出口を求め、転がり落ちてくるような気配。
耳あかがこぼれ落ちる時に似ていたが、違う。
こいつらには足があった。シャーペンの芯のごとき細さがいくつも集まり、耳の皮膚を刺激しながら、外へどんどんこぼれ出ていく。あるものはそのまま離れ、あるものは耳から頬を伝い、私にその姿を示す。
蚊だ。明かりのない中でもはっきり見える、黄土色の身体をした彼らは、十数匹にも及ぶ。つぎつぎ私から離れ、白衣姿の男の横へ滞空していった。
その男が何事か口を動かす。同時に、親指を心臓に押しつけたまま、ぐいっとのどもとめがけてこすり上げてきた。
私の胸から、何かが外れる。心臓の位置にあったものは、先ほどまでの熱をすっかり無くしていた。他の四肢と同じで、どんどん静止へ近づいて行ってしまう。
代わりに、私の胸からのどにせり上がってきたものは、強い熱と鼓動を帯びたまま。のどぼとけを焼いて、そこから突き破ってくるかと思うほど。
白衣の男にはどのように見えているのだろう。
彼はまたも熱源へ、あやまたず指を押し当ててきた。のどの真ん中あたりで、完全に息が詰まったが、意に介してくれない。
「だい……じょう……ぶ」
先ほどより顔が近くにある。唇の動きがはっきりわかった。声は引き続き聞こえないが。
指の動きに合わせ、源がせり上がってくる。鼻の奥、舌の上、歯の裏側を順に熱にあぶられ、言うことを聞かないはずのくちびるが、ひとりでに開いた。
そこから飛び出したのは、無数の蚊が丸く絡まっている姿だった。
だがそれも一瞬のこと。私の顏から離れていくたび、蚊たちはばらけていき、あらかじめ飛んでいた彼らに混ざっていく。そうしてわずかな蚊たちと共に残ったのは、赤黒く光るドロップのようなものだったんだ。
白衣の男に握られるまでの、ほんのわずかな間だが、私は見た。ドロップに群がる蚊たちのお腹は、血でぷっくりと膨れていたんだ。周囲に浮かぶ蚊たちも、判別できた連中はみな同じように血をたっぷり蓄えている。
男は糸引くように寄ってきたドロップを握り込むと、私に対して背を向けた。飛んでいる蚊たちもそれに従い、遠ざかっていく。壁まで数メートルの余裕しかない部屋にもかかわらず、私は彼らが米粒のように小さくなっていくまで、動けずに見守っていたんだ。
それから、私が蚊に執拗に狙われることは減った。脈拍も並に戻り、あの妙な鼓動も消えたものの、ときたま貧血に悩まされるようになる。
この不思議な話を家族に話したのは何年も経ってからだ。覚えている容姿を話したところ、母の出産に立ち会ったお医者さんのひとりに似ていたと話してくれた。
私は未熟児だったらしく、特に心臓の鼓動が小さくて、生きていけるか心配されていたらしい。そのとき、手術をしてくれたというのが、その男性だったとか
。