08.「金……金。……世の中、金だよなあ」
北の森で薪集め中の一行は、手を動かしながらサクールトの説明に耳を傾けていた。
「神々からの贈り物を授かるには、受ける側にも相応の器が必要というのが、いわゆる【恩恵の器】です」
恩恵を注がれても、容れられなければ意味がない、そういう理屈である。
雑貨屋の娘エルは首を傾げた。
「じゃあ逆に聞きますが、恩恵を授かるには何が必要ですか?」
「そりゃ、1人頭100個の聖石だろ? 試練の迷宮の最奥にある聖杯に聖石を奉納することで、恩恵を授けられる……」
「『可能性が』ある」
アガルタの人類史として、神殿が大量の記録を残している。
恩恵は、必ず得られるわけではない。
第10層の聖杯に聖石を捧げても、恩恵を授かれなかった事例が存在するのだ。
「整理すると、恩恵は『試練の迷宮・第10層にある聖杯に聖石100個を奉納することで授けられる可能性がある』。また、『恩恵が授けられなくとも、捧げた聖石は消滅する』し、『聖石ではなく魔石でも可』」
「え? 魔石でもいいの!?」
「らしいですよ?」
通常の魔物は魔石を落とすが、試練の迷宮の魔物は聖石を落とす。
聖石とは、試練の迷宮が他の迷宮と違い神々の管轄だと示す、いわばシンボルであると解されていた。
「『聖杯に捧げたものが魔石でも、恩恵を授けられた例がある』であって、どっちでも構わないというのは言い過ぎだとボクは思うけどね」
「ニュアンスは違いますね、確かに」
ホライ家の自称・美少女ことミク姫の物言いにサクールトは肩をすくめたが、特に訂正はしなかった。
「次に、神殿の記録の中に数え9歳以下で恩恵を得た例がないことから、『10歳以上であること』が必須条件と考えられています」
金持ちや権力者が我が子のために手を尽くし、護衛に守られて聖杯に到達した子が恩恵を得られなかった事例。
しかし、自力で第10層に到達できず護衛を雇ったにもかかわらず、恩恵を得られた事例も多い。
一見同じようなものの差異を探し、法則性を見つけることは、学問的にはよくある手段だ。
学究機関でもある神殿には、理屈っぽい者や、知的探求心にあふれた者など、いわゆる研究者気質の連中が集まって、ときに喧々諤々の大論争や派閥争いに明け暮れ、相応の成果もあげている。
「経験則的に導かれたのが、『第4層でタイマンできる強さ』。以上をひっくるめて【恩恵の器】と呼ばれる条件になります」
第4層タイマン説には、裏付け事例はあっても否定事例は見つかっていない。
よって、それが恩恵を与えるに値する、魔物と戦う者の最低基準なのであろうとされている。
「あとは雑学ですね。『どのような恩恵が得られるかは神のみぞ知る』、『得られる恩恵は1人1つだけ』、ただし『2つ目の恩恵を授けられたケースがある』」
「1人1つだけじゃないんディスカー!!」
「希少ケースすぎて比較対象しようがない、条件もなにもわからないみたいです」
叫ぶリックと対照的に、サクールトは両手を天に向けた。
文字通りのお手上げを体現、ということだ。
◇ ◇ ◇
シラクー伯城下で焼き物を商うセト屋当主にしてリックとハンナの兄は嘆息した。
「年齢と強さ……【恩恵の器】とやらはともかく、【試練の迷宮は金にならない】か」
「魔物狩りの収入3本柱、魔石売却も護衛雇賃も、猟師としての実入りもないからなあ」
いまさらといえばいまさらな話ではあった。
楽しそうに先輩風を吹かせていたベテラン魔物狩りは、もしかして第10層アタックの護衛として待機中なのか?
そんなことに考えが飛んでいたリックと違い、妹のハンナは大兄と至極まじめな話を続けていた。
「ほぼ唯一の収入源になりうる聖石だけど、これが渋いのよ」
「もとより、聖石は恩恵を得るために必要なのだろう?」
大兄に対してうなずくリックとハンナ。
「第1層で、半日潜って1~3個も拾えれば御の字か?」
「芋虫からのドロップ率、体感でおよそ10分の1だから、独占できればともかく半日で3個は運次第だよ」
「それはまた、気の長い話になるなあ」
リックたちは、雑貨屋の娘エルも加えた3人組。
1回の迷宮チャレンジで聖石2個や3個というペースで3人分300個となると、仮に毎日迷宮に通ったとしても半年近い時間がかかる。
「第2層は敵の数が増える分、実入りはよくなるんだ」
「それでも半日5個が記録だよ。結局、平均すれば1回潜って2~3個?」
「第3層が安定すれば、1回4個だって行けるだろ?」
深層に行けば行くほど実入りはよくなるが、倒せるのか、という話にもなる。
「まあ待て。それで、聖石というのは1個いくらで売れるんだい?」
「魔物狩り組合で聞いてみたけど、聖石も魔石も買取は1個につき白銅貨1枚だってさ」
「どこでもその値段って決まりみたい」
「安くはないが、1日の日当と考えると割に合うとは言えないねえ」
白銅貨1枚は、大雑把にいえば庶民の1日分の生活費くらいの価値である。
3人なら、1日当たり聖石6個が最低限のラインかと大兄は判断した。
「【恩恵の器】とやらを踏まえれば、第5層以降は腕試しかつ聖石集めの場か」
【恩恵の器】の条件らしい第4層までは自力攻略が必要だが、第5層以降はおまけ。
もちろん第10層到達のためにどうやって通過するかは対策が必要だが、無理に隅々まで攻略する必要はない。
「各層に出現する魔物は、勉強になるのも確からしいんだけどなあ」
試練の迷宮には重要なタイプ別の敵が出現する。腕試しや修行という意味ではありがたい環境でもある。
深層の敵を倒せるのならば、聖石集めが効率的に行えることも間違いではない。
だが、それだけの腕があれば、素直に野の魔物や獣を狩るか普通の迷宮攻略をするほうが、はるかに実入りがいい。
大兄の、そしてリックたちの判断は、イワークが横の連絡会で【試練の迷宮は金にならない問題】として共有した考えと同じものであり、歴代の試練の迷宮挑戦者たちが薄々と、あるいははっきりと認識していたことでもある。
「『好んで強敵に挑むような猛者向けの環境など、それこそ恩恵を得てから挑めばいいじゃないか』だそうだ」
「そりゃそうだ」
損得、効率を重視すれば当然そうなる。
大多数の魔物狩りは、武芸を極めたい求道者ではないのだ。
「シロウは恩恵を気にせず魔物狩りになったが、むしろそっちのほうが正解だったのだろうか?」
「シロウ兄は、もっぱら南の山向こうを回っていてこっちに顔を出さないからなあ」
大兄の弟、リックとハンナの兄シロウは、試練の迷宮に挑まず、恩恵を得ずに、隊商護衛を主に請ける魔物狩り稼業を続けている。
「でも、儲かってウハウハとも聞かないのよね」
「聞かんなあ」
隊商護衛も命をはる商売である。
だが、そもそも命の値段が安いのだ。護衛の報酬も「それなり」でしかない。
「当面、学舎在学中に行けるところまで腕を磨く、恩恵を授かるための貯金ならぬ貯石もする」
「現実的に、そのあたりが落としどころかねえ」
ハンナの扱い含め、リック卒業後については、その時の状況を踏まえて判断するしかない。
セト屋の兄妹3人の話し合いは終わった。
◇ ◇ ◇
この数か月で、学舎併設寮・炊事場の裏手でサクールトの指示のもと手を動かすリック・ハンナ・エルの姿はすっかり馴染みのものとなっていた。
「いつ来ても、芋の皮むきはなくならないんだね」
「蒸かしてよし、つぶしてよし、揚げてよし……使い道に困らない素敵で無敵なお芋様なのです」
『只より高い物はない』
商家の息子・娘として生まれた者が知らぬはずのない格言である。
情報の対価と知ってしまえば、せっせと手を動かすしかない。
「家の手伝いもあるし、卒業試験対策もある。【恩恵の器】問題に引っかかるハンナの件もあるし、あせって第4層を目指す必要はないかなって」
リックの妹ハンナは数え9歳。
【恩恵の器】でいう『10歳以上』の条件に引っかかる。
「装備も整えないといけないし、とにかく金だよ!」
「いや、そんな決め顔をされても困るんですけど?」
「リッ君の『たまにカッコイイ』モードの無駄撃ちだねえ」
魔物狩りをやるために恩恵獲得を目指すのは変わらないとして、目先の優先順位や方針に修正を加えたリックはサクールトに助言を求めていた。
「シーマスとタズは聖石を売ったそうです」
「思い切ったな」
元ホライ村と同様、魔物の群れにつぶされた2村からの留学生たちは貯めた聖石を一時金にして自己投資に充てるという。
装備を整えたほうが魔物を倒す効率があがり、巡り巡って聖石集めもしやすくなるという発想である。
「タンチャウは保留、アザークスは護衛や山狩り、魔物の間引きで稼ぐ方針だとか」
「元アザークス村の衆は外で魔物狩りとして活動しながら、恩恵獲得を目指すわけか」
「あそこは全員が基礎教育を修了、礼儀作法や武芸なども押さえましたから、寮に残るのも難しくなっていたようで」
サクールトの属する元ホライ村勢も、保留。
滅亡した開拓村の遺児たちの中で最年長格の元アザークス村のグループは、サクールトたちから見れば先輩だし先行者にあたる。
魔物狩りへの道、そして御家・故郷復興への道筋を切り開いているのが彼らであった。
「お武家様は、そういうとこ、芯が通ってるよな」
「生まれは天賦ですからねえ」
さておき、今必要なのは、とにかく金である。
「なにかこう、ぱぱーっとお金稼げる、危険は少なく下は9歳からでもできるようなおいしい話、ない?」
「んなもんあったら我がで回すわ!」
サクールトの雷は、残念でもなく当然。
◇ ◇ ◇
雷を食らってより数日、まだ日の高いうちからセト屋の店内に、せっせとツボを磨くリックがいた。
本日は別に叱られながらというわけではない。
大兄が城下の商人たちの集まりに出ているので、店番もかねてのツボ磨きであった。
「金……金。……世の中、金だよなあ」
「兄さん、わかるけど。卑しく見えるからあまり口に出さないで」
妹に蔑まれたが、金は避けて通れぬ関門である。
リックが思いを巡らすに、何かしらの仕事を請けるくらいしか収入の道はないように見え、じゃあ何をするか・できるかで堂々巡りにはまる。
「店番は家業だし。……口利き屋ってどんな仕事あるんだろ?」
「さあ?」
「俺単独、あるいはエルと一緒で、魔物狩りとしてやれるか?」
せめて兄のシロウから魔物狩り稼業の実態を聞ければいいのだが、シロウは成人してからこのかたセト屋に寄り付かない。
年に数度の文で近況を知るという関係であった。
「シロウ兄、大兄の邪魔にならないように、なんて考えてそう」
「ありうる」
「戻ったぞ」
『噂をすれば影』というが、シロウではなく大兄が暖簾をくぐって現れた。
「お帰りなさいませ、だんな様」
「うぉっ、キモッ」
なんだかんだ、兄弟である。
軽いやり取りののち、大兄は一通の瓦版をよこした。
【冬の公共事業か!? 堀と土塁、街道の拡張】
「商人座にも冥加金の要求があった」
「ほむほむ」
「1人前の日当が青銅貨8枚だが、半金でも四分給でも学費のタシにはなる」
「ほむ」
「行け」
リック、冬の間のアルバイト決定であった。