06.「人間、胃袋には、勝てない……勝てないんだよ」
シラクー伯城下の学舎併設寮の炊事場の裏手は、普段は静かで穏やかな空間である。が、この数か月に限れば数日に1度、人口密度が急上昇し騒がしくなるときがある。
そして時には雷が落ちる。
「ちょっと調べればわかる事前情報なしで第2層にブッコミとか、バカなの? アホなの?」
「いや、甲虫型だってのは知ってて……」
「だから? 甲虫型? 特徴は? 対策は?」
「えーと……」
リックは、助言者・情報屋として活用している年下の少年サクールトに言い負かされていた。
「ロクな知識も対策もなしでいきなり迷宮に入ったのって、あれはいつでしたっけ? ついこの前ですよね?」
数週間前を「ついこの前」とは認めたくないが、それを言えばサクールトの口撃はさらに激しくなるだろう。
リックは口をつぐむことを選択し、お怒り・お叱りに神妙に耳を傾ける態度で受け流しつつ、水戻し中の干しキノコをざるで掬い鍋に移した。
隣では、妹のハンナがひたすら芋の皮むきを続け、幼馴染にして迷宮チャレンジ仲間のエルもせっせとウサギ皮を鞣している。
「考えなしの行動、二度目だよね? ね? 聞いてる?」
「イエス・サー!」
「三度やったら真正だよ? どうするの? 治らないよ? 不治のバカだよ?」
『二度あることは三度ある』。そんな格言もあるように、人は同じことを繰り返す。
似て非なる格言に『仏の顔も三度まで』というものもあり、サクールトが言いたいのはこちらのこと。
怒りは感情の爆発だからあまり長続きしない。ピークは6秒とも、持続できるのは6分程度とも。
サクールトのお言葉も次第に落ち着き、試練の迷宮・第2層に出現する甲虫型の魔物についてのレクチャーが始まった。
すでに実物と相対しているだけに、リックたちの理解も早い。
固い甲殻を斬るにはよい刃物と腕が必要であり、狙うなら比較的柔らかい腹側で、総論としては小回りの利く打撃系の武器が有効。
なおひっかきやかみつきによる傷はちゃんと洗って処置すれば痕が残ることはあまりない。
日が暮れる頃、学習成果を復唱させられたのち、リックたちは芋の皮むき、糠床のお手入れ、皮の鞣しから解放された。
◇ ◇ ◇
夜も更けたセト屋の店内に、商品として陳列されたツボをせっせと磨くリックとハンナの姿があった。
「試練の迷宮の浅層とはいえ、魔物との戦いなのだから、やむを得ずケガをすることもあるだろう」
怒りと違い叱るのは冷静な行為。事実を指摘し誤りや欠点を矯正、よりよい方向に導こうとするもの。
勘定台のそばで火鉢にあたりながら、現在のセト屋の当主、リックたちの兄が滾々と語り続ける。
「だが考えなしで突っ込んだ結果のケガでは話が違う。ましてや、クリノリンさんとこのエルも連れ出しているではないか」
店の奥、住居部分につながる通路の柱の陰から、大兄の子、リックとハンナにとっての甥っ子たちが様子をうかがっていた。
こうべを垂れてひたすらツボを磨き続けるリックとハンナに向けられた、甥っ子たちの憐れみを含んだ視線が痛い。
「『魔物狩りは自己責任』などという言葉もあるが、人には繋がりというものがあるし、まして無責任などというものでは断じてない!」
歳の差もあり、大兄はリックたちにとって実際の父親以上に父親らしい存在だ。
父親役として失敗した弟妹を叱る。かつ、己の子どもたちに、他人が叱られる姿を見せて学ばせるという側面もあるのだろう。
「痕が残っても、はやいうちなら神殿に寄付を積んで【治癒】の奇跡で消していただくこともできるが、それでも万が一ということがだな……」
あちこちかぎ裂きになった衣類の繕いを終えた兄嫁が店先に顔を出すまで、大兄の説教は続いた。
◇ ◇ ◇
「ちっ、ハンセーしてまーす」
「兄さん、それ、サク君や大兄の前では……」
「わかってる」
「小賢しいリッ君も、きらいじゃないよ?」
翌日、こちらもこってりと絞られたらしいエルも交えてセト屋裏庭反省会の開催である。
「第1層ではこれ以上強くなれないだろうし、それに……飽きてきてたんだよね」
第1層の芋虫型の魔物はザコ。
それなりの武器さえあれば少年少女でも危なげなく倒せる。
数も少ないため、なかなか獲物にありつけない。
ここ最近のリックたちは、限られた日程をやりくりしての迷宮チャレンジなのに成果の出ない焦りと不完全燃焼でくすぶる、そんな感じであった。
叱られ諭された内容は正論ではあるし、第2層で肝を冷やしたことは反省する。
だが同時に、新たな課題を突き付けられ、より強くなるための挑戦という展望が開けた気もするのである。
「第2層、倒せないわけじゃないんだよ」
「有効打不足による押し負けだね」
「多少素早いけど、あの動きには慣れるとは思う」
空振りし、床や壁に何度も叩きつけ、先端が刃こぼれしてしまったナタを悔しそうに見つめながら、リックは分析を続けた。
ハンナもまた、トゲトゲしい印象を失ってしまったエスカリボルグ1世を地面に置き、一度縄をほどいて、新しい刃……陶器片を植え込む。
エルも自分用のエスカリボルグJrを補修しながらつぶやいた。
「トゲトゲや刃物だと、とりつかれたときに払い落とせないんだよね」
「確かに、甲虫に刃物はあまり有効じゃないって話だし、第2層だとこの子は活躍できないのかも」
「第2層で必要なのは鈍器?」
庭の隅で余生を送っていた漬物石を持ち上げるエル。
「エル姉、さすがにそれじゃ、あの素早さに対応できないよ」
「むう」
漬物石は穏やかな生活に戻された。
「ダメージを期待しないなら、ただのこん棒や杖のほうが払える分マシか?」
「でもそれだと、倒しきれないで追加お代わり押し負ける、だよね?」
体感したところでは、防具が充実していれば取りつかれてもたいして怖くない。
「革手袋も高いしなあ。こんな木片でも、甲虫のかみつき・ひっかきに有効だったし、全員分作ろう」
「ついに私も『木琴マン』かあ……」
「3人だと『木琴トリオ』?」
リック自作の木片によるうろこ鎧もどきは、動作にともない木片同士が微妙な音色を奏でる。
自然とついた微妙な二つ名……芳しくないあだ名にエルの眉がゆがんだ。
だが、あるもので勝負するしかないのだ。ハンナとエルも、木片によるうろこ鎧もどきを装着することを承知した。
「それはそれとして、殲滅力不足は解決していないよ」
「それなあ」
リックは天を仰いだ。
戦闘が長引いて良いことなど何もない。
力配分をコントロールをしたところで、全力を振るえるのはせいぜい5分。休息を挟めず連戦の場合、疲労がたまり身体のキレがあからさまに悪くなる。
「倒せはするんだよ。腹側にナタをねじ込めればそれで終わる程度のヤツなんだ」
「決まり手まで持っていければ、まあまあ一撃でいける、と」
「そういうことであれば、連携を工夫してみるべき?」
武器と慣れで雑に倒せる芋虫相手には戦術など必要なかったが、第2層で新顔の甲虫には力不足が明らかな以上なにかしらで補う必要がある。
いわば勝利の方程式、必勝パターンの構築をしようということである。
ハンナはもったいぶった咳などしてみせ、愛用の杖、外棒具5世を掲げた。
「例えば、私とエル姉はサポートに徹し、兄さんに必殺の場面を用意するという方向性で、飛びかかってくる甲虫をはたき返すことだけ考えます」
「とにかく体勢を崩して腹を出させれば、あとはリッ君の腕次第かあ~」
◇ ◇ ◇
学舎併設寮における女子の城、裁縫部屋では、にぎやかなさえずりがやむことはない。
ホライ家の生き残り、ミク姫様はハンナの言葉に相槌を打った。
「なるほど、第2層の甲虫相手に連携、役割分担による『崩し』と『決まり手』だね。あとは慣れの問題に聞こえたけど?」
「兄さんはそれでいいとして、私とエル姉だってアシストだけっていうのもどうかと」
杖や棒でいくら甲虫ホームランやナイスショットを決めたところで、それだけでは倒せない。
倒すことをあきらめれば、むしろヒットやチップですらなく、体勢やリズムを崩すだけのファール狙いで十分だ。
「役割分担はそれとして、自分たちでも倒したいかあ。わかるなあ」
「打撃系の武器だと、ミクの投石もそうでしょ? あれ、私でもできるかな?」
「まず当たらないよ」
命中率以前にも、持ち運べる石の数の問題とか、他のグループに当てないよう使いどころが限られるとか。
迷宮内での飛び道具は、扱いが難しいのだ。
「むうう」
「煮詰まってるねえ。ボクたちのやり方でよければ教えるけど?」
「お願いします、ミク様」
ハンナに拝まれたミクは胸を張った。当年9歳、その胸は貧弱であった。
「まず前提としてボクたちは、兄上、マッキー、そしてボクとサクの3単位で戦闘をローテーションしてる」
「イワーク様とマッケンジー様は単騎前提?」
「そう。兄上たちの武器は短槍……というか、棒にナイフを括ったものだから、2人も3人も並んで振り回すのは無理なんだ」
試練の迷宮の第1層や第2層で、何人も並んで存分に武器を振るえるような幅や高さのある空間は、一部の玄室に限られる。
「うちも、兄さんがナタを振り回すそばには寄れないし、単騎で勝負するしかないのはわかる。でもそれだと、倒しきれないでお代わりきちゃいそう」
「うん。なので、そういうときは手すきが受け持って、ちょっと離れて戦う」
「むー、それってそれぞれが甲虫を倒せる前提での受け持ちじゃない」
杖や棒装備のハンナとエルでは、倒せないまま抱えてリックを待つことになる。
「兄上たちにとっては武芸の実践、練習という意味があるけど、ボクとサクは武芸者ではないからね。兄上たちのように技量を磨くのではなく、知恵を絞って戦うアプローチ……クククッ」
「ほほう!」
自称・美少女たちは悪い笑顔を浮かべがっつりと手を組んだ。
「……と、頼ってばかりというのは気が引けるね。以前、マッケンジー様ににらまれたこともあるし」
「ああ、マッキーって他人にただ乗りとか集りとか、甘い汁だけ吸いたいような連中大嫌いだしね」
元ホライ村4人衆の1人、従者ヨシュアリ家のマッケンジーは質実剛健な武人たらんと志す若者である。
「でもね……人間、胃袋には勝てないんだよ」
唐突な話題にハンナは首を傾げた。
「ハンナたちがボクのサクに頼るとき、野菜洗いだの皮むきだのさせられるよね」
「うん?」
「すると、寮で出されるその日のお夕飯とか翌朝餉とか、量や種類が増えるんだなあ」
「なんと!」
リックたち3人に1時間手を動かさせた場合、サクールトは炊事場に3時間/人の余剰労働力をもたらしたことになる。
その余力で素材を処理する量が増えると、すなわち食事として提供される量も増える。
「私たちはッ、あまりに自然に手伝わされていたッ!?」
「サクにハンナたちが何かと頼って相談すること、今はマッキーも黙認でしょ?」
「言われてみれば……」
「人間、胃袋には、勝てない……勝てないんだよ」
◇ ◇ ◇
試練の迷宮の第2層。
ハンナがミクとの対談により導入した新兵器、投げ網に捕らえられた甲虫型の魔物がもがきながら地面に落ちる。
エルは、縄で縛られた漬物石を勢いよく振り下ろした。
「動きを押さえちゃえば、タコ殴りかぁ……」
「いーち、……にーい、……さーん」
何発で倒せるのか、カウントをとるハンナ。
周囲の警戒をしつつもリックは肩を落とす。
いくらアプローチが違うとはいえ、自身いまだに振り回されている、いやになるほど空振りを強いられる敵がこうもあっさり捕まると、なにかこう、言いようのない虚しさが胸中に沸いてしまうのだ。
「あっ!」
甲虫を捕えていた網から、霧状の粒子が周囲に溶けていく。
網の中に、小ぶりの固定物が残されていた。
「えっ? あっあっあっ……」
人は急には止まれない。
エルの振り下ろしていた漬物石は、そのまま網の中の聖石に打ち付けられ……
「ぎゃあああ!!」
「うぉっ! まぶしッ!!」
「目が、目がぁ!!!」
強烈な光が世界を染めた。