天使の置きみやげ
進学に悩み、スキー選手としての可能性も試したい俺。とりあえず、スキーシーズンが終わってから・・・と考えた俺たちに降りかかる運命。10年ぶりに抱き合って泣いた俺たち。
俺たちの秋は短い。
早い年では11月末には雪が降る。
雪の季節になると俺たちは試合を転々とする。
本格的なスキーシーズンが12月には始まる。
進路も決定しなくてはならない。
俺は内部進学クラスだが、クラスメイトの4割は受験する。
進学と言われても人事のようだ。
妹のレイラは俺よりも成績も良いが学校も名門だ。
そのまま大学に行くのだろうか?
何でも知っているようで進学の事など話したことがない。
最近は家でもあまり話をする時間がとれない。
何時か聞いてみようと思いつつ、シーズンに入った。
12月の北海道キャンプに俺たちは参加した。
試合前日のチューンをしながら俺は思いついて声をかけた。
「レイラ、お前は進路、決めた」「ウン」
「受験か?」「ウン」「どこを受けるんだ?」「T大」
俺は驚き、危うく手を滑らせそうになり、作業を止めた。
俺の慌てふためく様子を見たレイラはクスクス笑いながら・・・。
「ウッソ〜ォ!嘘だピョーン!」「こいつ!」
俺が頭を殴るフリをすると、「ごめんなさい、もうしません」
と俺の何時もの台詞を言い、舌を出した。
「レオは決めたの?」レイラに聞かれて俺は首を横に振る。
「私はこのシーズンが終わったら決める」
なんだ、レイラも決めていないのか・・・。
「工学部だったら受験しないと学部がないから・・・」
確かにレイラの通うお嬢様学校に工学部はない。
何だと、工学部だ!女だてらに工学部を受けたいと・・・。
「工学部に決めたのか?」「べっつに〜ぃ!まだ決めていないって!」
俺はなぜかそれを聞いて安心した。そして進路の件はしばし封印した。
俺にはもう一つ、試したい事があった。
自分がスキーで何処まで通用するのかを知りたいと思った。
冷静に考えてみて、俺のレベルは国内の大会までだと思っていた。
どんなに頑張っても世界に通用するレベルでない事は判っていた。
ベストが何処まで通用するかを知り、納得したかった。
例年通り、北海道シリーズから俺たちのシーズンは始まった。
インターハイ予選、国体予選と俺もレイラもそれぞれの県で代表権を獲得した。
関東大会では、レイラが回転競技で優勝、大回転で準優勝と抜群の成績。
俺も回転で6位、大回転では3位と実績をあげた。
しかし、インターハイや国体では地元の強豪、北海道勢の中では上位に食い込めない。
レイラが13位に入賞したが、俺は18位と入賞を逃した。
シーズンの終わりには進路も出さなくてはならない。
スキー競技での成績でスポーツ推薦が取れるとは思う。
確かに好きなスポーツではあるが大学の4年間を競技スキーだけに明け暮れるのか?
と聞かれると、俺は肯定する自信がない。
好きなスポーツに進路を絞るべきか?体育を選考するべきか?それ以外を選ぶか?
他のことをやってみたいという気持ちも強い。
兄貴に相談すると・・・自分とは条件が違い過ぎると言う。
「俺は好きな科目から進路を決めた、お前の好きな科目は体育だろ?条件が違うなぁ」
確かに体育を専攻すれば進路は決まるが・・・就職も限られる。
体育は好きだが体育の教師になりたいわけではない。
アスリートとして自分の可能性を世界に求めるだけの技量があるとは思えない。
もっと、別の分野で自分の可能性を知りたい。自分に何ができるのか・・・。
レイラは好きな科目から方向を出す心算らしい。
シーズン終盤になると、方向の決まらない自分に焦りを感じ始めた。
仕方なく、俺は最後の手段としてお袋に意見を求めた。
「何処でもいいよ、入れる大学に入って、それからやりたい事を探せば!」
俺はガーンと頭を殴られたような気分だ。
大学にいくには方向を決めて学問の分野を決め、目的を定めるべきだと思い込んでいた。
婆に言わせると、高校生で自分の人生目標や、やりたい職業など見つかる人は少ない。
社会人になってから方向転換する人も居る。今、決まらなければ大学で探せばよい。
やりたい事が見つかったら、卒業するまでに準備をすればよい。
更に上に進むもよし、やりたい仕事を求めて就職するもよし。
一つだけ条件をつけるならば、大学に進学するなら4年で卒業するのが学費を出す条件。
お袋の意見を聞いて何だか、気持ちが楽になった。
俺は腹をくくって高3でもスキーを続けようと決めた。
お陰で、おれは高校2年の大会を楽しむ事ができた。
去年は悪夢を見た期末試験も今年は少しづつ準備を進めていた。
去年のような修羅場にはならなかった。ヒマワリの援護射撃にも助けられた。
期末試験後にキャンプに戻り、気が付くと3学期は終わっていた。
春の新人戦とFISの最終戦が終わり、俺たちは家に戻った。
戻った翌日が始業式というか、新学期初日に間に合うように切り上げたって所だ。
いよいよ、高3である。
今年は俺もレイラも始業式が同じ日だった。
暦の関係でそれぞれが月曜日の始業式だった。
最も、試合が終わって日曜日の深夜に帰宅した俺達だ。
始業式では校長の子守唄を聞き、寝なおしたくて悪友の誘惑を振り切り帰宅した。
レイラより先に家に着いた俺はまずは食料を漁る。腹が減っては眠れない。
俺が好物のフライドチキンを温め終わったところにレイラが帰宅する。
「ただいま〜ぁ」「お帰り!」タイミングが悪いなぁ・・・。
俺は気が進まなかったが、一応、レイラにもチキンを勧めた。
「食うか?」「ありがとう、でもお腹が空いていないから・・・」
ラッキー、全部食えるぞ!(心の声!)
レイラはテーブルの上に置かれた自分宛の手紙を嬉しそうに手に取った。
手紙を手に、窓に近づくとカーテンを開けた。
ポストから俺が持ってきたので、誰から手紙が届いたのかは知っている。
レイラの若いボーイフレンド、アキラからの手紙だ。
ボーイフレンドと言っても4歳年下の車椅子の天使である。
高1の時にボランティアキャンプで担当した少年アキラである。
あの時は付き添った俺たちがアキラから多くを教わった。
アキラとはその後も病院や自宅を訪ねて、何度か会っている。
3月にも試合の合間にレイラとアキラの家を訪ねた。
レイラはアキラの誕生日祝いにアキラが欲しがっていた聖書をプレゼントした。
俺は最近流行の音楽をピックアップしてCDに焼いて持って行った。
アキラが俺の好きな音楽を聴きたいといったからだ。
俺はアキラに頼まれて彼の弟とキャッチボールをした。
自分は相手をできないから、代わりに相手をして欲しいと言うのがアキラの頼みだった。
キャッチボールをしている俺たちを、レイラと車椅子のアキラが見ていた。
ゾクっと寒気を感じて、俺は我に返り(チキンをくわえたまま)レイラを振り返った。
レイラの手から手紙が離れてひらひらと落ちた。
レイラが両手で顔を覆って、スローモーションのように座り込む。
ヤバイ!咄嗟に俺はダッシュしてレシーブし、レイラを支えた。
俺はレイラを抱えて、ソファーに寝かせる。顔が青ざめ、呼吸が速い。
冷やしたタオルを持ってきて、レイラの額に当てた。
「どうした、貧血か?寝不足だろう!」
「アキラが・・・」レイラの目から涙がこぼれる。
俺はレイラが落とした手紙を拾い、二人宛てに書かれているアキラのママの手紙を読んだ。
−−−−−
試合でお忙しい時期にアキラのわがままでご訪問いただきありがとうございました。
今回のアキラの退院は本人が希望した「家に帰りたい」という最後のわがままでした。
私達、家族もアキラの最後の時間を家で過ごさせてやりたいと考えておりました。
お二人に無理をお願いして、お尋ねいただいたのもアキラがお会いしたいと申したからです。
アキラはレオ様に自分の代わりに弟とキャッチボールをお願いいたしました。
あの子が弟と一度もできなかったキャッチボールの夢を叶えていただきました。
アキラは、お二人の公式戦の結果をインターネットで調べ、一喜一憂しておりました。
「お二人に連絡して呼んであげようか?」とたずねて、私はアキラに叱られました。
試合が続く時に余計な事を気にしたら、成績が出ないからと申します。
あの子は自分に縁の無い世界で活躍するお二人の成果を自分の事のように喜んていました。
この手紙はアキラが送ると言っていた、その日に、私が投函しました。
アキラの中学校は3月24日が終業式でした。
在籍する養護学校の先生が成績や連絡書類を持参して尋ねて見えました。
アキラは車椅子に座る事もできないほど体力が落ちておりました。
家族と先生に見守られ、アキラはベットの上で嬉しそうに成績を受け取りました。
殆ど授業にも出席できない一年間でした。4月からはアキラも中3です。
普通であれば進学について相談する時期なのでしょう。高校入試を控えています。
幸せな事にアキラの場合は現在の養護学校の高等部への推薦がいただけることになりました。
先生はその進学希望書類をお持ちになり、私とアキラはその場で記入しました。
早く高校生になってネクタイをしたいとアキラは楽しみにしていました。
そんな日が来れば良いと私達家族も夢に描いておりました。
その夜、アキラは旅立ちました。
「ママ、ごめんなさい、僕、高校の制服は着られない。ママお願い泣かないで。
悲しまないで、僕は神様のところに行くんだよ。天国で走るんだ」
あの子の目は澄んでいました。私と夫が手を握り見送りました。
私がアキラを丈夫な体に生んでやれなかったのに、あの子は謝って、笑って去って行きました。
最後まで辛いと言わずに、静かにアキラは神様の元に旅立ちました。
枕元にはレイラ様から戴いた聖書とお二人のお写真がありました。
お二人に出会ったのはアキラが小学6年生の夏でした。
そのとき既にアキラは「来年はない」と医師に余命を通告されておりました。
少しでも普通の子供と同じ体験をさせたいと危険を承知で送り出したキャンプでした。
お二人との出会いがアキラにとって、どれほど支えになった事でしょう。
夜、外に出て眺めた満点の星空。風を切って走った忘れられない思い出。
嬉しかったのでしょう。何度も何度もあの日のことを思い出しては話してくれました。
アキラはお二人のファンであり、お二人はアキラの憧れでした。
レオ様を兄のように慕い、弟に自分が兄らしい事ができないと心を痛めていました。
弟とのキャッチボールをお願いしたのもアキラの最後の願いでした。
アキラはレイラ様に少年として憧れておりました。
体格は小学生と変わりませんが、アキラも中学生です。
美しいレイラ様に淡い恋心を戴いたのでしょう。
レイラ様のことを頬を染めて話す時、あの子の目は輝いておりました。
お二人と知り合ったことであの子は短くても輝く人生を送る事ができました。
親にできない多くを与えていただきました事、感謝しております。
−−−−−
俺は一度読んだだけでは意味が判らず、二度読み返しやっと理解した。
アキラが死んだ。3月には元気そうにニコニコと笑いかけていたアキラ。
最後の退院だったなんて・・・俺たちは何も気付かなかった。
俺たちが尋ねたのはアキラが亡くなる数日前である。
既に車椅子に座っているのも苦しかったに違いない。
アキラからレイラと俺のそれぞれに宛てた手紙があった。
俺には、自分の代わりに弟とキャッチボールをしてくれた事の礼が書いてあった。
他の人には頼みたくなかったけど、俺だから自分の代わりを頼めたと書いてある。
何度も尋ねてくれたことへのお礼が書いてある。
僕達の話を聞くことで自分も普通の中学、高校の生活を疑似体験したこと。
試合で活躍したことを知るのが自分の事のように嬉しかったこと。
自分が死んでも悲しまないで欲しいと、自分は天国に行くと自由になる。
神様が自分に与えた使命を果たせたのか不安だけど、自分の仕事は終わった。
神様に命を返して天国に行くのだと・・・。
自分が病気だったために母を取り上げ、可哀相だった弟のこと。
キャッチボールの思い出を弟に残したかったこと。
心配してくれた父と母には自分は天国に行けば走れるようになる。
「何もできなかったけど僕の人生に価値があったのでしょうか?
僕が死んだ事で悲しまないでください。僕は幸せでした。」
アキラの手紙に俺は涙が止まらなくなった。
辛かったろう、苦しかったろう、そんな状態なのに・・・。
アキラは試合で疲れている俺に弟の相手を頼んで良いかと気遣ってくれた。
車椅子に座っているだけでも辛かったに違いないのに・・・。
「握手して!」別れ際にアキラが言った。
力なく握り返したアキラの小さな手のぬくもり。
レイラの手を握り、頬を染めたアキラの思い。
アキラは最後の別れをしたかったのかも知れない。
気付いてやれなかった、自分の不甲斐なさを俺は情けなく思っていた。
俺は10年ぶりにレイラと抱き合って一緒に泣いた。
悲しくて、辛くて、泣くなんて久しく無かった。
俺たちはアキラを思い、声を上げて泣いた。
俺たちは泣きたいだけ、泣いてすこし気持ちが落ち着いた。
「顔を洗って来る」俺はレイラに声をかけて洗面所に向った。
冷たい水が泣いた後の目にしみる。
何度か水を顔にたたきつけ、まぶたの腫れも落ち着いた。
レイラの元に戻ると、奴はぼんやりと宙を見ている。
「立てるか?」レイラは焦点の合わない視線を俺に向けて頷いた。
「顔を洗って来い。出かけるぞ!」「えっ?」「アキラの家に行こう」
レイラは驚いたように俺の顔を見ると直ぐに洗面所に向った。
俺はアキラの訃報と、レイラとアキラの家に行く旨を兄貴とお袋にメールした。
お袋からは即答で直ぐにタクシーで向うように指示があった。
俺は家の近くでタクシーを停め、レイラとアキラの家に向った。
アキラの家は電車では遠回りになるが、自転車なら山を越えて15分である。
今のレイラを見ると、とても自転車に乗せられない。流石、お袋は判っている。
タクシーの中でレイラは俺の手を握り締めていた。
奴の震える心が俺に伝わってくる。必死で保っているレイラの気持ちを感じていた。
何故か俺にはレイラの不安や苦しさが伝わってくる。それが嬉しくもあり辛くもある。
双子と言うのは皆、そうなのだろうか?今の俺にはレイラの心が重かった。
玄関に立つ俺たちの姿に、アキラのママはちょっと驚いたようだった。
後ろから走り出てきたアキラの弟が、振り返って大声で告げた。
「お兄ちゃん、レオ君とレイラちゃんが来たよ!」
俺たちもアキラのママも固まった。叫んだ本人も固まった。
「ごめんなさい。まだアキラが居ないことに慣れていなくて・・・」ママが言った。
ママの目に涙が浮かぶ。「おば様」レイラがママに抱きついた。
抱き合って泣いている。二人を悲しい顔で弟が見上げた。
俺は彼を抱きしめた。きっとアキラなら兄として弟を抱きしめたに違いない。
彼は「お兄ちゃんが僕は泣いたら駄目だって、ママが悲しむから・・・」と俺に言った。
「いいよ。泣いてもいいよ。悲しい時は誰でも泣くんだよ」俺の腕の中で泣きながら語った。
「お兄ちゃんが僕にゴメンねって言ったんだ。ママを独り占めしてって・・・
僕はいろんな所に遊びに行けるのにお兄ちゃんはいつも病院で・・・」
アキラのママがレイラの肩を抱くようにしてリビングに案内した。
リビングにはアキラの写真が飾ってある。
この写真は、アキラが俺のネクタイをレイラに結ばせて得意な顔して写した。
あの時の「ねぇ、ネクタイすると僕も大人みたいでしょ」という声が聞こえてきそうだ。
「僕ねぇ、早く大人になりたいんだ」とアキラが言った事がある。
その時には、何も急いで大人にならなくても・・・と思い、深く考えなかった。
アキラはきっと自分で判っていたに違いない。自分が大人にならない事を・・・。
最後にアキラに会った時、愚かな俺はアキラが回復して退院したのだと思っていた。
今までも、体調が良いと病院から外泊で帰宅していたアキラだった。
俺はアキラが退院したと言った時に「外泊じゃないの帰らなくてもいいの?」と尋ねた。
「ウン、もう病院には帰らない」アキラが強い口調で俺に言った。
「そうか、じゃあ、無理をしないでママの言う事を良く聞いて・・・」
俺は何ということを彼に言ったのだろう。
帰らないというより帰ることがもう無いって事だったのか・・・。
アキラのママが入れてくれた紅茶を口に入れた。
とても良い香りだ。「あれ、これはローズティ・・・」レイラが言った。
「そうなの、ローズティ」俺は庭に咲いているバラの花に目を移した。
「綺麗なバラがたくさん咲いていますね。アキラから聞いています。」
「そうなの、そんな事も話したの?」
アキラが小さい時に両親が病室にバラの花を飾った。
看護師さんから「お花の持ち込みを小児科ではお断りしています」と説明があった。
パパが持ち帰ろうとすると、アキラが嫌だと、飾ってくれるように懇願した。
「ママと同じ匂いだ」って、アキラに聞いたことを彼のママに話した。
それを聞いたパパが家の庭をバラだらけにしたことも・・・。
アキラから聞かされたバラの花の話・・・。
何時、お見舞いに行ってもアキラの病室にはバラが飾ってあった。
退院して家に居る時にも彼の部屋にはバラが活けてあった。
「あの子が私の匂いだって言うから香水が変えられなくなって・・・」
ママが寂しそうに笑った。レイラが思い出すように言った。
「彼は私が大学を卒業する時に赤いバラの花束を持ってお祝いに来るって・・・」
「あら、あの子はレイラさんにそんな事を言ったの?」「ええ・・・」
「私には大人になって、恋人にプロポーズをする時は赤いバラを持って行くって・・・」
「まぁ!・・・」「あの子はレイラさんに憧れていたから・・・」
「えっ、私に・・・」「そう、初恋の人だったかも・・・」
俺もアキラがレイラを好きな事は気が付いていた。
レイラの手を握りたがる友達は多いが、兄貴の俺が許可したのはお前だけだぞアキラ!
俺はアキラの写真に話しかけていた。お前は全部知っていたのか?
自分に残された時間が短い事を知って、俺たちを呼んだのか?
俺たちを呼んで別れを告げたのか?自分だけ・・・。
「ただいま」アキラのパパが帰宅した。
「お邪魔しています」「ありがとう来てくれて、驚いたでしょう?」
レイラが涙ぐむ。
「パパ、駄目よレイラさんを泣かせたらアキラに叱られるわ」
パパがアキラの事を話し始めた。
「あの子がお二人には自分の病気の事を言わないで欲しいと言ったのです。
賢い子でした。自分の残された時間が少ない事も気付いていました。
自分の苦しさよりも、私達に心配をかけまいと気を使う子でした。
今回の退院も彼が望んだことです。
自分の命が残り少ない事を知って帰りたいと言ったのです。
あの子は帰宅した翌日、『神父様とお話がしたい』と言いました。
神父様にお願いして、直ぐに訪問していただきました。
あの子が神父様と何をお話したのかは知りません。
神父様も何も言われませんでした。
あの子の葬儀のときに神父様が彼が全ての準備をして旅立ったと話してくれました。
大人でもできないことをこの小さな兄弟が自分の意志で行ったのだと・・・。
俺の魂は震え上がった。準備して旅立つなんて子供にできるのだろうか?
いや、彼が純粋だったから神を信じて自分を委ねることができたのかも知れない。
あの子は次に貴方達に会いたいと言いました。
無理をお願いして来ていただきました。
アキラはベットではなく、車椅子で貴方達を迎えました。
あの子があんなに長い時間を車椅子に座っていられるとは思いませんでした。
アキラの最後のやせ我慢だったのでしょう。
愛する女性の前では虚勢を張って、格好をつけるのです。男は・・・。」
「あっ、そうだ!」パパが何かを思いついたらしく話を中断して部屋を出て行った。
彼が戻ってきた時、手には金色のサッカーボールを持っていた。
「これはね、ワールドカップの時にアキラが欲しがったものです。
友人に無理を言って手に入れたのですが、これを君に渡すように言われました。」
「ええっ?これって・・・」ワールドカップの記念ボールである。
世界に限られた数しか作られていない筈だ。
「僕、こんな大事な物を戴くわけには・・・」
「いや、貰ってくれないか?あの子が君に渡したかったんだ。
これはレイラさんに!」
レイラが渡されたのは病院でもアキラが常に枕元においていた天使の写真立てだ。
二人の天使が両側で写真を支えている。
中には写真が・・・あの時のキャンプで写した写真だ。
アキラを真ん中に俺とレイラが左右に並んだ、あの日の思い出の写真だ。
「レイラさん、お願いがあるのだが・・・」
パパが俺たちに向って座りなおした。
「アキラが誕生日プレゼントに貴女から戴いた聖書を私がいただいても良いだろうか?
あの子に持たせようかとも思ったのだが、本当に必用なのは私達だと思って残したんだ。
アキラを偲ぶために・・・後で開いてみたら、何時、読んだのだろう・・・。
どのページも開かれたらしく、線のひかれた言葉もある。」
「どうぞ・・・お手元に置いてください。」
パパはアキラの残した小さな聖書を愛おしそうになぜた。
あの聖書はレイラが体力の無くなったアキラの為に小さくて軽い品を探した。
大人になるまで使えるように皮表紙の何年も使える丈夫な品を選らんだ。
ベルが鳴った。玄関で声が聞こえる。母と兄だった。
母はバラの花束を抱えていた。
「この色は・・・」アキラのママが声を詰まらせた。
「薔薇の花をお持ちして良いのか迷ったのですが・・・
子供達に聞いた話を思い出して・・・」
以前、アキラはレイラには赤いバラが似合うと言った。
「俺は?」と尋ねると何の迷いも無く「白バラ」と言った。
「じゃあ、君は?」
「僕はね。青バラだよ。」
「ええっ、青い薔薇なんて聞いたことがないよ」
「青い薔薇は人が作ったんだよ」
「本当にあるの?」
青い薔薇に自分を例えたアキラだった。
ブルーローズと言えば英国では不可能を意味する諺だ。
俺はアキラに担がれたのかと思っていた。
母に渡された青い薔薇をアキラの両親はじっと見つめた。
「これが、あの子の言っていたブルーローズなのね」ママが言った。
「僕はアキラが英語の諺を言ったのかと、冗談だと思っていた」
パパも同じことを考えたのか。俺もレイラも本物の青い薔薇を初めて見た。
ママの目に涙が溢れた。お袋が言った。
「子供達からブルーローズの話を聞いたときに、最近、専門誌で読んだのを思い出したの、
遺伝子組み換えで作られた青い薔薇です。中学生が良く知っていると関心しました。
アキラ君が自分を奇跡のブルーローズに例えた事をメッセージだと思いました。」
「ありがとう、アキラの気持ちを教えてくれて・・・」
ママの肩をお袋がそっと抱いた。母親の気持ちは母親には伝わるのだろう。
俺に背を向けたお袋の肩が震えているのが見えた。
アキラの死は俺とレイラには重かった。
今までの人生で正面から死と向き合った事がなかった。
アキラの死を事実と認めたくなかった。逃げ出したくなるほど辛かった。
彼のことを考えたくないと思い、一方で彼の死に向き合わ無くてはならないと考えた。
レイラも俺も言葉が少なくなった。
アキラとの出会いを無駄にしないために、何かをしなくてはいけないと思った。
しかし、何ができるのか?何をすれば良いのか?俺には判らなかった。
無力な自分に腹が立った。情けなかった。
学校が始まったのに俺はエンジンが掛からない。
休み時間にサッカーボールを蹴っても、ついアキラのボールを思い出す。
彼は俺にサッカーボールと共に何を託したかったのだろう?
昼休みにヒマワリに声をかけられた。俺が元気が無い事を気にしている。
「弟みたいに可愛がっていた子が死んだんだ。」
「えっ、交通事故?」
「ううん、病気で・・・。長くない事は両親は知っていたみたいだ、僕は後で聞いたけど」
「そう、辛いね。私も昔、弟が居たんだ。」
「居たんだ・・・って、そのう・・・。」
「ウン、3歳の時に交通事故で死んじゃった。まだ、私も幼稚園の年長さんで・・・
私は友達と遊んでいて、河川敷の公園に行こうと堤防の道路を渡ったんだ。
トラックがキーィって停まって、振り返ったら弟が倒れていて・・・
後ろから付いて来たなんて知らなくて、私は青信号を走って渡ったから・・・
弟は私と一緒に遊びたくて、付いて来たんだと思う。」「・・・」
俺はヒマワリの思いがけない告白に言葉もなかった。
「私はびっくりして立って見ていたの。トラックの運転手さんが弟の横に座っていて、
大人がいっぱい集まって来て、救急車が来て、お母さんが怖い顔して走ってきて・・・」
「そう、驚いたろう・・・怖かったろう」俺はやっと言葉を挟んだ。
ヒマワリはユックリ左右に首を振ると話を続けた。
「お母さんが弟と救急車に乗って行ってしまって、私はずっと立っていて、
近所のおばさんに連れられて病院に行ったら、弟は死んでいた。
お母さんが気が狂ったみたいに泣いていた、私を見て『どうして』って、
『どうして、手を引いてやらなかったの?』って・・・言ったわ。」
俺はヒマワリの顔を見つめた。ヒマワリはブルっと震えるように頭を振り続けた。
「私、まだ小さかったから良く分からなくて・・・。
死んだって事が良く分からなくって・・・家に帰れば元気な弟に会える気がして、
弟が頭に包帯を巻かれて寝かされているのを見ても治れば帰って来ると思って・・・
だんだん、判ったの、私は大変な事をしたって、弟に取り返しが付かない事を・・・。
弟はもう帰ってこないって知ったの。弟が急に居なくなって家中が寂しくなった。
お母さんが私を許してくれない気がして・・・辛かった。
急に身近な人が死んでしまうと、それが現実と思えないよね。認めるの苦しいよね。
でも、残り少ない時間と判っていて生きていくのは辛いよね。
周りで見守るのも、とても辛いよね。」
ヒマワリは俺の顔をちらりと見て立ち去った。
俺はヒマワリの語った話を自分の中で繰り返していた。
思い出すのも嫌な記憶に違いない。奴は何故、それを俺に話したのだろう。
ヒマワリが言っていた言葉がおれの中で響いていた。
もう直ぐに死ぬと判って生きる事。見守る事。残された者の辛さ。
レイラは家では口数が少なくなり自分の部屋にこもる時間が増えた。
4月末から5月の連休は最後の春キャンプである。
レイラが「参加したくない」と言い出した。模擬試験があるという。
俺は模擬試験は受ける心算だが、前半だけ参加することに決めた。
高3でも、俺は引退する心算は無かった。
体を動かすことで、夢中になる事で辛さを忘れたかった。
しかし、現実にキャンプに参加してもレイラの居ないことで空虚感を強く感じた。
体も気持ちもちぐはぐで落ち着かない。
滑っている時はまだ良いが、チョッとした時間の空白が不安感を高める。
自分の中に焦りを感じていた。俺は合宿中に暇があると参考書を開いた。
「レオさん、受験ですか?」後輩達が俺の珍しい姿を見て驚いている。
合宿からもどり、俺は連休だというのに真剣に勉強した。
模擬試験が終わり、翌日には結果を受け取った。
進路を提出しなくてはならないリミットだった。
しかし、俺は何も決めていなかった。
模擬試験の成績は今時の言葉で言えば「ビミョウ」って所だ。
内部進学クラスではそれなりだが、受験できる成績ではない。
とりあえず、エスカレータコースに丸をつけるしかない。
その夜、食事の後で何時もは部屋に戻るレイラがコーヒーを入れてくれた。
何かある。嫌な予感。俺の勘は当たる。きっと、俺も巻き込まれる。
コーヒーを片手に部屋に撤退する事も考えたが、そんな雰囲気ではない。
「ママ、話があるの。」レイラが口を開いた。
お袋だけに話をする時は奴は母の書斎で話をする。
兄貴や俺に聞かせたいに違いない。嫌な予感はますます強くなる。
「進路の事だけど・・・。」それ来た。やばいぞ、俺にも降ってくる。
「決めたの?」「決めたいと思っています。」「そう、学部を決めたの?大学を決めたの?」
「私、医学部を受けようと思います。」「えっ!医学部ってお前、工学部じゃなくて?」
兄貴が驚いて口を挟んだ。俺は頭が真っ白である。お袋だけが動じていない。
「そう、受験校は決めたの?」「一応、受けたい大学はあります」
「聞かせてもらえるのかしら?」「K大学です。S大学も考えたけど・・・」
何ぃ〜!国立の医学部を狙うというのか?幾らお前でも無謀だろう!
レイラが続ける。「これから、頑張ってセンター試験の成績で決めます。」
「判ったわ、頑張りなさい」「レイラ、かなり厳しいぞ」兄貴が心配して口を挟む。
お袋は平然としている。俺は固まっている。奇妙な風景である。
その夜、俺は眠れず、夜中に飲み物が欲しくなり1階に下りた。
お袋が一人でリビングでビールを片手にパソコンをたたいていた。
「あら、レオ、どうしたの?」「喉が渇いたんだ!」
俺は冷蔵庫から牛乳を出して、コップを片手にお袋の前に座った。
「母さん、話してもいいかな?」「ええ、どうぞ」お袋はパソコンを閉じた。
「母さんはレイラの進路決定に驚いていないの?」「うん、驚いてはいない」
「レイラは母さんに医学部進学の相談していたの?」「いいえ、今日始めて聞いたわ」
「どうして、驚かないの?」「そんな気がしていたから・・・」
「アキラの事が原因かな?」「う〜ん、それもあるかな?でも、それだけではないわね。」
「それだけでないって・・・?」「障害児の為に何かできることを探していたから!」
「・・・」「工学部に進めば技術的支援だけど、医学部だと直接関わることになるわね。」
「レイラがアキラのような子供達に関わるために医学部に進学したいって?」
「多分、それを考えていると思うわ。K大もS大も医学部は小児科が有名だから。」
「レイラは精神的に務まるの?成績は?」「さぁ、それは本人の問題でしょ?」
母は本人の問題だと突き放すように言った。
無理だ、無茶だ、滅茶苦茶だ。
あんなに繊細でナイーブなレイラが人の命を預かるなんて絶対に無理だ。
俺はレイラの悲壮とも思える決断が痛々しく思えた。
「お休み」おれはリビングにお袋を残して部屋に戻った。
兄貴の部屋の前を通りかかると兄貴に呼び止められた。
「チョッと入れよ」「ウン」「ショックだろ」「・・・」
「実は、俺もレイラが後輩になるものだと思い込んでいた。」「えっ、そんな話してたの?」
「ああ、レイラは工学部に入りたいと言っていた。コンピュータをやりたいと!」「・・・」
「お前はレイラが医学部に行きたいと言ったことに驚いているんだろ!」「ウン」
「レイラには医者が務まらないと思っている。」「うん、まあ・・・」
「レイラは精神的に弱すぎるって?」「うん、そう」
「やって見ないと判らないだろう?」「えっ、だって・・・」
「今から、医学部に進路を変更して受かると思うか?」「そりゃ難しいと思うよ」
「受かるかも判らないのだから、今から心配するなよ!」「落ちればショックだろう!」
「受かるかも知れないぞ!あいつは根性があるから・・・」「・・・」
「支えてやっても無理なら辞めればいいさ、患者と向き合うだけが医者じゃない」
「・・・」「レイラが逃げ込める場所で居てやれ!」「うん」
確かに今、レイラに何を言っても聞こうとはしないと思う。
気の済むようにさせるのが一番だろう。結果がどうであれ・・・。
医学部に入っても、臨床だけが、医学ではない事は俺でも知っている。
自分の枠を超えて飛び出そうとする妹を俺に支えられるのだろうか?
俺は兄として見守ることしかできない。それも避難場所として・・・。
自分自信の進路も決められない俺にレイラが支えられるのか・・・。
部屋に戻った俺は推薦希望用紙と朝までにらめっこをしたが・・・結論は出なかった。