命《いのち》:「チョッとだけ、手伝って」
初めて参加したボランティアキャンプ。
忘れられないアキラとの出会い。
世話をするつもりで教えられた、大切な出会い。
命の重さを知った俺とレイラだった。
ゆとり教育で与えられた土日の休暇を俺達は有効に使っていた。
アウトドアやツーリンク、旅行にもよく出かけた。
しかし、俺たちは遊んでいただけじゃない。
それなりに人生経験を積む機会を得ていた。
俺達は教会がバックアップする障害児キャンプにボランティアで加わった。
戦力になる年齢に達したと判断した婆に連れられてスタッフとして参加するようになった。
婆も兄貴は参加経験があり、すでに重要なポジションだ。
俺やレイラは初心者で何も判らない。お荷物にならないように必死である。
キャンプといっても本物のアウトドアではない。自然に囲まれた研修施設などが使われる。
キャンプでは障害のある子供が親と離れて自然の中の生活を楽しむ。
障害のある子供達に自然に触れ合う場を提供するキャンプだ。
少人数の学校の場合は実質上の修学旅行になるケースもある。
障害と一言で言っても、視力に障害のある子供達。
聴覚障害者、肢体不自由児、心身障害のある子供と障害の程度も内容もさまざまだ。
1回のキャンプには同じ種類の障害を持つ生徒や児童が集まる。
俺は聴覚障害のある中学生に外泊は初体験と聞き驚いた。
婆も兄貴も俺達も担当する役割は違うが、婆と兄貴は開催準備の仕事が多い。
俺とレイラは参加者の付き添いのサポートが割り当てられた。
参加者の多くは学校の先生に引率されて来るので、引率の先生をの手伝いをする。
俺たちはキャンプに参加した子供達から沢山のことを教わった。
俺とレイラの通った保育園は合同保育を行っていた。
婆が保育園を選択した基準は二つ。
キリスト教保育と特色ある保育への取り組みだ。
俺は合同保育という言葉は随分後に覚えた。
合同保育とは、障害児と健常児を一緒に保育する取り組みだ。
当時の俺には何が障害なのかがよく判って居なかったように思う。
しかし、幼い俺でも仲良しだったタクは人と違うのが直ぐ判った。
足が無いのだ、手も短く、指の数も違う。
彼の病名が「四肢欠損症」ということを後で知った。
俺はタクと気が合った。彼は活発で何でも一緒にやった。
タクは短い足でズルズルと良く走った。
運動会では彼だけがコースの半ばからスタートした。
それでもゴールに着くのは最後になった。
俺たちはタクがゴールに入るまで声をからして応援した。
クラスでは彼の特異な個性は直ぐに忘れられた。
彼にはチョッと難しい事がある。という認識しか俺達には無かった。
給食も一緒に食べた。タクは絵の長い専用のスプーンを器用に使った。
タクがスプーンを落とすと、拾った子が洗いに行って彼に渡した。ごく自然のことだった。
手の短いタクにできないのはトイレの始末(パンツの上げ下げ)だけに見えた。
俺は知らなかったが、タクはどれだけの努力をしていたのだろう。
タクが俺と同じことをするために多くの訓練を受けていた事を後で知った。
俺達は障害者を区別して考えることをしなかった。
婆に幼いころに言われた「チョッとだけ、手伝って」という言葉が少しわかった。
幼い俺達に障害について婆は個性だと説明した。
走るのが人より遅い人、目が悪くてメガネをかける人。
誰でも得意や不得意がある。長所も欠点もある。
欠点が普通の範囲を超えると障害があると言って皆で助けるの。
でも、普通かどうかって言うのは人が決めた事なの。
障害を持って生まれた人は選ばれた人なの。使命を持って生まれてきたの。
背が低くて届かなければ、背の高い人が手伝えばいい。
目が悪くてよく見えなければ、見える人が教えてあげればいい。
でも、頑張ればできることは自分でやらないと駄目なの。
少しずつ頑張れば、できることが少しずつ増えるの。
できないことは「チョッとだけ手伝って」後は本人がやればいいの。
婆は障害を個性だと言った。個性でも長所もあれば短所もある。
指が短い人も居る。指の足りないタクの目を引く身体も俺にとっては個性だった。
婆は障害児キャンプでは俺達をスタッフとして厳しく扱った。当たり前か!
障害のある子供達には常にスタッフが気を配る。
危険がないように、スタッフの気の緩みは事故に繋がる。
キャンプ参加者が到着する準備をするのは経験豊富なスタッフだ。
俺達は参加者が到着する前に障害者の支援方法の簡単な講習を受けた。
聴覚障害者とのコミュニケーションに手話は欠かせない。
しかし、急場は無理だ。覚えるのは簡単な挨拶だけだ。後は書けば良い。
キャンプ参加者が視覚障害者の場合は誘導の方法。
肢体障害者の時は介助方法や車椅子の取り扱い。
普段は知ることの無い、知るべきことを俺たちはたくさん覚えた。
聾学校に通う聾唖の子供達から、俺は手話を習った。
全盲の児童と知り合い、点字を触った。これを読む、彼らの指先の感覚に舌を巻いた。
脳性麻痺の子供と一緒にトランプをしたが、彼らの記憶力のよさに驚いた。
失った機能を埋めるために彼らは他の機能を使った。とても器用だった。
院内学級の生徒が参加したキャンプは記憶に強く残った。
院内学級とは長期入院をする子供達が通う病院の中にある学校である。
参加人数は少なかったが、スタッフは緊張していた。
婆は俺達を呼んで言った。
「今回の参加者は努力をしないと命を保てない子供達だからね」
俺たちは介護がないと生活のできない子供達について教わった。
ベテランのスタッフや看護師のスタッフがそれぞれの児童を担当した。
俺とレイラはその補助を努める。事前の打ち合わせも難しい専門用語が飛び交う。
発作を起こす可能性のある子供達の場合は複数で担当し、決して目を離さない。
俺とレイラが付き添ったのはアキラという小学生だった。
来年は中学と聞いて驚いた。体が小さく小学校低学年にしか見えない。
俺も、小さい事にかけては自信があるが、確実に負けている。
アキラはきらきらと光る目で俺達を見つめ、色々な事をたずねた。
俺は当時、高校生でだったが、自然科学に関する彼の質問は高度だった。
恥ずかしい話だが、俺には答えられない質問が多くレイラに助けを求めた。
理系のレイラとは意気投合し、二人で会話を楽しんでいた。
色白のアキラの頬が少し赤くなり、彼は一生懸命、持論を語り続けた。
彼の声が突然、途切れ、水から出た金魚のようにパクパク喘いだ。
自分で胸を叩きながら、喘ぎ苦しむアキラを目にして俺たちの時が停まった。
「レイラ、先生呼んで来い!」俺はレイラを走らせアキラを抱いて床に寝かせた。
気道を確保しなくては・・・俺は水泳の救急指導で習った気道確保の姿勢をとらせた。
水谷医師がレイラと一緒に走って現れた。
アキラの車椅子に積まれた機器を操作して彼の鼻にチューブを入れた。
ゲフッグフッと小さく咳き込んだのと、ガルガルズズズズという機械音がした。
フウ、アキラが肩で息をした。
「ごめんなさい、驚かせて・・・」苦しい息の下からアキラが言った。
「いや、謝らなきゃいけないのは僕らだよ、ゴメン、直ぐに楽にして上げられなくて」
話に夢中になったアキラがうまく痰を出せずに窒息しかかったのだ。
アキラをベットに休ませ、水谷医師から状況の説明を聞いた。
「目を離さないで、何か様子が変わったら直ぐに知らせてね」担当ナースからは言われていた。
様子が変わるって・・・生死を分ける変わり方じゃないか!
俺は担当ナースに文句を言おうと探した。そこでまた、俺の未熟さを知ることになる。
「この子達は毎日が戦いなの!頑張らないと生きていられないの、一時も油断できないの」
ナースから言われ、俺の胸は張り裂けそうだった。
こんなに素直ないい子達が、小さな体で毎日戦っている。
俺は生きている事に感謝するなどと考えもせずに、不満をいい、自由気ままを求めている。
レイラが俺の肩に顔を伏せた。肩が生ぬるく濡れている。
「レイラ、泣くな。子供達に笑顔を見せろ、俺達にできるのは楽しい時間を作る事」
俺たちは彼らが喜ぶことを真剣に考えた。
「僕、家の外で星が見たい」アキラが言った。
「見た事無いの?」「家の窓から何時もみているよ!」
「今夜、見ようか?天気が良かったら」「本当に見に行くの?外で見るの?」
「先生に頼んでみるから!」「きっと、駄目って言うよ!」
俺達の会話を聞いていた医師が笑いながら近づいてきた。
「駄目!って言おうかなぁ〜」「えっ、先生、聞いてたの?意地悪だなぁ」
「ちゃんと、安静時間を取って調子が良ければ良いよ。天気も味方すればね!」
アキラの喜びようは半端じゃなかった。俺とレイラは星空が見える事を祈った。
夜、約束どおりにアキラを施設の外に連れだした。
「うわー、凄く沢山、星だらけだね」空を見上げたアキラが感激している。
「あれがアルタイル、こっちがベガ、七夕の話は知っているだろ!」
理科の苦手な俺も何故か星座は詳しい。アウトドアの実績がこのような形で出ようとは・・・。
「小さい時に本当に彦星が天の川を渡って織姫星に近づくって兄貴に騙されたよなぁ!」
「ウン、レオと私と二人で何時、動くのか夜中まで見ていたよね」
「あはは、本当に動くとこ見られたの?」アキラはニヤニヤしている。
「い〜や、ベランダで二人で眠っちゃった」「後でおにいちゃん叱られたみたい」
3人で声を上げて笑う。
「明日はゲームがあるから、ソロソロ、休もうか?」
明日のお楽しみがあるから無理はできない。
アキラも満足したのか頷いた。
俺達が戻るのを水谷先生がベランダで見ていた。レイラに突かれて気が付いた。
先生はずっと見守ってくれたんだ。先生の優しさに感激した。
次の日は晴天だった。
車椅子で『後ろの正面だ〜れ』など、ゲームを楽しむ。
「鬼ごっこしたい」とサキコが言い出した。アキラは寂しそうに横を向いた。
自力で少しでも走れる子は動きたいのだ。病院ではなく、自然の中で・・・。
俺は水谷医師に許可を仰いだ。
顔色が変わったり呼吸が乱れたら直ぐに連れて来るよう言われ交渉成立。
俺はアキラを抱き上げた。驚くアキラに、「さあ、逃げるからつかまってろよ」
アキラを抱いて俺は走った。ひどく揺れない様に気遣いながら・・・。
「キャー」鬼につかまりそうになり、身をかわすと、アキラが歓声を上げる。
アキラを抱きしめ、走りながら俺は涙が出そうだ。
軽いのだ、アキラが・・・。幼児を抱いているようだ。
看護師の三輪さんに松井先生が捕まり、鬼になった。
松井先生は女の子ばかりを追いかけている。
それでも俺はアキラと走った。アキラが俺の胸に顔を付けた。
「苦しいの?」俺は慌てて停まった。
「違う、嬉しいんだ。僕、生まれて初めて走ったの!」アキラの目に涙が溢れた。
そうか、走った事なかったんだ。
俺は走った事が無い子が世の中に居る事を、知らずに今日まで生きてきた。
俺は無性に恥ずかしかった。
お別れの時が来た。
迎えに来た両親に「あのねぇ!僕ね、走ったんだよ」アキラが頬を染めて報告している。
何を言われたのか、戸惑っていたお母さんだったが、事情を知ると目から涙がこぼれた。
「ありがとうございました。この子にとって素晴しい思い出ができました」
お父さんに挨拶されると、身の置き所が無いほど、恥ずかしかった。
俺たちは健康を当たり前だと思い、感謝した事も無かった。
俺はアキラから多くのことを教わった。