選択:我が道を行く
兄貴の騒動があり、お袋の思わぬ秘密を知り、彼らの青春時代と見せられた俺は自分の価値観に疑問を持ち始めた。
そんな俺にスカウトが・・・予期せぬ話は嬉しい。有頂天になって騒ぎたい自分とさめた目で見ている自分がいる。それに気づいた俺は・・・。
兄貴のナオに留学の話が沸き起こり、そして続けて、俺にも事件が起こった。
アメリカからの乱入者が帰国し、我家に平穏が戻った。
お袋はもう昔の事と割り切っているのか、全く意に介さないと言った感じだ。
もっとも、家族の誰もリチャードのことに触れる勇気はない。
レイラは勉強からはなれて自由時間を楽しむと宣言した。
兄貴は自分の大学に出かけたり、論文をまとめたり忙しい様子だ。
そんな矢先に北海道T学園大学から俺に連絡が入った。大学のスキー部監督を名乗る人は、
「君を我が大学のスキー部で受け入れたい。是非、会いたい」と言う。
今更、とは思うが、今期の成績が評価されたと思うとまんざら悪い気はしない。
俺は直ぐにお袋に相談した。
相手が保護者同伴でお話したいと言った事もあるが、それが理由ではない。
大学の入学手続きも済ませ、入学金も納入している。
スポンサーである母が反対すれば即、断らなくてはならない。
そもそも、入学金を払って入学手続きが済んでいるのに別の大学には入れるのだろうか?
俺の話を聞いたお袋は、何時ものように「それで?」と尋ねた。
昔の俺ならばそこでマゴマゴするのだが、流石に母とは18年の付き合いだ。
俺は準備しておいた、自分の考えをはっきり伝えた。
既に大学が決まっており、手続きも済ませたのに今更、進路の変更が可能なのだろうか?
そのような事情も説明した上で、相手の話を聞みたい。
それが俺の考えだった。
「判ったわ、日程調整をおねがい。北海道の方だと時間も限られるでしょう。
明日の朝一で会議があるから、AM以外ならOKよ。」
俺は明日の午後に相手の監督と面会するべく時間を調整した。
指定された、ホテルのラウンジに指定時間の5分前に到着した。
着くと直ぐに特別大きくはないが、ガッシリした雪焼けした男性が近づいてきた。
40歳前後か、若いがエネルギッシュな感じがする。
「小柳君ですね。僕は北海道T学園大学スキー部監督の草薙です。」
「小柳レオです。始めまして、此方が母です。」
「レオの母でございます。」
監督の案内でホテルのティールームに移動し、早速、本題に入った。
監督は北海道T学園大学スキー部の強化のため、選手の獲得目的で会いに来たと説明した。
俺の今期の成績(勿論、スキーのである)を評価して、推薦入学の打診である。
大学での受入条件としては入学金免除、寮費免除の待遇である。
授業料についてもスポーツ奨学金が適用されるので半額以下になると説明した。
「如何でしょうか?進学は既に決まっていたかと思いますが・・・。」
といわれたので、俺はそのまま姉妹校の大学に進学することが決まっていると説明した。
「学費も生活費も援助が出ます。スキーをやるには環境も整っています」
「でも、手続きも済んでいるのに入学を取り消せるのでしょうか?」と俺が聞くと母が答えた。
「院内推薦で入学を許可されているので同義的な問題はあるけど、入学辞退は可能でしょう」
「君がスキーを続けるのであれば最高の条件だと思うのだが・・・」
確かに条件としては絶好かもしれない。条件、場所とも良い話だ。
「スキー部の条件は判りました。学部、学科の受け入れ態勢についてご説明いただけません?」
母に言われて、俺も肝心な話が抜けていることに気がついた。
「大学で受入可能な学部は文学部英文学科と農林水産学部です。
しかし、農林水産学部は実習が多く練習に影響が出るのでお勧めしません。」
「英文科か・・・。」俺が呟くと、監督が説明を追加した。
「英文科と言ってもスキー部で試合成績が出ていれば、ある程度は単位が認定されます。
英語が苦手でも皆、スキーの成績で卒業しているから大丈夫です。」
俺は何か説明に違和感を感じた。
「この時期にお誘い戴くとは、予定していた方が辞退されたのでしょうか?」
俺は聞きにくいことをズバリと尋ねた。
「ごまかしても仕方ないので正直に申し上げます。
インターハイで準優勝した青森のA君に話をしていたのですが・・・
実は彼はもう一年、高校に残る事にしたようです」
つまり、留年と言うことだろうか?どうやらA君は一般高校らしい。
体育会系の高校であればインハイ入賞という戦績で卒業できただろうに気の毒だ。
T学園大学は全国規模の私立大学だ。関東地区、北海道、九州にキャンパスがある。
知名度の低い大学ではないが受入学部が限られるのは問題だ。
必用なことは大体聞いたつもりだ。母に目配せすると彼女が割り込んだ。
「ありがたいお話ですが、急なことで本人も戸惑っていると思います。
お持ちいただきました資料を読み、よく考えたいと思います。
何時までにお返事をすれば宜しいでしょうか?」
「私も小柳君に断られたら次の候補者に話をせねばなりません。
急がせて申し訳ないが、明日中に方向だけでも知らせていただけませんか?」
「明日中ですか?」俺が復唱した。
「お聞きする事は他に無いわね。」母が俺に確認した。
俺は頷き、草薙氏に礼を言った。
「はい、ありがとうございました。」「良い返事をお待ちしています。」
「はい、よく考えてお返事いたします。」
帰りの車の中で渡された大学の資料を開いた。
スキー部寮の案内や練習場、試合成績などの資料が出てきた。
学費や寮費、選手のランク別のスポーツ奨学金の額面などの資料がある。
どうやら、俺はAクラス待遇らしい。お袋は黙って運転している。
「おかしいなぁ」「何が?」「大学の資料が殆どないんだ。学部とか学科の・・・」
「そう」「帰ったら電話して聞いてみるわ」「・・・」
家に着くと、珍しく明るいうちに帰宅した兄貴とレイラがリビングに居た。
俺の顔を見た途端に話を止めたところを見ると俺の噂だろうか・・・?
「珈琲いれようか?」レイラに聞かれた。
「えっ、レイラが珈琲を入れてくれるの?明日は土砂降りだぜ!」
「もう知らない、レオの分は無し!」「ひで〜ぇなぁ」
「ヒマワリは?」「自分の家に帰ったよ!」
「えっ、山崎パパが帰国するまでこっちに居て良いて許可されたんだろ。なぜ帰ったの?」
「胸に手を当てて、自分のしたことを良く考えてみたら!」「えっ俺何か悪い事した?」
「しらばっくれて!許せない?」「ヒマワリ、何か言っていた」「ええ」「何て?」
「教えてあげない」「そんな事言うなよ!」「酷い人」「ヒマワリ怒っていた?」
「もう、会いたくないって!」「嘘だろ〜!」俺が何した???
兄貴とお袋の今にも笑いそうな顔を見て、俺はレイラにからかわれた事に気がついた。
「レイラ!!!」兄貴とお袋が同時に吹き出した。
レイラに飛び掛ろうとした俺を兄が手を出して遮った。
「レオは何かやましい事があったのか?」と兄。
「違うよ、思いつかないから悩んだんじゃないか!」
「そう、それならば良いけど・・・」とお袋。
「ひで〜なぁ!皆でからかって!」「だって、レオは単純だから!」「レイラ!」
「二人とも、いい加減にしなさい。幾つになったの?」「じゅうはち!」俺とレイラがハモる。
「レオ、どうだったの聞かせて」とレイラが切出した。
「T学園大学で俺に是非、入学して欲しいんだと・・・」「凄い、スカウト?」
「でも、時期が遅すぎるな、何か理由を聞いたか?」流石に兄貴の読みは鋭い。
「どうも、欠員募集らしい。卒業しそこなった奴がいて欠員が出たんだろ」と俺。
兄貴やレイラに一時間前に草薙氏から聞いた内容を説明した。
「学部が問題だなぁ」「うん」「レオは英文学をやりたいの?」
「英語は嫌ではないけど英文学は・・・それに、スキーの成績で卒業できるって言うし」
「じゃあ、スキーをやりに大学にいくんだ?」「そういう事になるのかなぁ〜・・・」
「その後はどうする?」「それが問題だと思うんだ。あっ俺、電話しなくちゃ」
俺は母の書斎の電話を使って草薙さんに連絡した。
部屋に戻った俺はお袋に鬱憤をぶつけた。
「母さん、話にならないよ」「何が?」
「資料は不足してたんじゃないんだ、最初から準備していなかったって」「何で?」
「逆に何故、そんな資料が欲しいのかって聞かれた、欲しければ後で送るって」
「大学の案内が、そんな資料ねぇ」「酷いでしょ、学部や学科の説明もなく選べる?」
「・・・」「ふざけているよ、大学入学ではなくスキー部の勧誘じゃないか!」
「レオ、スポーツでのスカウトとはそんなものだろ、
大学の名前と入学の条件、後は練習活動の環境で決めるのだと思うが・・・」
「だって、大学は勉強しに行くところで・・・」「レオは勉強しに行くのか?」
「建前をいってるんだ。最高学府だぜ大学は!」「ほお、難しい事を言う」
「からかわないでよ、俺は真面目に話しているのに・・・」「俺も真面目だ!」
「学部も選べないで大学にいくなんて・・・」「レオは何しに大学にいくんだ?」
「だから、自分のやりたい事を見つけにだよ」「学部は関係ないだろ」
「そ〜いわれると・・・」「まして、やりたい事がスキーならそれが出来りゃいいだろ!」
「・・・」「ナオ、いい加減にしなさい。レオが決める事でしょ。価値観はそれぞれ違うのよ」
「だから、いうんだよ。母さん。大学に行く目的がスキーでないなら拘束されるだけだ」
「それを考えるのはレオよ。そして決めるのも・・・。貴方の価値観を押し付けちゃ駄目」
「母さんは良いと言う訳?スキーをするために大学に行っても・・・」
「良いとか悪いとか私が判断する心算はないの。人生は一度だから、今はこの瞬間しかないから
自分で一番良いと思う道を選べば良いの。成功しても失敗しても、納得できるでしょ」
「自分で選べばと言うけど、18歳で選ぶのは難しいよ。現実には・・・」
「そうね。でも自分で選ばないと、後悔するのではないかしら・・・?
今は難しい選択かも知れないけど・・・これも経験でしょ?」
「俺はレオにもっと広く色々な世界を見て欲しいんだ。スキーだけでなくて・・・」
「ナオの気持ちは判るけど、レオにとってスキーは大きなウェイトを持っているから・・・
スキーをやっているから色々な世界を見られない訳ではないのよ」
俺は兄と母の話を聞いていた。他人事のように聞いていた。
二人は俺のことで真剣に意見をぶつけ合っているのに、他人事のように感じる。何故だろう。
「母さんの言うことは分かる。でも、レオにはおれのように後悔させたくない」
「貴方はスキーをやって来て後悔しているの?」
「そうじゃないけど、もっと、青春を楽しんでも良かったような・・・」
何となく雲行きが怪しくなってきたように思った。俺は口を挟んだ。
「俺って充分に青春を楽しんでいるけど・・・学校の勉強がなければ最高かも!」
言ってから『しまった!』と思ったが、もう遅い。
「レオ、勉強をせずに大学を出たいなら、好きにしろ!スキーでも卒業はできるんだろ!」
兄貴にすごい形相で睨まれた。俺は思わず、首をすくめた。
兄貴が部屋を出て行った、気まずい雰囲気が残る。
「レオ、ナオは真剣に話していたと思うな。」「お前に言われなくても分かってる」
「じゃあ、本気で勉強せずに卒業したいの?」「そうは思っていない」
「なんだ、レオだって勉強しに大学に行くんじゃない」「俺はナオやレイラのようにできない」
「レオは何ができないと思うの?」俺とレイラの会話にお袋が口を挟んだ。
「ナオもレイラも優等生だってこと。俺は何がしたいのかも分からない」
「スキーがしたいんじゃないの?」「スキーもしたいけど他のこともやりたい」
「ならば、やってみたい事をやってみればよいと思うけど・・・」
「・・・」それが問題なんだ。やってみたいことが何なのだか・・・?
俺は部屋に戻った。一人でベットに転がり天井を眺めているうちに眠ってしまった。
気がつくと22時である。ヤバいと思ってリビングに降りると誰も居ない。
キッチンには俺の食事が取り置いてある。
俺は電子レンジで温め、腹ごしらえをした。
食べることが好きな俺だが、妙に味気なく何を食べているのか砂を噛むようだ・・・。
無意識に食べ物を口に運んだ。お腹が膨れると少しは頭も回る。
でも、自分では考えきれない。俺は兄貴にまず、謝ることにした。
このままでは精神的にゆっくりできない。
兄貴の部屋をノックすると「ど〜ぞ」という間延びした返事が返った。
部屋に入ると兄貴は机に向かっていた体を俺に向けて180度回転した。
「なんだ?レオか」「今、良いかな?」「ああ」「さっきはゴメン」
「あんなことぐらいで飯にも顔を出さないなんて、あまりに肝っ玉が小さいな!」
「いや、実はベットで考え事をしていて、眠っちゃって・・・」
「それは、あまりに大らか過ぎるかな?」兄貴に言われて一瞬考えた。
次に一緒に笑った。
「北海道に行きたいのか?」「そうでもない」「どういう意味だ?」
「あまりにスキー本位で大学の説明書もくれない監督にちょっとガッカリかな?」
「ほぉ、お前のことだから勉強しないで卒業できます。スキーで成績がもらえます。
その言葉に飛びつくのかと思ったけど・・・」
「それが、釈然としないから、もやもやしているんだ。」
「なんだかんだと家の事を気にしているなら、それは構わないぞ!母さんだって若い」
「えっ?」
「さっき、母さんと話したんだ。お前もレイラも好きなところで好きな道を探せばいいって」
「何?それ」「だって、俺が長男なんだから・・・」「長男って?」
「俺が家に残れば良いんだから!」「兄貴は留学するんだろ?」
「そうだな、でも、母さんが一人で心配なら、時期をずらせようか?母さんは良いというが」
「えっ」俺は兄貴に言われるまでそんなことは全く考えていなかった。
お袋がこの家に一人になる。
「どうした?」「今、気がついた。」「・・・。お前らしいなぁ!」
「俺って、どうして、周りが見えないんだろう・・・だめだなぁ」
「そういうことでもあるまい。レイラだって何も考えていない」
「お袋、一人残していくわけには行かないよなぁ」「どうして?」「どうしてって・・・」
「別に良いんじゃない。一人になったら羽が伸ばせるって言ってたぜ!」
「そのほうが、怖くない?」「その通り、あの人にこれ以上、羽を伸ばされたら大変だ。」
今でも、自由奔放、奇想天外、何を考えているか、何をするか判らない人なのに・・・。
一人暮らしになったら、何をしでかすか?家に戻らないことも増えそうだ。
何時何処に居るのかもつかめなくなるだろう。
きっと、兄貴も同じことを考えていたのだろうか・・・二人で笑い出してしまった。
「俺、お袋に謝ってくるわ!寝過ごして食事に下りてこなかった事」
「ああ、そのほうが良いな。あまり気にしていないかも知れないけど・・・」
俺は直ぐにお袋の書斎に向った。
ノックして入ると、「一寸待ってね!」と声だけかけて、キーボードを機関銃のように叩く。
「後、一分!」そして、宣言どおりに手が止まった。振り返ったお袋の第一声は・・・。
「レオ、何?どうかした?」「謝りに来た」「何を?」
「寝過ごして、食事に下りていかなかった。ゴメン」「何だ、そんな事でわざわざ・・・」
「仕事の邪魔かなぁ?」「いいえ、別に・・・どうして?」
「何が話したいのか良く分からないけど・・・話して行って良いかな?」
「どうぞ、人と話をすると、自分の考えがまとまるし、自分に見えないことが判るわよ」
「うん」俺はポツリポツリと話しなじめた。
スキーだけの為に大学に行くのは釈然としない事。
大学への入学を勧めに来て、部活のことしか説明しない監督への不満。
「お母さんはレイラも俺も家を出て、兄貴が渡米したらどうするの?」
「どうもしないよ。何故?」「だって一人になるんだよ!」「気楽で良いじゃん!」
「気楽っていったって、寂しくない?」「別に!自由でいいじゃない」「・・・」
「それを気にして、決めかねているの?」「そうではないな」「なら良いけど・・・」
「半年前なら、飛びついていたと思う。」「北海道に飛んでいった?」「うん」「今は?」
「あまり、魅力を感じない。何故だろう?」「大人になったんじゃない?」「そうかなぁ?」
「スキー以外のものが見えるようになったのでは・・・」「うん」「一晩じゃ決められない?」
「いいや、断ろうと思うんだ。何だか、スキーの事しか考えていない監督じゃ不安だ」
「そうなんだ」「駄目かなぁ?」「どうして?」「お母さんが意見を言わないから」
「私が決めることではないから、私は子供達が一番良いと思う人生を選べばよいと思う」
「一番って?」「それは自分で決めることでしょう。価値観は人それぞれ違うから・・・」
「そういう考え方でいうなら、スキーで食べていこうとは思っていない」「そうなの」
「現実問題、日本の冬は3ヶ月から4ヶ月しかないのだからスキーでは生活できないよ」「現実的ね」
「それと、何より、俺はスキーを楽しみたい」「勝つことが楽しいんじゃないの?」
「そうでもなくなってきた。自分の価値観なのかなぁ。試合に出る以上は勝ちたいよ」「そうよね」
「でも、それが全てじゃないと思うんだ。やりたい事も出てくると思うし・・・」「・・・」
お袋と話しているうちに段々と自分の気持ちが整理できた。
自分は色々な事をやってみたい、今、一つの事に縛られたくない。
可能性を沢山残して、沢山の可能性を試してみたい。
その中で自分でどうしてもやりたい事が出てきそうな気がする。
「母さん、心配かけたけど、僕、やはり断ります。スキーの為に自分の他のチャンスを逃したくない」
「そう、判ったわ。私からお断りしましょうか?」「いいえ、自分でお断りします。」
「では、そうなさい」「ありがとう、仕事の邪魔をしてごめんなさい。」
「そんな事ないわ、色々と考えを聞かせてくれて、嬉しかったわ」「そうなの?」
「ええ、貴方が思っていたよりも大人になっていて、視野も広がっている。素敵だわ」
「そうかなぁ・・・、じゃあ、明日、電話してお断りします。おやすみなさい」「お休み」
俺は自分の部屋に戻った。何だか気持ちがすっきりしていた。
次の朝、俺は9時に電話をかけた。ぴったりの時間にかけるほうが良い気がした。
監督は俺の選択を聞いて驚いたようだ。条件が気に食わないのかと尋ねられた。
俺は正直に大学ではスキー以外のこともやってみたいと説明した。
気持ちが軽くなり、何だか大学生活がとても楽しそうに思えてきた。
俺はルンルン気分でチャーハンを作っていると、レイラとヒマワリが現れた。
「あれ、出かけるの?」「うん、下宿の準備に行ってくる」
「下宿って、京都か?」「うん、ママが行けないからヒマワリさんに付き合ってもらうの」
「えっ、京都かぁ・・・いいなぁ、俺も行きたい」「残念でした女子寮は男子禁制です」
「何だ、レイラはまた女の園かぁ?二度とゴメンだと言ってたのに・・・」
「学校は共学が良いけど、下宿は女子寮の方が楽じゃない、パジャマで歩けるもの・・・」
「ふ〜ん、そんなもんかなぁ・・・」「じゃあ、留守番宜しくね」「ちぇ!」
女二人は楽しそうに出かけて行った。
俺は一人家で留守番をするのも悔しいので、残る消化試合に出かけることにした。
俺が次に家に帰ったのは10日後であった。
家に入ると直ぐに俺は冷蔵庫を漁りにキッチンに直行した。スキーはおなかが空くスポーツなのだ。
キッチンではヒマワリが何かを作っているようだ。
「ただいま、ヒマワリ!」と大きな声で呼びかけた。ガチャーンと音がした。
ヒマワリの手から皿が滑り落ちたのだ。「ゴメン、脅かして・・・」
「いえ!どうしよう、壊しちゃった!」
ヒマワリが慌ててしゃがみ込み割れた食器の破片を集める。
俺が、焦るヒマワリに「気をつけて!」と声をかけた瞬間だった。
「あっ!」小さく叫んで、ヒマワリが指を押さえる。破片で指を切ったのだろう。
「見せて!」傷を隠そうとするヒマワリを流しまで連れて行き手を取り、水道水で傷を洗う。
薬指に2センチ近く傷が出来ている。
「我慢して!」俺は声をかけて、彼女の傷を抑え、破片が入っていない事を確かめた。
幸いな事に破片はなさそうだ。
俺は救急箱を持ってくると、綺麗なガーゼを出して、傷に当てた。
「しっかり押さえておいて!」ヒマワリをリビングの椅子に座らせる。
俺は手早く割れた食器をかたずけ、ヒマワリの隣の椅子にかけた。
「見せてご覧」「・・・」ヒマワリは黙って俺に手を預けた。血は止まりかけている。
俺は彼女の指を消毒して、新しいガーゼを当て、包帯を巻いた。
「一寸、大げさだけど、暫く、このままにしておいて」「・・・」
ヒマワリは俯いたまま顔を上げない。ヒマワリのスカートにポツンと涙が落ちた。
「痛いの?」ヒマワリは頭を左右に振った。
「どうしたの?脅かして、怪我させて・・・ゴメンね」
「・・・」俺は謝ったがヒマワリは顔を上げない。
俺は、ヒマワリのあごに指をかけ、顔を上げさせた。
ヒマワリの不安そうな怯えた子供のような、涙の溢れた目が俺を見た。
「泣かないで・・・」俺はヒマワリにキスをした。
ヒマワリは、黙って、俺のキスを受けた。
ヒマワリの唇は涙で濡れていた。
俺が唇を離すとヒマワリは驚いた顔で俺を見た。
次の瞬間、彼女は席を立ち、二階に駆け上がっていった。
何でキスなんかしちゃったんだろう・・・。
俺は柔らかいヒマワリの唇の感覚を思い出していた。
『初めてのキスは塩味だったなぁ』と俺は一人で馬鹿なことを考えていた。
夕食の時、ヒマワリは現れたが、殆ど口を開かなかった。
俺とは目を合わせようともしない。
昼間、俺に見せたあの涙は何だったのか?
翌日、俺はレイラに叩き起こされた。
「お前なあ、幾ら兄弟だからと、寝ている所を襲うのは卑怯だろうが・・・」
「レオ、そんな事いえるわけ!酷い人ね!」
寝ぼけているところに藪からぼうに『酷い人』といわれ、俺は面食らった。
俺は『無芸大食人畜無害』を自負している。悪人と言われた事はない。
「レイラ、お前の言っている事が判らない。説明してくれよ」
俺はベットから飛び起きた。
「ヒマワリさんに何したの?」と担当直入に切り込まれ、俺は焦った。
昨日のキッスの感触がよみがえる。レイラに何と説明しよう・・・。
「何した・・・って、俺は別に、そのう・・・何も・・・」
「それが、いけないんでしょ?」
「えっ?・・・馬鹿なこと言うなよ!俺達はまだ18だぜ!」
「馬鹿!何、勘違いしているの!ヒマワリさんに手を出せなんて言っていないわ!」
「・・・」「そんなことしたら、たたき出してやる!」「お〜こわ!(心の声)」
レイラの説明を聞いて、俺はやっと理解できた。
確かに俺はスカウトの話があった事はレイラやヒマワリに話した。
その後で、二人は京都へ行き、俺は試合に出向き、ヒマワリともレイラとも話す機会がなかった。
つまり、俺は二人にスカウトを断った事を報告していない。
「で、どう決めたわけ?私には報告もない訳!!」レイラに凄まれたじたじただ。
「すみません。報告が遅くなりまして、丁重にお断りしました。」
おれはレイラに逆らわないように丁重に報告した。
「あら、レオはスキーをやりに大学に行くんじゃなかったの?????」
「何でそんな事を言うんだ?」
「スカウトが来たってルンルン気分だったくせに・・・。」
「そりゃ、実力が認められたら嬉しいさ。でも、スキーだけで4年間を過ごしたくない」
「そうなんだ。少しは、勉強する気になったんだ・・・」
「そ〜ゆ〜訳じゃないけど・・・」「じゃあ、どんな訳?」
「う〜ん、勉強以外にもやりたい事が幾つもあるような・・・」
「例えば?」「いや、まだ判らないが・・・」
「ところで、レオ、そのことをヒマワリさんに話したの?」
「いいや!」「何故?」「なぜって言われても・・・話す機会がなかったし・・・」
「ひどい!」「酷いって・・・何で!」「鈍感!馬鹿!もう知らない!」
「何だよ!」「ヒマワリさん、レオが北海道に行くのかと思い込んで夜、泣いていたよ」
「えっ?!」「彼女はレオにとってお何?」「何と言われても・・・友達だよ」
「大切な人ではない訳?」「大事に決まってるだろ!」「なら、なぜ知らせないの!」
「眠れないほど気にしているのよ!彼女は・・・」「ゴメン!」
「謝る相手が違うでしょ!」「ヒマワリに伝えてくれよ!」「何を!」「北海道に行かないって!」
「馬鹿!自分で言いなさい!」「だって・・・」昨日のヒマワリの涙が思い出された。
「もう知らない!」レイラは乱暴にドアを閉めて出て行った。
朝食の時にヒマワリも一緒だったが、彼女は目を合わせようとはしない。
ヒマワリは母の寝室の隣奥にある小部屋を使っている。
昔は母の仕事仲間が終電に乗り遅れてよく泊まっていた部屋だ。
ベッドと机だけが置いてあるサブルームである。
まさか、ヒマワリの使っている部屋に押しかけるわけにも行かない。
俺は、ヒマワリと話すチャンスを狙っていた。
階下で音が聞こえる。ヒマワリがリビングに居る様子だ。
俺はそっと足音を立てないように階段をおりた。
リビングに居たヒマワリに声をかけた。
「ヒマワリ、話があるんだけど・・・」「えっ・・・」ヒマワリが驚いて振り返った。
「俺さぁ・・・」「言わないで!」「えっ、・・・と言われても・・・」「いいの、聞きたくない!」
いき成りの拒絶である。昨日の事が気に障ったのだろうか・・・?
「怒っているのか?昨日のこと」「・・・」ヒマワリは首を横に振った。
「じゃあ何故?」「・・・」「北海道の事だけど・・・」「だから言わないで!お願い」
ヒマワリは顔を両手で覆った。指の間から涙がこぼれる。
「どうしたんだ・・・」「良かったって思ってるのに・・・涙が止まらない・・・」
「何が良かったんだ!」「スカウト・・・されたこと・・・認められて・・・よか・・ったって・・・」
ヒマワリが泣きながら切れ切れに答える。
「待てよ、ヒマワリ」俺は思わずヒマワリを抱きしめた。
「断ったんだ!」ヒマワリが俺を振り放すように後ろに下がった。
驚いたように俺の顔を見つめる。
「断っていけなかったのかな?」「なぜ?」「スキーだけで大学生活を終わりたくないから」
「・・・」「色々な事をやってみたいから・・・」
ヒマワリの目から、大粒の涙がこぼれる。俺は思わず抱き寄せた。
俺の胸でヒマワリは泣いた。暖かく、切なく、レイラとは全く別の感触だ。
ヒマワリは泣きやむと、俺を見てひまわりのように笑った。
「私、てっきり、北海道に行く事が決まったのだと思って・・・だからキスしたのかと・・・」
彼女は『キス』と言う言葉を口にして真っ赤になった。
俺も顔が火照った。顔が赤くなったのをごまかそうと俺は言った。
「特性のココア、作ってやるよ!」「うん」「顔を洗って来いよ」「うん」
俺がココアを作っていると、レイラがキッチンを覗いた。
「いい匂い、私もぉ〜」「はいはい、お姫さま」
勘のいい俺はしっかり、3人分を作っていた。
俺達はココアを飲みながら、ほのぼのとした気分を味わっていた。