悩める受験生達
高3一学期の半ばで医学部受験を希望する妹。
今だ、進路も目的も決まらない同じ年の俺。
俺たちツインズの共通点は奇想天外ってところか?
流石の俺も焦りと苛立ちが・・・。
高3一学期の半ばで医学部受験に切替えた妹。
今だ、進路も目的も決まらない同じ年の俺。
俺たちツインズの共通点は奇想天外ってところか?
今の時期に医学部に進路変更をしたレイラも進路の決まらない俺も規格外と言われている。
まず、妹のレイラの担任は・・・。
3者面談でレイラの進路に関する意思表示を聞き白黒させたらしい。
奴の場合は進路希望ではない、意思表示である。
そこで助けを求めた相手がお袋では・・・相手が悪すぎる。
「お母様はどのようにお考えで・・・」
訴えるように話を振った担任の思いは気の毒にも裏切られたらしい。
「娘の人生ですから、本人の望むようにと考えています。」
「で、志望校も決まっているの?」「目指すはT大です。先生」
「ええっ!幾ら君の成績でも・・・」「無理ですか?」
「だって、医学で・・・」
「まぁ、センター試験の成績を見て最終的な判断をしますから・・・」
レイラのペースにすっかり巻き込まれて、持ち時間は終了した。
夕食の時に、レイラが楽しそうに三者面談のことを話している。
内容の報告というよりも、担任の観察記録とでも言ったところだろうか?
お前の事なんだぞ!判っているのか?他人事のように楽しんで・・・。
お袋がレイラに声をかけた。
「レイラ、貴女はサイを投げたのよ」「ウン」
「後には引けないのよ!」「判っている」
「ならいいわ!応援するから!」「ありがと!」
「俺も支援は厭わないぞ。数学と物理なら任せろ!」と兄貴。
「は〜い!頼りにしています。」
俺もレイラの兄貴の一人なのだが・・・。[沈黙]
年も同じ、成績は妹の方が数段上ときている。
教わる事は多々あっても、教えられるのは体育だけ!
・・・と言ってもレイラの通うお嬢様学校では奴でも体育はトップだ。
精々、塾で遅くなった時のお迎えぐらいなら俺にもできるか・・・。
お袋が俺の方を向いた。
「ところでレオは来週の月曜だったっけ?」そら来た!
「ウン!忙しければ来なくても良いよ!」恐る恐る答える。
「お袋の変わりに俺が行ってやろうか?」と兄貴。
とんでもない、兄貴になんぞ来られたら、担任にまた、比較される。
「お前の兄貴は良くできたな!」と毎年のように新しい担任に言われ続けた12年。
兄弟で同じ私学というのも良し悪しである。
私学の先生は異動がほとんどない。教師の10人中9人は兄貴を知っている。
俺がどんなに体育ができても兄貴とは比べられないが、主要な学科では全科目で比較される。
あまりにレベルが違って比べようが無いと思うのだが・・・。
新しい担任は必ず兄貴と比較する。
「レオを一人で三者面談に行かせて、また、担任から電話が掛かってくると困るから・・・」
ヤバイ、古傷に触れられた。
「あれは、有名な話だぞ、伝説になっているなぁ〜」と兄貴に言われてどきりとした。
「何で知っているの?」俺は兄貴が知っているとは思わなかった。
「文化祭の時に話を聞いて、凄い奴がいると思ったら弟だった。俺の身にもなってくれ!」
妹と違って、成績が芳しくなかった俺は小学校の時に担任によく言われた。
「皆と一緒に中学校に上りたいならもう少し、頑張って勉強をしないと・・・」
小学校6年生の受験期に成績が悪い俺は先生から「公立に転校するの?」と脅された。
中学3年においても成績は低迷し、同じような状況であった。
3者面談の日程をお袋には知らせず(どうせ忙しい)、俺は担任と二人で話し合った。
担任が余りにしつこく「この成績では高校への進級が難しい!」を繰り返すので俺はキレタ。
「もういい!頼まれたって行くものか!」俺は格好よく捨て台詞を残して教室を後にした。
その後が大変だった。担任は校長ではなく俺のお袋に電話で話し、泣きついた。
お袋は担任とかなりの長時間、話をする事になったらしい。
俺は帰宅したお袋に久しぶりに叱られた。
しかし、その叱り方が少し違っていた。
「レオ、貴方は何年、生徒をやっているの?」「・・・」
「先生は初めて担任を受け持って、本当に一生懸命やっているんでしょ!」「・・・」
「中学の教師になったのだって去年だから、貴方より後輩でしょ!」「???」
「一生懸命にやっている人の気持ちには真っ直ぐに答えなくては駄目、卑怯よ!判る?」「はい」
確かに担任は張り切り過ぎて、女子からはウザイと言われていた。
俺も一生懸命の押し売りにいささかウンザリしていた。
俺は担任が俺の思いがけない反撃にすっかり自信を失くしたことを、お袋に言われて知った。
お袋は「いろんな経験を積んで自分を鍛えて行かなくては本物の教員にはなれない」と慰めたらしい。
「ねぇ、レオったら、高等部に進学できなかったらどうする心算だったの?」とレイラ。
「俺、公立に行けば良いと思っていたから・・・」
「そうよねぇ!流石、私の子だと思ったわ。受験があることも知らずに・・・」
お袋も笑っている。
「うん、だって高校って誰でも何処かに入れるって思っていたから、駄目なら、公立があるって・・・」
「教師の自信を失くさせる息子も息子だけど、その相談に親が乗っているのだから・・・」
兄貴に至っては呆れているという処だろうか?
「でもね、生徒と一緒に経験を積んで、教師も育って行くものでしょう。最近は何でも完成品を求めて、人を育てる環境が無いから・・・」
今、思えばお袋が先生と同じことを言ったら俺はますます意地になっていたと思う。
確かに生徒から見ていると、若い先生が一生懸命すぎて、生徒に伝わらずに空回りという事は多い。
当時の担任も初めて受け持ったクラスで、一人の落伍者も出したくないと必死だったのだろう。
お袋の話は幼いときにも聞いた。スキー場で小さい時に言われたのと同じ意味だった。
気持ちよくゲレンデを飛ばしていて、接触しそうになった時に言われた言葉が印象深い。
「大人だから避けてくれるんじゃないの。技術があるなら貴方が譲りなさい」
お袋は年齢とは関係なく、一生懸命に精一杯取り組む相手とは正面から向き合わないと卑怯だと叱った。
その代わり、どんな事をした場合でも必ず俺の話を聞いた。
例え、上手く説明できくても「卑怯な事していない?」と俺の目を見て尋ねた。
俺が「ハイ」と言えば、お袋はそれだけで「わかったわ」と信じてくれた。
いよいよ、3者面談の当日・・・。
指定の時間ぴったりにお袋は現れた。
お袋が間に合わないと悪いので順番は一番最後に入れてある。
俺が最初に最終枠に名前を書いたら、全部が埋まらず一人前は空白になった。
俺の担任はお袋が怖いのか、前に詰めろとは言い出せないらしい。
俺は廊下の椅子に座っているが、担任は教室の中で座っている。
教室のドアが開いているから俺と担任はしばしば目が合う。
お袋の姿を見て俺は担任に合図を送った。彼は頷いた。
俺とお袋を前にして、担任の第一声が・・・。
「小柳君からは進路希望が出ていないけど、決まったかな?」
何とセンスのない振りなんだ。決まっていれば出している。
「いいえ!」「もう決めないと間に合わないですね。お母様はどうお考えでしょうか?」
俺の担任も助けを求める相手を誤ったようだ。
「先生、息子の成績でも進路の希望が決まれば今から間に合うのでしょうか?」
担任は思わぬ、発言に目を白黒である。
「そりゃぁ・・・可能な範囲があると思いますが・・・」
「そうでしょうね。今から医学部とか、国大受験とか言い出しても無理ですよねぇ」
おいおい、レイラと俺は違うぞ!混同しないでくれ!
「流石の俺でも今から国大受験とは言い出さないよ」お袋を咎めると・・・。
「あ〜良かった。少しは現実が見えているようですね。先生!」
担任はコメントもできずにオタオタしている。
結局、担任は準備をしていた資料を俺に渡して、言った。
「内部推薦が欲しければ締め切りはここに書いてあるから・・・」
なんだ、最初から内部推薦しか無理だという事か?
いや、逆に内部推薦をもらえる成績だという意味かな?
ノー天気な俺は何でも良い方に解釈するのが得意だ。
「先生、俺、どの学部でも推薦してもらえるの?」
「成績が基準を満たしていれば推薦は可能だけど、希望学部があるのかな?」
「例えば、工学部とか・・・」「プッ」お袋が吹き出した。失礼な奴だ!
「えっ、法学部に行きたいのか?」「いいえ、工学部と言いました。」
「君が工学部???工学部は確か数学が・・・」
俺は物理は好きだが数学は苦手だ。大体、高1で懲りてからは数学は取っていない。
ヤッパリ工学部は無理だろう。
「君は理系への進学を希望しているのか?」「いいえ、まだ、何処とも・・・」
彼にはジョークが通じないらしい。
「推薦の希望を仮登録して、成績の上位者から大学の受入人数分を推薦する仕組みだから」
担任は内部推薦の規定を一息に言い切ってホッとしたらしく続けた。
「得意科目は確か・・・」「体育です。」俺は彼の言葉を引き取った。
担任は次の言葉を見失ってオロオロしている。
そこで婆が見事なホローだ。
「まぁ、何もないより良いですよね、先生!」
「はぁ!」彼は返事とも溜息ともつかない音を発した。
「良く考えて、ご家族とも相談して方針を決めてください」
と間の抜けた言葉で会話が終了した。
婆の車に便乗して帰る途中で尋ねられた。
「レオはまだ、方向が決まらないの?」「ウン」
「そう、焦る事はないけど、受けたい大学が決まったら教えてね」
「はい」と答えて俺は固まった。
焦る事はないって、どういう意味なんだ?誰もが方針を決め、受験体制に入ったのに!
これだけ出遅れているのに、お袋は何故、焦る事はないというのだ?
その晩も食事の席で3者面談が話題となった。
俺はとうとう我慢できなくなって尋ねた。
「かあさん、車の中で焦る事ないって言ったでしょ?どうして?」
「だって、決めるのは貴方だし、貴方の人生だし、人生80年もあるのに・・・何を焦るの?」
「はぁ〜?だって、皆、大学決まっているよ、もう決めないと遅いって言ってるよ!」
「人は人、別に大学だけが人生じゃない」
「俺だって、大学に行きたい!」
「何しに?」兄貴に聞かれて俺は言葉が詰まった。
「就職って選択肢はないわけ?」レイラまでが便乗している。
「就職は嫌だ!(大学に行って遊びたい!)」俺は後ろ半分を飲み込んだ。
どうも形勢が不利だ。「受験を前提とした場合にたしかに時間が厳しいな」と兄貴。
「それは、日本の大学に進学する場合でしょ?」・・・何ぃ!何を考えているお袋は!
「そうか、レオ留学すれば?カッコイイじゃん!私、休みに遊びに行くから・・・」
なんだか、家族全員から俺はいい標的にされているみたいだ。
その夜、俺はお袋の書斎を訪ねた。
パソコンに向って機関銃のようにキーボードを叩いていたお袋が手を止めた。
「かあさん。俺、やりたい事を見つけるために大学行きたい」「そう」
「何になるかも決まってないし、やりたい職業も特にないけど大学に行っていいかな?」
「うん、いいんじゃない!18歳で本当にやりたい事が決まる方が少ないでしょ!」
あまりに、あっさりと答えられて、俺はホッとしたというより、力が抜けた。
何だか、明日の事でピリピリしていた自分が馬鹿みたいに思えた。
兄貴のように好きな科目があるわけではない。レイラのように希望する職業もない。
凄く半端で何も決まってなくて、俺は自分が情けない。
でも、お袋の言うように高校生の何割が自分の将来の職業や方向を決められるのだろう?
好きな科目は体育だけだが、嫌いでない科目はある。
大学に進んで専門的な講義を受けるには嫌いでない科目を選択する必要がある。
俺は担任から受け取った資料を広げた。
大学の学部だとか学科だとか言われても何が何だか判らない。
もう少し判りやすい命名だと良いのだが・・・。
A大学の○○学科とB大学の△△学科は教育の中身は似ているのに名称はまるで違う。
大学の学部とか学科は好き勝手に付けても良いのだろうが高校生には理解しにくい。
高校だと工業高校とか商業高校とかわかりやすい。
経営学と経済学の違いは判らないが、工学部のように機械とか建築だと想像はできる。
俺としては珍しく夜中まで文字を読み続けたが、あまり自分では納得できずに資料を閉じた。
学校に行っても何となく落ち着かない。
回りの誰もが目的に向かって、進んでいるように見えるのは俺の欲目だろうか?
今まではスキーという部活のせいにして逃げていたのだが、もう逃げ場が無い。
英語は嫌いではないが、文学には興味が無い。
体育は好きだが「体育を職業にするのか?」と聞かれるとその気はない。
何もかもが思い通りに行かないような気がする。
周囲の誰もが上手く行っているように思える。
家に帰れば、兄も妹も母親も夫々が目的を持って生活している。
嫌だ!嫌だ!何もかも面倒くさい!
「ウザイ」という言葉が今の俺の気持ちだ。
昼休みにサッカーボールを蹴るのが俺の目下の気晴らしだ。
それも、だんだんメンバーが減ってきている。
下級生達からは「なんで高3が居るんだ!」と疎まれているのは判るが・・・。
それでも俺達は昼休みにコートを占拠し続ける。
夕食では久々に家族全員が揃った。
食事の後、珍しく部屋に戻らずにレイラが兄貴を捕まえて話をしている。
加わろうかと覗き込むと、数学の証明方法を議論しているではないか・・・。
数学なんて・・・とんでもない。俺はソファーに座り、テレビを付けた。
リモコンをもて遊び、チャンネルをくるくる変えたり、音声を切り替えたり
洗い物をしながら、婆が声をかけた。「レオ!良かったら珈琲を入れてくれない?」
「何で俺なんだよ!」思わず言い返した俺の声は自分でも驚くほど大きかった。
全員の視線を感じながら、俺は自分が居場所を失った事に気付いた。
「ちょっと出かけてくる」俺は飛び出した。
「レオ、どうしたの?」妹レイラの声がドアのむこうに消えた。
自転車に乗った俺は何となく隣町に向かっていた。何がしたかった訳ではない。
自分がコントロールできずにいる、そんな自分に嫌気がさしていた。
走り始めて直に俺は財布も持たずに飛び出した事に気付いた。
まぁ、いいだろう。頭を冷やして帰れば・・・居間の電気が消えた頃に戻ろう。
家の前の道を何時もとは反対の方向に何となく走り続けた。
風を切って走っているともやもやしたものが吹き飛ぶような気がする。
俺はひたすら自転車を漕いでいた。
あれっ?前を歩く制服は俺の学校の生徒だ!俺は速度を落とした。
ユックリと俺が近づくと前を歩いていた女の子は走り始めた。
ヤバイ、驚かせたかな?俺はチョッと焦ったが、後姿に見覚えがある。
「ヒマワリ、誰かと思ったらヒマワリじゃないの!」俺は大声で呼び止めた。
彼女が止まって振り返った。やはり同級生のヒマワリだ。
彼女のこわばった顔が、俺だと判って、ホッとした安堵の表情に変わった。
「どうしたの?こんな時間に?」「うん、ちょっと・・・」
「こんな人気のない場所を女子が一人で歩いていたらまずくない?」「・・・」
「まぁ、言いたくないなら無理に聞かないけど・・・送るよ!」
俺は自転車を降りてヒマワリと並んで歩き出した。
「お家を探していて、迷子になっちゃった!」ヒマワリが笑った。
「誰の家?」「ウン、ちょっと・・・」
「で、見つかったの?」「駄目、見つからなかった」
「そう、一緒に探そうか?」「ありがとう、でも、いいの」
「本当に?」「うん、この時間に訪ねたら迷惑だし・・・」
「そりゃ、この時間に尋ねるのは迷惑かな?!」「明日、会えると思うから・・・」
「えっ?明日会えるならいいじゃない!」「うん、できれば今日、謝りたかったから・・・」
「そう、許してくれるよきっと!」「うん」
俺はそれ以上、聞いては悪い気がして話を変えた。
「進路は決めた?」言ってしまってから、墓穴を掘ったことに気が付いた。
「別に〜ぃ!」「えっ、決まっていないの?」
「だって、私、勉強できないから選べないよ」「・・・」
確かにヒマワリは学校の成績が良い方ではない。
でも、サボっていてできないと言うわけではない。
要領が良くない。勉強に対して熱心でない事は俺と同じだ。
「小柳君は?」それ来た!「俺も決まっていない」
「それって、まずくない?」「お互いにね!」
何時もの明るさを取り戻したようにヒマワリが笑った。
「アッ、笑った」「えっ!バカみたいに笑っていないと私らしくない?」
「違うよ!ヒマワリの笑顔を見ていると、ホッとするというか・・・」「ふ〜ん」
「この辺で大丈夫だから・・・」「でも、今日は遅いからもう少し近くまで・・・」
ヒマワリは一寸、躊躇ったようだがそのまま一緒に歩き続けた。5分近く歩くと、
「家、此処だから」と小さな平屋の家の前で立ち止まった。
俺は真っ暗な家を見て少し驚いた。
「あんまりボロイから驚いた?」「そうじゃなくて・・・誰も居ないの?」
「ウン、お父さんは何時も遅いし、帰ってこない日もあるから・・・」
俺はヒマワリの家庭をのぞき見たような居心地の悪さを感じていた。
「じゃぁ、俺帰るから、入って電気をつけてよ!その方が安心して帰れる」
「判った。ありがとう。暗くて怖かったから嬉しかった。じゃあ入るね!おやすみなさい」
「うん、おやすみ。明日またね!」
ヒマワリが玄関の鍵を開け、中に入って扉を閉め、鍵をかけた。
ガチャリと鍵の掛かる音を聞いて、俺はちょっと安心した。
部屋の明かりがつき、窓が開いた。俺はヒマワリに手を振った。
ヒマワリは丁寧にお辞儀をしてから俺に手を振った。
俺は自転車に乗り、来た道を引き返した。
自分のモヤモヤよりもヒマワリとの会話が頭の中で回っていた。
家に着くと俺は誰にも気付かれないようにそっと玄関を開けて中に入った。
「レオ、何処に行っていたの?」暗がりからいきなりレイラに声を掛けられ驚いた。
「何だ、お前はこんな暗がりで・・・」「馬鹿、心配したのに・・・」
いきなりレイラに飛びつかれて俺は焦った。
泣きじゃくるレイラを抱きとめる。体が冷たい。
ずっと此処に居たのだろうか・・・多分、そうだろう・・・。
俺はレイラの肩を抱き、居間に入った。
「ずっと、玄関に居たのか?」
「ううん。外で立っていたらナオが窓から見ていたから・・・中に入ったの」
ヤバイ、兄貴の怖い顔が脳裏を横切る。
妹を泣かせて怒られるのは久しぶりだが、きっと何か言われそうだ。
「ゴメン、レオの気持ちも考えずに私・・・」
「何でお前が謝るんだ、俺がちょっとイラついていただけなのに・・・」
「だって・・・」「もう、いいだろ!風に当たってすっきりしてきただけなんだ」
「本当?」「そう、ココア飲むか?俺の特性の!」「うん!」
俺達はキッチンに入り、俺は特性のバター入りココアを作った。
「美味しい」レイラがホッとしたように笑った。
「アッ、笑った」と言ってから今日、二回目である事に気付いた。
「えっ、笑ったら変かな?」「違うって、女の子は笑顔が一番ってこと!」
「ふ〜ん」俺はレイラと二人で黙ってココアをすすった。
熱いココアを飲んだら、冷たくなっていた心も溶けたような気がした。
「さぁ、やるか?」「何を〜?」
「何って、受験勉強だろうが・・・」プッとレイラが吹き出した。
「ゴメン、レオに勉強しようか・・・なんて言われたの初めて!」
「そうだっけ?俺たち、受験生だぜ・・・」
言いながら俺は笑った。レイラも楽しそうに笑った。
レイラと俺はそれぞれの部屋に戻った。
俺はベットにひっくり返って、ヒマワリとの会話、レイラの反応について思い返した。
今日の俺はどうかしていた。いや、今日だけではなくこのところおかしい。
コンコン、ドアのノックだ。この時間に・・・レイラではない。
兄貴かな?おれは「どうぞ!」と声をかけた。
「寝ていた?」と入ってきたのはお袋である。俺は慌ててベットに起き直った。
「レオ、一言だけい、いかな」「ハイ」
「自分の苛立ちや焦りを八つ当たりで解消するのは辞めなさい」「ハイ」
最もな話だ。俺も言われなくても理解はしている。しかし、この苛立ち・・・。
「何か言いたそうね?」「何で俺だけ出遅れたんだろ?レイラは・・・」
「本当に仲がいいのね。何でも同じが良いの?」「そりゃぁ・・・」
「レオ、貴方はずるくない?レイラよりも優れた物を沢山持っているのに!」
「そうかかなぁ、レイラの方が勉強もできるし、美人だし・・・」
「レイラは女の子なんだから美人でもいいんじゃない?貴方も美人と言われたい?」
「そ〜ゆ〜事じゃなくて、レイラばかりがいい所を持っていて・・・おれは出来損ないで」
「それ、レイラが同じことを中学生になった頃に言っていたわ!」
「えっ?」「中学生になって男女の体力差がはっきりした頃に・・・」
「何で?」「レオが一日で覚える技を自分は3日掛かるって!レオばかりが優れているって」
「そうかなぁ?何時も、同じぐらいのペースで練習していたように思うけど・・・」
「それはレオが知らなかっただけ。レイラは貴方よりも多くの時間をかけている。
気が強いから、見つからないように練習していただけ、あの子の部屋のクローゼット見た?
バーベルが置いてあるわよ。知らなかったでしょ。そんなトレーニングしていた事」
俺は本気で驚いた。レイラが俺に隠れてトレーニングしていたなんて・・・。
「何故?」「なぜって、男女の体力差は生物学的に明らかでしょ!それを埋めるのは至難の事。
レイラは貴方についていくためにどれだけ努力をしてきたか・・・どれだけ泣いたか」
俺は次の言葉が出なかった。何も気が付かずに俺は自分の才能に酔っていたわけだ。
妹は同じ年の俺に遅れじと、男以上のトレーニングをして付いてきたんだ。
それなのに俺は「センスが無い」とか、「下手クソ」とか平気でレイラに言っていた。
「自分の欠点に気付くのも大切だけど、自分の長所も知らなくてはね!」
「でも、分かんないよ、オレ、長所なんてあるのかなぁ〜」
「レオ、自分で自分の姿は見えないでしょ。」
下を向いていた俺はお袋が何を言い出すのかと、お袋の顔を見た。
お袋は俺の目をみて言葉を続けた。久々に緊張して俺はお袋の言葉を聞いた。
「自分の姿を見るために鏡に映すよね」「・・・」
「それと同じ。自分がどんな人間なのかは鏡に映さないと分からないと思うな」「???」
「他人という鏡。それは家族であったり、友人であったり、初めて会った人だったり」「・・・」
「違うのは姿を写す鏡と違って、曲がっていたり、歪んでいる鏡もあるということ」「???」
「家族はやはり貴方に対する評価が甘いでしょ。他人は厳しい。仲の良い友人は甘い」
「・・・」
「人と話す中で貴方がどのように相手に映っているのか、評価されているのか考えてご覧。
貴方は沢山の友人を持っている。それが貴方には宝なのだから・・・」
俺は言葉が出なかった。お袋が直球を投げてきたのは判ったが打ち返す力が無い。
「貴方が悩んでいることも知ってる。親としては辛いけど、何もできないわ。
貴方の人生だから、貴方が自分で考えて決めなくては・・・」「・・・」
暫く沈黙の時間が流れた。何か言わなくてはと思うが言葉にならない。
色々な思いが自分の中で膨れ上がるが、言葉にする事もできない。
母が立ち上がった。「おやすみ」「おやすみなさい」
部屋を出る母の背中に声をかけたかったが声がでない。
俺は何と言いたかったのだろう。もう少し、一緒に居て欲しかったのか?小さな子みたいに。
幼い日に俺とレイラはよく母を取り合った。その時の気持ちがふと思い出された。
幼い時には母を奪い合ったが、本当に母を必要とした時、母は自分を見ていたように思う。
今、母は俺を見ている。レイラよりも俺が心配なのか?・・・そうだろうなぁ・・・。
俺は天上を見ながら母との会話を思い返した。天上が落ちてきて潰されそうな気分だ。
レイラが俺に隠れてトレーニングをしていたと知ったこともショックだった。
俺は男女差と言う意味では男に有利な筋力で成果を出し、レイラは男女差に泣いていた。
それを埋めようとした奴の努力に一緒に居ながら気付いていなかった。
俺は自分が情けなく、俺に必死で付いて来た妹が無性に愛おしかった。
「人に映して自分を知る」という母の言葉が俺の中で膨らんでいた。
何時のまに眠り込んだのか、気がつくと朝になっていた。
どうやら俺は、眠れないような悩みとは無縁らしい。
学校でヒマワリに会った。彼女は俺の顔をみてニコリと笑った。
何時も、静かで目立つ存在ではないが、ヒマワリのにこやかな表情にホッとする事が多い。
今日は何となく元気が無いように感じるのは気のせいだろうか?
俺はヒマワリの様子が気になった。時々、何かを考え込んでいるように見える。
放課後に近づくに連れてヒマワリが考え込む時間が増え、心が此処にないように思える。
俺は心配になった。授業が終わると、彼女は直ぐに学校を出た。
何時もだと女子は数人でおしゃべりをしてズルズル、だらだらと動く事が多い。
今日のヒマワリは近寄りがたい雰囲気がある。どうしたんだろう?
俺は何となく、彼女の後を追った。
彼女はカバンを抱えて俯き加減で何かを考えながら足早に進む。
俺は声をかけるタイミングを見つけられずに追いかける。
駅に向う途中で彼女は左に曲がった。
角から数メートルの所に最近できたデイケア施設があった。
施設の前で入り口を見つめて何か躊躇している様子だ。
俺は息を吸い込み、声を出した。
「ヒマワリ!」「ああぁ・・・」彼女は驚いたように俺を見た。
俺を見て怖い顔が少しほころんだ。
「此処に用があるの?」「ウン」「何だか、躊躇っているみたいだけど・・・」
「ウン、入る勇気が欲しくて・・・」「どうしたの?」
「昨日、高山さんのおじいさんを怒らせてしまったから・・・」「何故?」
「判らない」「判らないって?????」
「だから、昨日、謝ろうと思って家を探していたの・・・」
「そうなんだ・・・」「だから・・・入りにくくて・・・」
「聞いてみないと、何を怒っているのか判らないジャン!」
「でも、触れられたくないことを私が言ったから怒ったんじゃないかなぁ・・・」
「そうかぁ・・・」確かに蒸し返すのは得策ではないかも・・・。
「どうしたの君達!」俺達の様子を中から見ていたのか、窓をあけて声をかけた人か居る。
「あっ、柴田さん、こんにちは」「こんにちは、ヒマワリ君。事務所で話そうよ!」
彼に声をかけられて俺はヒマワリについて事務所にお邪魔した。
柴田さんがお茶を入れようと急須と湯飲み茶碗を並べている。
「私が・・・」とヒマワリが声をかけた。
「じゃぁ、お願いするかな、ヒマワリ君の入れたお茶は美味しいから」
ヒマワリがお茶を入れているのを見ながら、彼女が初めてではないことを気配で感じていた。
お茶を飲みながら、ヒマワリの話を聞き、柴田さんが説明をした。
どうやら、高山さんはヒマワリが家族の話に触れたことが気に障ったらしい。
彼は一人暮らしをしている老人だそうだ、このセンターには毎日顔を出す。
家族の事が話題になると不機嫌になる。
ヒマワリが知らずに家族の話題に触れたので機嫌が悪くなったらしい。
昨夜、ヒマワリが謝りに高山さんの家を探した事を知り柴田さんが恐縮している。
「僕が最初に話して置けばよかったね。」
柴田さんは自分の机の引き出しからA4サイズのファイルを取り出してめくった。
「高山さんには息子さんが居るけど、奥さんが亡くなってからは会っていないらしいよ」
「そうなんだ、寂しいですね。私、悪い事を言っちゃった・・・」
ヒマワリは落ち込んでいる。
「本当は個人の情報を明かしてはいけないのだけど、知らないと話ができないよね」
柴田さんは一人ひとりの情報をファイルに閉じて保管しているという。
「人生の年輪を刻んでいる人たちが此処に来られるから、皆、いろいろあるんだよ。
ちょっとしたことで気に触ることもあるし、嫌いな食べ物が出ると怒り出す人も居る。
でも、我慢しないで怒ってもいい場所にしたいと私は思うのだけど、
ヒマワリ君には気の毒な事をしてしまったね。申し訳ない。」
「でも、私は高山さんに何て謝ったら・・・」
「謝らなくてもいいよ!」「えっ?」
「気にしているようなら謝ってもいいけど、きっと、忘れて欲しんじゃないかな」
「そうでしょうか?」「嫌な事は思い出したくないっていうのかなぁ」
「俺、じゃなかった、僕はその気持ち判ります。男のプライドって言うか・・・」
「そうだね、本当に忘れているかも知れないけど・・・」
「そうかなぁ〜、昨日は怒って口も利いてくれなくなって・・・」
「普通に接してご覧、高山さん、今日も来ているから・・・」
俺達は柴田さんに付いて二階にあがり、談話室に入った。
「高山さん、ヒマワリちゃんが来たよ!」「おう、こんにちは!」「こんにちは」
今日は気分が良いのだろうか?昨日、機嫌が悪かったと言う様子は見られない。
彼は一人で将棋の駒を動かしている。「詰め将棋ですか?」俺は尋ねた。
「おう、お兄ちゃんは将棋ができるのか?」「えぇ、駒の動かし方は知っています」
「どうだい!」高山さんは駒を打つマネをした。俺はちらりとヒマワリを見た。
彼女が俺の目を見てにっこり笑った。
「いいですねぇ〜」俺は高山さんの前に座った。
彼は俺の顔も見ないで、サッサと駒を並べ始めた。
俺は将棋には多少、自信があった。
俺はニュージーの遠征で将棋を覚えた。
小学生の頃はニュージーで大人に混ざっても遊ぶ物が何もなかった。
その中で大人を相手に覚え始めたのが将棋だ。最近ではキャンプで無敵しといわれる。
腕はそれ程悪くないはずだ。俺は高山さんを相手に駒を進めた。
・・・約一時間後・・・「負けました」頭を下げたのは俺だった。
爺さん、めちゃ強い。ところが・・・爺さんの口からは「兄ちゃん、強いなぁ〜」・・・。
俺はちょっと驚いて、高山さんの顔を見た。
「筋もいいし、なかなかいい手を打つなぁ」高山さんはご機嫌である。
幾ら年寄り相手とは言っても、負けた俺は悔しい。
「へぇ〜、このお兄ちゃん強いの?」気が付くと柴田さんが後ろに居た。
「う〜ん、強いよ!筋もいいし、あんたとは比べものにならん」
「いやぁ〜!高山さんが強すぎるから・・・、有段者の相手なんて、とてもとても・・・」
「えっ!有段者なんですか?うっそ〜」
俺は正直、脱帽だ。勝つ心算でいたなんて・・・恥ずかしい。
「高山さん、お兄ちゃんに施設を案内してくれませんか?」柴田さんが頼んだ。
「いいですよ!じゃぁ、此方へ」
俺は高山さんについて施設を見学した。
お年寄りが集まって、時間を潰す場所くらいに思っていた俺は驚いた。
講習会では老婦人たちが和紙をつかって、造花を作っている。
展示してある書道の作品も水彩画も水墨画も、ちょっとしたギャラリーだ。
施設の雰囲気がとても明るく柔らかい。・・・理由は、あちらこちらに置かれている花だ。
日本的な器に由緒正しく?生けられた花もあり、籠にはいったアレンジフラワーもある。
「凄いんですね。」と驚く俺に「いやぁ、年よりは時間があるから・・・」と高山さん。
「下の階はね、体が思うように動かない人たちが来て、入浴サービスを受けたりするんだよ」
「デイケアという設備ですか?」「そう、見るかい?」「ハイ」
俺は高山氏について1階に下りた。
使用中の入浴設備は流石に見学を遠慮したが、車椅子に座って友人と話をしている人たちも居る。
バリアフリーで部屋が結ばれ、車椅子でテレビを見ている数人の老人達もいる。
食事の介護を受けている方達も、お茶を飲みながら折り紙を折るお婆さんも居る。
「よう!」車椅子の老人に声をかけられて高山さんが立ち止まった。
「一局、どうだい?」「・・・いま、若い客人を案内しているから・・・」
高山さんがちょっと残念そうに答えた。「あっ、僕なら、一人で見て回りますから」
「大丈夫かい?」「ええ、大体教えていただいたから・・・」
「じゃあ、やろうか?」高山さんは嬉しそうな顔で笑った。
俺はしばらく、老人の食事を介護しているヒマワリの様子を眺めていたが、柴田さんに声をかけられて事務室に戻った。
「どう?」「中がこんな所だって知らなかったから、勉強になりました」「そう、良かった」
「作品を沢山見ましたが、どれも凄いですね」「そりゃ、人生の先輩達だからね」
俺達がお茶を飲んでいるとヒマワリが戻ってきた。
黄色のエプロン姿がまぶしい。生き生きしているヒマワリの姿がまぶしいのだろうか?
ヒマワリを送りながら、彼女が3ヶ月前から週に一度、手伝いに言っている事を聞いた。
昨日が手伝いの日だったらしい。
「今日は飛び入りだったけど・・・たまに時間が空くと他の日にも行くから・・・」
楽しそうに話す積極的なヒマワリを俺はまぶしく感じていた。
内気で自分から意見を言う処を見たことがないヒマワリだが芯は強いのかも知れない。
俺の知らなかったヒマワリの一面を知り、ちょっと嬉しくなった。
学校の成績を上げるために躍起になっている同級生達とヒマワリの生き方にギャップを感じた。
俺は成績や点数に拘るクラスメイトよりも、今できることをやっている彼女に好感を持った。
価値観は人それぞれ違うけど・・・俺は何に価値を求めるのだろう?
だから、それを探しに大学に行く。自分の道を決めるために・・・。
今の自分には何がやりたいのか、何に価値を求めるのか決められない。
でも、大学に行ったから見つかるのだろうか?何か大切な事を見逃していないのか?
正体の無い不安と焦りが広がる。
そんなことがあってから数日が経過した。
俺は変わりなく高校生活を送っていた。
考え出すと出口の無い迷路に迷い込んだような気がして、不安と焦りが溢れる。
しかし、何時もの通りに時間だけは過ぎていく。
何となく過ごしているうちに時間だけが過ぎ去っている。
それを考えると、また、不安に陥るのだが、考えても結論はでない。
俺は出口を見つけようと躍起になっている。
イライラが強くなり、自分の中で不安と焦りが渦巻き始める。
イライラが表に出そうになり、何度が自分を押さえ込む事があった。
まずい、このままでは爆発しそうだ。
レイラにはこんな事は無いのか?奴は目標を持っている。
兄貴のナオにはこんな事が無かったのだろうか?
最近は食欲も落ちた、普段は2人前から3人前を軽く食する俺が二人前をもてあます。
これでは体が持たない。俺は兄貴のナオに尋ねてみる事にした。
兄貴は普段から夜中まで自室でパソコンを打ち込んだり、資料をひっくり返したりしている。
おれは普段から早寝早起きの健康的な生活だ。
最近は遅くまでレイラの勉強を見ているときがある。レイラに気付かれたくない。
俺は真夜中の0時になるのを待って兄貴の部屋をノックした。
「なんだ、お前か?」ナオは俺の顔をみて怪訝そうに言った。
「どうした?英語なら教えられるけど、社会と国語は国大の最低ライン迄だからな!」
「聞いて欲しいんだ、兄貴がどうだったか教えて欲しいんだ」
俺は兄貴のベットに腰掛けると兄貴に向って、自分の不安や悩みをぶちまけた。
一人で喋り続ける俺の話を、兄貴は頷きながら聞いていた。
俺が喋り疲れるように話を終わると、「それだけか?他には?」と兄貴が聞いた。
俺は進路も決まっていないのに、施設を訪問しているヒマワリのことも話した。
ヒマワリは兄貴に家庭教師をしてもらったこともある。兄貴は良く知っている。
「へぇ、ヒマワリちゃんはそんなことをしているんだ。彼女らしいねぇ」
「そうなんだ、それに対して俺は何もしていない」「すれば、いいじゃないか」
「何を?」「何をって今、やりたい事をさ・・・」
俺は目が点になった。「進路を決められなくて悩んでるんだ、俺は!」
「じゃあ、悩んで見つかったのか?」「いいや」
「でも、勉強をしなきゃ、俺の成績じゃ大学は・・・」「厳しいだろうな!」
「そうだろう、好きな事はできないじゃないか」「そうかなぁ〜」
「兄貴とは違って俺は勉強ができないから・・・」「やらないだけだろう」「・・・」
「俺だって、同じだったよ」「えっ!」俺は正直、兄貴の言葉が以外だった。
「俺だって何がやりたいか判らなかった。今でも何になりたいかも、なれるかも判らない」
「だって、兄貴は何か研究で夢中になっているじゃないか?」
「確かに、興味を持った課題について研究はしているさ、でも、これが最終目的なのか?」
「俺に聞かないでよ」「研究したから何になれるんだ?」「研究者じゃないの?」
兄貴は俺の顔をみてクスクスと笑った。
「サッカーをやっていればサッカー選手だろ」「でも、プロになるのは一握りで・・・」
「同じさ、研究をしたからといって、それで食べて生けるのは一握りさ!
お袋のように研究所で研究を続けられる例は少ないよ。それだって企業の価値観が変われば、自分の研究が全く相手にされなくなる可能性もあるさ」
「兄貴は何をやっているの?」「まぁ、色々だな。まだ、基礎的な研究でしかない」
「ふーん、研究にも色々あるんだ」「そうだな」
「でも、それと、俺が方針を決められないのは話が違うと思うのだけど・・・」
「方針って、進路か?それとも職業なのか?」「・・・まずは進路だな」
「進路の選択肢はいくつあるんだ?今から医学部を受験するとか・・・」
「止めてよ!お袋みたいなことを言うのは・・・」「なんだ、ヒントを貰っているのか!」
「えっ?ヒントなの?」「そうだろうなぁ、選択肢を絞れと言うことだろう」
「あっ」俺は迷路から抜け出すヒントが判らなかった愚かな自分に気付いた。
「選択肢が整理できれば、それを視野に入れて今すべきことが判るだろ、
自分がやりたい事があれば選択肢のどれを選ぶかでできる範囲も見えるよな」
「兄貴はそれを考えて、それでも国体に行ったの?」
「う〜ん、そこまで立派じゃないな、予選に出る時間が取れそうだった、それだけかな?」
「それで、予選会で優勝したから本線にも出場したわけ?」
「そうだな、だって、試合に出た以上は勝った者の責任があるだろう」
「それで、大学受験は不安じゃなかった?」「そりゃ、不安はあったさ。当たり前だろ」
「良く、試合に出れたね」「それは切替えの問題だろ」「えっ?」
「試合の初戦でミスったからて、次の日に気持ちを切り替えなきゃ勝てないだろ。
同じ事さ、受験勉強に集中するのと試合に集中するのと、切替えは切り替えだよ」
「・・・」俺の心に光が差したような気がした。
俺は部屋に帰って兄貴の言った言葉を反芻していた。
あんなに自信に満ちているように見える兄貴が不安を感じていた事。
俺と同じように受験を前に不安があったことを知ってホッとした。
おれは受験という漠然とした壁をしっかり見ようともしないで怖がっていたのかも知れない。
大体、おれに選択できる道は現状から条件で絞り込めば数本に成るはずだ。
その中から、選べばよい。受験があるからやりたい事を諦める必要はない。
受験を前にしても、やりたい事は実現する方法を探し、試してみたい。
何となく、自分の道や方向性が見えてきたように思えた。
俺は改めて大学の資料を見直した。全部を読むのではなく、自分の条件でまず選り分けた。
選んだ幾つかの資料をもう一度読み直して見ると大体の方向性が残ってきた。
毎日、少しずつ資料を読み、自分の焦る気持ちを抑えながら、宿題やレポートの少ない日を選んで手を進めた。
レイラを泣かした日から一月近く立った頃に俺なりの方向が見えてきた。
日曜日の食事の後で、「俺、珈琲を入れるから」と宣言した。
「じゃぁ、私手伝うね。」俺が珈琲メーカーをセットする横でレイラがカップを並べた。
珈琲を入れると、家族が何となく、俺の口の開くのを待つ気配を感じた。
「俺、院内推薦を受けようと思うんだ。」「そう」お袋が頷いた。
「学部は社会科の方向で考えている」
「具体的に学科はまだ決めていないってことだろ?」兄貴の質問に俺はうなずいた。
「いいんじゃないか?まだ時間はあるんだろ?」兄貴の言葉に俺はホッとした。
「そうね、学内締め切りまではまだ、2ヶ月あるわね」とお袋も同意した。
「それまでに大学で習う科目を調べて決めようと思うんだ」
「レオは他の大学は受けてみないの?」レイラが尋ねた。
「俺の成績だと、今から、受験勉強で外部を受けるのは厳しいし、自分のやりたい事ができないから・・・」
「やりたい事って?」
「俺は高3で、インターハイと国体に行く。3年連続の県大会優勝記録を狙う」
「そうなんだ、・・・私は・・・」
「レイラは無理をすることは無い、俺とお前は同じではない。価値観も違う」
「そうね、レイラはその時になってから考えればいいんじゃない?二人とも自分にとって大切な方を優先すれば・・・」
「そうだぞ、レイラ、俺のように、ギリギリになってエントリーってことも有りだからな」
「えっ、だって兄さんはそれで優勝しているんでしょ」
「負けたら、引退試合になっていたんだ。納得したくてエントリーしたのだから・・・」
「えっ、そんな心算だったの?」
「そうさ、勝てるとは思って無かったよ、練習も殆どしてなかっただろ!」
「でも、試合前の一週間、兄貴の練習は半端じゃなかったな、目が怖かったもの」
「だから、集中する先の切り替えって事だよ」俺はナオの顔を見て笑った。
「あれ、何か二人で・・・変だなぁ、私の知らない秘密があるとか・・・」「ないない!」
レイラの声に俺と兄貴が同時に答え、手を振った。何時もの双子の同期のように・・・。
「では、レオはこの夏も海外のトレーニングキャンプに参加するの?」とお袋に言われ・・・。
「まだ、決めていないけど、推薦を狙うなら次期が早いから、夏は・・・」
「そうね、良く考えて決めなさい」「はい」
珈琲を飲み終わった俺はレイラに声をかけた。
「おい、そろそろ、勉強をはじめる時間だ!」「ハイ!」
レイラがはじかれたように立ち上がって、皆で大笑いになった。
「受験生は勉強しなさい、私が片付けるから。美味しかったわありがとうレオ」
俺はちょっと満足した気分になって席を立った。
そして『受験生は勉強』・・・などと言う言葉をお袋が言ったのは初めてだと気付いた。
家族の温もりを実感した俺だった。